阿含宗という宗教273 [無断転載禁止]©2ch.net
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このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
以下、初代「口下手番長」さんの宣言文。
皆さん阿含宗という宗教団体を知っていますか?
今では伝統宗教のようにふるまっていますが昔は自ら作ったインチキ
超能力で民心を惑わしあのオウム麻原を生んだとんでもない宗教団体
です。(オウム麻原と桐山靖雄を比べればそっくりであることに気が
付くでしょう)桐山靖雄の過去も疑わしい点があります。
偽ビール事件で実刑判決を受け、学歴詐称を行い(初めは早稲田の卒
業と偽り、それがばれると、日大の芸術学部と偽った)、実際は僧歴
もないのに、僧歴を偽るなどの悪行を行ったのです
現在も金銭の見返りに世界各国から勲章をもらうなどしてますし(池田
大作に模倣して??)インチキなノストラダムス本を書いてまた民心を
惑わし続けています。
皆さん、こんな宗教団体に騙されてはいけません!!
阿含宗の信者だった、もしくはそこの内部事情を知っている方ここへ書
き込みしていただけませんか?宜しくお願いします。 >>195 名無しさん 2016/11/28(月) 16:19:18.09 ID:igHa2k49
>だから御利益取引信仰などのバカげたことをするわけだな。
誰がどう見たって、私や深山さんよりもあなたの方が未だに御利益取引信仰を
しているとわかります。
そうでない、自分は御利益取引信仰をしていないと言うのなら、あなたがアゴン宗の信仰を
何を目標にしているのか?どのようになりたくて信仰しているのか具体的に書いてみなさい。 >>194 すべての欲を禁じるならば、害する欲とか悪い欲とか注釈するわけがないからな。単に欲と出ている場合は、悪い、害するが省略されているの。
釈迦牟尼の原始仏教思想では、善欲とか悪欲などには
区分けしてないんじゃないの?
原始仏教では徹底した無欲・少欲を奨励したんだから、
病気を治したい健康欲も、自身を励む向上欲もダメでしょうがネエ。
そういう欲を認めたのは大乗仏教で、成仏を願う大欲を煩悩即菩提!
なんてそういう向上欲があるから成仏するとやっちゃった。
それじゃ釈迦牟尼原初の煩悩からの解放を閉ざしてしまうよねえ。
向上欲って、聞いた感じでよさそうだが、それでは執着が出やすいから、
欲そのものは良いとか悪い「欲」の問題ではないんでしょうよ。
それを認めると、如来に布施して期待してよいバカげたご利益信仰が
奨励されるって現象は、阿含教団の経営基軸なんじゃないの?
だからそのような理屈を手放せないで、利いた風なことを訥々と、
恥ずかしげもなくお喋りをしちゃうんだろうなあ。
まあ極論すると生存欲まで否定され兼ねない釈迦牟尼の教えには、
>>201のユビキタスさんが例えに出してる白楽天の言葉のように、
私も含めて大概の人は付いていけないよなあ。 バカにつける薬はない。釈迦があんなに歩き回って教えを説いたのは多くの人を助けたいと思ったからだよ。いわば仏の欲なのだよ。悪い欲と善い欲の区別をつけるのが基本だよ。すべての欲を否定するのは単にバカなのだよ。 有名な中村元先生の大パリニッバーナ経訳から取り上げる。「仏教は欲望または欲求を抑圧することを説いたのではなくて、悪い欲望を制することを教えたのである」と、中村元先生は書いている。修行僧たちが衰亡しない七つの教えのところに書いてあるよ。 >>203 名無しさん 2016/11/29(火) 17:41:54.24 ID:A+IFNjk/
>バカにつける薬はない。釈迦があんなに歩き回って教えを説いたのは多くの人を助けたいと思ったからだよ。
「人を助けたい」の「助けたい」の具体的内容は?
実は病気で困らぬ健康の道も金で困らぬ富貴の道も示していない。
説いたのはその人の心の問題だけです。
煩悩や執着に囚われることは苦です。
しかし本人自身が決して苦と感じてすらいない例も多い。
快楽だと思っている。欲望を追求するのが快楽であり、生き甲斐だと思ってあくせくしている。
しかしその生き方自体が苦なんだよとはこれはもう悟りの世界です。
悟った人にしか実感できない。
だから釈尊が衆生に説いた救いとは自ら気づかせ悟らせる道です。
悟ることにより欲望も煩悩も捨て、その人は人間として当たり前に受ける病気や老化、
その他諸々のアクシデントは受け入れながらも、しかし必要以上に煩悶もしない。
それよりもあくせくとあさましい欲望に囚われて来たその苦から脱出できて
その人の心は軽くなるのです。
それを普及しているのです。
釈尊の救いとはそれしかない。 >>204 名無しさん 2016/11/29(火) 18:46:44.58 ID:A+IFNjk/
>有名な中村元先生の大パリニッバーナ経訳から取り上げる。
>「仏教は欲望または欲求を抑圧することを説いたのではなくて、悪い欲望を制することを教えたのである」
>と、中村元先生は書いている。
>修行僧たちが衰亡しない七つの教えのところに書いてあるよ。
都市が衰亡しない条件をよく読んでみなさい。
為政者たちが現実的な努力をしているからだ。
防災とか防護とかの準備もよくしている。
精神的なこととしては先祖を大切に祭ることを挙げているが、それはアゴン宗みたいに
守護霊だの霊障を解くだのオカルトな話ではない。
自分たちの土地、地域を豊かに安全に暮らせるように努力してきた先人たちを敬うことです。
現実的な努力をしてきた人を敬うことにより、自分たちもまたこれに倣って努力して
繁栄する道が開けるのです。
つまり釈尊は繁栄を否定していない。繁栄のための精励、勤勉を奨励している。
だから一家を養おうという欲望を持ち、その為に勉学に励み、よい仕事をして
よい報酬を得る道は否定しておらず、奨励しているのです。
それをしない人は怠惰という煩悩で片付けられる。
然るにそのような現実的努力をして、繁栄したいという欲望を叶えていくのならよいが、
これを宗教的儀式や祈りで達成しようというのは如何なものか?
これはムシのよいおねだりであり、あさましい良くない煩悩であり、悪い欲望ですよ。
だからそういう依存の心を捨てるように説いたのです。
祈りなどにより繁栄を目指すのが宗教だと言うのなら、釈尊は反宗教の人です。 ♪ ♪ \\ ♪ お〜布施は続く〜よ〜 ど〜こま・で・も〜 ♪.// ♪ ♪
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>>203 : 名無しさん2016/11/29(火) 17:41:54.24 ID:A+IFNjk/
>釈迦があんなに歩き回って教えを説いたのは多くの人を助けたいと思ったからだよ。いわば仏の欲なのだよ。
だから、釈尊は解脱しようという欲望は肯定しているのです。
アゴン宗の大好きな欲神足がそれです。
他人に解脱の欲を起こすように勧めることも当たり前です。
だが、これ以外の欲はすべて制御するように説いている。
食欲、睡眠欲、性欲、名誉欲、つまり桐山さんや1.5来補さんが
欲して止まない欲望はすべて捨てるか制御しなければならない。
食欲と睡眠欲は肉体を維持するのに必要最小限にして、
性欲と名誉欲は捨てるのが出家であり、在家もこれに準じます。
それなのに、桐山さんは性欲のままに愛人を持ち、名誉欲は大作さんを
追いかけ、食欲のままに美食飽食をして糖尿病から脳梗塞を発症した。
1.5来補さんは女にもてなかったから性欲は満たされなかったが、
食欲のままタダ飯タダ酒を貪り、糖尿病になった。
解脱への欲望とは精神的な欲望で、そういう意味では高尚な欲望だが、
桐山さんと1.5来補さんの欲望って、本能的な肉体的な下品な
欲望そのまんまです。
未だに1.5来補さんも運命が変えられないなら仏教など
価値がないなどと御利益を欲求している。
これだけレベルの低い「悪い欲望」にまみれている1.5来補さん如きが、
良い欲望、悪い欲望なんてよくまあぬけぬけと主張しますね。
まるで風呂にも入らない人が衛生について他人にお説教しているような光景です。
本当に厚かましい。 >>204 : 名無しさん2016/11/29(火) 18:46:44.58 ID:A+IFNjk/
>有名な中村元先生の大パリニッバーナ経訳から取り上げる。
>「仏教は欲望または欲求を抑圧することを説いたのではなくて、悪い欲望を制することを教えたのである」と、中村元先生は書いている。
>修行僧たちが衰亡しない七つの教えのところに書いてあるよ。
また書いていない文章を読んでいる。
引用した中村博士の文章のどこに、どこに1.5来補さんとのいう
良い欲望と悪い欲望という分類があるのですか?
