★★『幸福の科学』統合スレッドpart「性の儀式」★★ [無断転載禁止]©2ch.net
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疑問を持ったきっかけの一つは、大川隆法氏がヤショーダラ妃を長女の過去世であると言い出した事です。
私は耳を疑いました。
もしそちらが真実なら、一体、大川隆法氏がYさんに言ったことは何だったのか、という疑問が起きました。
ヤショーダラ妃が長女であるとなると、大川隆法氏のしたことは詐欺です。
教祖が霊の声を偽ってセックスを職員の女性に強要したという犯罪になります。
http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2088
被害者がその後も増大し続けており、
この犯罪を抑止することが
是非とも必要だと思ったからです。
あの記事が出てから、私の元には、
他にも被害者が何人もいるという情報が
いくつも入ってきています。
私は純粋な若い女性たちの信仰心を利用して、
自分の欲望を満たそうとする大川隆法氏と、
彼の犯罪を隠蔽し続ける幸福の科学に対しては、
はっきりと公憤を感じております。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_29.html 日々の言葉や行動のなかに「神の愛」を
最終的には、やはり、「神の愛がなかったら、何もないのだ。ナッシングなのだ」ということを知ってほしいと思います。
「人間の言葉や行動、行為であっても愛を表す言葉や行動のなかに、あるいは、その結果のなかに、神の愛がなかったら、値打ちはないのだ。ナッシングなのだ」ということを知っていただきたいのです。
どうか、「神の愛とは何か」ということを常に考えながら、日々の生活を正し、日々、自分の心境を深め、行為を積み重ねていけるようなみなさんになっていただきたいと思います。
そして、「イエスが『主よ』と呼んだ人と、ムハンマドが『神よ』と呼んだ人は、同じ人なのだ」ということを私は言いたいし、
それから、「(キリスト教徒やイスラム教徒の)的にもなっているユダヤ教徒が『エローヒム』と呼んだ存在も、それと同じ人なのだ」ということを言いたいのです。
そうした存在が、今、「エル・カンターレ」という名を冠して地上に生まれてきています。
私に残された時間はそう多くはないかもしれませんが、最後までこの方を完成させたいと願っています。
みなさんと共に、まだまだ精進を続けていきたいと思います。 🌟 明日を変える言葉 A
相手の心性の善なるを信じて
解き放つのが愛。
まず、「与える愛」から始めていきなさい。
日々の努力目標を、まず、与える愛に置きなさい。
あなたは人々に対して、社会に対して、
いったいいかなる愛を与えることができるのでしょうか。
愛とは恵みです。
それも、善き恵みであり、他人を生かしていこうとする力です。
縁あって人生の途上で出会った人々に、
生きていく勇気を与え、力を与え、希望を与えること、それが愛です。
こうしてみると、愛とは仏の心そのものであることに気づきます。
仏の心とは、万象万物を生かし、はぐくみ、調和させんとする心です。
すべてを成長させんとする念いです。
「与える愛から始めていこう」と決意したとき、
その心は、仏の心と同質の光を帯びているのです。
他を生かさんとする心の芽生えは、
すでに仏の子として慈悲心が生じてきたということなのです。
愛のなかにも、「奪う愛」という名の執着の愛もあれば、
「与える愛」という名の、利己心と自己保存欲を捨てた愛もあります。
相手を奪い取り、相手の心をがんじがらめにするための、
トリモチのような愛は、与える愛とは言わないのです。
金銭や物品をいくら湯水のごとく注ぎ込んだところで、
それが相手をとりこにし、
かごのなかの鳥にする目的をもってなされたものであるならば、
それは、与える愛ではなく奪う愛であり、執着の愛なのです。
ほんとうの愛は、
無私の愛であり、無償の愛であり、見返りを求めない愛であり、
相手を自由に伸び伸びと生かしめる愛です。
相手を縛るのが愛ではありません。
相手の心性の善なるを信じて解き放つのが愛なのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています