★★『幸福の科学』統合スレッドpart「性の儀式」★★ [無断転載禁止]©2ch.net
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疑問を持ったきっかけの一つは、大川隆法氏がヤショーダラ妃を長女の過去世であると言い出した事です。
私は耳を疑いました。
もしそちらが真実なら、一体、大川隆法氏がYさんに言ったことは何だったのか、という疑問が起きました。
ヤショーダラ妃が長女であるとなると、大川隆法氏のしたことは詐欺です。
教祖が霊の声を偽ってセックスを職員の女性に強要したという犯罪になります。
http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2088
被害者がその後も増大し続けており、
この犯罪を抑止することが
是非とも必要だと思ったからです。
あの記事が出てから、私の元には、
他にも被害者が何人もいるという情報が
いくつも入ってきています。
私は純粋な若い女性たちの信仰心を利用して、
自分の欲望を満たそうとする大川隆法氏と、
彼の犯罪を隠蔽し続ける幸福の科学に対しては、
はっきりと公憤を感じております。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_29.html 処女にこだわる童貞新木優子ヲタ馬鹿にされてるぞw
64 名無しさん@恐縮です sage 2018/05/21(月) 18:47:48.38 ID:Rhmh/0p80
こんないろんな男にタダ乗りされたような女と結婚とかありえんわな、そりゃ男は皆んな処女を追い求める罠
67 名無しさん@恐縮です sage 2018/05/21(月) 18:50:14.05 ID:tOYmmXe30
>>64
うーん
それぜんぜん違うなあ
学習しないあほなおんな
ということがわかるから
続かない
だけだよw
処女とか
単に
洗脳できるかも?
ていうちんかすなうんこ思考が求めるものでしょw 【幸福の科学】 職員たちの“大麻(マリファナ)汚染”の真実!!
http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2680
【幸福の科学】 職員たちの“大麻(マリファナ)汚染”の真実!!
https://togetter.com/li/1196564
信者たちは、過酷な布施ノルマを強いられ、
飛び降り自殺した信者も居ります。
また、極貧に悩み、信者による殺人事件までも・・・・
にも拘らず、職員たちは、その信者の布施で麻薬を購入し、
マリファナ・パーティーに興じている、という現実。
・・・どうか、この悲惨な現状を、世界中に拡散して下さい!! 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:ef20978b35fc48c3dfa8873fa17072d6) 🌟 信仰の法 第4章
「日本発世界宗教」が世界を救う
ー この星から紛争をなくすための国造りを
1 国家の基本的精神は宗教からきている
今、「慈悲と愛の時代」が到来している
本章では、私の著書「法シリーズ」の十六作目である『救世の法』をもとに、お話ししたいと思います。
同書を発刊した2011年は1981年に私が大悟してから満三十周年、1986年に幸福の科学の活動がスタートしてから二十五周年、そして、1991年に宗教法人として認証されてから満二十周年という、一つの区切りの年でもありました。
そういう意味では、竹の節のように一つの区切りをつけ、さらに次の節に向けて大きく伸びていきたいものだと考えています。
go to
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1492612144/12 新木優子「母の幸福の科学を娘の事務所が心配している」
エーザイ チョコラBBプラス
CM 母と娘篇。30秒版
「母の口内炎を、娘の肌荒れが心配している」
母役の女優の永作博美さんがソファから立ち上がりながら「娘の肌荒れを、母の口内炎が心配している」と思い、
娘役の女優の新木優子さんが同じくソファから立ち上がりながら「母の口内炎を、娘の肌荒れが心配している」と思い、二人揃って「母と娘の、ハイ、チョコラ」と言うCM 🔥 信仰の法
第一章 信じる力
1 一生懸命に道を求めてきた私の人生
私も宗教家として立つとき、周囲の無理解に悩んだ
本章は、建国記念の日に大分県で行った法話がもとになっていますが、幸福の科学に降ろされるさまざまな霊示では、大分や熊本、宮崎のあたりが、「日本という国の発祥」のころに大きな縁のあった場所と言われています。
そのことを心の片隅に置きながら、この国が二千六百年、二千七百年と続いてきたことに感謝しつつ、真理の一端なりとも語ることができれば幸いです。
「信じる力」と題しましたが、あまり難しくなりすぎないように述べていきたいと考えています。
ただし、「難しくない」ということは、「内容が悪い」とか「程度が低い」などということではなく、「多くの人に通じる、分かりやすい話」を目指したいということです。
さて、幸福の科学が1986年に活動を開始してから、すでに30年以上が過ぎました。実際には、私は1981年から天上界の霊示を受けているので、30数年にわたり、この真理の世界で活動をし続けていることになります。
そのように、一定の年数というものは、どうしても必要なところがあると思います。
実際に、長く続けているなかで、この活動がだんだん普通のこととなり、分かってくださる人も多くなってきました しかしながら、立宗初期には、この活動は、自分一人の問題だったり、家族だけの問題だったり、自分の周りにいる身近な人たちとの関係の問題ぐらいにすぎませんでした。
その間、私も、人並みにいろいろと悩むこともありました。
「人に説明できない内容を、どうすれば分かってもらえるか」ということで、ずいぶん苦労したのを覚えています。
一般に、会社を辞めるとき、ほかの会社に移るとか、別の仕事を始めるとかいうことだけであれば、理解してもらえる場合が多いかもしれません。
しかし、私の場合は、「天上界からの啓示を受けるようになって、すでに5,6年がたっている。このたび、新しい宗教をつくるつもりなので、会社を辞めて独立したい」
ということであったため、その相談をした相手からは、十人が十人とも反対されました。
さらに、「それはいったい、どういうことをするものなのか、分かるようなものを何かもってきてください」と言われたので、当時、すでに出版していた数冊の霊言集を見せたところ、相手は、余計にのけぞってしまったのです。
誰もが言葉を失い、まともにコメントできた人は一人もいませんでした。
「嘘だろう?嘘だと言ってくれ」「ここだけの話でもいいから、嘘だと言ってほしい」という感じの反応が相次ぎ、「いや、本当です」と答えるような状態だったのです。
彼らの率直な気持ちとしては、そのように「嘘だろう?」「勘弁してほしい」という感じだったようです。
今まで一緒に仕事をしていた仲間のなかに、天照大神や日蓮、あるいはイエス・キリストの声が聞こえる人物がいたなどというのは、信じがたいことだったろうと思います。 もちろん、「歴史上、そのようなことをできる人がいた」というぐらいであれば、どこかで聞く機会もあったかもしれません。
そういうものはあくまでも過去の話であって、歴史的にはあっても構わないとしても、「今自分の周りでそのようなことが起きている」とは思いもよらなかったでしょう。
「自分と一緒に話をしたり、仕事をしたり、食事をしたり、あるいは相談を受けたりしていた仲間、関係者の中に、そういう人がいた」という衝撃は大きかったようです。
また、初めてからしばらくは、私の家族の間でも、「うーん、困った」というような意見が多かったように思います。
「家族に一人ぐらいは、この世の中でしっかりと成功してくれる大黒柱のような人がいてほしかったのに、そちらの世界に行ってしまうのか。父親が、あの世の話が好きだったために、こんなふうになってしまったのか」
というような意見もあり、家族も大変だったでしょう。親戚も同じような状況でした。
したがって、それから数年後、数十年後に入った信者の皆さんの身に起きているような問題は、私が最初のうちにほとんど経験したことでもあります。 さらに、会社を退社後も、どこから聞きつけたのかはわかりませんが、ヘッドハンティングのような電話があちこちから入ってきたのです。
ときには、実家のほうにまで電話が入ることもありました。
今度、こういう会社を新しくつくるのだけれども、ぜひとも来てくれないか」とか、「給料を、以前の二倍でも三倍でも、言うだけの額を出す」とか言ったことをしきりに言われ、
私としては、「ちょっと違うんだけどなあ。そういうわけではないんだけどな」と思いつつも、うまく説明できないもどかしさを感じたのを覚えています。 奪うばかりでお返しができていない」という20代前半での気づき
あの当時の不安感のもとは、結局、「自分自身が、天上界からくる声というものを、どこまで信じられるか」というものだったと思います。
「霊的な声が聞こえる」というだけのことであれば、そういう人は、確かに、全国各地にいるでしょう。
沖縄にも、青森にも、それ以外のところにも大勢います。そうした人たちのなかには、街の小さな霊能者として活動している人もいれば、宗教を開いた人もいます。
ただ、当時の私のように何の実績もないものにとっては、「その霊的な声をどこまで信じたらよいのか」ということになると、やはり、自信がないのも無理からぬことではあったでしょう。
私は30歳にして宗教家として立つことになったものの、正直に述べれば、それまで生きてきた30年間を振り返っても、自分がこの世的に大きく道をそれなければいけないような理由や、さまざまな惑わしのなかに生きなければならないような理由は見当たりませんでした。
もちろん、「試行錯誤がなかった」と言えば嘘になりますが、どの年齢の時にも、どの時期にも、一生懸命に道を求めていたことは事実です。
何らかのかたちで真理を求め、自分を高めようとする努力は怠らなかったし、自分が誤っていると思うことに関しては、何とか努力してのり越え、自分自身の性格を変え、生活態度を変え、勉強の仕方や仕事の仕方を変えて、
「人々が納得してくれるような自分になろう」と努力をしたことも、困っている人を見たら、「何とかして助けてあげたい」と思ったことも事実です。
今と比べれば、若いころの自分は、もっともっと角が立つところがあったと思いますし、厳しくきつい言葉をよく使っていたようにも思います。
それでも、その根本においては、「何とかして、自分自身を、もっと世の中の役に立つ人間に変え多くの人々のためになる仕事をしたい」という気持ちでいっぱいだったと感じるのです。 また、大人になるまで育ててくれた両親への感謝も忘れたことはありませんし、「お世話になった人々へのお返しをしなければ」という気もちも多々ありました。
さらに、私自身、霊的な道に入るまでの二十年余りの間には、他人さまからしてもらったことがたくさんあったにもかかわらず、自分が他人に対してあげたお返しは、実に少ないことに気づきました。
「自分は二十余年間、他人から奪って奪って、「奪う愛」のなかを生きてきた。さまざまなものを奪って大きくなった。その間、自分の体もプライドも大きくなったかもしれないけれども、お返しという意味では、ほとんどできていない」
というようなことを実感したのです。
そのように気付いたのが、二次十代前半のころのことでした。
この世的には、何ら、犯罪的な行為をしたこともなく、積極的に人を害した覚えもありません。
ただ、それまでの人生そのものを振り返ったときに、「今、死ぬとしたら、自分は他人からもらってばかりで、何一つお返しができていない。もう、もらうばかりの人生だったな。もし、人生の『愛の貸借対照表』を記入してみたら、赤字ばかりで、全然だめだな」
と思ったのです。
若い人にとっては、そういうことを考えること自体が不思議に感じるかもしれませんが、その当時の私は、自分の人生を振り返り、「人からもらうばかりで、全然お返しができていないな」と思ったことを覚えています。 2 幸福の科学は、なぜ、大きな力を持てたのか
何もない状態から始め、組織の運営で悩み続けた立宗当初
その後、私は、社会経験を積みながら、何年かの霊的な格闘を経て、よくあるセオリーどおりではありますが、三十歳になったときに独立することになりました。
しかしながら、特に何か頼りになるものがあったというわけではありません。
すでに宗教団体があったわけでもなく、財産、あるいは土地や建物があったわけでもなく、実際上は、「何もない」状態でした。
あるものといえば、私が出した何冊かの書物を信じ、全国からバラバラと集まってきた人たちの協力ぐらいだったのです。
ただ、そうした彼らの心のなかにあるものも、まだ、「信仰」というものではなかったのではないかと思います。
まずは、「霊的な、神秘的な現象が起きているらしい。その神秘的な現象を起こしている中心人物を見てみたい」余いう気持ちで集まってきていたのでしょう。
私が初めて法輪を転じた日、一九八六年十一月二十三日を、「初転法輪記念日」と呼んでいます。
その日、東京の日暮里酒販会館というところで座談会が行われ、九十名弱の人々が集まりました。
当時はまだ少人数ではありましたが、来ていた人のなかには、いまだに当会の信者として頑張っている人たちもいて、本当に、とてもうれしく思っています。 座談会の会場は、小さな会場ながらも全国から来た参加者で満員になってしまったため、私は会場内を通ることができず、会場脇のベランダ伝いに演壇まで行くという、゛危険な綱渡り”をしながら入場したことを覚えています。
そこで、二時間四十分ほどあった行事のほとんどを話し続けました。
聴衆は、いったい何が起きているのかはあまり分からなかったものの、「とにかく、これから何か大変なことが起きそうだ」という予感だけを持って帰ったのだと思います。
その最初に集まった九十人弱の人々が核となり、さらに、第一回の講演会や研修会を行っていったのです。 初めての研修会は琵琶湖畔で開催し、百八人ほどが集まりました。
この最初の研修会に集まった百人余りの人のほとんどが、その後、当会の職員になったというところからも、最初期の熱意がどれほどすごかったかがよくわかると思います。
様々な経歴を持った人々が職員になり、さらに、研修中、食事等の際のために分けた班の班長を務めた人のほとんどが、のちの役員になりました。そのような状態で始めたわけです。
ただ、当時はまだまだ鍛え抜かれた゛正規軍“ではなかったこともあり、
最初のころは、新しい人が入ってきては人材の入れ替えが起きたり、組織の運営の仕方等、いろいろなことでつまづきながら、ようやく、大きく回転するようになっていったと思います。
