【仏教】悟りを開いた人のスレ229【天空寺】 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もする事。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。
前スレ【仏教】悟りを開いた人のスレ228【天空寺】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1480289039/
●2ちゃん規制で書けない人は下記へどうぞ。
〓〓偽和尚 ◆qH7QdQmFhM管理人によるjbbs避難所〓〓
悟りを開いた人のスレ の避難所
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1348287392/
ご注意
IPアドレスは管理人に筒抜けです。
ID固定です。日が変わってもIDは変わりません。
その他は板のローカルルールを読んでください。
悟ったひとや悟れる人はそんなに心配無いけど書き込んで、
悟れない人達が安心を得られる何かいい方法や、そのほか
色色何でもを書き込みましょう。 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。
例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず、
「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
連想や記憶は雑念なのじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。
やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。 更にコピペじゃ。
未だ自我のある者は、更に感覚、感情、思考、分別知、認識などに観察を広げていくのじゃ。
前にも書いたが、感覚から先の観察は鐘の音などを利用すると、簡単なのじゃ。
感覚を観察するには鐘の音が鳴ったら、
「今、鐘の音が鳴った、聞こえている、だんだん音が小さくなるのが判る、今消えた」などと、
今、感じている感覚を観察するのじゃ。
その鐘の音によって生じる感情も、「耳が痛くてうざいと思っている・・・」などと観察する。
思考も「あの鐘は仏壇屋で買ったもっといいのが欲しかったと、考えている・・」などと
巻き込まれないように注意しながら観察するのじゃ。
物事を認識し、分別する心の働きは殆ど一つの動きになっている故に、鐘の音を聞いて、
「これは鐘の音・・・今、鐘の音と分別し認識した」などと、観察するのじゃ。
このように直接、心と体を認識する方法が、観の行の基本であり、
最もシンプルでスタンダードなものであると言えよう。
しかし、この方法はかなりの集中力と観察力が必要となる。
これをシステム化してやり易くした方法が、縁起の法や、空の法なのじゃ。
続き、さらなる詳細はこちらまで
■鬼和尚の仏教勉強会
http://onioshyou.blog122.fc2.com/ 人の心は縁起によって起こるのじゃ。
例えばものを見るという縁によって、それをあれこれと分別する心が起こる。
分別する心に縁として、それを好む、好まぬという感情が起こる。
好む、好まぬという心を縁として、執着と嫌悪が起こる。
執着するものを得られない、又は嫌悪するものから逃れられないという事を縁として、苦が起こる。
このように縁起によって自らの心を何度も何度も観察するのじゃ。
すると自らの心を観照する事が出来る。
自らの心を観照することによって厭離が起きる。
これが縁起の法じゃ。 わしは金剛経を読んでいる時、観照が起こったと前に書いたのう。
観照によってわしの自我は消え去った。そして静寂と安心が起こった。もはや守るペき自我が無いことにより、緊張と不安が消えたためじゃった。
そして、智慧が湧いた。
自我が消えた故に、自我の歪みを受ける事の無い、平等性智が起こったのじゃ。
わしはその智慧に問うた。
(ここでは言葉を使う必要上わしという主語を使うが、その時の心にわしは無かったと覚えておくのじゃ)
この境地が最後のものであるのか、すると自然に智慧が湧き起こり、答えが湧いて出た。
この境地が最後のものではない、未だ安心と静寂を認識するものが残っている、と。
そこでわしは更に認識するものを観察し、それが実体が無く、空であると観じた。
自我が消えてしまえば認識を破壊するのは容易であった。
空であると観じていると、認識するものが消えた。
そして、認識するものがなくなると、言葉やイメージで表せるものが全て消え去った。
そこにおいてはもはや見る者も、見られるものも、見るという事も無かった。
言葉もイメージも、記憶さえも無かった。
全てが無かった。
そして無でさえも無かった。
今、何年も経ってからでさえ語るべき言葉の無いものじゃった。
わしはそこで全ての技を捨てた。空であると言う観も捨てた。
そこでは為すべきことは無く、為す己が無く、為すという行為さえ無かった。 わしは再び問うた。(本当はもうわしは無いんじゃよ、わかっとるね?)
