>>895
道元禅師の普勧坐禅儀の正宗分に「箇の不思量底を思量せよ。不思量底如何が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。」とあるようだね。
「何も考えていないという状態を考えてみなさい、つまりそれは考えの有無を離れている」と受け止めている。
例えば、何かを見てから思念が湧く前の状態、眼にものが映っているだけの状態、耳に音が聞こえているだけと状態かと。
見えたままに、聞こえたままに、受け流せという事と受け止めている。
また、坐禅も実際にそうしてやっているし。