三年もすれば、かなり大きな会場でも講演会ができるようになっていました。 このように、私に降りてくる力は非常に大きく強いものではあったものの、この世での力というのは、まだ、練習を積み、実績を積みながら、少しずつ少しずつ進んでいかなければ信用を得られないような状況ではあったということです。
また、『聖書』に書かれた「先のものが後になり、後のものが先になる」という言葉どおりのことが数多く起きました。
必ずしも、最初のころに当会に来た人がリーダーになるわけではなく、三年後に来た人、五年後に来た人、十年後に来た人など、後から来た人のなかに、力のある人がだんだんと増えていったのです。
教団が大きくなればなるほど、力のある人が後からやってくるので、前からいる人と、あとから来た人との力関係の上下の問題なども出てきて、組織の運営に関しても、たいへん勉強をさせられました。
私自身も予想していなかったような人たちが次々とやってくるので、どのように運営していけばよいのか、悩んだりしたことも数多くありました。
実は、宗教では、そうした組織運営上の問題でつまづく人は多いのです。
これは、当会だけではなく、ほかの宗教にも言えることですが、教えや教義に対する疑問というよりは、たいてい、「組織運営がうまく回っているかどうか」といったところでつまづくことが多く、それを固めるのは非常に難しいことかと思います。 なぜ多種多様な教えを説いているのか
幸福の科学グループでは、政治分野、教育分野、芸術分野、その他、次々と新しい分野に進出しているので、そのつど、イノベーションが起きます。
その一方で、当会が新しい分野に進むことで変化が起きると、教団の性質が変わったようにも見えるため、それまで、「これを勉強して、このようにするのだ」と思っていた人のなかには、急にクラっときて分からなくなってしまうような人もいるわけです。
例えば、私の著書としてさまざまな本を発刊していますが、本によってまったく異なる内容が含まれていることに気づかれるでしょう。
ただ、それは、当会を支援してくださっている人を混乱させようとしているわけではないのです。
この世のなかには、いろいろな職業に就き、さまざまな分野に関心を持っている人がいます。
そうした興味・関心や立場の違う人々に向けて、「どこからでもよいので、自分にとって関心のある入り口から入ってきてください」という願いを込めて、幅広い内容の本を出しているのです。
そういう意味では、その一冊一冊が大事なものではあるのですが、それについて知っている人もいれば、知らない人もいるでしょう。
先ほど、草創期のところでも少し触れましたが、「天照大神の霊言」を発刊したときに、こんなことがありました。
当会が最初の事務所を開いたときにお世話をしてくれた人が、そのタイトルを見て、「『てんてるだいじん』って何ですか」と訊いてきたのです。
それには私もガクッときたのを覚えています。
確かに、戦後はそういう神話や信仰といったものに対する教育の部分が抜けていることも事実ではありますが、さすがに、「てんてるだいじん」と言われるとは思わなかったので、しばし絶句してしまいました。
日本の教育では、神話教育、信仰教育を限りなく排除していきましたし、宗教系の学校として認められているものの半分以上はキリスト教系ということもあってか、伝統的な信仰について、よく分からない人も増えているのでしょう。 今後、「見たこともないような大きな奇跡」が起きる
さまざまなことを述べましたが、教団を立ててから、三十年余りのなかで、結局、、いろいろなものが実績として積み上がってきたのだと思います。
六畳一間を借りて始めた最初の所から、今では、建物だけでも七百か所以上は持っていますし、その他の支部・拠点・布教所等を入れると、全世界で約一万か所を持っています。
そして、それぞれが、次なる人材や予算の投入によって、もう一段、大きくなる要素を秘めた状態になっているのです。今は、それらのものをどんどん推し進めていくのみだと考えています。 今までにしてきたことは、私たちの活動の゛前半部分”と考えています。これからの゛後半゛で、今まで見たことのないような大きな奇跡が、もっともっとはっきりと出てくるでしょう。
私は、考え方のかたちを非常に理論的につくっていくほうなので、かたちがきちっとできないと大きくはしないタイプなのですが、スタイルができてくると、それを加速していくタイプでもあります。
ですから、これからの後半戦で今までに見たことがないほどの大きな力を持つようになってくるはずです。それは、当事者である、当会のリーダー的立場にいる人たちにとっても、驚くような変化が出てくるでしょう。
今までの長い「アマチュアの時代」が終わり、これから、いよいよ「プロフェッショナルの時代」が始まると考えて結構かと思います。 日本の大きなトレンドを当会はつくっている
まだまだ十分ではないものの、いつの間にか、当会は日本のなかでは最も競争力のある宗教になりました。
「競争力」という言葉は正確ではないかもしれませんが、旧い宗教は、もちろん、かなり゛刃こぼれ”していつでしょうし、
ここ数十年ほどの間にできた新しい宗教のなかでも、当会は、いろいろな面において、「先見性」、「先進性」がある宗教になってきたと思います。
当会の活動だけを見れば、「これが本当に宗教なのか」と思われるような面もたくさんあるでしょう。また、「そうは言っても、例えば政治運動などは、あまりうまくいっていないのではないか」と言う人もいるかもしれません
確かに、そういう見方もあるでしょうが、私たちが言ってきたことの多くは、いろいろな政治家や政治団体、政党等を通して、次々と実現しつつあります。
つまり、あとから押して実現してきているわけです。 今、当会は、そうとうな理論的主柱になっています。実は、当会以外の勢力の人々も、当会の考えを数多く勉強しているのです。
私の本は、政治家や、各省庁、マスコミ、その他の方々にも勉強されているので、目には見えない日本のサブカルチャーをつくっていると言ってもよいかもしれません。
外からは分かりにくいでしょうが、今、当会が日本の大きなトレンドをつくっているのです。
したがって、当会が出している本を読めば、何がどう動いていくかが見えるわけです。
阿部首相は、二〇一七年二月にホワイトハウスに行き、その後、フロリダに行って、トランプ大統領とゴルフをしたそうです。
直行でワシントンに行き、昼食をとった後、エアフォースワンに乗ってフロリダへ行き、ゴルフをして、トンボ返りですぐに日本に帰ってくるというのは、結構大変なことです。
それは尊敬に値する体力であり、サラリーマンでもできないことでしょう。こういう仕事は、投げだしたときが終わりなので、そのつもりでやっているのだとは思います。
私が、二〇一六年の年初から、「次はトランプ政権だ。『トランプ革命』だと思って、この流れについていかなければ駄目だ。あとの執着は断ち切って、この方向に舵を切れ」
ということをかなり発信したことによって、この国も、そちらの方向に向かって動いているのでしょう。
これはこれでよいことだと考えています。私たちには、そういうことを受け入れるだけの気持ちはあるのです。 「考え方」「理想」「思いの力」によって世界を動かす
私たちが言っていることを、ほかの政党が実現してくださるのも結構なのですが、できれば、もう少しだけ我が党を応援してくださってもよいのではないかと思います。
わが党の入る枠を少しだけ空けてくださると、ありがたいものです。
例えば、ロシアのプーチン大統領などは、「日本との条約や、北方領土の問題を解決したいのだけれども、まだ信用ができない」というのが本音です。
そして、「信用できるのは幸福の科学教団だけだ」と思っているのでしょう。
プーチン大統領は、当会の守護霊霊言等を勉強しているので、当会の主張している内容は伝わっています。
そのなかで、プーチン氏の守護霊は、「私の考えはこのとおりだけれども、今の日本の政治がこれでは、そのままにできないのだ。
K党との連立政権ができるのであれば、島を返しても構わない」と挑発していらっしゃるので、私としても、何とか、゛実験”してみたいなと思ってはいるのです。
このことは、頭のどこかには置いておいてください。
やはり、ロシアのほうも情報網を持っています。
二、三年ほど前、学園那須本校の生徒が、ロシアのハバロフスクで開催された芸術展示会に絵を出品したところ、入賞し、ロシアのほうに展示されたのですが、その後、それだけを理由にして、
ロシアの学校の生徒が親善友好訪問というようなかたちで学園那須本校にやって来て、文化交流をしました。
そのようなことは、普通はなかなかありえないことなので、ロシアの政府筋から道をつくったのではないかと思われます。
そのようなかたちで、ロシアとの交流が水面下で進んでいるのです。 またアメリカでも、トランプ政権登場前の、トランプ氏が圧倒的に不利だと言われていた時期から、
当会の国際本部や、あるいは党の関係者等はトランプ氏の側近と連絡を取り合っていましたし、側近の人は、私の二〇一六年十月二日のニューヨークでの講演会にも来ています。
その側近の方を通じ、トランプ大統領ご自身が、身につけているカフスボタンと同じものをプレゼントされました。
そのように、今、当会は、アメリカやロシア、あるいはその他のところに、水面下で大きな影響を与えています。
現実に、本当の政治が動いているのです。
すなわち、私たちの行っていることは、間違っているわけでも、的外れなわけでもなく、まずは、「考え方」「理想」「思いの力」で、世界を動かし始めているわけです。
実際に人が目に見えるかたちでそれを動かし始めるようになるには、もう少し時間がかかると思いますが、だんだんにかたちは出てくるでしょう。 3 世界中の戦争を終わらせるために活動を続ける
いま、私たちは大きな「時代の変わり目」に存在している
日本では建国記念の日に当たる二月十一日は、南アフリカのネルソン・マンデラ氏が、一九九〇年に二十七年間の監獄生活を終えて釈放された日でもあります。
当会では、「ネルソン・マンデラ ラスト・メッセージ」という霊言を発刊しましたし、国際活動をするにあたって、「HS・ネルソン・マンデラ基金」という募金活動も行っており、
こういうものを通じて知っている人もいるでしょうし、募金への寄付をしている人もいるでしょう。
私が幕張メッセ等の会場で講演会を行うようになった一九九〇年ごろに、マンデラ氏は釈放され、その後、大統領になり、「白人と黒人に分断された国家を一つにする」という偉業を成し遂げました。
このように、黒人解放運動をし白人政府からすれば、ある意味でテロリストのように見えていた人が。
二十七年の刑期を終えて出所した後、大統領になり、分断された国家を一つにしたわけです。
今、「トランプ大統領によって、アメリカが分断されるのではないか」などと多くのマスコミから危惧の声が出ていますが、実際には、そうはならず、その正反対のことが起きてくるのではないかと私は読んでいます。
アメリカが再びアメリカらしくなり、「世界の先生」として、世界を護ってくれるようになると思うのです。
その時の日本の果たすべき役割は、おそらく、今までよりも、もっとはるかに大きなものになってくるでしょう。アメリカの良き片腕になるはずです。
やはり、先行するものは「考え方」です。
では、その「考え方」とは何でしょうか。今の時代を目指して、天上界の神々、あるいは高級心霊から降ろされているさまざまな教えがあります。
そのことに関して、「なぜ今、この国に、これだけの教えが、天上界から降り注いでいるのか」ということを知ってほしいのです。
時代的に見れば、こういうものはめったにないことであり、それが来るというというのは、今、私たちは、「大きな時代の変わり目に存在している」ということだと思うのです。 宗教戦争のもともとの「争いの種」を無くそうとしている
これまで、当会は、七百人以上のスピリチュアルな存在から霊言を頂いています。
本として出したものは霊言集だけで四百五十冊を超え、外国語にも翻訳をされて発刊したものも多く、諸外国で読まれています。
特に、信仰心の高い国においては、その浸透率が非常に高くなっています。
日本では「霊言」というだけで警戒する人のほうが多い傾向はありますが、スプリチュアルなものを信じる国においては、非常にストレートに、スーッと入っていくようなのです。
そして、私は、次のような教えを説いています。
「世界は、仏教やキリスト教、儒教、道教、イスラム教、ヒンズー教、日本神道など、いろいろな宗教に分かれている。これらは、交通手段も連絡手段もなかった時代にバラバラに起きた宗教である。
それぞれの民族のために起こした宗教であり、現代においては、そうした世界各地の高等宗教をまとめる教えが必要だ。
その教えの下、様々な宗教を信じる各地の民族を、もう一度、お互いに理解できるような土俵に乗せて、話し合えるようにしなければいけない」と考えているわけです。
もちろん、「国防」等についても述べてはいますが、それは、実用的な面で大事なことだからであり、宗教として伝えているのは、
「それぞれの宗教の違いによって、争いが起き、殺し合いが起きるということは、あまりにも虚しいことである」ということです。
どのような意図でキリスト教やイスラム教ができたのか、その本来の意味を明らかにすることによって、もともとの「争いの種」を切ってしまおうとしているわけです。 アジア各地で起こる戦争を乗り越えるだけの思想を提供する
中国は、マルクス主義が入ってから無神論になり、「宗教はアヘンだ」などと言い始めました。
例えば、毛沢東は、チベットに侵攻し、仏教を弾圧しやりしましたが、中国の思想そのものを見れば、中国にも、「天帝」といわれるものがあります。
天なる帝、要するに、「神様がいる」という思想は、何千年間も連綿として続いているのであり、中国人は神を信じていないわけではないのです。一般の多数の人々は、みな信じているのです。
そのなかに、神仙思想や道教思想、あるいは仏教思想、さらに今は、キリスト教と、さまざまな宗教が入っていますし、一部には当会も入っています。
それから、現在は、台湾にも大事な゛光が降りて”いますし、北朝鮮と韓国を含む朝鮮半島も、どうにかしたいと思っています。私が、この地上にいる間に、この南北朝鮮問題は乗り越えたいと考えているのです。
やはり、このままでは不幸です。北朝鮮の人々はどのように思っているのか、あるいは、政府によって、どのように宣伝され、洗脳されているのかはわかりません。
また、韓国の人々も、ある意味では、北朝鮮に対して対抗心を燃やしながらも、中国に寄ってみたり、日本に反発してみたり、アメリカに反発してみたり、近寄ってみたりと、いろいろなかたちで、自国の自主的な方向を打ち出せないでいるように思います。
この北朝鮮、韓国、それから中国の大きな問題を、何とか、私の時代に乗り超えたいと考えているわけです。
しかしながら、当面はまだ厳しい時代が続くでしょう。 現在、中国は、南シナ海の岩礁をコンクリートで埋め立てて全長三キロメートルの滑走路をつくり、そこから爆撃等もできるような態勢ができていますが、
