★★幸福のカルト『千眼美子』様を応援しようpart1★★ [無断転載禁止]©2ch.net
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清水富美加「千眼美子」で宗教活動へ 幸福の科学は『奴隷契約』
女優、清水富美加(22)が宗教団体「幸福の科学」に出家し、芸能界を引退する意思を固めたことを受け、同団体側が12日、東京都内で経緯を説明した。
突然、清水が仕事に穴を空けたと主張する所属事務所側に対し、団体側は「伏線があった。奴隷契約が大きな点だ」などと糾弾。
宗教家として活動するため法名・千眼美子(せんげん・よしこ)が与えられた清水は、直筆書面で
「神のために生きたいと思いました」と心境を明かした。
一方、所属事務所側は「事実と違う」と反論した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170213-00000026-sanspo-ent 世界の宗教には「時代性」と「地域性」の限界がある
一方、イスラム教にあっては、祖師であるムハンマド以下、多くの者が血を流しながら立宗した歴史をなぞって、現在も原始的な戦い方を繰り返しているように思います。
やはり、「いったい何を目的としているのか」ということを、もう一度、考え直さねばならないのではないでしょうか。
確かに、モーセが出エジプトをなし、カナンの地に入ったときも、数多くの戦いが起きました。イエスが今のイスラエルの地を中心に活動したころにも、たくさんの血が流れています。ローマでもまた、数多くの戦いが行われたでしょう。
また、その六百年後にイスラム教が誕生したわけですが、そのときにも、同じ部族同士で激しい戦いが起きました。さらに、新しい立宗がなされると、古い神々が取り壊されていったのです。
そのように、いろいろなことが起きたので、地上的な現象だけを見たならば、「宗教など信じないほうが、よほど幸福だ」と思う人が出てくるのは、ある程度、しかたがないかもしれません。 ただ、私は、あえて申し上げましょう。
それらは、三千年前や、二千五百年前、二千年前、千四百年前に説かれた教えなのです。神の声を聴けた人がいたのは確かでしょうが、その人はあくまでも自分の立場で神の声を聴いていたということを、忘れてはなりません。
やはり、ある国の、あるいはある部族の預言者として、また、メシアとして、神の教えを聴き、自分の立場で、要するに、自分が率いる民たちの利益のために、その教えを広げたのです。そのように、「時代性」と「地域性」の限界がありました。
ところが、のちに世界が大きくなり、交通が頻繁になって、通信が地球の裏側まで届くようになったときに、誤解が生じたのです。人々は、まさか神が、「自分の部族や国民、民族だけのために教えを説いた」とは思わないでしょう。
しかし、「われのみを神とせよ」「わが部族の神だけを信仰せよ」と言った言葉を、「わが部族、わが民族を導く神だけが本物だ。あとの神は偽物で、全部否定せよ」というように解釈している人が大勢いるのです。 それから二千年以上の歳月が過ぎ、日本にも、その教えの一部は伝わっています。しかし、「最初のころの釈迦の教えがどうであったか」ということは、残念ながら、抜け殻のようで、はっきりしたことは分からないでしょう。
一方で、原始の釈迦の教えを忠実に反映しているかに見える、小乗仏教、あるいは上座部仏教、テーラバーダといわれる教えが、スリランカやタイなどには今も残っています。タイは独立を守っているため、その宗教様式も、かたくなに守っているのです。
ところが、私は過去二回、講演のためにタイへ行こうとしましたが、残念ながら、二回とも行くことができませんでした。また、タイでも、私の本が翻訳されていますけれども、タイの人たちは、「『仏陀再誕』だけは困る」と言っています。
要するに、仏教では、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三つ(三法印)を旗印としていますが、
小乗仏教では、最後の「涅槃寂静」について、「仏陀が悟りを開いたならば、地上的な束縛を取り除いて、涅槃の世界、ニッバーナに還る。そして、もうこの世には帰ってこない」と説いているからです。
そのため、「仏陀再誕は困るのだ」と言っていたのです。
しかし、私は、タイと同じく小乗仏教の国であるスリランカで法話をした際、スリランカの人たちに、「仏陀がこの世に還ってこなくて喜ぶのは、いったい誰ですか」と問いました。
「仏陀が悟りを開いたならば、二度と地上には帰ってこない。つまり、地上の人たちを指導しない。それを喜ぶのは誰ですか。悪魔でしょう。仏陀の教えをそのように解釈したのは、いったい誰ですか。よく考えてみなさい」と述べたわけです。 ●福祉活動に関して、事実無根の中傷を加える気持ちがわからない。
ワールドメイトカンボジア無料救急病院、盲人ゴルフなどを全否定し、中傷を加えている人がいます。
ワールドメイトカンボジア無料救急病院では、100万人以上もの貧しいカンボジア人が救われております。
今では、カンボジアで一番医療技術が高く、カンボジアの医療スタッフの育成の役割も担っているそうです。
事実無根の批判する人は、どうみても、一日中、インターネットで批判をするだけの非生産的な人生を送っておられるようにしか見えません。
一日中、ネット批判の暴言をするだけの生き方をしている人と、
実際に弱者を救済する活動をしているワールドメイトや深見東州先生を比べてみれば、
どちらが、世界にプラスの存在かが、自ずとわかりますよね。
●ワールドメイトのカンボジア24時間無料救急病院を批判する人は、
カンボジア人を見殺しにしたほうがいいと言っているでしょうか?
