>>451
ありがとうございました、質問はこれにて終わりとさせて頂きます。
以下、他からご教示頂いた話です。
1.「前三三、後三三」は修行僧の人数ではなく、その文字のままに参ぜよ、つまり何処迄も「前三三、後三三」のまま観念や分別を無くしていき、そして観念や分別が無くなった時、「前三三、後三昧三」がそのままに残るだろ?とのご教示でした。
2.片手の公案は法身の公案で、1.と同じく観念や分別を潰させるのが目的だそうです。片手を見てみろとのご教示でした。
やはり、観念や分別が無くなったとき、片手がそのままに残るだろとのご教示でした。
(続く)