おそらく、トランプ大統領の登場によって、向こう四、五年のうちに、局地的な戦争が起きるのではないかと私は推定しています。
こうした状況に際して、安倍政権が「わが国の国防も、実務的なレベルにおいてきっちりしたほうがよい」と考えている点については、ある程度応援していますし、
国防に関しては、当会が理論的に引っ張ってきたところが大きいと言うべきでしょう。
今のところは、まだ、そうした南沙諸島や、北朝鮮、台湾問題等による軍事的な大戦争が起きるところまでは行かないでしょうが、今後、局地的な紛争ないしは戦争が起きる可能性は高いとみています。
したがって、日本としても、「国防」の自覚を持つことが大事であると同時に、やはり、それを乗り越えるだけの「理論的な思想」がなければいけません。
七十年、八十年前の過去の話ばかりをしていても、絶対に前には進みません。そんなことをしていても、自分たちに都合の良い理由をつける以外にないので、それを乗り越えて「前に行くための思想」が必要ではないでしょうか。
そして、私は、「当会の思想がそれに当たる」と考えています。未来には、こうしたアジアの不安定な地域も、安定化ならしめたいと思っているのです。 人間を超えた存在があって初めて実現する「許し」「和解」
マルクス主義のなかにも、弱者に対する優しい考えが入っていることも事実です。ただ、「この世には物しかない」という唯物論のところは、やはり、明らかに間違っています。
この三十数年間いろいろな霊指導を受け、霊言を送られてきた私の経験からみても、唯物論が正しくないことは間違いありません。これはどうしても認められないことであり、「宗教はアヘンである。毒薬だ。」というような考えを肯定することはできないのです。
やはり、神様無くして、人間性や、人間の道徳が向上することなどありえません。
人は、自分たち以上、人間以上のものを信じることによって、崇高な気持ちを持つことができます。また、憎しみ合っている者同士がお互いに許しあい、和解しあうことができるのは、人間という立場を超えた存在があって初めて実現することだと思っています。
幸福の科学は、そうした「許しの原理」をも含んでいます。 対立を起こしたいわけではありません。戦争をしたいわけでもありません。
危険なものに対し、政治的には備えなければいけないこともありますが、それは、戦争をしたいからではなく、「悪い人たちが、悪いことを思いついてはいけないから、そうした備えはしておいた方がよい」と考えているのです。
思想的に「争いの種」になっているところに問題があるならば、それよりも大きな思想でもって乗り越えていくことが大事だということを、繰り返し繰り返し述べているのです。 4 「信じる力」が、奇跡を起こす
アジアやアフリカにも浸透している幸福の科学
信仰心のある国の人々の場合、幸福の科学の教えを、日本人よりもはるかによくわかってくれることがあります。
2011年に、私がインドで講演会を行ったときに、こんなことがありました。
「今から二千五百年以上前に、釈尊が悟りを開いた場所にあった」と伝えられる菩提樹の孫かひ孫にあたる大きな木がある所に、現在ではマハーボーディ寺院という大寺院が建っています。
私がブッダガヤで四万人以上を集めて野外講演会を行った際、聴衆席の一列目、二列目の中央あたりの一角は、マハーボーディ寺院の僧侶ばかりで占められていました。
つまり、僧侶を相手にして話をしなければいけないという状態だったのです。
その講演会場は、布で仕切りをつくり、約四万人が入れるようなものを用意していたのですが、私の講演が始まってからも、入りきれない人々が次から次へと押し寄せ、何とか会場内へ入ろうとして大変でした。
講演を目指して各地から何キロも裸足で歩いてやってくる人が止まらなかったことを覚えています。 また、2012年にウガンダの国立競技場で講演したときも、大人数の参加者が会場に集まりました。
そのときは、講演前のプログラムの途中でスコールがあり、聴衆の一部には場外のバスへ退避する人もいたのですが、なんと、スタジアムに呼び出しマイクの装置がなかったために、
「これから講演が始まりますので、スコールで退避している方は会場内に戻ってください」という案内ができず、講演が始まってからも、バスの中で雨宿りしていた人たちが取り残されてしまったのです。
また、各地から来る予定だったバスのうち、百数十台が到着しないというトラブルもありました。
さらに、スタジアム内にいた人たちは、プラスチックの椅子を頭の上に載せて、雨避けしながら講演を聴いているような状況でした。
そのため、映像としてはやや放送しにくい状況ではあったのですが、現地の国営放送等は、上手に放送してくれていたようです。
その後、講演を見逃した人たちがかなり怒ったこともあり、私の講演は、何局ものテレビ局によって、ウガンダ全土、および周辺国で何度も繰り返し再放送されました。
ウガンダ国外に放送された分も含めると、アフリカで私の講演を聴いた人の数は、三千万人から五千万人ぐらいは行っているのではないかと言われています。
したがって、アフリカにおける私の知名度は非常に高いのです。
それから、香港等、アジアの他の国々でも、あちこちで私の姿を見つけては、「一緒に写真を撮ってほしい」などと言って寄ってくる人が絶えません。
こんなことは日本ではありませんので、国民性の違いも関係しているのかもしれませんが、海外ではそういう事があるわけです。
このように、当会も、世界中でずいぶん知られてきてはいます。 トランプ報道に見る「世の中に認められること」の難しさ
トランプ大統領は、マスコミを敵に回し、「嘘ばかり報道している」と発言していますが、それは、日本のマスコミにも同じことが言えるでしょう。
トランプ氏に関しては、「ずいぶん過激なことを言うものだ」とは感じつつも、そういうことは、私もよく言ってきたことではあるので、似たような人が出てきたなと思ってはいるのです。
おそらく、彼が非常に正直に物事を言っているところを、すべて悪意に捉えて報道しているような面はあるのでしょう。 マスコミの本能として、「権力者に対しては抵抗しなければいけない」という不文律があるので、そういう専制君主的な権力を持っていそうな人が出てきた場合には、それに立ち向かう使命があることはよく分かります。
「いちおう、゛牽制球”を投げてみて、どうなるかを見る」という面があってもよいとは思うのです。
ただ、普通、大統領になって最初の百日間ぐらいは、「ハネムーン期間」として、新大統領への批判をしないものなのですが、トランプ大統領の場合、゛初めから“批判をされ続けて戦っているような状況で、頑張っています。
あのような状況を見ると、「アメリカでもそうなのか」と感じるところがあります。やはり、すべての人に納得してもらうことは、なかなか難しいものなのでしょう。
民主主義的な制度である選挙で勝って大統領になったにもかかわらず、一部の国民が「認めない」などと言ってデモをしている状況を見る限り、アメリカも、まことに”非民主主義的な国家”になっていると思います。
やはり、世の中に認められるということは、なかなか難しいものなのだなと感じています。 「自助努力をしつつ信じる者」に大いなる他力が及ぶ
今、幸福の科学を静かに見守っている人は数多くいると思いますが、私たちの言っていることを、そのままストレートに、正直に受け取るのは怖いと思う人も、やはり、一部に入るでしょう。
ただ、ここで述べておきたいことは、「私たちは、基本的に、多くの人々を救いたいという気持ちでいっぱいなのだ」ということです。「助けたい」と思っているのです。
自分自身で自分を磨き、立て直していける人には、そのようになってほしいし、それだけの力のない人には、自分自身を力強く豊かにできた人が手を差し伸べて、手伝えるようにしてほしいと考えています。
「政府が『大きな政府』となって、すべてやってくれればよいのだ」というふうに考える人もいるでしょうが、諸国を見ても、残念ながら、実際上はそのようにはならないことの方が多いのです。
ですから、「自分たちでできることは、自分たちでやっていきましょう」ということです。 そのように、自助努力を勧めつつも、そのなかで信じることによって、大きな他力が人々を救うことになります。他力というものも忘れてはなりません。
実際に、幸福の科学では、いろいろなところで奇跡が起きています。信じる者には奇跡が起きているのです。病気などもたくさん治りました。すでに何百、何千と治っており、今も治り続けています。不思議なぐらいです。
ただ、私たちは、そのことをあまり大きく宣伝してはいません。なぜならば、それを「当たり前のこと」だと思っているからです。
それは、その人の信仰心が病気を治しているのであり、私たちが医者の代わりに治しているつもりはありません。
「その人の信仰心が、天上界の同意を得て、天上界から反応を受けたときに、病気が治る」という奇跡が起きてくるのです。そういうときでなければ、奇跡などはなかなか起きるものではありません。
また、経済的に立ち直った人や、ここ三十年ぐらいで、自社が大企業になったような信者も数多くいます。 信者ではなくても、私の本を読んで、起業成功を達成した人もいます。
あるいは、教育においてもそうです。
ある校長先生が新しい学校に転勤したところ、校長室に、私の著書である「教育の法」が置いてあったそうですが、そういう学校がたくさんあると聞いています。
教育者の中にも、幸福の科学の提唱している新しい教育の在り方について勉強している人が数多くいるのです。 「幸福の科学」の名前を隠さずに堂々と活動している幸福実現党
実は今、幸福の科学の信者のように、目に見える形で活動している人以外にも、数多くの理解者がいます。
そういう人たちが自信をもって、「私も手を差し伸べて、一緒に協力したい。活動してみたい」と言えるだけの「自信」と「勇気」に満ち溢れた団体をつくっていくことが、今、当会として必要なことだと考えています。
そういう各界にいる人たちが、自分から信仰告白をし、「私は幸福の科学の信者です。これで自信をもってやっています」とカミングアウトできるようになってほしいのです。
「『幸福の科学』の名前を出したら選挙で落ちるから、出せない」などというような弱い人ではなく、「幸福の科学」の名前を出して、堂々と当選する人が出てほしいのです。
そのためにも、幸福実現党は、あえて隠さずに、堂々と活動しています。
最初は怖いかもしれません。ただ、何度も何度も選挙に出ていれば、人間性というものが見えてくるでしょうから、「何を訴えているのか、どういう事をしようとしているのか」ということが分かってくるはずです。
かつて、ある自己実現の大家が、「一回の失敗で諦める人は凡人であり、三回失敗しても諦めない人はなかなかの優れ者であり、十回失敗しても諦めない人は天才だ」というように言いました。
それで言えば、幸福実現党は、まもなく、”天才”の域に入ろうとしています。おそらく、そうなるでしょう。
私は、実力というものは、負ければ負けるほど出てくると思っているのです。
本当は、幸福実現党の支持者はいろいろなところにいるのですが、「現実の政治は、ブランドのある老舗のところに任せた方が楽だろう」と思い、
そちらを支持している人も多いし、小選挙区制であると、どうしても二大政党制へと収斂していく傾向があるので、第三極以下はなかなか勝てないようになっています。
それでも、そのなかで、次第次第に浸透していくことになるでしょう。
最後は、日本中の人々が信者になってくれればよいと願っているのですから、そこまでやるしかないと考えています。
「すべては前に向かって進んでいる」と思っているのです。 「信じる力」の持つ本当の意味とは
まだ「信じる力」の本当の意味を分かっている人はそう多くないかもしれませんが、「信じる力」とは、心の中の気休めだけではありません。
「信じる力」というのは、本当に物理的な力を持っており、この世において生きる上で各人の道を妨げているものを打ち破り、貫いていくだけの力があるのです。
現代では、知識人と言われる人の中には、不可知論を唱えて、「この世の中について、本当のことなど分からない。神様など分からない。この世の始まりもわからない。霊など分からない。霊界など分からない」
というような人が大勢います。そうした不可知論の人々、信じられない人々の山の中を、トンネルのごとく、くりぬいてゆく力が、「信じる力」なのです。
この、「信じる力」をレーザー光線のように結集していけば、どのような山でもくりぬくことができます。
今こそ、そういう時が来ていると思うのです。
全国の幸福の科学の信者の皆さん、それから、幸福の科学のシンパの皆さん、幸福の科学に関心を持っている皆さん、あるいは、未来の予備軍の皆さん、
もし、私が三十数年間続けてきたことの中に、「真実がある」と信じてくださるのであれば、どうか、みなさんの「思いの力」を、未来や神の力をふさいでいる山にトンネルを打ち抜く「強い光」へと変えていってください。
そういう大きな流れを作っていきたいと考えています。
みなさんの力が一つにまとまる日を待っています。 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
🔥 信仰の法
第一章 信じる力 🌟 明日を変える言葉 @
信仰の「無限界の力」、病が治る奇跡。
心を変えれば、環境は変わり、
人は変わり、未来は変わっていくのです。
その根本にあるのが信仰の力です。
信仰は、たとえて言えば、
あなたがたの家庭に引かれている水道の本管につながる行為です。
蛇口をひねって水道の本管から水を引き入れる行為、
それが信仰なのです。
本管に滔々たる水が流れていても、
信仰によって蛇口をひねらなければ、その水は蛇口から出てはきません。
これと同じように、「信じる」ということ、「肯定する」ということ、
「受け入れる」ということによって、
あなたがたには無限の力が与えられるようになるのです。
この「信じる」という力は、
通常の学校教育において教わることは決してないでしょう。
これは、宗教あるいは宗教教育においてのみ教わることです。
あなたがたの真なる父が、
天において、無限界であり、無敵であるように、
あなたがたも、
この地において、無限界であり、無敵でありなさい。
それは、「信仰において勝利せよ」ということなのです。
信ずるものの場合、病が治っていきます。
あなたがたが、どのような人生観を持ち、
どのような自己イメージを持つかによって、
あなた方自身の肉体の設計は変わります。
あなたがたの血液のなかにある赤血球や白血球、リンパ球、
こうしたものもまた、
強い霊的な生命力を帯びて、日々、活動しています。
そういうものが、「あなたがたが、どのような思いを発信するか」
ということによって変わっていくのです。
体のなかにあるウイルスその他、
悪しき物質と戦って、それを駆逐し始めます。
体のなかにできているガン細胞や、その他の不適切な組織は、
この「思い」によって、どんどんとつくりかえらえ、
廃棄処分にされていきます。淘汰されていくのです。 🌟 大川隆法著 信仰の法