深見先生の発願により、ワールドメイトの福祉活動の柱となっている、カンボジア24時間救急病院の活動に関し、批判する方がいます。
無料で100万人以上ものカンボジアの方を救っているということ、
無料救急病院をワールドメイトが行っているということの、なにが気にくわないのでしょうか。
ワールドメイトの会費なんぞは、月額2500円くらいの微々たるものです。
それで、ご随意や3000円などで神事に参加でき、思う存分お祈りもでき、
有意義な深見東州先生のお話も聞け、十分神学びができます。
さらに、会費が、カンボジア人の命を救うとういことに貢献していると聞くと、心よりうれしいですし、誇りに思います。 「仏陀が悟りを開いたならば、二度と地上には帰ってこない。つまり、地上の人たちを指導しない。それを喜ぶのは誰ですか。悪魔でしょう。仏陀の教えをそのように解釈したのは、いったい誰ですか。よく考えてみなさい」と述べたわけです。
すると、講演会に来ていた一万三千人のうち、九千人以上が。幸福の科学の信者になりました。(「大川隆法 スリランカ 巡錫の軌跡」)
これは、「『仏陀が地上に還ってきてほしくない』というのは、悪魔の考えです」と私が述べたからです。
もちろん、「悟りを開き、束縛を解いて、自由自在になる」というのは、仏陀の説いた教えのとおりでありましょう。霊的世界に還れば、肉体的束縛から離れて自由自在になるわけです。
そして、思いがすべてになって、意志の決定するところに自分の行動があるようになります。そういう意味で、「自由自在になる」ということを、悟りの境地として仏陀は説いたわけです。
それについて、「涅槃(ニッバーナ)に入ることによって、仏陀がどこか暗い山の洞穴の中にでも閉じこもり、蓋をされてじっとしている」とでも思っているのでしょうか。
まったく恥ずかしい限りの誤解ですが、そのようなことがあるはずがありません。それでは、地獄の深い穴の中に入っているのと同じことです。
やはり、地上の人たちが救済を求めても、涅槃から出てこずに、彼らを救うことができないならば、「悟り」とは言えないでしょう。それは、絶対におかしいわけで、唯物論であり、間違った宗教論だと思います。
ここを突破しなければ、タイの国に未来は開けないはずです。 ●カンボジアに小学校を10校建設しています
カンボジアでは、つい数年前までクメールルージュが武力による圧政を行い
その間、当時の全人口の約半分にあたる300万人以上の国民が殺されたのです。
特に「眼鏡をかけている人」すなわち知識階級の人間は、ことごとく命を奪われました。
その結果、カンボジアの学校や教育制度は完全に破壊され
現在、カンボジアには学校のない村が3000以上もあり、子供たちは読み書きさえ習うことができません。
また学校があるところでも、ほとんどが野外授業のため、雨風や照りつける太陽にさらされています。
こうした現状を聞き、深見先生が代表を務めるワールドメイトはカンボジア政府の方と相談をし
カンボジアの最貧地域に「屋根のある小学校」を10校寄贈したのです。
今も毎年2校ずつ建設しているのです。 世界の宗教には「時代性」と「地域性」の限界がある
一方、イスラム教にあっては、祖師であるムハンマド以下、多くの者が血を流しながら立宗した歴史をなぞって、現在も原始的な戦い方を繰り返しているように思います。
やはり、「いったい何を目的としているのか」ということを、もう一度、考え直さねばならないのではないでしょうか。
確かに、モーセが出エジプトをなし、カナンの地に入ったときも、数多くの戦いが起きました。イエスが今のイスラエルの地を中心に活動したころにも、たくさんの血が流れています。ローマでもまた、数多くの戦いが行われたでしょう。
また、その六百年後にイスラム教が誕生したわけですが、そのときにも、同じ部族同士で激しい戦いが起きました。さらに、新しい立宗がなされると、古い神々が取り壊されていったのです。
そのように、いろいろなことが起きたので、地上的な現象だけを見たならば、「宗教など信じないほうが、よほど幸福だ」と思う人が出てくるのは、ある程度、しかたがないかもしれません。 3 信仰とは、全身全霊で受け止めて感じ取るもの
学問における唯物論・無神論者たちとの戦い
また、『正義の法』の第一章では、次のような映画の内容を取り上げました。
「キリスト教国であるアメリカの大学において、WGod is dead"(神は死んだ)と書いてサインをしなければ、その科目を履修できないということがあった。つまり、そうしなければ、単位を取って、成績を上げ、出世を目指すこともできない。
そのとき、一人のクリスチャンの学生が教授のやり方に抵抗した。
その学生は、『私はクリスチャンであるので、どうしてもWGod is dead"とは書けません』ということで、教授とディベートすることになった」(二〇一四年公開「神は死んだのか」〔原題WGOD IS NOT DEAD"]」。
これは、映画の話ではありますが、おそらく、アメリカにおける学問の現状でもあるのでしょう。
特に、科学の分野では、キリスト教の教えを根本から覆すようなことが数多く起きているわけです。
例えば、宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士は、神を否定しており、「神が宇宙をクリエイトしたというのは信じられない」というようなことを言いました。 例えば、宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士は、神を否定しており、「神が宇宙をクリエイトしたというのは信じられない」というようなことを言いました。
また、リチャード・ドーキンスという人は、「遺伝子が魂の正体だ。DNAが、親から子、子から孫へと移っていく。このDNAの転移こそ、魂の転生輪廻そのものだ」というようなことを言っています。
あまりに愚かすぎて話にならないのですが、大学では、これを信じて、このとおりに答案を書かなければ、成績優秀では卒業できないし、よいところには就職できないのでしょう。
たとえクリスチャンであっても、主流はそのようになってきており、そのために、あちこちで戦いが起きているのです。
要するに、「君が教会や家庭で信じるのは結構です。ただ、ここは大学なので、そういう信仰など、証明できないものは持ち込まないでください」ということなのでしょう。不可知論、あるいは無神論を教えるために、最初にサインをさせられたりしているわけです。
結局、現代の哲学者の多くが無神論者であるため、その内容を授業で教えるためには、神を否定しなければならず、それでサインをさせたりしているのだと思います。
しかし、そうまでしてA評定の成績を取ることにより、よい進学ができ、よい就職ができ、よい結婚ができ、よい家庭が持てたところで、最終的に幸福になれるのでしょうか。
あるいは、真理に反して生きて、本当に幸福と言えるのでしょうか。神を否定するところまで傲慢になっておきながら、その生活が、その科学が、尊敬すべき立派なものであるはずがありません。
たとえその大学が、世界の一流の「名門」といわれる大学であったとしても、間違っているものは間違っています。嘘は嘘です。教えてはならない限界があるということを、私は言っているのです。 みんな、すまんかった。
俺はやっぱ大川センセーにだまされておったわ。
今ようやっと気づいた!
幸福の科学はやっぱ間違いやった。
今までみんなを馬鹿にしていてスマンかった。反省する!許してくれ!
舞、聖杯、すまんかった!
旅人、くろだー、お前らが同一人物だってのは、俺のウソや!
タム、Truth、ルチア、ルーテル、
馬鹿な、馬鹿な、俺を許してくれ!
馬鹿だった龍 リョウ・サカザキより 幸福の科学とオウム真理教との違いも分からないで、
宗教板の住人やってていいものだろうか? ●福祉をする理由について 1/3
ワールドメイトや深見先生が代表を務める様々な団体が、中国やカンボジア、アルバニアでの福祉、特に児童福祉や教育に力を入れている理由について、
「日本にも困った人が沢山いるのに、なぜ中国やカンボジア、アルバニアの救済に励むのかと尋ねられることがあります。
それは、カンボジアがアジアの最貧国であり、アルバニアがヨーロッパの最貧国であり、中国山間部が世界の最貧地域だからです。
中国の辺境では、年収約6000円、つまり月収が日本円で約500円の最貧農家がたくさんあります。
日本で困っている人も助けてはいますが、その困っている度合は、比べものにならない程悲惨なものです。
中国の辺境やカンボジアは、日本でいえば明治のはじめのような状況にあります。
その中で、日本人が建てた小学校を卒業した子供たちは、成長してからも、日本人に対して良い感情を持つようになるでしょう。
特に中国では、『井戸水を飲む時は、井戸を掘った人の恩を忘れるな』と言います。
受けた恨みも忘れないですが、受けた恩も忘れないのです。
この子供たちが、将来、たとえ小学校を寄付した私の団体や私の名前は忘れたとしても、
日本人全体に対して好意的な感情を持つようになり、
長い目で見た直接的な日中友好に役立つことができれば…と願っています。
だからこそ、いつも日本人を象徴する羽織袴で中国の公式行事に出席されるのです。
また福祉とは、そこに人的なつながりがあり、切に求められているからこそ、実行が可能となります。
ですから、インドやアフリカにはなかなか手が回りません。それゆえ、人的なつながりがあり、可能なところから支援を行っているのです
このように、しっかりとしたコンセプトを持って福祉をされているのであり、
民間人として、日本人として、また将来も見据えて、会員さんの玉串が最大限有効活用されるよう、決断と実行をされているのです。 幸福の科学とワールドメイトとの違いも分からないで、
宗教板の住人やってていいものだろうか? >>824
そんなに煙たいのか?
