これな深山よ、この話題をよく吟味しこれからの先行きを見よ。
己が阿含の会費を納めた会員であったことが無かろうが在ろうが
如何でも構わない。君の存在とはホンマに些少な微々たるものよ。
先の師匠桐山師の法力実在と佛力は目前で見て小生はよく存じておる。
この様な諺を知っておるか?『行者は一代限り』今も尚継続している
多くの新興宗教団体は、初代の祈祷力の功により存続して居る。
幕末から明治時代発生の天理教がその代表格とみても好かろう。
知人があの天理市の教会に寝起きし奉仕に励んだ時に、先達と言うか教師各の
年配者にこうお尋ねしたそうだ。
『なるほど初代の教祖様の神力は信じます。今は如何なんですかそれは在りますか』
お答えはこうだった『あれとは時代が変わって今は不要になった』とのこと。
その知人は、こりゃ私の人生に用が無いのでご奉仕は止める事にした、 のだそうだ。
もっと簡明に云うなら、<宗教の機能は人の救済なり>である。
難しい理屈は学者にやらせておけばよいものだ。
深山さんがつべこべ言うのはホントに無駄、二代目が救済力を発揮すれば
阿含は継承されるし、救済力が無ければタダの屁理屈なのだ。
法力顕現して人類救済の道開くべきか?加持力発現在りや無しや。
じゃによって社会から無用になれば教団が消滅せざるを得ない。
故に深山君は飯のタネ 釈迦直伝である阿含の継続を強く祈るべし。