第2章 愛から始まる
「人生の問題集」を解き、「人生学のプロ」になる
1 「愛されたい」という気持ちは人間の本能
「愛を与えられたい」−−人はそう思うもの
本章のテーマは、「愛から始まる」です。幸福の科学にとっては非常に懐かしいテーマでもあり、当会に初期のころから集っている人にとっては、ずいぶん昔に返った感じがするかもしれません。
こういう内容は、私がもっと若いときによく説いていました。
今も気持ちだけは若いのですが、実際には数十年か年を取りましたので、今、似たようなテーマにチャレンジしたら、どのように変わるのか。あるいは変わらないのかということも、気になるところでしょう。
さて、愛というものを考えるとき、若い人などは、たいてい、「人間の幸・不幸を分けるものとして、人から愛されると幸福、愛されないと不幸」というように考えるのではないかと思います。
これが、単純な、最初の感じ方でしょう。
こういうことは、人に教わらなくても本能的に感じるものです。十代の後半、あるいは前半ぐらいから、すでにそうなる人もいるかもしれません。
ですから、若い人は特に、「人から愛を与えられたい」という気持ちが強いでしょう。さらに、もっと行けば、「愛を独占したい」という思いでしょうか。
これは、つまり、「自分だけを愛してほしい」というような気持ちです。テレビドラマなどを観ても、そういうものをテーマにしていることが多いように思います。
そうした、「人からの愛がほしい」という気持ちが、よいかたちで表れると、ある意味での自己実現というかたちとなって表れてきます。
自分自身をもっと成長させ、もっと立派な人間になり、人から尊敬されて、自分が憧れるような人からも「素敵だな」と言われるようになりたいという気持ちのなっていきます。そして、その人の気持ちを自分にグーッと集めたいというような思いになるのでしょう。
これは、間違いではないでしょうし、中・壮年期になっても、そういう気持ちを持っている人は多いのではないでしょうか。 物事に励む原動力にもなりうる「愛を求める気持ち」
ところが、人口が多くなり、この屋での「愛をめぐる競争」も非常に激しくなってきました。
「人気が集まる人」には、たくさんの人からの好意が集まっていきます。
ただ、そういう人は、浅く広くいろいろな人を愛することができたとしても、W一人の人”を深く愛し、契約関係になるような結びつきをその一人の人と持つところまで行くのは、それほど簡単なことではないでしょう。
一方、誰もが振り向くわけではないような人が、愛を求められた場合には、Wクイックレスポンス”をするかもしれません。
そのように、たいてい、人気というのは、ある人にはあり、ない人にはないことが多いものです。
たとえとしてよいかどうかは分かりませんが、幸福実現党の候補者が選挙に臨むときなども、
「なぜ、ほかの党の候補者にはたくさん票が入るのに、幸福実現党はこんなにも少ないのかな。寂しいな」と言いたくなり、「少しは私に愛を下さい ♪」と、思わず歌いたくなるような気持ちがなくもありません。
「どうして、幸福実現党に入る表はこんなにも少ないのでしょうか。平等に愛してほしい」と、W結果平等”が少しほしくなる気持ちもないわけではないのです。 このように、こちらからは愛を発信しているつもりでいても、相手側からはなかなか、W返ってこないもの”なのではないでしょうか。
とりわけ、若いころは、自分自身の値打ちや客観的な輝きがよく見えないところがあり、その、W落差”に悩むことは多いのではないかと思います。
そういう意味で、どうしても、「人より頭一つ抜け出したい」という気持ちが強くなってくるのです。
ただ、それが、一生懸命に勉強に励んだり、スポーツに励んだり、あるいは仕事に励んだりする原動力にもなっているので、必ずしも悪いものだとは言えないでしょう。
たとえ外見がそれほど良くはなくても、たとえ勉強ができなかったとしても、例えば、高校野球の全国大会に出場して、
甲子園球場でエースピッチャーとして球を投げるというような檜舞台に立ち、それがテレビカメラで全国放送されるようになれば、学校の女子生徒たちも、「うわあ、素敵」ともてはやすようになり、スターになってしまいます。
あるいは、幸福の科学グループでも芸能プロダクションを手がけていますが、スクリーンに顔がアップで映ったところを大勢の人に観られる人を見たりすると、
「あんあふうになりたいな」とは思っても、現実には、なかなかそうはなれない厳しさを感じていくところがあるでしょう。 あるいは、幸福の科学グループでも芸能プロダクションを手がけていますが、スクリーンに顔がアップで映ったところを大勢の人に観られる人を見たりすると、
「あんなふうになりたいな」とは思っても、現実には、なかなかそうはなれない厳しさを感じていくところがあるでしょう。 「愛されたい」という気持ちが苦しみをつくることもある
若いころの自己研鑽や努力のなかには、ある意味で、「多くの人に注目されたい」というか、簡単に言えば、「愛されたい」という気持ちも多分に含まれているのだろうと思います。一般的には、私はそれを否定するつもりはありません。
ただ、このなかには、「向上の原理」として使える面もあることは事実であるものの、残念ながら、苦しみをつくっているところも多いと言えます。
世の中を見渡してみると、「私はあなたを愛しています」などと言ってくれる人に出会うことは、あまりありません。また、人が寄ってくるときには、大方は「何かを下さい」と言ってくるのではないかと思うものです。
ただ、幸福の科学は、伝道活動をしたり、政治活動をしたりしているので、私自身、そういう人たちに対しても、もう少し心を開かなければいけないと思うところもあります。
しかし、道を歩いていて、誰かがスーッと寄ってくる場合には、たいてい、何かのW頼み事”のようなものが多く、それにティッシュペーパーをつけて配っていたとしても、なかなか受け取れないものです。
もちろん、ティッシュペーパーの値打ちもゼロではないので、もらえること自体はよいものの、それでも、「もらったものをポケットに入れると、服が膨らんで見えるかな」などと思うだけで、もらわなくなったりします。
ティッシュペーパーのようなものでさえ、受け取らないのですから、ましてや、宗教の伝道ということになると、みな、けっこう苦しんでいることでしょう。
駅前で、道行く人に近寄り、「幸福の科学に関心はありますか」と声をかけたら、スッと逃げられるとか、あるいは、「あなたは悩みがあるのではないですか」と話しかけても、「放っておいてください」と、はねつけられる感じはあるでしょう。 例えば、ほとんどの人は、「テレビに出てみたい」という気持ちを持っていたとしても、実際に交差点あたりでテレビカメラが撮影していて、テレビ局の人が三人ぐらいウロウロしていたりすると、カメラを避けたくなるものです。実際、私自身でもそうなります。
「ここでテレビに出れば、一つのパブリシティとなって、無料で広告になるかな」と思ったりするものの、交差点で大川隆法がインタビュアーに捕まって、ろくでもない話をしたらどうですか。
「これから、どちらに行かれるのですか」という質問に対し、「ええ、ちょっとそこまで、お腹がすいたので、ラーメンを食べに行きます」などと答えているところをテレビ番組に流されたら、全国の信者はがっかりしてしまうでしょう。
もう少し高等な質問で迫ってもらえればよいのかもしれませんが、なかなかそうはいきません。
このように、テレビ局の人が「テレビに映したい」と思っていても、やはり、たいていは断られるものなのです。 人を愛することを難しくするさまざまな条件
十年ほど前のことですが、あるところにオープンしたドーナツ屋が雑誌等でも人気店と紹介されていたので、私も行ってみたことがあります。
オープンしてまもないころではありましたが、その日はたまたま雨が降っていたこともあってか、お客が来ていませんでした。しかし、店のなかでは、賑わっているところを撮るつもりだったのか、テレビカメラを持った人が待ち構えていたのです。
店内にお客が誰もいないところに私がヒョコットと入ってしまったものですから、向こうは、「W獲物”が来た」とばかりに、すごい勢いで近づいてきて、「すみませんが、取材してもよろしいでしょうか」と訊いてきました。
ところが、「取材はお断りです」と言うと、取材する気でいた人はすごすごと店の外に出ていき、しょぼんとしているのが見えたのです。「かわいそうなことをしたな」とは思いつつも、私がドーナツの宣伝に出るというのもどうかと考え、辞退したわけです。
取材は、店にとってはよいことなのかもしれませんが、「幸福の科学の会員が殺到したら、大変なことになるのではないか」と思ったこともあって、お断りしました。
もしかしたら、あのようにして断られたりするうちに、マスコミの人もだんだん性格が悪くなっていくのかもしれません。そうすると、誰かに意地悪なことを言っていじめたくなることもあるのでしょう。
そのように、テレビでも週刊誌でも、取材をする側はよく断られているようなので、彼らもW愛を拒絶される”中で性格が悪くなっていくらしいということは承知しています。 普通の人は、たとえ、「テレビ等に出たい」という気持ちがあったとしても、実際に自分の生の姿や構えていない姿を見られることは怖いわけです。「よいところは見せたいけれども、格好悪いところは見せたくない」というところはあるのではないでしょうか。
ちなみに、わが家では、私がリラックスして、のびのびしている姿を家内がたくさん写真に撮っています。とったが画像はほかの人には見られないようにロックして、個人的に楽しんでいるようですが、ほかの人には決して見せることができない映像ではあります。
余談はさておき、「他の人との関係」というのは難しいものです。自分は「こうしたい」と思っていても、実際には、自分が思っているとおりではないようなシチュエーション(状況)が現れたら、そうはなりません。
それは、人を愛することにおいても同じようなところがあるでしょう。「両社の気持ちが互いに合う」というのは、なかなか難しいものだと思います。
例えば、若いカップルであれば、互いに惹かれ合うところがあったとしても、何らかの条件があったりして、それでも惹きつけあうということは、そうとう難しいものです。
ましてや、そうした恋愛を超えて、見知らぬ人を愛したり、世間に生きている人を愛したりするというのは、やはり、とても難しいことだと、つくづく思います。 2 「人生の問題集」「組織の運営」に伴う愛の苦しみ
「親子の愛」「夫婦の愛」にもさまざまな問題が伴う
幸福の科学では、初期のころから「人生の問題集」という言葉を使っていますが、愛というものは、ある意味で、「人生の問題集」としては非常に典型的なものかもしれません。それは、誰もが直面するものであろうと思うのです。
例えば、人生の早い段階から、「男女の愛」も始まります。
それから、子供が生まれると、「親子の愛」のところが問題になります。親子の葛藤がたくさん起きてきて、子供を愛すれば愛するほどに、だんだんあとになってから反逆してくる場合もあるわけです。
そのように、愛の裏返しで、反対のものになっていくようなこともあります。
一方、「この子にはあまり期待していないから」と思って親のほうは子供に対して浅い愛で止めていたのに、子供のほうは意外に頑張って親孝行になる場合もあるので、なかなか難しいものです。
また、「夫婦の愛」についても、さまざまな問題が出てきます。若いころは誠実に愛し合っていても、中年期、熟年期に入っていくにつれ、仕事上の条件が変わってきたり、子育てをしているうちにほかのしごとも出てきたりします。 幸福の科学で言えば、主婦で子育てをしている身でありながら、日曜日のお昼ご飯もつくらずに、当会の講演会に参加する人もいるわけです。
家族も信者であれば、それを理解してくれることもあるかもしれませんが、例えば、受験生の息子が翌日に模試を受けることになっていて、「この次にE判定が出たら、僕はもう志望校を受けるのをやめる」というような、鬼気迫る雰囲気のときもあるでしょう。 そういうなかで、「今日は大川隆法先生のご法話を聴いてくるからね」と息子に言ったら、「僕のことなんか考えてくれていないんだ!」と暴れられることもあるかもしれません。
そうなると、お互いになかなか止まらなくなり、「あなたは信仰を否定するの?」「いや、分からないことはないけれども、僕の模試だって大事でしょう!」などと口論になることもあるでしょう。
そのように、子供が小さいころとはやや違ったものが出てきて、難しくなってきます。 あるいは、夫にしてもそういうところは出てくるでしょう。
夫から、「俺だって、今日は社外の人とゴルフをしなければいけない約束がある。
おまえが講演会に行くからといって、代わりに俺がゴルフをサボってご飯をつくれというのは無理だぞ。仕事の方が優先だろうが。
それがあるから、給料が入って、おまえたちは食べていけるし、宗教活動もできるし、息子だって大学に行こうとしているんじゃないか。
だから、俺のゴルフは大事なんだ!大川隆法先生が倒れたって、俺のゴルフのほうが優先なんだ」などと言われるかもしれません。
すると、妻のほうも、「信仰心のない人ね!」などと言いたくなることもあるでしょうが、信者のなかには、そうした夫婦間の葛藤を経験した人も多いのではないでしょうか。
ただ、そういうことはしかたがない面もあると思います。
「限られた数十年の人生のなかで、この有限の時間を何に使い、自分の今世の人生を輝かせるか」「どうすれば自分の人生は十分だったといえるのか」と考えたときに、値打ちを感じるものがあるのであれば、やはり、W選択”が働いてきます。
そうなると、妻としては、「今日、自分がご飯をつくろうがつくるまいが、コンビニで買ってきたものを食卓に置いておこうが、息子の模試の成績はどうせ変わりはしないのだ。E判定はE判定、A判定はA判定で、どうせ同じだ」という感じになることもあるでしょう。
息子はW気分の問題”で母親に当たっているだけだということもあるでしょう。
あるいは、夫のゴルフにしても、妻としては、「私が講演会に行こうが行くまいが、スコアは同じでどうせ変わらないのだ。相手に勝たせなければいけないときには自分がまければいいし、自分が勝ってもいい相手だったら勝てばいい。好きなようにすればいいのだ」
という感じでしょうか。
そのように、「純粋な愛」によって結びついた関係であっても、人生経験を深めていく間に、さまざまな行き違いや言葉のすれ違いはあるかもしれません。 「組織を発展させるための人事」を理解してもらえない悲しみ
私も、三十年以上この仕事を続けていますが、最もつらかったのは、自分が愛した弟子たちが、何かの行き違いで離れていったときです。これには、何とも言えない悲しさがありました。
例えば、初期のころ、当会を手伝ってくれた人は一生懸命だったと思います。
本当に私心なく手伝ってくれたように思うのですが、だんだん教団が大きくなってくると、うまく回らなくなってきて、またW新たな戦力”を入れなくてはいけなくなりました。あとから来たとしても、その人たちを使わないと教団が持たなくなってきたのです。
