輪廻は仏教含むインド宗教の公理だが無我なら輪廻の主体は何になるのだろう?
原始仏典は自己(アッタン即ちアートマン)という表現が多いが何故だろう?
色々な説明聞いても腑に落ちない。
ひどいのになると毒矢の例えで明らかなごまかしをするのもいる。