画餅 ・・・・まさしく全世界・全存在は悉く描かれた絵であるから、人も事象も、すべて絵より現われて、仏祖も絵より
成就するのである。そういうわけであるから、「描かれた餅」でなければ餓えを充たす薬はない。また「描かれた餓え」で
なければ、人に出会うことはなく、また、「描かれた充」でなければ力量は出てこないのである。およそ「餓えを充充たし」
「餓えないのを充たし」「餓えをみたさず」「餓えないのを充たさない」などはすべて「描かれた餓え」でなければ出来な
いことであり、またいえないことである。ともかく自己そのものが「描かれた絵」である事を参学すべきである。この大切な
主旨を参学するとき「物を転じ、物が転ずる」という働きを、心身に究め尽くしていくことができる。このような不思議な
働きが現われていないようでは、仏道を学ぶ力量はまだ成就していないと思うべきである。この働きを実現させることが、
「悟られた絵」の成就となるのである。?まあ絵画か幻実なのか現実なのかまあ何だ観だは日本語では学ぶに変わりは内師
経巻は環境◎だし観今日落ち着きのない朝今日は同地へ行こう.でもまあ良いか