しかし、あとから来た人たちを重要なところに据えたりすると、以前からいた人たちとしては、自分たちが否定されたような気持ちになるのでしょう。
要するに、「面白くない」ということで、何かと不満が出てきたり、止めていったりするような人もいたのです。
もちろん、私は、その人たちを愛さなくなったわけではありません。一生懸命やってくれたことに対しては「ありがたい」と思って感謝していますし、私の気持ちが変わったわけでもないのです。
ただ、教団としての組織が発展していくためには、そのときに与えられた必要な人材を配置しなかったら、自分にとっての「正しさ」というものが失われます。
そのため、あえてそうしなければいけなかったのですが、理解してもらえないことは数多くありました。
そのように、人は「愛」といっても、「自分を認めてくれている間だけ愛する」というようなことに、どうしてもなりやすいのです。やはり、認められようが認められまいが愛を持ち続けるというのは、実に難しいことなのかもしれません。
それは、「相手の考えていることが分かり切らない」と言えば、そのとおりでしょう。
おそらく、「『あなたを信頼する』とか『愛している』とかいうのなら、゛丸ごと”自分を愛してくれ。自分のやることについては、゛全部”任せてくれ」という気持ちがあるのだと思います。
そのため、それを修正しようとか、否定しようとか、ほかのものに変えようと課されると、とたんに゛オコゼ”になるというか、急に立腹する人が多いわけです。私もこのあたりについては、過去、非常に悲しい思いを何度もしてきました。 聖フランチェスコとマザー・テレサの例に見る「組織運営の難しさ」
なお、今回、愛の話をするに当たり、多少、キリスト教の勉強をしておいたほうがよいかと思って、前日に、中世の1200年代にイタリアの修道会を開いた「聖フランチェスコ(アッシジのフランチェスコ)」の物語(映画)や、
オリヴィア・ハッセーが主演している「マザー・テレサ」の映画などを、もう一回、観直してみました。
ただ、両方ともそうなのですが、その中心にいる人は、自分がやりたいことを自分がやりたいように自由にやっていても、だんだん信奉者が増えてくると、うまくいかなくなってきます。
アッシジのフランチェスコの場合だと、修道会のメンバーが国を超えて数千人ぐらいにまでなったときに、会則というか、入会資格のようなものを決めようということになったのですが、フランチェスコのほうは「決めたくない」というわけです。
それをつくって、ローマ法王に承認を得なければいけないにもかかわらず、「そういうことは嫌だ」と言いました。
もちろん、組織運営をするためには、もう少し、インテリの人たちを入れて、その人たちを使わなくてはいけないのは確かなのです。
また、当時の十三世紀のイタリアにも大学はあり、文法や神学、法学などを勉強していたような偉い人たちが、「自分たちを使え」という感じで寄ってきてはいました。
しかし、フランチェスコは、「そういう人たちは、口は立つが、肝心の信仰がないではないか。『福音書』だけあれば十分だ」というようなことを言うのです。それで、実際上、会則がつくれないために苦しんでいるような状態が描かれていました。 オリヴィア・ハッセーが主演したマザー・テレサの映画でも同じです。ちなみに、この映画には、幸福の科学の映画「ファイナル・ジャッジメント」に出演していたスリランカの女優(ウマリ・ディラカラトナ)がマザー・テレサの助手役として出ていました。
とにかく、マザー・テレサのほうも、瞬間的に行動するような人なので、いろいろなところで法律や規則に抵触し、行政等とぶつかるわけです。
そうしたものが壁になって前に進まなくなるような場面が出てくるので、「組織をつくって、広げていくときというのは、いろいろなこの世のものとぶつかって、難しいものだな」と感じました。
中心にいる人は、「ただ、神様の愛を広げたいだけなのに、どうしてこれが分かってもらえないのだろう」と思うのですが、
例えば、周りの人たちは、「ここに孤児院を建てるには、規則により、きちんと許可を取らないとだめなのだ」などと言うので、それで両者はぶつかるのです。
私は、その二つの映画を観直してみて、「組織運営というのは難しいものだな」と、改めて感じました。 釈尊も苦労した、組織運営における「生かす愛」の難しさ
ただ、これは釈尊も感じたことではあります。 最初のころに、自由修行者として山林で修行をしていたときには、みな、思い思いに、自由に修行していたのですが、教団ができ、組織ができると、いろいろなところで騒ぎが起きてきました。
しかも、どちらが正しいかをなかなか決めかねるようなこともあったのです。
釈尊は、四人の出家者でサンガ(「現前サンガ」)をつくり、そこで「どちらが正しいか」を判定させるようにしたのですが、なかには収まらないものもありました。
やはり、「釈尊でさえ匙を投げる」というか、釈尊自身が聞いても、どちらが正しいか判定不能というものはあったのではないかと思います。
そのように、組織運営となると、人間の「自我 対 自我」と言ってもよいでしょうが、それぞれの人によって。自分が「正しい」と考えるもの、「よかれ」と考えるものが、多少ずれてくるわけです。
また、そこに「調整の原理」が働き始めると、単純な「愛の原理」だけではないものが出てきます。
愛は、「すべてを受け入れ、すべてを許し、すべてを包み込む」ようには見えるのですが、実際に、この世の現実のなかを生きていく間には、いろいろな調整や判断、あるいは、捨てるところや選ぶところが出てこなくてはいけなくなるからです。
ここは、とても難しいことであり、これが、「愛の発展段階説」に言う「生かす愛」のところなのかもしれません。
智慧を得て、知識を持ち、仏法真理の観点から、この難題に優先順位をつけなくてはいけないのですが、この段階で、原始的なレベルの愛が引っ掛かってくることはよくあるのです。 ただ、当会の初期のころに一生懸命、教団を手伝ってくださった人で、今も自分のプライドに関係なく手伝ってくれている人にとっては、現在、幸福の科学が、立宗から三十一年もたって、外国にまで広がり、これほど大きくなったのは、とてもうれしく、名誉なことでしょう。
私も、そのように思います。
一方、初期のころには、あとから来た人と入れ替えたりすると、立腹したり、「愛がなくなった」と思ったりする人もいました。
なかには、物を贈っても、そのまま送り返されてきたこともあったので、「そこまで単純に考えるのか。オール・オア・ナッシング(全てか無か)で考えるのだな」と思ったこともあります。
仕事のレベルでは、そのように考えるのは、なかなか難しいことだと思うのですが、そういうこともありました。 3 「愛すること」「信じること」で「人生学のプロになろう
人生のあちこちに出てくる゛公案”を一つひとつ乗り超えよ
また、「男女の愛」についても、夫婦生活が何十年も続いていけば、その間には、いろいろなドラマがあるものです。たとえ、二人の関係がうまくいっていても、子供や第三者が絡んでくると判断が割れたり、家庭内で法律に触れるような出来事が起きたりします。
あるいは、ドラマ「ウチの夫は仕事ができない」ではありませんが、「仕事ができて頼りになると思っていた夫は、実は仕事ができなかった」という現実に直面することもあるかもしれません。
「結婚した二十代のときは、『うちの夫は格好がよくて、エリートなのよ!』と自慢していたのに、三十歳を過ぎたら、本当は仕事ができないとわかってしまった」といったこともありえるわけです。これも恐ろしいところでしょう。
さらに、結婚しても夫婦共に仕事を続ける場合、妻のほうが、仕事でどんどん進んでいき、見識が高くなることもあります。そうなると、夫のほうが鬱屈して反抗期の子供のような態度を取ったりし始めるので、ここも難しいところです。
妻も一人の人間なので、天職を得て仕事に就いたならば、「認められたい」、「世間でお役に立ちたい」と思うでしょう。ところが、そうすると、夫のほうがだんだん非行少年のようになってしまうわけです。
要するに、「妻が仕事ができなければ夫婦でいられるのに、仕事をガンガン進めていくと夫婦でいられなくなる」ということでしょうから、これはつらいだろうと思います。
ただ、こうした゛公案”は、人生のあちこちで出てくるはずなので、それを、一つひとつ乗り超えていかなければいけません。 宗教を学ぶ意味の一つは「人生学のプロ」になること
そのなかには、解決できるものも数多くありますが、やはり、解決できないものもあるわけです。また、解決の際に、何かを取って、何かを捨てなければいけない場合もあるかもしれません。これは、非常につらいことだと思います。
しかし、「愛の問題集」においては、さまざまなトラブルも、ある程度予定されている面はあるのです。「すべての人間にそれを勉強してもらいたい」ということで、男女が創られました。そして、必然的に、問題集に出会うことになっているわけです。
ただ、数多くの問題解決に立ち向かっているうちに、最初のころの純粋な愛とは、少し違ったものになっていくこともあるでしょう。
例えば、映画「さらば青春、されど青春。」の主題歌である「眠れぬ夜を超えて」には、結婚できずに苦しむ主人公たちの悶々とした気持ちが表れています。
そのように、「どうして一緒になれないのか」という苦しみもあれば、一緒になった後に生じる苦しみもあるのです。こうした問題と、そのつど、対決していかなければ解決はできません。
ただし、どこかで、全部を解決するのは無理だと気づく場合もあるでしょう。そのときに考えてほしいのは、「人生において宗教を学ぶことの意味」です。それは、「人生学におけるプロフェッショナルになろう。
ほかの人たちの、いろいろな人生問題集に答えられる自分になろう」と決意したということでもあると思うのです。これもまた、宗教に辿り着いた目的の一つなのではないでしょうか。
そして、「他の人の人生問題に導きを与えられる自分」になりたいのであれば、「自分自身が打ち当たった問題をどのように乗り越えていくか、過ぎ越していくか」が大事になってくるのです。 奇跡が臨まなくとも「信じる心」を持ち続けよ
そうしたなかで、奇跡が自分に臨むこともあるでしょう。実際に病気が治るという奇跡が起こることもあります。しかし、そうした「選ばれた者」であっても、その後、また病気になって亡くなったりもするのです。
例えば、十年前には奇跡が起きて病気が治ったのに、今回は治らないかもしれません。そのときに、「あなたは信仰を持ち続けられますか?」ということが問われるわけです。
そもそも、奇跡的に病気が治ること自体、非常に恵まれたことであり、起きがたいことでもあります。ところが、そうした奇跡が連続しなければ信じられないのであるならば、やはり、寂しいものがあるのではないでしょうか。
『聖書』には、イエス・キリストが、「すでに墓に葬られたラザロを、その四日後に、包帯でぐるぐる巻きになった姿のまま墓から呼び起こして蘇らせる」という奇跡を起こした話が載っていますが、そのラザロも、いずれ、時が来たら死んでいます。
この世において、永遠の命を持ち続けることはできないのです。
やはり、困難が数多く表れてくるなかで、奇跡だけに頼って生き抜けるわけではありません。「智慧」でもって迷いを破っていかねばならないこともあるのです。 しかし、智慧にも限界があって、どうにもならないこと、にっちもさっちも行かないことも出てくるでしょう。
そのときに知っておいてほしいのは、「この世というものは、もともと、パーフェクト(完全)にはできていないのだ」ということです。
この三次元の世界は、「日本にいる一億以上の人々、あるいは、世界七十億以上の人々が、全員、思った通りの自己実現を完璧にできる」というようにはできていないのです。
例えば、あの世の世界では、それぞれの人が、それぞれの次元で、似たような人たちと生活しています。
ただ、それだけでは人生経験が不足してくるため、この世(地上)に生まれて、さまざまな世界から来た人たちと出会い、自分の人生を磨き上げるわけです。
人間は、それを目標として、この世に生まれ変わってくるのです。
ところが、この世に生まれてみると、いろいろなことがあります。
あの世においては自分のほうがはるかに゛偉い立場”にあり、「天使」として他の人を指導していたとしても、
地上においては、その指導していた相手が、自分よりも十年、二十年早く生まれていて、会社の上司や学校の先生になっている場合もあるのです。
あるいは、自分の将来を決めるような立場に立っていることすらあるでしょう。
就職を決める面接の際に、「光の天使、二十二歳」が、前に座っている「悪魔憑き、四十歳」に、「生意気だ!こいつは、わが社には向かん!」などと言われて落とされるかもしれません。 少しでもこの世を神の国へ近づける「無限の未来への挑戦」を
これが、この世の世界であり、不条理さもあって、なかなか思ったようにはいかないものです。
しかし、そういう世界でありながら、少しでもこの世の常識を「神の国の常識」に近づけていかなくてはなりません。それが、私たちの伝道活動の意味です。
いろいろなことを取ってみても、この世とぶつかるものは数多くあるでしょう。ただ、この世でつくった法律やこの世の制度だけで、全部がうまくいくとは思えないのです。
それらは、「最悪のものを止める力」にはなるかもしれませんが、「最善のものを選び出しているかどうか」は分からないところがあります。
私たちの伝道活動は、いつも、限りない限りない努力のなかにある、「無限の未来への挑戦」でもあるのです。 4 そして、「許す愛」で憎しみを超える
「行為」を憎んでも、その人の「本質」は憎まない
したがって、愛に関しても、「自分は、どのような愛というものを、この世で自覚し、認識し、理解したか」ということは、非常に大きなことだと思います。
愛一つを取っても、それほど難しいのです。
先ほど「生かす愛」についても述べましたが、幸福の科学では、「許す愛」という教えも説いています。ただ、「人を許す」ということもまた難しいことです。「愛すること」も難しいけれども、「許すこと」は、もっと難しいのです。
「私はあなたを愛しています」と言ってくれる人は、この世では、それほどいません。心のなかでそう思っていても、なかなか言わないものです。
ましてや、「私はあなたを許します」と言ってくれることは、めったにあるものではありません。
よほど宗教的な境地にずっといられる人は言えるかもしれませんが、日常生活をしながら、家庭や学校、職場において、「私はあなたを許します」というようなことを言える人は、それほどいるものではないのです。
特に、仕事にかかわる場合には、もちろん、「間違いがあったら、絶対に許してはいけない」という感じで追求しなくてはいけませんし、「赤字は絶対に許してはいけない。黒字でなくてはいけない」と思ったりします。それは当然のことではあるのです。
