禅語百選 把手共行 手を把って共に行く  仏の実在を信じ、そのおしえを学び、ともに手をとりあって人生を旅する仲間を
同行と呼び同朋と懐かしみます。四国遍路や西国巡礼の旅人たちは、たとい一人旅であっても「同行二人」と笠に記します。
自分以外の一人は弘法大師であり観音様です。禅者はこの同行を特に、どうあんと呼び習わしています、同行は師となり先輩
となり友となって、影と形のようによりそって修行にはげみます。つくしんぼうのように、どこか見えないところで、こころ
とこころが繋ぎあっているのです。人間と人間だけが「手を把って共に行く」のでなく、ほとけと人間、ほとけとほとけが、
ともに手を把りあって旅をつづけるのです。ほとけと修行者は、横に並んで歩くときもあり、前後になりあうときもあります。
同行は現実に同行する友だけではあのません。苦悩にあえいでいる自我の心の奥底に潜んでいるもう一人の友でもあります。
彼の名を自己といいます。人間とは現実の感性的自我と、本質的自己の同行の二人の存在です。感性的自我がどのように醜悪
でも、その心の奥底で清浄な同行の本来的自己が凝視していると信じるのが、禅の人間観です。信心です。この同行に出あつた
人を「さとつた人・めざめた人」といいます。ともに手をとりあう善友のあるのは幸いです。心中に信ずる同行のあるのは、
さらにさいわいです。・・  ?どうのこうのひとりでぶつぶつ言うのもまあ良い旅なのか?片手の人のどうのこうの?
如何こうで二人ならそれ観つつめるで参加区いや三角形は安定の形と言うまた意味が不明に何か書き足しが不味かった落ちが無い