そんな分類はどこにもない。
欲望を抑圧するにではなく制御することを説いたとあるだけです。
釈尊が説いたのは欲求の抑圧ではなく、欲求の制御です。
だから、煩悩が出てきたらまず観察から始まる。
1.5来補さんには説明してもわからないだろうが、
煩悩が行為に出てきたら、煩悩とそれを観察する自分とを分離するのです。
1.5来補さんが煩悩と表裏一体、入我我入していることは、
二言目にはバカを連発することからもわかる。
すぐに人を侮蔑して、バカを連発して口汚く罵っている自分を観察する、
これが釈尊の説いた方法です。
1.5来補さんはやったことがありませんよね?
なぜなら、もし一度でも自分を観察したら、バカを連発なんてできなくなる。
あなたは自分を観察したことがないから、バカを連発できるのです。
これが欲望の制御の第一歩で、欲求の抑圧など説いていない。
これがアゴン宗の大好きな三十七道品であり、この切り口で
説かれているのが四念処で、制御の仕方も説かれている。
1.5来補さんも桐山さんも、三十七道品などとお題目のように
唱えるばかりで、実際の中身をまるで知らない。 >>204 : 名無しさん2016/11/29(火) 18:46:44.58 ID:A+IFNjk/
>修行僧たちが衰亡しない七つの教えのところに書いてあるよ。
「また修行僧たちよ。修行僧たちが未来の世に、悪い欲望をいだかず、諸々の悪い欲望に
支配されない聞は、修行僧らよ、修行僧たちに繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。」
(ブッダ最後の旅、中村元、20頁)
中村博士の言葉よりも、上記の釈尊本人の言葉を読んではどうですか。
本人が説明しているのに、なんだってわざわざ学者の解説だけを
引用しなければならないのだろう?
これは釈尊が説いた、七つの衰退の来ない法、です。
1.5来補さんは目の前にあっても気がついていないようだが、
釈尊のいう悪い欲望が何であるかは、その前後に述べています。
無い言葉を読まずに、有る言葉をそのまま読んだらどうか。
「修行僧たちが動作を喜ばず、動作を楽しまず、好んで動作に従事しない」
「修行僧たちが談話を喜ばず、談話を楽しまず、好んで談話に耽らない」
「修行僧たちが睡眠を喜ばず、睡眠を楽しまず、好んで睡眠に耽らない」
「未来の世に、修行僧たちが社交を喜ばず、社交を楽しまず、好んで社交に耽らない」
「修行僧たちが悪友をもたず、悪い仲間をもたず、悪い同輩をもたない」
(ブッダ最後の旅、中村元、20頁) >>204 : 名無しさん2016/11/29(火) 18:46:44.58 ID:A+IFNjk/
>修行僧たちが衰亡しない七つの教えのところに書いてあるよ。
悪い欲望とは、動作を喜び、談話を喜び、睡眠を喜び、社交を喜び、
悪友を持つことです。
悪い欲望の代表をその前後に並べて、悪い欲望に囚われるなと説いている。
1.5来補さんは七つ並べられると、何か順序があり、七つという
数字に意味があるかのように思いこんでしまう。
釈尊は同じ事をただ七回繰り返しているだけです。
釈尊の、七つの衰退の来ない法とは、何か新しいことを説いたのではなく、
「煩悩に囚われるな」といういつもの教法です。
だから七つ目にあるのは、涅槃に至る歩みを止めるな、です。
涅槃とは煩悩からの解放ですから、七つ目も前と同じ事を説いている。
せっかく釈尊が煩悩からの解放を理解させようと七回も
同じ事を繰り返し述べているのに、1.5来補さんはこれを別々な話と受け取る
ばかりか、良い欲望と悪い欲望なんて、書いてもいない分類を勝手に始める。
仏教は桐山さんや1.5来補さんの宗教ではなく、
釈尊が説いた宗教なのだから、説いたことは説いたままに、
説かないことは説かないままに理解することです。 ♪ ♪ \\ ♪ お〜布施は続く〜よ〜 ど〜こま・で・も〜 ♪.// ♪ ♪
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ノ /, ― ' \| , ===ミ. V 、 / \ | | \/ \ ○ノ
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『舎利弗の真実に迫る』講義41 家庭内いじめ
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_1931.html
「種村偽守護霊 ええ?
だからねえ、この教祖の奥さんの意見、聞いたらさ、うちと一緒なんだよ。
うちの奥さんもさあ、同志社の神学部を卒業してっからさあ。
『卒業してる』ってんで、俺をいじめまくっとったからさあ。
で、『金儲けも、私の方が上だ』って言ってるから・・・・。」
(『舎利弗の真実に迫る』P205)
<解説>
これは元妻に対する誹謗です。
私のことを誹謗されるのは構いませんが、関係者に対してまでそれをされようというのは、人間として終わっているように思います。
私は元妻から、大学を卒業したか中退かで議論や口論になったことは、一度もありません。
まして元妻からいじめられたことは、一度も経験をしておりません。
「金儲けも、私の方が上だ」という話も、経験がありません。
彼女はお金をためるのが上手でしたので、しっかり蓄えていたと思います。
私は大川隆法氏と違って、別れた妻のことを悪く言いたくありません。
その時期はその時期で、支えて頂きましたので、感謝しています。
『舎利弗の真実に迫る』講義42 ベンツが買えるらしい
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_6242.html
「種村偽守護霊 できるだけ多くの信者の皆さんに、ついてくるように呼びかけてください。
里村 できるだけ多くの信者さんに、これをみて頂きます。
種村偽守護霊 だから、百人、集まったら、食っていけるから。
「ベンツが買える」と言われているから。
里村 まあ、「五人が三人になり、三人が二人になる」と思います。
種村偽守護霊 信者が百人いたら、教祖はベンツに乗れるそうだ。
だから、とりあえず、百人、集めたいなあ。」
(『舎利弗の真実に迫る』P208)
<解説>
「百人信者がいたら、教祖はベンツに乗れる」というのは、かつて大川隆法氏が話していたことを思い出しました。
いつだった思い出せないのですが、
「変わったことを言われるなあ。そういうこともご存じなんだな」
と不思議な感じがしたので、記憶に残っています。
私はといえば、車の運転が下手なので、ベンツを買うという発想がありませんし、
ベンツがいくらするのかも興味がないので知らないのです。
信者がいくらいたら食べていけるかなんて考えたこともないのは、私に教祖願望がなかったことの根拠の一つになるのかもしれません。
いずれにしても、ここも、私の人格への侮蔑を感じると同時に、大川隆法氏の価値観を学ばせていただけたと思います。
『舎利弗の真実に迫る』講義43 出家のいきさつ
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_8075.html
「大川隆法 まあ、初期のころには、人の選びようがなかったし、来てくれる人はありがたかったですからねえ。うーん・・・。」
(『舎利弗の真実に迫る』P210)
<解説>
何となく私が勝手に来たような印象を与える言い方ですが、私は大川隆法氏に呼ばれて、生長の家を辞めて幸福の科学に入りました。
大川隆法氏は覚えておられるかどうか知りませんが、こういうことは当事者はよく覚えているものです。
私は会員番号は227番だったと思います。
1986年の秋に事務所が出来て、その一ヵ月後ぐらいに、西荻窪駅徒歩7分の所にある原久子さんの自宅の一室の事務所を訪ねました。
そのときは、山口さんと安田さんがいました。
生長の家の名刺を置いていきました。
何日かして、生長の家本部の私の職場に、大川隆法氏の秘書の原久子さんから電話がありました。
原久子さんは、大川隆法氏の指示で私に電話を下さったのです。
こうして原久子さんとお会いして、大川隆法氏からの協力要請をいただきました。
生長の家に在職中に善川三郎氏の小冊子のワープロ打ちを手伝ったりしました。