オウムと幸福の科学が蜜月関係にあるという事実が。 幸福の科学と統一教会との違いも分からないで、
宗教板の住人やってていいものだろうか? 幸福の科学と摂理との違いも分からないで、
宗教板の住人やってていいものだろうか? >>830
そりゃ、幸福の科学なんてワールドメイトよりはずっと格下だかんねw ●神法悟得会入門篇のすばらしさ
「神法悟得会入門篇」とは、神様への本当の「お祈りの仕方」を、
深見先生が直接教えて下さった内容であり、教えていただかなければ一生悟ることのできない「神伝」です。
受けた方々は皆、「今までの私の祈りはまったく間違っていた!」と驚きの声をあげます。
そして、その場で誰もがご神霊を感じられる大感動の神法なのです。
当初の伝授会のときに、何十年も修業を積んできたという密教のお坊さんがいらっしゃったそうです。
その方は神法を悟得され、次のように語っておられました。
「私は二十年近くも辛い修業をしてきましたが、深見先生が教えて下さった通りに素直に祈れば、本当にご神霊を実感でき、神仏に通じることが出来ました。
こんなに短い研修で、こんなにものすごい神法を体得できるんだと分かったとき、思わず涙がこぼれてきました。
そして、今までの修業は何だったんだろう…と思ったのです。」
私も以前は他宗教にいましたが、神仏の動かし方を、
ここまで簡潔に体系つけて教えてもらったことはありませんでした。
ワールドメイトの入門篇に出会わなかったら、永遠に荒野をさまよい続けていたはずです。
この時代に生まれて、ワールドメイトに入会し、神仏の存在を知り、
そして、神仏を運用させて頂くことも教えてくれた、この稀有な機会に私は心の底より感謝しています。 ●神法悟得会入門篇のすばらしさ
以前、私は「幸福の科学」という名の他教団にいましたが、「神仏を運用する」ということは、まったく教えてもらえませんでした。
※というか、「神仏を運用する」という概念すらありませんでした。
それが、このワールドメイトに入会して、「神法悟得会入門篇」を受けて心底驚きました。
教えて頂いたように、お祈りをしていると、本当に胸がポカポカして暖かくなったのです。
神仏が降りてきているのを感じました。
この教団で教えて頂けなければ、永遠に分からずじまいだったと思います。
この神法に則って
私は何かある毎に、心の底で祈りながら生活を送っています。
いつも、目に見えざる力に助けて頂いているのを感じております。
救霊も九頭龍祈願も、この「神法悟得会入門篇」が全て基になっているのです。 ●深見先生の考えと実行について
ワールドメイトに寄せられた玉串を、己の教団の、物件購入に当てることはほとんどありません。
これは、神は伽藍には降りないという、深見先生の信念によるもので、
他教団のように、大きな建物を建てて、力を誇示することは全く無いのです。
ワールドメイトの支部のほとんどが賃貸です。エリア本部もそうです。ワールドメイトの総本部も本当に小さい建物です。
見ていただければ分かりますが、総本部は、どの教団本部の建物より小さいはずです。
ワールドメイトは、最低限必要な分以外は、物件や建物に、お金を使うことはないのです。
他は、宗教活動、そして福祉、発送費、通信費、運営費等に使うのです。
会員さんの玉串が最大限有効活用されるよう、そして、高い次元と高い宗教的理念を持って、深見先生は、決断と実行をされているのです。 深見先生や、幹部の皆様が、贅沢をしていると、根拠のない書き込みをしている人がおられるようです。
深見先生に、プライベートはありません。
24時間体制で、宗教活動、社会人としての仕事、スタッフの教育、エンゼル会の育成をされています。
スタッフさんの何名がローテションで対応しないと、深見先生の情熱のすごさについていけないそうです。
寝るときは、ほとんどが移動中の車の中や、電車の中だそうです。
毎日こんな生活をしているそうです。どこに贅沢をする余地があるのかが、考えればわかることです。
幹部の先生方も同じです。師匠の深見先生を差し置いて、贅沢をすることができるのでしょうか?
みなさん、同じように、凌ぎを削って、毎日の生活を真剣勝負で送っておられます。
ここが、私が今まで所属していた「幸福の科学」とは大きく違うところです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています