他人の過失をみるなかれ。
  他人のしたこと、しなかったことをみるな。
  ただ、自分のしたこと、しなかったことだけをみよ。
出典:『ダンマパダ』50

 わたしたちは、他人の過失にはよく気がつく。隣人や友人がどんなことをいったか。どんなことをして自分に迷惑をかけたか。いかに約束を守らなかったか・・・・・。
 そういうことには敏感で、しばしば陰口や不平をいうものである。これにたいして、自分がしたことを正確にみることを、私たちは苦手とする。
 私たちはまた、ものごとが思い通りにならなかった場合に、責任を転嫁しがちでもある。
 たとえば、「私が遅刻したのはバスが遅れたせいです」などと、しばしば言い訳をする。
 しかし、交通渋滞の多い時間帯では、バスが遅れるのはむしろ当たり前で、約束の時間に着くためにもっと早いバスに乗るか、地下鉄などの交通手段を利用するかすべきなのである。
 自分がそれらのすべきことをしなかった、という反省はつらく、苦しいもので、私たちは往々にして、しなかったことをみることを避けてしまう。
 それをブッダはしっかりとみるようにと厳しく説くのである。
 その反面、このことばは限りない勇気を与え続けてくれる言葉のように思われる。
 ブッダは、自分がしたこととしなかったことだけをみるようにいっている。これすなはち、行為を問題にしていることばである。
 原始仏教時代の仏教徒にとって一番大切なのは、人がどのような行為をしたかということだった。人は、自分の人間としての正しさを、生まれや家柄によってではなく、自ら行う行為によって証明しなければならなかったのである。
何をどれだけもっているかなどは問題にならない。自分がしたことだけが問われたということは、何とさわやかなことだろう。
 他人を批判することのみ多い現代の日本人が、未だ学歴にこだわったり、拝金主義にとらわれたりして生きている姿に深い反省を迫ることばでもあるようだ。
【参考文献 仏教のことば 生きる智慧 中村 元師 主婦の友社刊】

http://www2.synapse.ne.jp/syouhukuji/bukkyou/012.htm