この境地が最後であるかと、智慧が答えた。
この境地が最後である。何故ならもはや為すべき事も、為すべき者もおらず、為す事も無いのだから。と、智慧が答えた。
そこには智慧があった。平等性智、大円鏡智、妙観察智等の智慧が全てあった。
無為にして坐り続けるわしの前に、一切の神秘が開かれた。
わしは世の一切が平等であり、空間さえも一つの同じ意識を共有しているのを感じる事が出来た。
わしは死の意識を知り、死がもはや無い事を知った。
死は意識の消滅ではなく、変化に過ぎないことを知った。
わしは経典の言葉が理解出来るようになった。お釈迦さまが何を言わんとしていたのか、判るようになったのじゃ。
世界は全て一つの意識で出来ており、それは唯一なるが故に、一つと数える事さえ無いものであった。
わしは長らく坐っていたようじゃ。
永遠の安らぎである涅槃がそこにはあったのじゃ。
わしは菩薩の誓いを思い出した。
悟りを得たら、再び地上に返って人々を導くと言う菩薩の誓願が、わしを押し止めた。
わしは定を解き、ここに帰ってきた。
自我は無くなっていた。
人と話をする為に擬似的自我を作り出したのじゃ。
この辺で良かろう。
ここにはもはや為すべき事も無く、為す者も無い、最上の境地である事が判った。
もはや為すべき事も、成すべき者も無い故に、最上であると理解し得たのじゃ。 今日はちょっと早いが、ある程度修行をした者に与える教えじゃ。
長く修行しているのに悟りを得られぬ者、心当たりの有る者は聞くが良い。
未だ数息観をしている者や、ヴィパッサナーを始めたばかりの者は読まないでも良い。将来、修行が止まってしまった時に、参考にするとよい。
さて、今世間にはわしが教えた物も含めて、さまざまなヴィパッサナーなとのやり方が伝わっておる。しかし、それらのやり方は実はヴィパッサナーではない。
ヴィパッサナーをしやすくする為の技に過ぎないのじゃ。
真のヴィパッサナーとは己を観察する事。
長く修行しても悟りを得られないのは、観察をしているようでいて、実は観察をしていないからなのじゃ。
観察するのに必要なのは、技ではない。
勇気なのじゃ。
己の心を勇気を持って観察する事が、真のヴィパッサナーなのじゃ。
それが出来なければ永遠に悟りは得られん。
人間の心は恐ろしい事や不安、嫌悪感、劣等感などがあるとそれらの感情から逃げようとする。逃げて見ないようにしたり、蓋をして忘れ様とさえする。
それらの逃げが、心を観察する事を困難にしているのじゃ。
それはもともと生き物に備わった本能じゃ。ゾウリムシでもミジンコでも、炙ってやると逃げていくように、人間も心に苦痛を感じると、それから逃げようとする。
その動きが心の観察を困難にしているのじゃ。
この逃避の働きが人の心に深く、深く根付いて行動の全てを支配しておる。
このように書くと自分の心には逃避などは無いと、思う者もいるじゃろう。それが完全な逃避の姿じゃ。
自分が逃避している事さえ自分に隠す、完全なる逃避なのじゃ。
もともと仏門に入る動機が、何らかの恐怖や不安、孤独からの逃避であった場合、悟りを得るのは更に困難になる。
悟りを得る為には、逃避してきた自分の心を観なければならないのだから。
そうような者は仏門に入る動機から、掘り起こして観なければならないのじゃ。
続くのじゃ。 U
真のヴィパッサナーをしようと思う者、本当に心を観察しようと思う者は、坐る前にこのように決意し、誓うがいい。
「私はいままで心の中にある恐怖や不安、嫌悪感、劣等感から逃げてきた。しかし、もう逃げはしない。心の中に現れるものを全て逃げずに観察する」
と、自分自身に強く誓うのじゃ。
そして坐るがいい。
もはや逃げないと、今まで逃げて隠したりしてきた恐怖や不安、嫌悪感、劣等感、孤独感、悲しみ、苦しみなどが襲ってくるじゃろう。
そなような思いを、誓った通りに逃げずに観察するのじゃ。
恐ろしいなら恐れていると、不安なら不安だと、嫌悪するなら嫌悪していると、劣っていると感じるならなら劣っていると感じていると、孤独なら孤独だと、全て観察するのじゃ。
この今まで逃げていたものの観察は、非常につらいものじゃ。
泣きたくなることもあるだろう。そのような時は泣いてもいい。
