>>317
本則:
風穴禅師は、郢州(えいしゅう)の役所内で上堂して言った、「我々の本来の面目は心印と言っても良い。 その心印は鉄牛の働きに似ている。その心印を押して、その印を取り去れば印形の文字がはっきり残る。
その反対に、その心印を押しても、その印をそのままそこに置けば印形がはっきり印刷されているかどうか分からない場合もある。
我々の本来の面目の心印の働きは丁度それと同じである。その心印を押して、取り去れば印形の文字がはっきり写って残るように、
雀はチュウチュウ、烏はカアカアと万物が、心に写されて残る。
反対に、その心印を押しても、その印をそのままにすれば無印で印形が残らない場合もある。
心印を押して、取り去れば印形の文字がはっきり写って残る場合は「差別と肯定の世界」である。
この場合、雀はチュウチュウ、烏はカアカアと万物が、心に写されて残る。
心印を押しても、その印をそのままにすれば無印で印形が残らない場合は「否定と平等一如の世界」である。
それでは「「否定と平等一如の悟りの世界」でもなく、「差別と肯定の世界」でもない、両者を否定し超えた立場は一体禅なのだろうか?
それとも禅ではないのだろうか?」

この風穴の言葉に、廬陂(ろひ)長老が出で来て言った、「私は禅の鉄牛の働きを既に得ています。ですから、改めて師から印可して貰うに及びません」。
風穴は言った、「わしは今迄大海で鯨を釣るのには慣れているが、田んぼの泥蛙を釣ったのは今日が始めてじゃ」。

これを聞いて、廬陂(ろひ)長老は意気をそがれて黙りこんでしまった。
風穴は一喝して言った、「長老、何とか言わんかい。 お前さんの禅の鉄牛の働きは何処に行った」。

廬陂(ろひ)長老はまごついた。
風穴は払子(ほっす)で一打して言った、「さっきお前さんがわしに言ったことを憶えていないのか? 分かっているのなら何とか言って見んかい」。
廬陂(ろひ)長老は口を開いて何か言おうとした。そこを風穴は払子(ほっす)で又一打した。

これを見た牧主は言った、「仏法と王法は同じですね」。
風穴は言った、「それはどういう所がですか?」

牧主は言った、「やる時には断乎としてやらんと後腐れがあって後に争いが起き、だめですよ」。
風穴は下座した。