原久子さんからは、大川隆法氏が5000円で個人相談するから、何か相談するように言われました。
将来のことを聞いたと思うのですが、谷口雅春先生の霊言で回答がありました。
私は釈迦の弟子であるから、幸福の科学を手伝うように。
生長の家の信者をいくらか幸福の科学に寄越したいという話もされました。
このときは「釈迦=大川隆法」と信じていましたので、釈迦弟子ということは、当然大川隆法氏の弟子だと思い込んでいました。
しかし、大川隆法氏が釈迦でないことが明確になると、私は過去世で釈迦弟子であったご縁で、幸福の科学に呼ばれたということになります。
仏陀は天上界から、大川隆法氏を一時期指導されていたと思いますので、天上界の仏陀から幸福の科学に呼ばれたと解釈したいと思います。
翌年の1987年の秋には、幸福の科学は職員を採用することになりました。
私はその時に呼ばれました。
職員番号は、確か11番だったと思います。
生長の家を退職するときには、幸福の科学の編集部への就職が決まっており、生長の家時代と同額の給与をいただけるということでした。
私の給料が低いので、非常に驚かれたことは覚えています。
だから、大川隆法氏は、私が忘れている給料額を、いまだに記憶していて、この本にも書かれているのでしょう。
『舎利弗の真実に迫る』講義44 釈迦の生まれ変わりではない
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_626.html
「大川隆法 (種村氏は)名無しの権兵衛です。
いろいろな宗教に、ちょこちょこ手を出して、宗教的なものを学んではいるのだろうけれども、智慧第一でも何でもなかったようですね。
こうしてみると、初期のころ、高橋信次霊に、いろいろと悪さをされたかな?」
<解説>
私は過去世で名前が残るほどの仏弟子ではなかったというのが、大川隆法氏の現在の認定です。
「初期のころ、高橋信次霊にいろいろと悪さをされた」という弁解はいただけません。
この人はすぐにこうして責任を誰かに転化しようとします。
この方の言い訳には、潔さが感じられません。
それに、私の過去世認定は、大川隆法氏自らの言葉としてなされたのであり、高橋信次霊の霊言で言われたのではありません。
大川隆法氏は最初の頃は高橋信次氏に相当頼っていたのは事実です。
いつ頃でしょうか、他の高級霊が霊言を降ろさないと言ってストライキを起こされた時期がありました。
その時も高橋信次霊の霊言だけは降りていて、出版していました。
大川きょう子さんに聞いたところでは、イエスキリストや仏陀は、精神統一してしばらくしないと降臨されないのに、高橋信次霊だけは呼ばれると、すぐにきたそうです。
波長的に見て高橋信次霊に一番波長が近かったのだと思います。
その後、大川隆法氏は仏教路線に入った時期に、仏典や仏教の研究書を1万冊読んだということですが、
ここまで読んではじめて高橋信次霊の嘘を見破れたというので、「方便の時代は終わった」と宣言して、
高橋信次霊の位置づけを大幅に引き下げました。
そしてエル・ランティという存在はなく、エンリルであるとしました。
GLAから入会された方が、大量に離脱されたのはこの時期です。
今から考えると、仏教書を1万冊読んで、はじめて高橋信次霊の正体が見破れるようになったということは、
大川隆法氏は過去の仏教の教えを学んでようやく仙人の教えを見破り、乗り越えることが出来たと言うことになります。
これが果たして仏陀であり、釈尊の魂の親であるという方の悟りとして、あり得るのでしょうか。
もっと、はじめから見抜けていないといけないのではないでしょうか。
それが仏陀の悟りであって、会の規模とは関係がないはずです。
仏教を後天的に学んで、ようやく高橋信次霊の実態が見抜けたという事実は、大川隆法氏の悟りの実力は、釈尊に及ばないということを示しています。
釈尊は、悟りを開いたときには、すでに仙人を凌駕する悟りを得ておられたからです。
つまり、大川隆法氏は釈迦の生まれかわりではないということです。
仏教を後天的に学んで、
ようやく高橋信次霊の実態が見抜けたという事実は、
大川隆法氏の悟りの実力は、
釈尊に及ばないということを示しています。
釈尊は、悟りを開いたときには、
すでに仙人を凌駕する悟りを得ておられたからです。
つまり、大川隆法氏は
釈迦の生まれかわりではないということです。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_626.html
教祖と教えと教団カルチャーC・・・悪口とモデリング
http://tanemura1956.blogspot.jp/2015/08/blog-post_17.html
1.退会者は増えている
KK教団は、沈没船から鼠がいなくなるように、徐々にではありますが、会員を辞める人が増えているようです。
こういう人たちと話をしていると、ほとんどの人がKK教団の支部で会員や職員が
お互いの悪口をいい合うのを見て、嫌気がさしたということを言われます。
ある人は身内の職員が、会員の人の悪口をさんざん言うのを聞いて嫌になったといいます。
また別の人は、職員やその妻が熱心にボランティアしてくれている会員の悪口を言うのを聞いて憤慨していました。
また会員同士の悪口にうんざりしたという話は実によく聞きます。
そういうことを聴いていると、KK教団は内部で悪口をいい合う教団であり「悪口」は「教団カルチャー」であると、あらためて気づかされます。
2.教団に蔓延する悪口カルチャー
KKには「悪口をいいなさい」という教えはありません。
逆に、八正道に説かれている「不悪口」が正規の教えです。
にもかかわらず、会員同士、もしくは職員と会員は互いの悪口をいい合います。
「悪口を言ってはいけない」という上辺の教えと、教団の実態は完全に乖離しています。
結局、「不悪口」の教えは棚上げにされ、教団内には悪口を言う文化が蔓延し、それが会員や職員の行動様式を支配しているのです。
私の経験では、悪口カルチャーが蔓延し始めたのは、1990年代初頭の大伝道の頃からだと思います。
当時は、伝道しない人は悪であり、目標数字を達成できない支部や個人は激しく非難され、悪口を言われました。
生命保険会社のノルマ達成型の組織原理が大幅に組織に取り入れられて、数字を出さないものは裁かれました。
この時以来、基本的には組織の悪口カルチャーは変わっていないと思います。
たとえば活動会員が行う電話では、支部で数字に貢献しない会員の悪口、支部の職員や役職者への悪口などが、どの支部でも蔓延していました。
そのため子供時代に、「いつも電話口で誰かの悪口を言っている母親の姿を見て育った」という二世会員が多いのです。
では、悪口は弟子のカルチャーなのかというと、そうとは言えない面があります。
数字をあげてこない幹部や方針に従わないものへの激しい批判や悪口は、教祖からよく出ていたからです。
ただし、大勢の人の前では、よほどのことがないとそこまでは言いません。
通常は、妻やごく少数の幹部に言います。
それを聞いた幹部たちは、そういう目で他の幹部や職員を見ます。
そして教祖から厳しい評価をされた職員には、幹部は非常に冷酷に厳しい態度で接します。
すると周りの職員は、そうした人への悪口を言うことに抵抗がなくなります。
教祖の話す職員への評価は、それを聞いた幹部が各地で密かに話すことにより、次第に組織に浸透してゆきます。
悪口を言われる対象はコロコロ変わりますが、悪口を言うという行動様式は浸透し続けるのです。
3.モデリング理論の視点から
モデリングという言葉が心理学にはあります。
何かしらの対象物を見本(モデル)に、そのものの動作や行動を見て、同じような動作や行動をするのがモデリングです。
人は親や教師の姿を見て、その行動をまねて自分の行動様式を形成しつつ成長します。
この理論を唱えた心理学者は、「攻撃行動は他人の攻撃行動を観察することによって促進される」とし、社会的モデルの示範的効果を強調しました〈モデリング理論〉。
このモデリング理論に照らすと、KK教団の教団カルチャー、職員や会員の行動様式がどうして形成されたかがよく理解できます。
教団のカルチャーは、教団の中で最も影響力のある、いいかえると「社会的モデル」となる教祖の行動様式を、