苦しみにもがきたくなることもあるじゃろう。そんな時はもがくがいい。
そして、悲しみの故に目から涙を流していると、苦しみを因としてもがいていると観察するがいい。
修行は誰かに見せる為のものではない。涙を流し、もがき苦しみ、狂える者の如く這い回り、ちっぽけな自分に絶望し、それでも観察し続けるのじゃ。
何もかも観察するのじゃ。
いつまでこんなに悲しみ、苦しむのかと思ったら、そのように思っていると観察するのじゃ。
もう止めたいと思ったら、もう止めたいと思っていると観察するのじゃ。
何が心に浮かぼうと、観察し続けるのじゃ。心に生じる何もかも、全てを観察するのじゃ。
そのように何もかも観察し続ければ、しまいには自我を支えるものが全て解体し、坐る動機も意味も無くすじゃろう。坐る動機が無くなった時、坐る意味も無くなった時、始めて本当に坐る事が出来るじゃろう。
そのようにして坐った時、真の観察である観照が始る。
何が観察しているのか、観察しているものは何なのかと、観察しているものの観察が、主体無くして起こるじゃろう。
その時が来るまで観察を続けるのじゃ。 日本人は演歌や踊りをしない民族www
サイレントを楽しむのも悟りwww
笑っちゃ魚www もう来ないだろうし、丁度ええやろ
前スレも消えてるし >>1 ご苦労さんなのじゃ。
>>2 から読んで修行あるのみなのじゃ。 俗物は無責任な非国民である。国の主体は世俗生活ではないのぢゃ
俗物は裏切者の売国奴である。俗習と蓄財しか頭にない俗物は国を裏切るのぢゃ
俗物は無知蒙昧で暗愚魯鈍な国崩しである。そのうえ低俗ご都合凄まじい (-人-) 世俗の生活など「私事」に過ぎないのぢゃ。俗物は下等生物である自覚を持たねばならない (-人-) 日本が一度つぶれたようになり、神も仏もない世界が来るのぢゃ。東京も一時、土に還るからそのつもりでおれ (-人-) 日は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は血の色となるぞ、流れも血ぢゃ
人民四つん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ
大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとして
神でも逃れることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ
(-人-) オロシアにあがりておりた極悪の悪神、いよいよ日本に攻め寄せて来るぞ
北から攻めてくるときが、この世の終り初めなり (-人-) 江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ (-人-) 煩悩の奴隷になると・・
一生涯苦しみを伴うことになる^^ 29.
それは生活の問題である。
それは宗教の問題ではない。
それは人生論であるよ。 けど・・^^
縁起の世界において・・
煩悩の奴隷で生きてると・・
他の人に迷惑がかかる^^ ないぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
となる^^ ではなにがそこにはあるのか・・・^^
そこには変化生滅だけがある^^ すなわち・・^^
これだけがある^^
「無知 (無明) が滅すれば行為 (行) が滅し,
行為が滅すれば意識 (識) が滅し,
意識が滅すれば名称と色形 (名色) が滅し,
名称と色形が滅すれば六つの感覚領域 (六処) が滅し,
六つの感覚領域が滅すれば接触 (蝕) が滅し,
接触が滅すれば感受作用 (受) が滅し,
感受作用が滅すれば欲求 (愛) が滅し,
欲求が滅すれば執着 (取) が滅し,
執着が滅すれば生存と呼ばれる成熟した業 (有) が滅し,
生存が滅すれば誕生 (生) が滅し,
誕生が滅すれば老衰と死 (老死) が滅する。」 諸行無常−−− すべての存在は移り変わる
是生滅法−−− 是がこの生滅する世界の法である
生滅滅已−−− 生滅へのとらわれを滅し尽くして
寂滅為楽−−− 寂滅をもって楽と為す
「生滅を滅し終わって、寂滅をもって楽となす」
すなわちこうなる^^ 36.
