碧巌録 第31則 麻谷振錫

どこかのHPに、麻谷の最初の振錫は無心だったが、2度目の振錫は無心ではなかったので南泉は不是
としたと書いてあった。

ポタ公の解釈「いつもの自分を見失っているのだ。」も、それをみてコピペしたんだなw
何が「自分だけの言葉で言って下さい」だよ、嘘つきが。猿真似じゃねーか。


ともあれ、そんなもんは断じて禅ではない。


俺からみりゃ、麻谷も章敬も南泉も雪竇も「錯」だよwww
転がる前のサイコロの目を見ず、転がった後のサイコロの目を見て勝ったの負けたのだの、
ご苦労さん!

無眼子には無病の薬以前の問題だな。