「愛されたい」という気持ちが苦しみをつくることもある

 若いころの自己研鑽や努力のなかには、ある意味で、「多くの人に注目されたい」というか、簡単に言えば、「愛されたい」という気持ちも多分に含まれているのだろうと思います。一般的には、私はそれを否定するつもりはありません。
 ただ、このなかには、「向上の原理」として使える面もあることは事実であるものの、残念ながら、苦しみをつくっているところも多いと言えます。
 世の中を見渡してみると、「私はあなたを愛しています」などと言ってくれる人に出会うことは、あまりありません。また、人が寄ってくるときには、大方は「何かを下さい」と言ってくるのではないかと思うものです。
 ただ、幸福の科学は、伝道活動をしたり、政治活動をしたりしているので、私自身、そういう人たちに対しても、もう少し心を開かなければいけないと思うところもあります。

 しかし、道を歩いていて、誰かがスーッと寄ってくる場合には、たいてい、何かのW頼み事”のようなものが多く、それにティッシュペーパーをつけて配っていたとしても、なかなか受け取れないものです。
もちろん、ティッシュペーパーの値打ちもゼロではないので、もらえること自体はよいものの、それでも、「もらったものをポケットに入れると、服が膨らんで見えるかな」などと思うだけで、もらわなくなったりします。
 ティッシュペーパーのようなものでさえ、受け取らないのですから、ましてや、宗教の伝道ということになると、みな、けっこう苦しんでいることでしょう。
 駅前で、道行く人に近寄り、「幸福の科学に関心はありますか」と声をかけたら、スッと逃げられるとか、あるいは、「あなたは悩みがあるのではないですか」と話しかけても、「放っておいてください」と、はねつけられる感じはあるでしょう。

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