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日本においては、悟後の修行である聖胎長養を鎌倉時代末期の大燈国師、関山慧玄が重視した。
大燈国師は、大応国師から与えられた『碧巌録』の雲門の関字の公案を3年かけて透過し、大応の印可を得た大燈は、京都に帰り鴨川の東岸あたりで乞食の群れに入り、日夜刻苦精励したと伝えられる。
これが有名な「五条橋下二十年の聖胎長養」である。

関山は京都洛北・大徳寺の開山・大燈国師について修行、禅関の奥義を極め、52歳のとき、印可と関山慧玄の道号を授かり、美濃の伊深の里に身を隠し、里人と一緒になって牛を追い、田畑を耕して悟後の修行に励んだとされる。

大燈は20年、関山慧玄は9年、白隠の師正受老人は44年の聖胎長養の時を持っている。

江戸時代の白隠禅師はこれを取り入れ、「見性」と「悟後の修行」の2段階の修行を唱えた。
最大の関門は「見性」であるとし、「本来の面目」を覚知自証した後は、これに満足せず、修行者は「悟後の修行(聖胎長養)」によって悟りを深めることで、禅の完成があるとした。
この修行は臨済宗の禅の特徴となった。
 白隠は、その法語では、しばしば、永遠の「悟後の修行」を勧め、たとえ悟りを得ても 菩提心なければ魔道に堕つと説く。
菩提心とは上求菩提(じょうぐぼ だい)と下化衆生(げけしゅじょう)であり、自利の坐禅・公案の修行と、利他の心、すなわち四弘誓願の実践、人を助くる法施を勧める。
法施とは、法を説いて人に施すこと。
つまり、仏の教えを説いて、人びとを救おうという実践、それが菩提心であると説いた。
そのために
あらゆる分野の書物を読んで学問をして、それによって人に施せ、とした。