しかし、仕事におけるミスやトラブルなどについて、「いけない」ということを指摘したり教えたりする場合、その人がやった結果、失敗したり間違ったりしたことに対して、「それを正そうと思って言うことと、その人を憎むこととは、同じではない」のです。
それを知らなければいけません。
「行為」を憎んでも、その人の「本質」は憎まない。そういう気持ちをつくれるでしょうか。これは難しいことです。けっこう難しいのです。
行為があれば、必ず結果が出ます。何かをした場合には、何らかの結果が出ます。「その結果を見て、あなたは、その人を憎まないでいられますか」ということが問われるのです。
例えば、「自分の進路を邪魔する」「自分の仕事を邪魔する」「自分の恋路を邪魔する」という場合に、あなたは、その人を憎まずにいられるでしょうか。これは、なかなか難しいことです。
やはり憎んでしまうものです。本能的に憎んでしまうこともありますし、それを当然のことだと思っている人たちもいます。 他国を憎むことをはっきりと教育する国々
本章のもとになった2017年の「御生誕祭」での私の法話は、世界各地に中継されたので、それを韓国で観た方もいるわけですが、実は、北朝鮮にも当会の会員が何十人かいるのだそうです。
どうやって会員になるのか、私もそのルートが分からないのですが、北朝鮮にも、何十人か会員がいるようです。
その人たちが、「御生誕祭」での私の法話を、どうやって観たり聴いたりするのかは分かりません。
隠れて何かに映したりして観るのか、何らかのかたちで音が聞こえるのか、別ルートで入ってくるのか知りませんが、当会の信者が、いることはいるらしいのです。
その人たちにも述べたいのですが、韓半島、朝鮮半島の人たちは、「憎む」ということを当然のことのように教わっている面があります。
ロシアの映画監督が、北朝鮮に入国し、当局の許可を得て、向こうの演出の下に北朝鮮のW実情”を撮影したドキュメンタリー映画があります(「太陽の下でー真実の北朝鮮ー」)。
その監督は、実は、本来は撮ってはいけないところ、(当局者が出演者たちに「やらせ」の指示を出しているところ)についても、カメラのスイッチをオンの状態にして、秘かに撮影していました。
そして、検閲によってフィルムが没収されないように、それを隠してロシアに持ち帰り、上映したのです。
その映画を観ると、北朝鮮の一般市民たちのW無表情”なところがすごく特徴的です。
表情がなく、誰も笑いません。表情のない人たちが動いているのです。何か指示を出されたときにだけ、そのとおりにするのですが、それ以外のときには表情がないのです。
「これは全体主義の特徴だ」というようなことを、そのロシアの監督は言っていました。
ついこの前まで共産主義の本家だったのはソ連ですが、今の北朝鮮は、共産主義体制とほとんど同じです。
その映画で描かれていましたが、北朝鮮の小学校では、先生が、「日本人と地主が私たちをこのようにしたのだ。だから、私たちは日本人と地主階級を憎まなくてはいけないのだ」ということを、一生懸命に教えていました。 それから、「アメリカや韓国が私たちの国を侵略しようとしている。これを憎め」とも言っていました。そして、「彼らのせいで朝鮮戦争があったのだ」というようなことを教えていたのです。
しかし、実際にはW逆”です。「北朝鮮のほうから韓国に攻撃があり、北朝鮮軍は朝鮮半島の南端あたりまで押し寄せたものの、国連軍がそれを押し返した」というのが事実です。
そのあと、「三十八度線」を挟んで休戦状態になりましたが、今、また、戦争の匂いが立ち込めてきているところです。
北朝鮮では、そういうかたちで、「憎む」ということを、はっきりと教えています。
それから、大統領を罷免された韓国の朴槿恵さんは、在任中、大統領の身でありながら、「千年間、日本、日帝への恨みは忘れない」という趣旨のことを言いました。
これは、日本では想像しにくいことです。日本の総理大臣が、もし、どこかの外国に対して、「この無礼は、千年間許さない」と言ったら、おそらく、「人間ではない」というような報道をされ、
「こんな立場の人がそんなことを言ってよいのか」と言われると思いますが、韓国では、そういうことを普通に言えているわけです。しかし、その憎しみに、もうどこかでストップをかけないと、発展しません。
敵をつくることによって、自分たちのやっていることの正当性を出そうとするところが数多くありますが、それは、歴史的に見ても非常に、W幼稚な手段”だと思うのです。
ナチスが、ユダヤ人を敵視することによって自分たちの行動を正当化していこうとしたように、「何か敵をつくることで、自分たちを正当化し、合理化する」というのは幼稚だと、私は思っています。
やはり、「憎しみ」は、「愛」によって乗り超えなければいけないのです。 「愛」の反対にあるのは、「憎しみ」の下にある「嫉妬心」
「愛の反対は憎しみである」という考え方がありますが、私には、むしろ、愛の反対にあるのは、「憎しみのもとにある嫉妬心」ではないかという気持ちもあります。
嫉妬する気持ちが、どうしても、人を押しのけようとしたり、貶めようとしたりする気持ちになってくるのです。
これも、私の若いころの悟りの一つではあるのです。私も、競争心や優越感、劣等感を、いろいろと経験してきましたが、
「劣等感を持ち、嫉妬心を持って、特定の誰か、優れた人や脚光を浴びている人などを羨んだところで、自分はちっとも幸福になれない」ということは、若いころの悟りとしてありました。
そこで、自分にはできないようなことを、サッとやってのけるような方々を観たら、むしろ、「すごいですね。素晴らしいですね」という気持ちを持つように努力していったところ、人生観は変わってきました。 そういう人に対して嫉妬し、敵視すると、向こうもこちらを敵視してくるので、顔を合わせられないような状態になるのですが、逆に、相手を「いい人だ」と思っていると、それがどこかから人づてに伝わっていき、相手は友達になってくれます。
そうすると、優秀な人の仲間に入っていけて、自分にプラスになることが多く、相手のほうも、人柄がもう一段大きくなってくるところがあるのです。 5 世界に必要なものは「神の愛」
国民を幸福にしようとするのが「政治家の愛」であるべき
今、世界に必要なものは「愛」です。
「愛の反対は憎しみ」と思うこともあるけれども、憎しみだけではなくて、「嫉妬もある」のです。嫉妬によって競争が起き、「他を憎んでいる」という現象が起きているなら、やはり、それは正すべきだと思うのです。
例えば、北朝鮮の核開発やミサイル発射が問題になっています。アメリカと対等になろうとして、一生懸命やっているのは分かりますが、北朝鮮は、大勢の国民が、表情をつくることもできず、言われた通りのことしかできない、完全な全体主義の共産主義国家です。
デモクラシー(民主主義)の国家は、人間を「目的」とします。「人間自身が目的であり、手段ではない」のです。
一方、全体主義国家においては、人間は「手段」なのです。大勢の人間を使って何かをやろうとしているのが全体主義国家です。
デモクラシー、民主主義の国家においては、そうではありません。人間にとって、最終的には、「自分がどう幸福になるか。どういう自己実現ができるか。自由を得て、どう成長できるか」ということが大事であり、それを目指すものが本物なのです。
そういう観点で見ると、両社は対等に論じられるようなものではないのではないかと思います。
そういう意味では、どこの国も「防衛のため」などと称したりし、愛国心を煽ってはいますが、「それは国民が幸福になる体制なのかどうか」ということのチェックはいるだろうと思うのです。 中国の習近平国家主席は、香港に行って演説し、「一国二制度を維持する」と言いつつ、「ただし、権力に対する反抗は許さない」というようなことを言いました(2017年6月29日)。
しかし、私の2011年5月22日の香港での講演を聴いた人たちは、習主席の言うことを素直にはきかないだろうと思います。
やはり、国民には、「自分たちの幸福を追求する権利」があるはずです。
国民を幸福にしようとするのが「政治家の愛」なのではないでしょうか。
日本においてもそうですが、「政治家が、自己愛に夢中になっているか、自分の仲間への愛に夢中になりすぎているのではないか」という気持ちは私にもあります。
「本当に、多くの国民を隅々まで愛していますか。そうであるならば、もう少し違う観点から物事を考えたほうがよいのではまいでしょうか」と言いたいのです。 日々の言葉や行動のなかに「神の愛」を
最終的には、やはり、「神の愛がなかったら、何もないのだ。ナッシングなのだ」ということを知ってほしいと思います。
「人間の言葉や行動、行為であっても愛を表す言葉や行動のなかに、あるいは、その結果のなかに、神の愛がなかったら、値打ちはないのだ。ナッシングなのだ」ということを知っていただきたいのです。
どうか、「神の愛とは何か」ということを常に考えながら、日々の生活を正し、日々、自分の心境を深め、行為を積み重ねていけるようなみなさんになっていただきたいと思います。
そして、「イエスが『主よ』と呼んだ人と、ムハンマドが『神よ』と呼んだ人は、同じ人なのだ」ということを私は言いたいし、
それから、「(キリスト教徒やイスラム教徒の)的にもなっているユダヤ教徒が『エローヒム』と呼んだ存在も、それと同じ人なのだ」ということを言いたいのです。
そうした存在が、今、「エル・カンターレ」という名を冠して地上に生まれてきています。
私に残された時間はそう多くはないかもしれませんが、最後までこの方を完成させたいと願っています。
みなさんと共に、まだまだ精進を続けていきたいと思います。 🌟 明日を変える言葉 A
相手の心性の善なるを信じて
解き放つのが愛。
まず、「与える愛」から始めていきなさい。
日々の努力目標を、まず、与える愛に置きなさい。
あなたは人々に対して、社会に対して、
いったいいかなる愛を与えることができるのでしょうか。
愛とは恵みです。
それも、善き恵みであり、他人を生かしていこうとする力です。
縁あって人生の途上で出会った人々に、
生きていく勇気を与え、力を与え、希望を与えること、それが愛です。
こうしてみると、愛とは仏の心そのものであることに気づきます。
仏の心とは、万象万物を生かし、はぐくみ、調和させんとする心です。
すべてを成長させんとする念いです。
「与える愛から始めていこう」と決意したとき、
その心は、仏の心と同質の光を帯びているのです。
他を生かさんとする心の芽生えは、
すでに仏の子として慈悲心が生じてきたということなのです。
愛のなかにも、「奪う愛」という名の執着の愛もあれば、
「与える愛」という名の、利己心と自己保存欲を捨てた愛もあります。
相手を奪い取り、相手の心をがんじがらめにするための、
トリモチのような愛は、与える愛とは言わないのです。
金銭や物品をいくら湯水のごとく注ぎ込んだところで、
それが相手をとりこにし、
かごのなかの鳥にする目的をもってなされたものであるならば、
それは、与える愛ではなく奪う愛であり、執着の愛なのです。
ほんとうの愛は、
無私の愛であり、無償の愛であり、見返りを求めない愛であり、
相手を自由に伸び伸びと生かしめる愛です。
相手を縛るのが愛ではありません。
相手の心性の善なるを信じて解き放つのが愛なのです。 >>396-427
🌟 大川隆法著 信仰の法
第2章 愛から始まる
「人生の問題集」を解き、「人生学のプロ」になる 幸福の科学、とにかく女の信者の霊格が低い。
おまけに醜悪で覚りの程度もきわめて低い。
どう? この物言いに反論できる? >>426-427 余談だが
高田じゅんじ!じゅん散歩で不動教神社へは行くな!!今の私がさまざまから得てる情報では
そのままいくと死んだとき霊界でまんなかより少なくともかなり下に落ちたところしか行けなくなってしまう。 🔥 信仰の法 第3章 未来への扉
人生三万日を世界のために使って生きる
1 人生の早い時期に目覚め、志を立てよう
W私の人生は三万日”という視点で人生を見つめてみると
本章では、人間としての人生のあり方について述べていきたいと思います。
本章のもとになった法話は、成人の日(2017年1月9日)に行ったものですが、今、二十歳の人は、人生というものをかなり先まで、長くあるように思っていることでしょう。
十歳のころから二十歳になるまでは、ずいぶん時間がかかったように感じたでしょうし、私自身もそのように感じました。
そして、二十歳から三十歳ぐらいまでは、もう、無我夢中だろうと思います。社会人として、一人前になるために、一所懸命に取り組まなければいけないことがたくさんあるでしょう。
社会的には、怒られながら仕事を学んでいく時期であり、個人的にも、いろいろと新しい経験が積み重なって、恥をかくことも多く、そのなかから何をつかみ取って立ち上がるかということを考えなければいけないころです。
また、三十歳あたりを境にして、結婚する人も増えてきますが、結婚後は、時間というものが坂道を転げ落ちるように速く進んでいき、あっという間に、世間で「定年」と言われる年齢まで行ってしまいます。
本当に、一生懸命にいろいろなことをして、「忙しい、忙しい。自分の時間をつくれないな、どうしたらつくれるかな」などと思っているうちに、いつの間にか、「あのう、もうそろそろ終わりなんですけど…」というような感じになります。
たいていの人は、そういう経験をするでしょう。 今、私と同じぐらいの年代の人の多くは、だいたいW終着駅”に近づいた状態にいます。
しかし、W終着駅”はW始発駅”だと思い、また頑張る人も一部にはいます。それは心がけ次第なのです。そのように、人生がまだ残されていることもあります。
私の著書『伝道の法』(「法シリーズ」二十三作目)にも書いたように、今世生きている時間は、おおよそ「三万日」ぐらいあればよいほうだと」思わなければいけません。
六十歳前後であれば、二万日はとうに消化しているので、あと一万日あるかどうかということになってきます。そのように、一日一日というものは、毎日毎日、砂時計の砂粒が一粒一粒落ちていくような感じなのです。
ただ、こういうことを言っても、二十歳ぐらいの人にはまだよく分からないかもしれません。「時間は湯水のようにあって、使い放題だ」と思っているような人もたくさんいるでしょう。さらに、十代の人であれば、もっと長い未来があると思っているでしょう。
しかし、現実は、今述べたとおりなのです。何事も成就することなく、あっという間に、「人生の終わり」が近づいてくる。そうした現実が、後半生に現れてくることに同意する年配の人も多いでしょう。
ですから、「早いうちに目覚める」ということは、とても大事なことなのです。 まず志を立て、志に向かって自分自身を説得していく
そこで、成人を迎えたばかりの人には、ぜひとも、新しい発心をしてほしいと思います。決して遅くはありません。早すぎもしませんが、遅くもないでしょう。
今、志を立て、それをし続けるということは、決して簡単なことではないはずです。
そのためには、やはり、自分にとって、「天職」と言えるものに目覚めなければいけません。