周りの人びとが見習いまねる(学習する)ことで、形成され、会員の心の中に浸透してゆくのです。
4.前夫人への教祖の攻撃
教祖が、気にいらない人間をどのように悪口を言うのかを、すべての会員が垣間見る機会がありました。
それまではごく一部の幹部にしか言わなかったような悪口を、前教祖夫人を教団から追放するために、
公然と会員の前で言い、呪詛も指導しました。
この時です。
ここでそれまで隠されていた教祖の人格の一側面が、明るみに出ました。
呪詛というのは「悪妻封印祈願」で、そこには
「悪妻よ 汝 この世に生まれてくる必要なし 恥を知り 反省せよ
夫のユートピア活動を妨げる悪妻よ 汝は 生ける悪霊(あくりょう)なり」
という超きつい言葉が書き連ねられています。
そして、離婚問題が問題になった時期には、この祈願を会員が支部で読むように指導されました。
ここで全会員が学んだことは、それまで美の女神アフロディーテにして智慧の文殊と称えられた妻ですら、
教祖に見限られると、「生ける悪霊」とまで名指しされて、全会員をあげてバッシングされ、呪われるということです。
人格も霊格も否定する最大級の悪口が前夫人には投げつけられ、それまでの組織の矛盾や停滞の責任は、全部彼女のせいにされていきました。
さらに教祖はその悪口を本にして出版し、過去にさかのぼって
「口臭が臭かった」
「トイレの便器が汚かった」
など、おおよそ品位のかけらもない人格否定の言葉が書き連ねられました。
それを聞いたり読んだ会員で、教祖自体の人格を疑って退会したり休眠会員になった人は数多くいます。
しかし、それを「信仰心」で「受け止め」て活動を続けてきた人は、教祖の行動を社会的モデル、つまりお手本として学習して、自分の行動様式に取り入れました。
この時に、もっとも酷かったのは、教祖は前夫人の守護霊と称する霊を呼び出して、
実の母親に対して長男と長女に母親への批判を、会員の面前でさせたことです。
ここまでくると普通の日本人の感覚では、激しい違和感を覚えます。
教祖がやったことは、中国共産党の毛沢東が文化大革命で敵を葬るために行った行動に近いと、今は感じます。
毛沢東は文化大革命で権力を奪い返すために、多くの政敵を血祭りにあげ、その影響で村々でも
反革命とみなされた人々は公衆の目にさらされ、自己批判を迫られ、そこで家族にまで批判され、社会的に、あるいは肉体的に抹殺されました。
中国的といえば、中国では夫婦げんかをする時に、通りに出てお互いが相手をののしり合い、
それを近所の人びとに見せることで、自分の正当性を周囲に認めさせようとするという話を何かで読んだことがあります。
もしそれが事実なら、一連の教祖の行動はもともと中国的なのかもしれません。
いずれにしても普通の日本人の感覚にはなじみません。
そして重大なことは、こういう行為を教祖が行うことで、会員はそれを行動規範(手本)として
無意識のうちに自分の行動様式に取り込んできてしまっているということです。
そのことを意識化して、自ら対決して決別しないと、無意識に教祖の色に染まっていくのです。
5.教祖の呪縛を解く
以上述べてきたことの要点は3つです。
@KK教団は教えでは「不悪口」を説きながら、組織の実態では真逆の行動様式である悪口カルチャーが浸透しています。
A1990年代の大伝道以降そのカルチャーが形成されましたが、その大元は教祖の言動にあります。
B会員は教祖の言動を直接間接手本として学んでいるため、悪口という行動様式から決別するには、その事実への気づきと自己変革の努力が必要です。
これらのことを通して分かることは、教祖の本当の姿(人格)は教えではなく、教団カルチャーや弟子の行動様式により正確に反映されているということです。
実はそれこそが「教祖と教えと教団カルチャー@〜C」の最大のポイントなのです。
教祖の人物像を直接知ることは、普通の会員にはできません。
だから、組織がおかしくても職員や活動会員がおかしくても、
「教祖だけは違うはずだ」
「教祖だけは信じる」
という人が数多くいます。
その思いが呪縛となって、退会を決意できずにいる方が数多くいます。
そういう方に申し上げたいのです。
「教団幹部や日ごろ接する職員や熱烈信者の人の行動様式を見てください。
教団カルチャーを見てください。
あなたが直接目にするそれらは、実は教祖の実態(人格)を正確に反映しているのです。
それで教祖を判断してください。」
自分の目と心で教祖を判断した時、きっと呪縛が解けてゆくと思います。
幸福の科学を退会したい人のために
http://tanemura1956.blogspot.jp/2015/08/kk.html
幸福の科学(以下、KK教団)をいよいよ退会したいと思ったときに、どうすればいいのかということを、色々な方の経験をもとに書かせていただきたいと思います。
1.退会の自由は憲法で保障された基本的人権です
まず、宗教教団からの退会は、日本国憲法が保障する基本的人権である「信教の自由」なので、誰でも退会する権利を持っています。
その権利は何人もこれを犯すことはできません。
ですので、個人が退会したいということをはっきりと意志表示されたら、それで退会できます。
私は宗教法人を管轄している文部科学省にも行き、役人の方にじかにお話を聞いてきましたが、「退会の自由」ははっきりとおっしゃいました。
憲法で明記されている権利なので、当然です。
⒉退会手続き
具体的な退会手続きですが、KK教団のサービスセンターに退会の意思を伝えれば、それで十分です。
FAXもしくは郵送で書面で退会の意思表示をされたら、受理せざるを得ません。
その時に、教団が退会希望者を事務的に特定するために、会員番号を書いてください。
会員番号が分からない時は、生年月日を書けば、それで個人が特定できます。
退会届には退会の理由として、ご自分の気持ちをはっきりとお書きください。
どれだけ長くなってもいいですし、短くてもかまいません。
はっきりとやめる理由を書いてあげて下さい。
読んだ職員が、教団のどこが悪かったのかを振り返るきっかけになることを祈りつつ書くと、なおいいと思います。
退会届がサービスセンターに行くと、原則、支部に連絡がいくようです。
この時に、「印鑑がないので書類不備だ」といって受け取りを拒否しようとする支部長がいますので、
そういうことを言わせないためにお名前の横には、念のために印鑑を押しておかれるといいと思います。
書類的には、出した日付も書くことで、いつ辞めたいと意思表示したかが分かりますので、日付は書いておいてください。
所属支部や住所も書いておかれると親切でしょうね。
もっとも個人情報なので、教団に現住所を知られたくない場合は、書かなくても大丈夫です。
なお、内容証明(郵送)でないと受け付けないと言われて、内容証明で退会届を送ったら、退会受理のFAXが届いたという人もいます。
ですので、郵便局へ行って、内容証明で送ると、より確実です。
もっともKK教団では、退会しにくくさせる内規を作っているようなので、支部長の承認がいるとか言いだす可能性もあるのですが、
それはKK教団内部の手続きの話であり、憲法の保障する信教の自由という人権は、
一団体の内規よりはるかに優先しますので、気にしなくてよいと思います。
退会は、単位事務手続きの問題だけではなく、霊的にもKKと縁を切るという重大な側面があります。
現実に、きちんと退会届を出した人は、身体が軽くなったと感じることが多いようです。
⒊支部からの電話に対して
退会届をサービスセンターに出すと、支部や知り合いの会員さんから電話があると思います。
特に支部長は、退会者が出ると業務成績がマイナスになるので、何とか退会を思いとどまらせようとします。
その為に、「一度ゆっくり話をしたい」とか、「支部に来ないと手続きが完了しない」、いろいろ言うかもしれませんが、一切応じる必要はありません。
手続きはサービスセンターに意思表示の書類を出した時点で完了しています。
退会の自由は、基本的人権である信教の自由ですので、それは憲法で保障されていますと、はっきり伝えてください。
知り合いの会員さんからの電話には、ご自分の退会したい気持ちをしっかりと伝えてあげてください。
会員の方も、いろいろ陰で悩まれている人は多いはずです。
