>>95

>>106の補足
>無我
真我に溶け込んで無我になるのか、
その前段階で親しみのある神のイメージに溶け込んで無我になるのか、
他の瞑想の対象に溶け込んで無我になるのか、
目の前の仕事に没頭して無我になるのか、
その辺の一番大切な説明や手順が抜けてるか見落としてるんじゃないかな。

>自己は存在しない
このスレやこのレスを見てうなずいたり
反発する気持ちが生じるということは
自己(自我=心)が確かに存在している証ですが、
心は思考と感情の束と言われており
実体がなく非実在であるものの、
目的地にたどり着く途中までは
samskara(過去の個々の印象)やvasana(samskaraの
蓄積により形成される潜在的な傾向、性向)が詰まった乗り物で、
その乗り物をきちんと管理して「自己が存在しない」境地を
目指しましょうということではないでしょうか。

ダルマを固く守るとか
自我意識や執着、欲望、憎悪などの心を形作るものを
生贄として差し出すとか、目的地にたどり着くまでの
霊性修行で済ませておかないといけないことが
たくさんあるでしょうから、
結論(到達点)のお話しがそのまま聞く人や読む人に
当てはまるわけではないと思います。

不二一元論はスピリチュアルのかけらも存在しない大本に
戻る(融合する)ことを目指した教えではないでしょうか。