それは因果関係の問題である。それは科学の一部である。
そんな一部でもってして何が解決するのか。
それは宗教ではない。
それはたんなる人生論である。 道とは何は〔76〕上堂「何かしゃべつたものかどうか、道を体得した上での発言なら、一日中
しゃべつてもみな道にかなつているが、道を体得しないままでの発言なら、一日中みな俗物である、
まあ言ってみよう、道と物とは一体か別か」。 ゾクゾクして答えるのは落とし穴に嵌るのか?
でも答えなきゃ2ちやんでは困るし運命も運命具合にきまつているのか?とおキーの中過去が
きまつているのは私にも解るけどそれは未来空見える如来と同じDVD現象化つまり我々には良く
わからんけど運命のなかで今撮された日仮の中で我々は身得ている野鴨?でも過去現在未来に変わ
らなく永遠に存在するものが学んでいくカラー未知が道になるのか今朝も行を重ねて長くしている
だけでは無いのか意味は殆ど何も無くそれは無意味かでもデタラメではない時間もないのだから(
笑)が無い今朝はつまらないつまり運命なんて分かる人には分かるし解らない人には解らない法則に
なつている今朝は落とし穴の中でもがいているけどオチが内 サイコパス臭いな
宗教は奴隷術で公にバレないやり方で人が殺傷されてるようじゃ因果律も説得力がない これは〜…こうで〜…こうなる^^
↑
例え正当な主張でもこの一連の流れ自体そのものが余計事だ
他人に示すにしても、教理教説長文なんて誰も読まん。くだらん自己満足だ
すなわち・・^^
これだけがある^^
↑
ない このスレのコテハンアイドルは僕だけでいいから(良心) まこと、いや、鬼和尚は、何もしゃべれないようだなww その先に何があるのか
そっからやで
空海はそうやった
旅に さあとりあえずの私は今おもつた。
過去は動使用も無い 今は無理せずに出来るだけ動(笑)
未来はボケでもガンでも最終的に死ぬや個の身が牛NOW場仮と何でも受け入れ
実工できれば即悟り真下 でも思うばかりの悟り鏡磨の七日
頭が悪いのに級級して囲碁が来たら何でも受け入れるのが悟りな野鴨
あの日の風景 https://www.youtube.com/watch?v=5McuAFTS7vs さ〜って、今日は禅会!八十のじい様にマジって座るか 空海さんについて微塵も知らないんだよな…調べるかな? >>43
まぁまぁ、そう仰らずに。
俺は因果ちゃん好きだぜw 気が変わったんだ。僕以外の適役ってきっといないよ!
スレを活気づかせて、色んな人の話を聞くのは勉強になるからな ・・・それは旅行である。
とかまことが言うに200ギルバード。 まだまだ練るのはこれからだな…
精進精進、怠らず励むぞ
適度に励むぞ
修行するぞ修行するぞ修行するぞ ピッチピチの22歳だからな〜部屋でダラダラじゃもったいないかな。
どっか行くか… 長阿含経という古いお経では、
お釈迦さまの章の一番最初が「お釈迦さまが国王に説いた強国の育て方」に始まります。
その強国の条件こそ「君臣の上下関係や長幼の順を守りましょう。しかしどっちが偉いではなく、上下長幼お互いに敬いあいましょう」
という「このように生きるべきだ」なのです。
「修行=誠実に生きる=善い社会のあり方」
なるほど…六波羅蜜の実践を止めずに励むのが大事やな。 どっか行くか…ヾ(ーー )ォィ
行くやつはもう行っているw 個が落ちて「あなたも私」状態なら社会を良くしたいと思うのはしゃあない。
人に貢献したいと思うのもしゃあない。
六波羅蜜を実践し続けることで、修行となり、そして苦しむ人に光を灯すことになるのか…
必要以上の仏教論理を並べても、誰も聞きたくないもんな。
時に、詭弁に見えるような事をいって他者の顰蹙を買おうとも、そいつを密かに導く。
自在なら何にでもなれる。羅漢でもコソ泥でも傘でもニートでも。
つまり道端の石ころだな。駄文おつかれ >>71
因縁果君に似てきたぞw
彼女はお前さんみたいなヤツをおちょくるのが大好きなのじゃ。σ(゚・゚*)ンート・・・ なんで糞を呼ぶようなレスを書くんだ、お前は
バカか 逆にとりましたか。因縁果君は天女趣味はないと思うよ。
義見てせざるは勇なきなり何て、たまにするけど。 中毒になったwww
けど、もう時間ない^^;出掛けなあかん;;
おしゃぶりを取り上げたら、赤子はワーんと泣く。
僕にとってのおしゃぶり=ウンコ様www
癒しw 来世(生まれ変わり)のために現世で徳を積むという考えは身につけたいのですが、どの宗派がよいのでしょうか?