ですから、どうして退会を決意したか、なぜこの信仰がおかしいと思うのか、その理由をしっかりとお伝えになると、
いつかその方もそれがきっかけで退会へと向かわれるかもしれません。
ですので、伝えるべきことはきちんとお伝えください。
ただし、一度、電話でお伝えになれば十分だと思います。
それでもしつこく電話があったり、家に支部長等が訪問してきた場合には、地元の警察にご相談ください。
またもし怖いと思うようなことがある場合にも、しっかりと警察に相談して下さい。
私もその昔、仕事をしている事務所に職員の人に押し掛けてこられた時は、すぐに警察に電話しました。
あらかじめ「こういう時は連絡するので助けてほしい」と頼んでいたので、すぐに来てくれました。
そういうきっぱりとした対応をすると、彼らはさすがに二度と来ませんでした。
これは勇気の問題です。
勇気を出せば、恐怖の縛りは解けてしまいます。
また、警察に相談することは、KK教団の問題を第三者に知っていただくという効果があるので、大きな意味があります。
文部科学省に電話して、相談するのもよい考えです。
文部科学省は大学の許認可をしますので、KK教団がどういう団体かを知ってもらうことは、とても大きな意味があります。
<文部科学省>
〒100-8959 東京都千代田区霞が関三丁目2番2号
電話番号:03-5253-4111(代表)
⒋ご本尊や書籍、資料の取り扱い
私はこれまでのブログの中で、KK教団に関わる資料や書籍、ご本尊は、全部捨てるように書いてきました。
これは霊的な悪影響を断つために必要だという判断からです。
しかし、最近、KK教団の問題に取り組んでいる方から、そうした資料や書籍、本尊なども、送ってほしいという要望を受けました。
第三者にきちんと研究していただくのに、役に立つようなのです。
ですので、処分したいご本尊や書籍、資料のたぐいは、一度私にメールか電話でご相談ください。
どこに送ればいいのかをお知らせします。
その場合、着払いでよいと伺っていますので、費用の負担もいりません。
資料の中では、布施や組織の目標数字に関するもの、活動に関する指示などは、返還訴訟などをする場合にも役に立つ場合があります。
ですので、捨てる前に、ご相談ください。
⒌納骨壇申込金と生前支払の永代供養の返金
最高裁で、KK教団に対して納骨壇の費用の大部分と生前申込の永代供養料の全額の返還を命じた判決
(4人の元信者が起こした裁判の判決)
が確定しましたので、同様の訴えは短期間で勝訴するとおもわれます。
それ以外にも、高額の布施等に関して、返還をして欲しいと思われた場合は、是非、この裁判を勝利された松本憲男弁護士にご相談ください。連絡先は次のとおりです。
・ホームページ http://www.matsumoto-lawoffice.jp/index.html
実は、今まで布施の名目でのお金は、間違ったものを広めるために使われてきました。
ですので、少しの金額であっても、それを回収することができれば、教団の間違った活動を抑えるのに役に立ちます。
もちろん、お金が戻れば、ご自分の大切なお金を自分や家族のために使えます。
あるキリスト教系のカルトのケースですが、一切返金を認めなかったのが、裁判が続くうちに対応を変えた例があります。
信者が布施したお金の返金を求めて裁判を起こし、そのカルトは裁判のたびに敗北していったそうです。
やがて敗訴の報道がもたらすイメージの悪化の方が返金よりも被害が大きいと判断し、
それ以来、信者が返金を求めてくれば、返すようになったといいます。
ですので、返還にはいちいち裁判が必要になりますが、それがやがては多くの人を救う道をつくることにつながります。
ですから返還訴訟は、自分だけのためではなく、布施をし過ぎて生活苦に陥っている人を救う道をつくるために必要だと考えてください。
もう一つ言えることは、納骨壇が残っていると、霊的にはKK教団とのつながりが切れないままになります。
ですので、返金を求めてきちんと納骨壇を清算することは、霊的な清算にもつながるので、とても大切だと思います。
⒍不安への対策
退会する時は、そうさせまいとして霊的に妨害が来るようです。
霊的に敏感な人は、リアルに感じるといいます。
また、支部や会員さんからの引き留めも、現実的な「妨害」です。
しかし、ここは勇気と不退転の意思があれば、なにも恐れる必要はありません。
断行すれば、障害は消えていきます。
霊的な妨害も、怖れるに足りません。
断固として退会すると決意し行動すれば、退くのです。
ですので、ここは自分の勇気と不退転の意志の力が試されていると思って、乗り越えてください。
その時に、私のブログを繰り返し読むことで、恐怖心や不安が消えていったという方がいらっしゃいます。
何度か読むうちに、迷いが消えると、霊的な悪影響も受けなくなるようです。
是非ご活用ください。
>>235>>236 来る者は拒まず、去る者は追わず。
但し入行時に授けられたご宝塔は、貸与で古道具屋に売ることは
契約違反なので、そうされない様にご注意願います。
書面記載での民事契約は守るべきです。
退会者は道場片隅にある納札箱に入れる事。
非礼は避けるべきです。
あらゆる組織で、入退はあります。
何等不思議な事ではありませんが、上記の事柄は守りましょう。
他の御法具は何等問題が在りませんので、売ろうが買おうが御自由です。 岩波仏教辞典の「欲」の説明に「向上性的意欲まで否定するのではない」とあるように、仏教はすべての欲を否定するのではない。これが学者の結論なのです。我見を無くす修行を続けることによって、向上性的意欲と悪い欲との区別がつくようになってくるわけです。 >>238
だからそれって深山さんが書いていることとも私が書いていることとも矛盾しないじゃん。 >>237 神も仏も名無しさん 2016/11/30(水) 12:03:39.76 ID:oQdu9mKy
>他の御法具は何等問題が在りませんので、売ろうが買おうが御自由です。
こんなことを書いていいのかしら?
アゴン宗では法のものは全て返却するようにだと思ったが?
宗務局がそれでいいと言うのなら異論もないが。
それ以外の部分はこれを宗務局が書いたとしても一応正論だと思いますが。 深山親分ユビ子分の見解は我見なのです。間違いの見解なのです。仏教はすべての欲を否定していると、勘違いしている。己が我見の真っ只中にいる自覚がないのです。海の中の魚は、海の中にいる自覚がないわけです。陸上に出て初めて海を知るのです。我見も同じようなもの。 ちなみに私は宝塔、法具、ホーセグッズ等全て納札箱に返却しました。
正確に言うと、宝塔だけはちゃんと宗務局窓口に返したと思った。
退会届とともに。
とにかく法具やらなんやらかさばる物を自分で処分するよりも、教団で処理してくれる
のだから楽なものです。
退会届等の手続きが煩わしいという人は、とにかく宝塔も納札箱に返してしまえばいいわけです。 >>241
だからこちらには何ら矛盾がないと言ってるじゃんよ。
間違っているから我見だと決め付けるには無理じゃんよ。 わたしから見ると、深山親分ユビ子分の見解は、仏教辞典の見解とまるで違うね。欲の捉え方も違うし、出家と在家の違いも理解していないし、阿含仏教と大乗仏教を統合するという桐山師の教えも理解していない。護摩は大乗の密教で、現世利益の肯定は当たり前の話なのだね。 おそらく、深山親分ユビ子分は、御利益信仰と御利益取引信仰の区別が分からないだろう。どちらも同じように思うだろう。が、御利益信仰と御利益取引信仰とは違うのだね。我見が薄れるにつれて、その違いが分かるわけです。我見が強いと、その違いが分からないのです。 >>241 仏教はすべての欲を否定していると、勘違いしている。
善欲とか悪欲分類に固執するから、向上欲はどうだのこうだのと
言い出し、それを理由にお布施を売り物にしようとまで発展する。
向上欲であろうがそこには落とし穴があって、
必ずその対象への執着が起動するんですよねえ。
だから悪い行いに通じる欲を戒律で戒めているんだしね。
以下過去ログから拾い集めコピペしたものがあるっての。
確か深山さんの指摘したもんで、阿含信者らがいつも勤行してる
経典らしいぜ。↓
「漏尽解脱せしめんと欲せずと躍も而も彼の比正、
自然に漏尽し心解脱を得ん。」 阿含経だろ?
「涅槃を得ようという欲が無くても解脱するのですから、
釈尊の説いた煩悩滅の修業を励めば、それは自然と涅槃を得るものです。」 ♪ ♪ \\ ♪ お〜布施は続く〜よ〜 ど〜こま・で・も〜 ♪.// ♪ ♪
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>>244 名無しさん 2016/11/30(水) 13:08:10.74 ID:okKhWR/h
>欲の捉え方も違うし、出家と在家の違いも理解していないし、
基本的には出家も在家も同じですが、在家は生計を営んでいくことは否定していないので、
(否定したら世の中が機能しなくなる危険思想です)ならば少欲、足ることを知ることを説くのです。
向上心の話が出た。一般的にも向上心と言うとそれは煩悩に相当しません。
自分を高めるからです。しかし出家と在家の違いは生活や社会の繁栄を求めることです。
だから場合によっては向上欲と言うか、過剰な煩悩に発展する可能性は常に紙一重と言える。
例えば、一家を養う、国民の安全を守る為、その為に知識を広め磨きたいと言ったら
煩悩はないが、出世して天下をとって、きれいなねーちゃんを侍らせ面白おかしゅう暮らしとう
ございますと言ったら煩悩に堕ちたことになる。
だから煩悩に堕ちぬよう常に自分を監視するのです。知恵を以て。
特別な神秘的な智慧ではありませんよ。誰にもわかる簡単な話です。
>阿含仏教と大乗仏教を統合するという桐山師の教えも理解していない。
>護摩は大乗の密教で、現世利益の肯定は当たり前の話なのだね。
相反するものは両立しませんよ。それを統合して完全仏教なんて言う奴が馬鹿で
わかっていないのです。(桐山さんのことですよ。あなたもそうだが)
相反するものを統合する愚かさの例を挙げましょう。
ここに唯一絶対神を説く一神教と八百万の神を説く多神教があって、これを統合して
完全宗教を作るなどとほざいたらどうするのか?
(1+8000000)÷2=4000000.05になると400万の神を認めるのが統合した完全宗教だと
ほざくような話です。そしたら結局多神教じゃないですか?
唯一絶対神しか認めない一神教がこれを許容するはずがない。
土台無理な話なんです。
桐山さんはこれをやった。自らをメシアなどとほざいた。
しかしキリスト教ではメシアはイエスと決まっているのだから桐山さんの言い分が
通ることは絶対にない。
だから結局カトリックからもその後無視されたんですよ。
ホントに桐山さんって馬鹿だねえ。 >>245 名無しさん 2016/11/30(水) 13:17:50.86 ID:okKhWR/h
>おそらく、深山親分ユビ子分は、御利益信仰と御利益取引信仰の区別が分からないだろう。
>どちらも同じように思うだろう。が、御利益信仰と御利益取引信仰とは違うのだね。
だからこれは私が書いた指標があるわけですよ。
出世欲であれ向上心であれ、それに基づいて自己努力、現実的生活努力、勤勉に励むならば
これは取引信仰であはありません。
しかし神仏のような他力に頼ったらこれは取引信仰です。
神だろうがなんだろうが取引です。
だから釈尊は神を否定せず認めるが、自分のことは全部自分でしろと説いたのです。 >>245 名無しさん 2016/11/30(水) 13:17:50.86 ID:okKhWR/h
>おそらく、深山親分ユビ子分は、御利益信仰と御利益取引信仰の区別が分からないだろう。
>どちらも同じように思うだろう。が、御利益信仰と御利益取引信仰とは違うのだね。
ただ普通は御利益信仰と言うと、自己努力の道など示さず、神仏に御利益を祈る信仰
を限定します。つまり御利益信仰=御利益取引信仰であり、取引とは、その構図を
わかりやすく添えたものです。
西洋の宗教は契約という言葉を使いますね。
神に貢ぐことで神と契約を交わして自分の幸福を約束してもらう。
だから契約とは、これ取引ですよ。
仏教でも「信仰」は説きます。
しかしその中には契約取引で与えてもらうものはない。
全て自己責任において何事も為すのです。
仏教の信仰とは正しい真理を愛し、正しい真理に則った正しい生活をしていこうと
自らに誓い、実践継続していくものです。 小欲知足を奨励するのは出家に対するものであって、在家にではない。岩波仏教辞典の欲の項で確かめてみよ。
このような独りよがりの勘違い解釈が深山親分ユビ子分の特徴なのであるね。そのことを仏教では我見というのです。 >>238 : 名無しさん2016/11/30(水) 12:44:42.18 ID:okKhWR/h
>岩波仏教辞典の「欲」の説明に「向上性的意欲まで否定するのではない」とあるように、仏教はすべての欲を否定するのではない。
辞典のどこに1.5来補さんのいう良い欲望と悪い欲望があるのですか?
ありません。
書いて無いことを有るかのように主張するのはやめてはどうか。
しかも、こちらは解脱したいという向上性的意欲など否定していません。
釈尊が認めているとくり返し述べている。 >>241 : 名無しさん2016/11/30(水) 12:55:28.44 ID:okKhWR/h
>仏教はすべての欲を否定していると、勘違いしている
ですから、私はすべての欲を否定しているなんて述べていません。
釈尊は解脱したいという欲望は否定していません。
欲望を制御するのです。
酒は生きるのに必要ありませんから、全面禁止です。
出家には性欲は全面禁止です。
しかし、食欲や睡眠欲そのものを否定したりはしません。
いずれも最小限にする、つまり制御するのです。
桐山さんや1.5来補さんのように糖尿病になるまでガツガツと飲み食いを
することを、食欲という煩悩に囚われているというのです。
仏教の信仰を持つとは、桐山さんのように美食飽食はせず、
1.5来補さんのように知り合いの家に上がり込んでタダ喰い、
タダ飲みはしないことです。 >>253 : 名無しさん2016/11/30(水) 21:04:09.03 ID:okKhWR/h
>小欲知足を奨励するのは出家に対するものであって、在家にではない。
また1.5来補さんは知りもしないのに空想で書いている。
小欲知足は在家も同様です。
岩波仏教辞典ではなく、阿含経を読んでみなさい。
在家と出家は程度の差と、罰則があるかないかの違いだけです。
在家は出家に準じることを求められます。
在家は性欲は禁止されていないが、出家と同じように性欲の全面禁止も
奨励されており、それが仏教でいう梵行です。
梵行は八正道全般を指すこともあるが、狭い意味では
性欲禁止のことです。
在家の中にも、ある一定期間だけで、出家と同じような
生活をしていた人たちがいたことが残っています。
家にいて、托鉢などをしないのが違うだけで、
丸一日を出家と同じように欲望や執着を捨てた生活をするのです。
だから、在家でもアナゴンまで行けたのです。
1.5来補さんは知らないようだが、アナゴンになるためには
欲望(欲貪)と怒り(瞋恚)から完全に解放されないといけないのですよ。
五下分結には出家も在家も違いなどありません。
アナゴンまでの条件は出家も在家も違いはありません。
勝手な空想で物を言うのはやめたらどうか。 >>244 名無しさん 2016/11/30(水) 13:08:10.74 ID:okKhWR/h
>阿含仏教と大乗仏教を統合するという桐山師の教えも理解していない。
理解していないのは1.5来補さんのほうです。
アゴン宗は「統合」したのではありません。
「『阿含経』を根本に据える阿含宗は、完全無欠な純粋な仏教教団である」
「どこまでもお釈迦様の根本仏教、阿含経をもとにした仏教です。
純粋な混じりけのないお釈迦さまの仏教、それが阿含宗なのです」
「わたくしは究極のところ、仏教と言えるのは阿含経だけだと思っています」
「何度も繰り返しますが、純粋な仏教というのは阿含経にしかありません」
(『阿含宗報』292号、2010年、2頁)
桐山さんはアゴン宗を、阿含経にもとづく純粋な根本仏教であると述べています。
他の密教や大乗仏教は額縁にすぎず、絵は阿含仏教だというのです。
阿含経の成仏ホーこそが全てであり、アゴン宗の最大のウリがこれです。
こういうアゴン宗の教義くらい十数年も引用されたら、桐山さんの言葉