そして、それが何かということが分かるまでに、さまざまな勉強をしたり、運動をしたり、文化活動をしたり、友達と付き合ったり、あるいは、多様な価値観と出会ったり、あちこちの国に行ったりするなどして、自分自身を発見するための旅が始まります。
そのなかで、単に、「日々を過ごしている」とか、「仕事をしている」とか、「家族を養っている」とかいうようなレベルから、もう一段、「今世、この世に命を享けたということの意味を感じられるような天職」に出会えるかどうか。
これが、若い人たちにとって非常に大事なことであろうと思います。 「一生続けて全うしたい」と思うような仕事に辿り着くのは、なかなか簡単なことではありません。多くの人々は、その前に、数限りない無駄足を踏み、試行錯誤を繰り返すことになるだろうと思います。
これは他人事ではなく、私も二十歳のころを思い返すと、「これから四十年間、こういう仕事をしてもらいますからね」と言われたとしたら、やはり、「いやあ、それはないでしょう」と言っていたのではないかという気がします。
もっとも、分からないからよいこともあるのですが、しなければいけないことは、どんどん増えていくわけです。
私が三十歳になる直前のころに説いた講演では、「最初は宗教改革。十年ぐらいはそれをやります。それからあとは、政治改革や教育改革、芸術・文化の改革等、いろいろなことを起こしていきます」ということを述べました。
そして、そのとおりに今、現実にそういうことを行っていますが、これらはそれほど簡単に口で言えるようなものではなく、本当に大変なことなのです。
若い人たちも、今、「これからしなければならないことは、これだけありますよ」と言われても、信じることはできないかもしれませんが、まず、「志」を立ててください。
志を持ち、「こういうふうに自己実現をしていきたい。自分の目標を持っていたい」ということを思ってください。
次には、「その志に向かって、自分自身を説得していくこと」が大事だと思うのです。
やがて、「何ゆえに、その志を成し遂げる必要があるのか」と自問自答しながら、現実の世界とぶつかりつつ、その壁を破っていかなければならないときが来るでしょう。 人口一億人を超える日本で頭角を現すことの大変さ
日本だけでも、一億二千数百万人の人間が住んでいます。人口が減りつつあるとは言っても、一億人を超える人間がいるのです。そのなかで頭角を現すというのは大変なことです。それほど簡単なものではないでしょう。
今、幸福の科学も、芸能関係の仕事を始めていますし、いろいろな映画やドラマなどに出ている人もいますが、大変な競争があります。なかなか、簡単に道は開けません。
すでに活躍しているスターのような人々だけを見て、「いいなあ。あんなふうになれたらいいなあ」と思う人は多いかもしれませんが、プロとしてその道で生きていける人は、一万人に一人もいるかどうかなのです。
さらに、どこにでも出演していて、誰もがよく知っているような人になると、百万人に一人ぐらいの厳しさになるのではないでしょうか。ですから、それほど簡単なことではないのです。
スターを目指して努力している人も、たいていは、アルバイト生活をしながら、次から次へとオーディションを受け続け、そのなかで、五十回受けて一つ通るとか、百回受けて一つ通るとか言った生活をしています。
こうしたことは、芸能界だけではありません。小説家志望の人々などでも、そういうところがあります。
例えば、コンビニエンスストアで働いた経験をもとに小説を書き、芥川賞をもらった人がいます。文学賞を取っても、まだ働いているようですが、出版社のほうからも、「仕事は辞めないでください」と言われたそうです。
現実はそのくらいの厳しさがあります。一般に、小説を書いて初めて賞をもらったぐらいでは食べてはいけないというのはそのとおりであり、二作、三作と書けるかどうか、プロになれるかどうかということはまだわからず、単に、登竜門をくぐっただけの段階なのです。 昔なら、地方出身か都会の生まれかを問わず、小学校からまじめに勉強を続けるうちにだんだん学力を上げ、エリート校へ進学し、学歴をつけていけば、まずまず間違いのない成功の道に入れると思っていた人が多かったかもしれません。
しかし、今は残念ながら、厳しい現実があるのではないでしょうか。
2000年代の小泉政権のころは、まだ、「勝ち組」「負け組」という言葉がよく使われていましたが、今では、もはや、「勝ち組」「負け組」などと言う言葉は使われない時代に入っています。
つまり、「勝ち組」がいなくなったのです。そういう人はほとんどいないのです。「勝ち組」などと言われると、すぐにW撃ち落されて”しまう時代に入っていて、「もう勝ち組はいない」という状態になっています。
普通か、それよりも下に引き下げていく力がグーッとかかっているため、「普通以下」ということであれば、世間で大きな顔をして歩けるようになるというような、そういう時代になりつつあります。これは大変なことです。 またアメリカでも、トランプ政権登場前の、トランプ氏が圧倒的に不利だと言われていた時期から、
当会の国際本部や、あるいは党の関係者等はトランプ氏の側近と連絡を取り合っていましたし、側近の人は、私の二〇一六年十月二日のニューヨークでの講演会にも来ています。
その側近の方を通じ、トランプ大統領ご自身が、身につけているカフスボタンと同じものをプレゼントされました。
9神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 02:10:22.59ID:8IzdYAT6>>10
またアメリカでも、トランプ政権登場前の、トランプ氏が圧倒的に不利だと言われていた時期から、
当会の国際本部や、あるいは党の関係者等はトランプ氏の側近と連絡を取り合っていましたし、側近の人は、私の二〇一六年十月二日のニューヨークでの講演会にも来ています。
その側近の方を通じ、トランプ大統領ご自身が、身につけているカフスボタンと同じものをプレゼントされました。
そのように、今、当会は、アメリカやロシア、あるいはその他のところに、水面下で大きな影響を与えています。
現実に、本当の政治が動いているのです。
すなわち、私たちの行っていることは、間違っているわけでも、的外れなわけでもなく、まずは、「考え方」「理想」「思いの力」で、世界を動かし始めているわけです。
実際に人が目に見えるかたちでそれを動かし始めるようになるには、もう少し時間がかかると思いますが、だんだんにかたちは出てくるでしょう。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 🔥 信仰の法 第3章 未来への扉
2 「未来を見通す力」を持つ幸福の科学
幸福の科学立宗三十余年の歩みと今後の展望
1990年当時はバブル期が終わった時期ですが、あのころの日本の国際競争力は世界一でした。幸福の科学は立宗四年目に入っていて、機嫌よくやっていたころだったと思います。
世間では「バブル崩壊」というものが起きてきたのですが、当会はそのことをまったく気にもせず、「行け行けゴーゴー」で活動していました。
そして、「世間ではバブルが崩壊して大変なことを分かっているのだろうか」という感じのことをいろいろな週刊誌から言われ始めたのが、90年代の前半なのです。
私は、「それはよそ様の話であって、幸福の科学はこれから始めていくところなので、前途洋々です」と、気にせずにやっていましたが、新聞の一面と当会の動きとの乖離があまりに激しすぎたこともあってか、だんだんに睨まれるようになっていったのです。
1991年から95年までの五年間には、東京ドームを使って講演会をしていたのですが、あまりに激しい嫉妬の嵐と邪教の跋扈を見るにつけ、多少の責任を感じないわけでもありませんでした。
そこで、外部を刺激しすぎないような大人の態度で、ある程度時間を稼ぎ、基礎を固めなければいけないと思うようになったわけです。
特に、1995年はオウム事件(地下鉄サリン事件など)が起きた年でもありました。
当時、私たちは、「あれはよその宗教だ。当会には関係ない。むしろ、事件を解決するために当会は努力した」ということを主張してはいたのですが、世間では、「宗教はすべて、よいか悪いか、そのどちらかだ」という感じで、すべて一緒の扱いだったのです。
そういうことであれば、当会にも多少の責任がないわけでもないでしょうから、「もう少し静かめにいかなければいけないかな」と考えて、活動の仕方を変えていきました。
一般に向けての大きな講演会を減らす一方で、幸福の科学の精舎や支部などを全国に展開していったり、内部のストックとして、人材をつくったり、教育ソフトをつくったり、伝道ソフトをつくったりするようなことを十年ほど続け、当会の力をやや低く見せながら活動しました。 その後は、もう一度リバウンドをし、また国内伝道を激しくするようになり、海外伝道も進め、さらに、政治活動を立ち上げ、教育活動も活発化するようになっています。
十年ほど時間をおいて静かに力を溜めてから、再び外に向けての活動を始めたわけですが、その間に、競合していた多くの者は姿を消していきました。そういう意味では、これも智慧の一つだったとは思います。
世の中、一本のW電車道”のように勝ち進むというのは、それほど簡単なことではありません。
意外に、世間で評判になっているときには、実は苦しいことが多く、世間で静かに扱われているときには、実は前進していることが多いのです。このあたりの加減はとても難しいところです。
おそらく、みなさんの仕事においても、同じようなことはあるのではないでしょうか。
とても華やかに活躍しているように見えているときは、意外に敵がたくさんでき、周りから白い目で見られていることもあります。
会社の羽振りが非常によく、内部では大いに満足していたとしても、敵が外から次第しだいに忍び寄ってきたり、その業界の環境が悪化をたどったりするような事態が待っている場合もあります。
このように、正反対になることもかなり多いので、十分に用心していなければならないのではないかと思います。
幸福の科学は、2017年で立宗三十一年を迎えました。この間、「三十年もたてば市民権がだいぶ出てくるだろう」と思い、耐えるだけは耐え、しのぶべきは忍び、積み上げるものは積み上げて、一定の時間を置きながら、ただただやり抜くことを目指してきたのです。 天安門事件から29年 香港の民主活動家インタビュー「恐怖に支配されない」
2018.06.03
《本記事のポイント》
天安門事件は、中国共産党による一般市民への虐殺事件
香港の未来は中国の未来と密接に関係するため、中国内部から変革させる
民主化した中国の未来を心に描き、正しいと思うことを行動に移す
中国共産党による民主化弾圧事件である「天安門事件」から、6月4日で29年目を迎える。 香港ではその日を前に、民主化を求める団体の呼びかけにより、1100人規模(警察発表は約600人)のデモがこのほど行われ、中国共産党の独裁体制に抵抗する動きが起きている。
編集部は、中国の自由・民主主義の実現を後押しすべく、これまで数多くの民主活動家を取り上げてきた。今回、その一つである民主化団体「香港市民愛国民主運動支援連合会」の副主席であるハン・タン・チョウ氏のインタビューを紹介する(2016年7月号記事)。
中国内部を変革させる
――天安門事件について、どう感じていますか。
チョウ氏(以下、チ): 天安門事件は、中国共産党政府が軍事力を使って一般市民を弾圧した、虐殺事件であったと思っています。一般市民には、対抗する手段がなかったのですから。 ――活動を続ける中で、中国からの圧力を受けましたか。
チ: 中国と取引のある香港企業は、私たちの活動に加わる人々と関係を持ちたくないと考えています。自分たちの仕事に影響が及ぶからです。
つまり、中国政府は、誰かを捕まえて刑務所に入れるのでなく、ビジネス界に影響力を持つことで、見えない圧力をかけているのです。
ただ、1997年の香港返還後、中国政府が期待したようには、香港の人々が中国に親和性を感じない状況を見て、焦っていると思います。そのため、書店関係者の拉致事件(*)のような、力に訴える手法を取り始めているのでしょう。 ――香港は、将来どうなると考えますか。
チ: 香港の未来は、中国の未来と密接に関係しています。カギとなるのは、香港の人たちが、中国大陸の民主化運動を支え、中国を内部から変革させることです。香港だけに注目していても、香港を変化させることはできないと考えています。
(*)中国共産党に批判的な本を出版・販売していた香港の銅鑼湾書店の関係者が、2015年10月以降相次いで失踪した事件。
恐怖に支配されない
――香港の自由を守るために、他国をどう巻き込んでいきますか。
チ: 香港は、中国と世界をつなぐ中継地点としての役割を持っています。中国の民主化を目指す活動家を支援し、彼らの声を世界に伝え、国際社会から中国政府に圧力をかけたいのです。 気をつけなければならないのは、香港が孤立することです。中国大陸にいる人々とつながりつつ、世界ともつながっていかなければ、共産党独裁政権の弾圧に耐えて、香港が生き延びることはできません。
――これからどう活動していきますか。
チ: 人間は誰にでも恐怖心があります。
しかし、恐怖心は、自分が正しいと思う気持ちや行動に歯止めをかけてしまいます。だから、恐怖にばかり思いを向けるのではなく、民主化した中国で本土と香港の人々がオープンに語り合っている未来を心に描き、正しいと思うことを行動に移していきたいです。 8神も仏も名無しさん2018/05/21(月) 09:31:43.33ID:u2kOO7kG
🔥 信仰の法 第3章 未来への扉
2 「未来を見通す力」を持つ幸福の科学
幸福の科学立宗三十余年の歩みと今後の展望
1990年当時はバブル期が終わった時期ですが、あのころの日本の国際競争力は世界一でした。幸福の科学は立宗四年目に入っていて、機嫌よくやっていたころだったと思います。
世間では「バブル崩壊」というものが起きてきたのですが、当会はそのことをまったく気にもせず、「行け行けゴーゴー」で活動していました。
そして、「世間ではバブルが崩壊して大変なことを分かっているのだろうか」という感じのことをいろいろな週刊誌から言われ始めたのが、90年代の前半なのです。
私は、「それはよそ様の話であって、幸福の科学はこれから始めていくところなので、前途洋々です」と、気にせずにやっていましたが、新聞の一面と当会の動きとの乖離があまりに激しすぎたこともあってか、だんだんに睨まれるようになっていったのです。 1991年から95年までの五年間には、東京ドームを使って講演会をしていたのですが、あまりに激しい嫉妬の嵐と邪教の跋扈を見るにつけ、多少の責任を感じないわけでもありませんでした。
そこで、外部を刺激しすぎないような大人の態度で、ある程度時間を稼ぎ、基礎を固めなければいけないと思うようになったわけです。
特に、1995年はオウム事件(地下鉄サリン事件など)が起きた年でもありました。
当時、私たちは、「あれはよその宗教だ。当会には関係ない。むしろ、事件を解決するために当会は努力した」ということを主張してはいたのですが、世間では、「宗教はすべて、よいか悪いか、そのどちらかだ」という感じで、すべて一緒の扱いだったのです。
そういうことであれば、当会にも多少の責任がないわけでもないでしょうから、「もう少し静かめにいかなければいけないかな」と考えて、活動の仕方を変えていきました。
一般に向けての大きな講演会を減らす一方で、幸福の科学の精舎や支部などを全国に展開していったり、内部のストックとして、人材をつくったり、教育ソフトをつくったり、伝道ソフトをつくったりするようなことを十年ほど続け、当会の力をやや低く見せながら活動しました。 🔥 信仰の法
第一章 信じる力
1 一生懸命に道を求めてきた私の人生
私も宗教家として立つとき、周囲の無理解に悩んだ
本章は、建国記念の日に大分県で行った法話がもとになっていますが、幸福の科学に降ろされるさまざまな霊示では、大分や熊本、宮崎のあたりが、「日本という国の発祥」のころに大きな縁のあった場所と言われています。
そのことを心の片隅に置きながら、この国が二千六百年、二千七百年と続いてきたことに感謝しつつ、真理の一端なりとも語ることができれば幸いです。
「信じる力」と題しましたが、あまり難しくなりすぎないように述べていきたいと考えています。
ただし、「難しくない」ということは、「内容が悪い」とか「程度が低い」などということではなく、「多くの人に通じる、分かりやすい話」を目指したいということです。
さて、幸福の科学が1986年に活動を開始してから、すでに30年以上が過ぎました。実際には、私は1981年から天上界の霊示を受けているので、30数年にわたり、この真理の世界で活動をし続けていることになります。
そのように、一定の年数というものは、どうしても必要なところがあると思います。
実際に、長く続けているなかで、この活動がだんだん普通のこととなり、分かってくださる人も多くなってきました しかしながら、立宗初期には、この活動は、自分一人の問題だったり、家族だけの問題だったり、自分の周りにいる身近な人たちとの関係の問題ぐらいにすぎませんでした。
その間、私も、人並みにいろいろと悩むこともありました。
「人に説明できない内容を、どうすれば分かってもらえるか」ということで、ずいぶん苦労したのを覚えています。
一般に、会社を辞めるとき、ほかの会社に移るとか、別の仕事を始めるとかいうことだけであれば、理解してもらえる場合が多いかもしれません。
しかし、私の場合は、「天上界からの啓示を受けるようになって、すでに5,6年がたっている。このたび、新しい宗教をつくるつもりなので、会社を辞めて独立したい」
ということであったため、その相談をした相手からは、十人が十人とも反対されました。
さらに、「それはいったい、どういうことをするものなのか、分かるようなものを何かもってきてください」と言われたので、当時、すでに出版していた数冊の霊言集を見せたところ、相手は、余計にのけぞってしまったのです。
誰もが言葉を失い、まともにコメントできた人は一人もいませんでした。
「嘘だろう?嘘だと言ってくれ」「ここだけの話でもいいから、嘘だと言ってほしい」という感じの反応が相次ぎ、「いや、本当です」と答えるような状態だったのです。
彼らの率直な気持ちとしては、そのように「嘘だろう?」「勘弁してほしい」という感じだったようです。
今まで一緒に仕事をしていた仲間のなかに、天照大神や日蓮、あるいはイエス・キリストの声が聞こえる人物がいたなどというのは、信じがたいことだったろうと思います。 もちろん、「歴史上、そのようなことをできる人がいた」というぐらいであれば、どこかで聞く機会もあったかもしれません。
そういうものはあくまでも過去の話であって、歴史的にはあっても構わないとしても、「今自分の周りでそのようなことが起きている」とは思いもよらなかったでしょう。
「自分と一緒に話をしたり、仕事をしたり、食事をしたり、あるいは相談を受けたりしていた仲間、関係者の中に、そういう人がいた」という衝撃は大きかったようです。
また、初めてからしばらくは、私の家族の間でも、「うーん、困った」というような意見が多かったように思います。
「家族に一人ぐらいは、この世の中でしっかりと成功してくれる大黒柱のような人がいてほしかったのに、そちらの世界に行ってしまうのか。父親が、あの世の話が好きだったために、こんなふうになってしまったのか」
というような意見もあり、家族も大変だったでしょう。親戚も同じような状況でした。
したがって、それから数年後、数十年後に入った信者の皆さんの身に起きているような問題は、私が最初のうちにほとんど経験したことでもあります。 さらに、会社を退社後も、どこから聞きつけたのかはわかりませんが、ヘッドハンティングのような電話があちこちから入ってきたのです。
ときには、実家のほうにまで電話が入ることもありました。
今度、こういう会社を新しくつくるのだけれども、ぜひとも来てくれないか」とか、「給料を、以前の二倍でも三倍でも、言うだけの額を出す」とか言ったことをしきりに言われ、
私としては、「ちょっと違うんだけどなあ。そういうわけではないんだけどな」と思いつつも、うまく説明できないもどかしさを感じたのを覚えています。 奪うばかりでお返しができていない」という20代前半での気づき
あの当時の不安感のもとは、結局、「自分自身が、天上界からくる声というものを、どこまで信じられるか」というものだったと思います。
「霊的な声が聞こえる」というだけのことであれば、そういう人は、確かに、全国各地にいるでしょう。
沖縄にも、青森にも、それ以外のところにも大勢います。そうした人たちのなかには、街の小さな霊能者として活動している人もいれば、宗教を開いた人もいます。
ただ、当時の私のように何の実績もないものにとっては、「その霊的な声をどこまで信じたらよいのか」ということになると、やはり、自信がないのも無理からぬことではあったでしょう。
私は30歳にして宗教家として立つことになったものの、正直に述べれば、それまで生きてきた30年間を振り返っても、自分がこの世的に大きく道をそれなければいけないような理由や、さまざまな惑わしのなかに生きなければならないような理由は見当たりませんでした。
もちろん、「試行錯誤がなかった」と言えば嘘になりますが、どの年齢の時にも、どの時期にも、一生懸命に道を求めていたことは事実です。
何らかのかたちで真理を求め、自分を高めようとする努力は怠らなかったし、自分が誤っていると思うことに関しては、何とか努力してのり越え、自分自身の性格を変え、生活態度を変え、勉強の仕方や仕事の仕方を変えて、
「人々が納得してくれるような自分になろう」と努力をしたことも、困っている人を見たら、「何とかして助けてあげたい」と思ったことも事実です。
今と比べれば、若いころの自分は、もっともっと角が立つところがあったと思いますし、厳しくきつい言葉をよく使っていたようにも思います。
それでも、その根本においては、「何とかして、自分自身を、もっと世の中の役に立つ人間に変え多くの人々のためになる仕事をしたい」という気持ちでいっぱいだったと感じるのです。 また、大人になるまで育ててくれた両親への感謝も忘れたことはありませんし、「お世話になった人々へのお返しをしなければ」という気もちも多々ありました。
さらに、私自身、霊的な道に入るまでの二十年余りの間には、他人さまからしてもらったことがたくさんあったにもかかわらず、自分が他人に対してあげたお返しは、実に少ないことに気づきました。
「自分は二十余年間、他人から奪って奪って、「奪う愛」のなかを生きてきた。さまざまなものを奪って大きくなった。その間、自分の体もプライドも大きくなったかもしれないけれども、お返しという意味では、ほとんどできていない」
というようなことを実感したのです。
そのように気付いたのが、二次十代前半のころのことでした。
この世的には、何ら、犯罪的な行為をしたこともなく、積極的に人を害した覚えもありません。
ただ、それまでの人生そのものを振り返ったときに、「今、死ぬとしたら、自分は他人からもらってばかりで、何一つお返しができていない。もう、もらうばかりの人生だったな。もし、人生の『愛の貸借対照表』を記入してみたら、赤字ばかりで、全然だめだな」
と思ったのです。
若い人にとっては、そういうことを考えること自体が不思議に感じるかもしれませんが、その当時の私は、自分の人生を振り返り、「人からもらうばかりで、全然お返しができていないな」と思ったことを覚えています。 2 幸福の科学は、なぜ、大きな力を持てたのか
何もない状態から始め、組織の運営で悩み続けた立宗当初
その後、私は、社会経験を積みながら、何年かの霊的な格闘を経て、よくあるセオリーどおりではありますが、三十歳になったときに独立することになりました。
しかしながら、特に何か頼りになるものがあったというわけではありません。
すでに宗教団体があったわけでもなく、財産、あるいは土地や建物があったわけでもなく、実際上は、「何もない」状態でした。
あるものといえば、私が出した何冊かの書物を信じ、全国からバラバラと集まってきた人たちの協力ぐらいだったのです。
ただ、そうした彼らの心のなかにあるものも、まだ、「信仰」というものではなかったのではないかと思います。
まずは、「霊的な、神秘的な現象が起きているらしい。その神秘的な現象を起こしている中心人物を見てみたい」余いう気持ちで集まってきていたのでしょう。
私が初めて法輪を転じた日、一九八六年十一月二十三日を、「初転法輪記念日」と呼んでいます。
その日、東京の日暮里酒販会館というところで座談会が行われ、九十名弱の人々が集まりました。
当時はまだ少人数ではありましたが、来ていた人のなかには、いまだに当会の信者として頑張っている人たちもいて、本当に、とてもうれしく思っています。
19神も仏も名無しさん2018/04/30(月) 13:05:44.57ID:0z91sYSb
座談会の会場は、小さな会場ながらも全国から来た参加者で満員になってしまったため、私は会場内を通ることができず、会場脇のベランダ伝いに演壇まで行くという、゛危険な綱渡り”をしながら入場したことを覚えています。
そこで、二時間四十分ほどあった行事のほとんどを話し続けました。
聴衆は、いったい何が起きているのかはあまり分からなかったものの、「とにかく、これから何か大変なことが起きそうだ」という予感だけを持って帰ったのだと思います。
その最初に集まった九十人弱の人々が核となり、さらに、第一回の講演会や研修会を行っていったのです。 その最初に集まった九十人弱の人々が核となり、さらに、第一回の講演会や研修会を行っていったのです。
初めての研修会は琵琶湖畔で開催し、百八人ほどが集まりました。
この最初の研修会に集まった百人余りの人のほとんどが、その後、当会の職員になったというところからも、最初期の熱意がどれほどすごかったかがよくわかると思います。
様々な経歴を持った人々が職員になり、さらに、研修中、食事等の際のために分けた班の班長を務めた人のほとんどが、のちの役員になりました。そのような状態で始めたわけです。
ただ、当時はまだまだ鍛え抜かれた゛正規軍“ではなかったこともあり、
最初のころは、新しい人が入ってきては人材の入れ替えが起きたり、組織の運営の仕方等、いろいろなことでつまづきながら、ようやく、大きく回転するようになっていったと思います。
三年もすれば、かなり大きな会場でも講演会ができるようになっていました。 このように、私に降りてくる力は非常に大きく強いものではあったものの、この世での力というのは、まだ、練習を積み、実績を積みながら、少しずつ少しずつ進んでいかなければ信用を得られないような状況ではあったということです。
また、『聖書』に書かれた「先のものが後になり、後のものが先になる」という言葉どおりのことが数多く起きました。
必ずしも、最初のころに当会に来た人がリーダーになるわけではなく、三年後に来た人、五年後に来た人、十年後に来た人など、後から来た人のなかに、力のある人がだんだんと増えていったのです。
教団が大きくなればなるほど、力のある人が後からやってくるので、前からいる人と、あとから来た人との力関係の上下の問題なども出てきて、組織の運営に関しても、たいへん勉強をさせられました。
私自身も予想していなかったような人たちが次々とやってくるので、どのように運営していけばよいのか、悩んだりしたことも数多くありました。
実は、宗教では、そうした組織運営上の問題でつまづく人は多いのです。
これは、当会だけではなく、ほかの宗教にも言えることですが、教えや教義に対する疑問というよりは、たいてい、「組織運営がうまく回っているかどうか」といったところでつまづくことが多く、それを固めるのは非常に難しいことかと思います。 なぜ多種多様な教えを説いているのか
幸福の科学グループでは、政治分野、教育分野、芸術分野、その他、次々と新しい分野に進出しているので、そのつど、イノベーションが起きます。
その一方で、当会が新しい分野に進むことで変化が起きると、教団の性質が変わったようにも見えるため、それまで、「これを勉強して、このようにするのだ」と思っていた人のなかには、急にクラっときて分からなくなってしまうような人もいるわけです。
例えば、私の著書としてさまざまな本を発刊していますが、本によってまったく異なる内容が含まれていることに気づかれるでしょう。
ただ、それは、当会を支援してくださっている人を混乱させようとしているわけではないのです。
この世のなかには、いろいろな職業に就き、さまざまな分野に関心を持っている人がいます。
そうした興味・関心や立場の違う人々に向けて、「どこからでもよいので、自分にとって関心のある入り口から入ってきてください」という願いを込めて、幅広い内容の本を出しているのです。
そういう意味では、その一冊一冊が大事なものではあるのですが、それについて知っている人もいれば、知らない人もいるでしょう。
先ほど、草創期のところでも少し触れましたが、「天照大神の霊言」を発刊したときに、こんなことがありました。
当会が最初の事務所を開いたときにお世話をしてくれた人が、そのタイトルを見て、「『てんてるだいじん』って何ですか」と訊いてきたのです。
それには私もガクッときたのを覚えています。
確かに、戦後はそういう神話や信仰といったものに対する教育の部分が抜けていることも事実ではありますが、さすがに、「てんてるだいじん」と言われるとは思わなかったので、しばし絶句してしまいました。
日本の教育では、神話教育、信仰教育を限りなく排除していきましたし、宗教系の学校として認められているものの半分以上はキリスト教系ということもあってか、伝統的な信仰について、よく分からない人も増えているのでしょう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています