批判がいけないと言っているわけではなく
批判を言ったならばその10倍くらい神の仏の善いところを言わなくては心のバランスがとれないだろう。ということ。

信者でもどうしてと疑問やもっとこうすれば良いのにというような思いはあるのです。
でも
その思いを声を出して言うことと、自分の心にとどめておくこととに大きな違いが生じるのです。
心や目の前に現れてくることで感じるのです。

思いを吐き出さないで心にとどめて置くことには苦しさが伴います。
なぜ、どうしてと悶々と苦しむのだが、やがてこの苦しみは新しい場所に誘ってくれるのです。
気づきを与えられるのです。
心の声としてだけではなく、人の口とかたまたま目にはいったものなど偶然としか受け止められないものなど
自分の意志とはまったく別の何者かの力により知らされることはあるのです。
そんなときに
神が私のために懸命に働いてくれていたことに気が付かされます。
それゆえ、神に文句を言っていた自分の小ささ、愚かさを深く反省させられるのです。
偉大な神に感謝する他なんの願いがありますでしょう。

幸福の科学を嫌いな方々も神の子であり神の働きは受けられているはずなのです。
ちょいと面倒だけど仲間なのです。そう思っています。