スレチで申し訳ありません >>83
まなぶなら仏教系の学校や仏教講座だろうけど、
身につけるとなると、地道に陰徳積むしかないのでは? 糞ジャップどもは早くこの和智に権力を与えるのぢゃ
そうすればベーシックインカムを導入し、誰も飢えずに済むようにし
独りっ子制度で人口を適度な数に制限しつつぢゃな
卵食、幼魚食を数年間禁止して稚魚を放流し河川を蘇らせ
植物の種を三角コーナーに廃棄するのを禁止して
杉山を伐採して、そこに種をランダムに廃棄させれば食えるものが増やせるし
ムダな杉はペレット燃料にして暖房の燃料に利用させて
とってもエコな国を創れるのぢゃ。そうしないと強硬策が発動して
第三次世界大戦が起きて、世俗の凡愚どもは無惨にくたばる運命なのぢゃ (-人-) 明日が仕事納めかもしれんなwww
3月まで何しようかなwww
寒い所で痩せて、食わないで、じっとしてるって苦痛だなwww
できねーなwww
笑っちゃ魚www 植物の種を堆肥で包んで団子状にし、航空機で空中散布させて
食べ物の豊富な山を作るのぢゃ。これが「ウンコ爆弾」なのぢゃ
そうしないと第三次世界大戦で凡愚どもが地獄を見るのぢゃ
もう経済社会は日本に不要なのぢゃ。金儲けは糞くだらないのぢゃ (-人-) >>91
出稼ぎに行けよ農夫。役所で出稼ぎ手帳を交付してもらえよ 糞ジャップどもには、3年ほど明太子やイクラ丼や白魚の踊り食いや縮緬雑魚を食うのを我慢させるのぢゃ (-人-) 石屋は世界人口を大激減させようとしとるのぢゃ
でもそれは間違いではないのぢゃ。多過ぎるのぢゃ
ジャップ国の面積は377000㎢なのぢゃ。それを1億2千万で割ると
本来ならば1人辺り50㎢が必要なのに1㎢も割り当てられないのぢゃ
だから高確率でジャップ国など人口過多な国はターゲットにされるのぢゃ
食糧の自給率も低いし燃料資源も乏しいのにジャップ国はヤバいのぢゃ (-人-) アフリカの子供は丸一日中カカオ畑で働いても
一度もチョコレートを食べた事がない子供が沢山いるのぢゃ
ジャップが沢山食べてるのぢゃ。これも軍事面が主力となる国力の恩恵に過ぎんのぢゃ (-人-) 家は凍っちゃうし、猫は餓死しちゃうだろwww
笑っちゃ魚www 優生学は、非人道的とも言える学問思想であるが
それと同時に、これでもかと言うくらい大正解な学問思想なのぢゃ
だから和智は口を酸っぱくして、先天性の障害児はキュッと〆ろと言うとるのぢゃ
残酷な意見なのは百も承知で言うとるのぢゃ
人間は賢く正しく調和に基づいて環境に適応して生きた方が良いのぢゃ (-人-) >>97
ロシアの家はすべて二枚壁の間にパイプを通しており
湯沸し器のお湯を通して暖を取っておるから、室内に暖炉は不要なのぢゃ あたまわりーんだからなwww
ほんと、なにかんがえてんだかwww
笑っちゃ魚www ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています