>>406 素人A さん

> 僧が言えば、昔々、ぽつたんさんが片手の人の音声の公案に取り組んで 夢中で坐前中取り組んで居たとき突前、和尚さんにあなたは 雀がチュンチュン鳴いているのが聞こえないのですかと言われたとか聞いたけど。

かなり、話しが 素人A さんの如是我聞になって、独自解釈になっている。。

わたしは無師独悟(むしどくご)、独覚(どっかく)で、人の支配を受けることを極端に避けている頃の事で、お寺の和尚さんに何かをおたずねすることが一切なかった、むしろ拒否していたきらいがあった。

それでも、世にいらっしゃる 正師 にまみえるべきではないか、との漠然とした思いも出てきて、あちこちのお寺をめぐる事が有った。

だが、そこも世間様で、和尚は多忙でアポを取ってから来てくれ、あるいは、在宅を示す履物が有り、お風呂場からは体を流す湯の音が聞こえてくると言うのに、和尚は外出中である、と言う。

また、真摯に向き合っていただいた和尚様はわたしは悟ってはいません、とさとりを求めているその道の歩みを語ってくださった。

そう言うお尋ねの途中で、やっとお会いできた臨済宗の和尚に私が効いた片手の拍手の音を話した。

話しを聞いていただきたいことが最大で、話し終えたとき、その和尚が大きな木の梢から聞こえてくる小鳥たちのさえずりがあなたに聞こえていますか、と聞いてくださった。

もちろん、耳の奥には聞こえていたが、それよりも片手の拍手の音の確認をしたかった。

その和尚に質問したのは、わたしは趙州の無字は仏性はないと言うが、悉有仏性である真理に無と言い出すのがわからないのですが、と言ったとき、無字も隻手も同じですよ、と指摘していただいた。

片手の音をずっと聞きっぱなしであった私は、聞く前に戻る事が出来なくなっていたのだった。

雀のちゅんちゅんは、これらとは全く別の話しになる。

タンポポのこんにちは、とスズメのちゅんちゅんは、同じ内容を持つ。

宇宙の始まり以来、わたしがスズメと出会ったのはいのちの連なりの中での出会いである、と言う確信であり、
道端のタンポポがこんにちはとあいさつをかけてくるのも、同じである。