くらいそろそろ理解してあげたらどうか・・・と言っても無駄なのは知っています。 >>244 名無しさん 2016/11/30(水) 13:08:10.74 ID:okKhWR/h
>阿含仏教と大乗仏教を統合するという桐山師の教えも理解していない。
1.5来補さんはいつも、桐山さんが他の宗教を闇鍋にぶちこんだゴッタ煮
宗教がアゴン宗だと主張している。
その意見には私を含めた批判側は賛成で、この点では意見に相違はありません。
桐山さんは人集め金集めのためなら、ナンデモアリです。
密教は呪術宗教だから、人集め金集めにはぴったりです。
伝統仏教を罵りながら、万燈会なんて行事だけはそのままパクル。
護摩など釈尊が禁止しようが何だろうが、人集めのイベントとしては
最高の行事だから、捨てるわけにはいかない。
桐山さんは天才的な「宗教興業師」です。
だから、興業のためなら、根本仏教から習俗仏教までなんでもかまわないし、
神道や道教までも入れているから、アゴン宗は宗教のデパートみたいです。
法施と称するガラクタが玩具売り場に並べられて、信者は目の色を変える。
1.5来補さんも法施を買ったと自慢しましたよね? >>244 名無しさん 2016/11/30(水) 13:08:10.74 ID:okKhWR/h
>護摩は大乗の密教で、現世利益の肯定は当たり前の話なのだね。
「密教は、神や仏をおがんで、そのおかげや御利益をいただいて幸福になろうとか、
なにかうまいことにありつこうとか、安心やなぐさめ、さとりや休息を得たい
などとはいっさい考えないのである。」
『密教超能力の秘密』280ページ
残念ながら、1.5来補さんの考えを桐山さんは上記のように否定しています。
ましてや、釈迦仏教には御利益なんて考えはありません。
アゴン宗の護摩木祈願の病気平癒、資金順調、良縁成就、家庭円満、
受験合格、霊障解脱、世界平和など釈迦仏教にはありません。
釈迦仏教には御利益、祈り、祈願、回向などありません。 >>245 : 名無しさん2016/11/30(水) 13:17:50.86 ID:okKhWR/h
>我見が強いと、その違いが分からないのです。
1.5来補さんは我見を「自分だけの偏った見方や狭い考え」という
一般的な意味に使っているんでしょう?
仏教の我見にはそんな意味はありません。
1.5来補さんは仏教の我見の意味さえも知らずに使っている。
我見「自我(atman)の存在を是認する誤った見解(*邪見)のこと.」
つまり、桐山さんのように自己を魂魄という霊魂であるとみなし、
輪廻には魄という主体があるという考えを我見、身見といいます。
1.5来補さんも同じ考えなのだろうから、
我見が強いのは1.5来補さんです。
私もユビキタスさんも、自己とは五蘊という部分によって構成され、
常に変化し、主体などない、という釈尊の教法を理解して
受け入れていますから、仏教でいう我見はありません。
桐山さんの我見を信じている1.5来補さんに、
我見が強いなどと言われても片腹痛いだけです。 ♪ ♪ \\ ♪ お〜布施は続く〜よ〜 ど〜こま・で・も〜 ♪.// ♪ ♪
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Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12224579906.html#c12896853605
1. 何、言ってんだよ、コウちゅわんww
おいおい、コウちゅわーんww
何、言ってんだよww
幸福の科学のカルチャー、そのものが
苛めカルチャーだよww
どれだけ皆、泣いてきたと思う??
電話口でさえ、怒鳴られ、喚かれ
金、金、金、金、
数、数、数、数・・・・・・
もう、完全な地獄ww
未だにソレだよww
在家支部長は、無給の家畜。
家庭内離婚、家庭崩壊、
シャンプー、ティッシュ、トイレット・ペーパー、
歯磨き粉の補充すら出来ないそうだ。
経済破綻、生活破綻、過重労働・・・。
これがカルトでなくて一体、何なんだよww
コウちゅわーんww
もっと上手に「釣り糸」垂れろやww
俺を釣るなよww
レプを釣れやぁww
ギャァァァハハハハハァァァァww
ヒィィィィィヒヒヒヒヒヒィィィィィww
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/ / . イ ト、 ヽ
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/ ン'^⌒` | :l j '^´ ̄` \ i | ,
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深山親分ユビ子分説は、何も分からないピエロであるね。笑うしかない。まともな信者は阿含宗を立てた時点で、ある程度の桐山師説を理解しているわけだな。しかし、深山親分ユビ子分は、何も分からないままバカげた御利益取引信仰をしてたわけだな。原点から教えよう。 1978年の阿含宗を立てた年、阿含密教いま、の本が発行された。阿含宗の理念が発表されたわけです。その本のP257〜258に、増谷文雄氏の、初期仏教と大乗仏教をアウフへーベンした仏教が必要だという意見が引用されている。この増谷氏の意見に答えたのが桐山師論なのだね。 初期仏教をテーゼとし、大乗仏教をアンチテーゼとして、より高いところでそれを総合した(アウフへーベン)仏教が必要だというのは、元々は増谷文雄氏の意見なのだね。桐山師は、密教は初期仏教と大乗仏教を総合したものであるが、様式化して失敗したと答えているわけだ。 そういうわけで、阿含宗は初期仏教と大乗仏教を総合した仏教なわけだな。バカにはごった煮の仏教になってしまう。どんな良い食材を使っても、バカが調理すると不味くて食えない。阿含宗の食材は多くて、バカには調理は無理なわけだね。深山親分ユビ子分には当然だな。 釈迦仏教には護摩がない、御利益、祈りがない、あれもこれもない。そんなこたぁ、みんな分かってんのよ。初期仏教と大乗仏教を越えた高いところで、それらを総合した仏教を実践しているのが阿含宗なのだよ。増谷氏の意見を既に実践しているわけだね。 270.
護摩焚きは何の効果があるのか。
何の効果もない。
それは迷信である。 炎は見るだけでなんか理由なく癒されるだろ?アゴ宗のイベント護摩は
その自然の元々ある炎の癒やしを
仏のちからとか法のちからとか言って
バカな信者をたぶらかして金を儲けてるだけなんだよ
ちんだ桐山を勝手に偉大にしてるのも
信者だしな
金をバラまいてる姿みて感動して
きまえがいい立派な男に仕立て上げてるのも勘違い信者ども、
桐山ってやつは
ビンボー信者のだれよりも
贅沢していいもの食って
チヤホヤされて
赤いスポーツカー乗り回し
ベンツ乗ってベントレー乗ってた男だぞ
愛人にこずかいやって
ジジイになっても移動は
飛行機貸し切りだ
毎月の給料なんて何百万円
まあ、いってみれば護摩講の仮面をかぶったネズミ講だよ
ご愁傷様でした!(爆 贅沢三昧してるのに
バカ信者の前で話すネタは
毎回素うどんにショー湯かけて食った
ビンボーばなしと
働かないで女房に毎日こずかいもらって図書館で暇つぶしてた話しと
自殺未遂の話しと
真冬のつらい滝行の話しだね
でもね
桐山の長い人生のほとんどが
贅沢三昧してる期間なんだよ(爆笑
ほとんどが贅沢三昧してるのに
信者どもに話すネタは
毎日ビンボーの話しだけ(爆爆爆W
いいかげん気づけww
騙しの手口 仏教は煩悩を無くす教えだ、なんてたわけたこというバカがいる。阿含宗では我見から無くすのだよと、親切に煩悩の無くす順番まで教えていたのに、バカは何してたのだろう。取引信仰にハマって、バカしてたのだよ。我見を根本として貪瞋癡を起こす、なんて知るわけもない。 霊界。:やっぱ、六道輪廻を越えたお灸を頭に6つぐらいは
アンデルセン:十界論や十住心の方が先でしょう。
グリム:阿難ちゅうの解の四つの不思議が先でしょう。
霊界。:3種がっしょうデスわ。
ァミダーホォ、
ア・ハッピー・二ュ―イヤー、
メリー・クリスマス
蝉:尚、フェクションであり、架空云々・・・
虎:頭洲だれ編
蝶:基盤でのアーリアの制度、伝統、慣習をシャカとアーナンダが漏尽してますが?
狸:生誕成道転輪涅槃ですわい。
亀:オールバックでしょう。ゴータマす
判然と対機の無明あんのかも
烏:色のあるに四食あいあわんとおもい
判るに相恵むとしれんと神祇に喩いあい
賜わんたり
蛙:四つ、三即、十分、あるいモナド 取引信仰しているようなアホは、もはや阿含宗にはいないね。そんな信者は退会して残っているのはまともな信者だけだな。批判派のレスは無駄だな。お為ごかしレスだとバレてるしさ。取引信仰してたアホが反省して今更レスしてもだな、通用しないね。世の中あまくないからな >>271
己の不勉強を省みず、他人の論を鵜吞みして他を判ずる。
外形のみ護摩を行ずるは外道の火祀なりと大昔に結論が出ている。
例えるなら、
刃物を医者が使用するのと、強盗犯人が使用するのとでは因縁果報が相違する。
すこしヒントを出そう、
火炎をアリアリと見る、火炎映像の感想を先ず成し遂げたまえ。
心を自由自在にする過程で、恐怖の代名詞である火炎を克服する瞑想だ。
言うは易く行い難いのは恐怖の克服である。
空観の過程で火を目前に観る。
火界定とは不動明王の境地を云う。
形式的と言うも巧妙に組織構成したものである。
君の様に漠然と批判をしても無駄なのである。 >>269 : 名無しさんさ2016/12/01(木) 13:16:59.18 ID:Bh3CmabC
>そういうわけで、阿含宗は初期仏教と大乗仏教を総合した仏教なわけだな。
1.5来補さんの大好きなアウフヘーベンですね。
桐山さんもあなたもこういうキャッチ・コピーが大好きで、
意味もわからずに使うのが笑える。
こういう横文字の専門用語を使うと、何かとても自分が
エラクなったかのように錯覚できるのでしょう?
アゴン宗のどこの何がアウフヘーベンなのだ?
アウフヘービンとは質的に飛躍することです。
ただの御利益信仰のどこがアウフヘーベンなのだ?
他でもしている霊的に人々を強迫すことの、どこがアウフヘーベンなのだ?
密教にさえもない因縁解脱や霊障解脱のどこがアウフヘーベンなのだ?
全部、元ネタがあり、桐山さんがどこからかパクッタ内容です。 >>269 : 名無しさんさ2016/12/01(木) 13:16:59.18 ID:Bh3CmabC
>そういうわけで、阿含宗は初期仏教と大乗仏教を総合した仏教なわけだな。
桐山さんのしたことは飛躍ではなく、ゴッタ煮です。
宗教として集客集金に役立ちそうな事を他の宗教からパクリ、
桐山さんの空想と妄想で味付けしたゴッタ煮宗教こそがアゴン宗です。
しかも、それらを統合して質的に飛躍したことなど何もない。
していることは従来の宗教と何も変わらない。
他の人が例えたとおりで、中華料理とフランス料理を鍋に
ぶっこみ、そこに数日前の寿司を乗せて、これを完全料理と
称しているにすぎない。
ほぼ全部がパクリです。
悪因縁や霊障で脅かすのは霊友会や真光系のパクリ、
地球壊滅や世直しなどは大本や天理などのパクリ、
御利益は創価など新興宗教のパクリ、
龍神現形や先祖の運命の反復は福寿観音教会のパクリ。
ソンディなど心理学を持ち出すのは種智院大学の教授のパクリ。
桐山さんはそのまま真似したにすぎない。
こんな程度のことをアウフヘーベンというなら、
新興宗教はすべてアウフヘーベンです。 >>270 : 名無しさん2016/12/01(木) 13:25:21.56 ID:Bh3CmabC
>釈迦仏教には護摩がない、御利益、祈りがない、あれもこれもない。
>そんなこたぁ、みんな分かってんのよ。
釈迦仏教には御利益も祈りもないことを1.5来補さんは認めるのですね?
今までと全然違うではないか。
これまでは釈迦仏教では、良い欲望はあってもいいとして、
御利益や祈りがあるとあなたは主張して来た。
あなたは、釈尊が病気治しをした実例として阿摩昼経を出して、
読み間違いを爆笑された。
岩波仏教辞典にも書いてあるとして、書いてない文章を引用してみせた。
つまり、1.5来補さんはこれまで釈迦仏教でも御利益や祈りがあると
主張していた。
だが、ここに来て、口を拭い、
>そんなこたぁ、みんな分かってんのよ。
だ、そうだ。
居直り強盗みたいで、盗人猛々しい、そのまんまです。 >>270 : 名無しさん2016/12/01(木) 13:25:21.56 ID:Bh3CmabC
>釈迦仏教には護摩がない、御利益、祈りがない、あれもこれもない。
>そんなこたぁ、みんな分かってんのよ。
これまでの1.5来補さんの主張の間違いを認めたらどうか?
なんて、1.5来補さんがするはずもないことをわざと提案してからかってみる。
あなたはずっと釈迦仏教に御利益、祈願、祈りがあると主張してきた。
だが、ここに来て、何食わぬ顔で「分かってんのよ」とごまかそうとした。
相変わらず、嘘ばかりつく。
あなたは釈尊が護摩を禁止していたことなど知らなかった。
ここに来て初めて知ったはずです。
先祖供養も、死者成仏も、因縁切りも、祈りや回向が釈迦仏教にないことも
ここに来て初めて知った。
その証拠に、これらを示されるたびにあなたは仰天して、
批判側に激しく反発し、批判側をバカ、アホと連発して来た。
本当に知っていたら、こんな反応を示す必要はない。
真実を教えられて感謝するどころか、さも最初から知っているかのような
嘘をつき、教えてくれた相手を罵った。
だから、1.5来補さんは学校の成績が悪かったはずです。 >>274 :名無しさん2016/12/01(木) 15:32:36.31 ID:Bh3CmabC
>我見を根本として貪瞋癡を起こす、なんて知るわけもない。
まだ言っている!?
阿含経が釈尊の教法だとも知らなかった平安時代の天台宗の坊さんの
書いたことを鵜呑みにして、何を言いたいのだ?
貪・瞋・癡は煩悩のすべてです。
だから、我見は貪・瞋・癡の中に入っているのです。
分類の仕方が違うだけです。
1.5来補さんは十二縁起のどこを見ているのだ?
「無明→行→・・・」で最初に出てくるのは無明です。
十二縁起では無明を切れば、行がなくなり・・老死がなくなる、
と言うように解脱することが説明されている。
だが、あなたの説では無明(癡)は我見から生み出されるのだから、
無明を切っても我見が残り、解脱できないことになる。
十二縁起の説明と矛盾する。
1.5来補さんの説が間違っているからです。
釈尊が間違っていると主張して、年末の失笑ネタを提供してください。 >>276 :名無しさん2016/12/01(木) 15:43:04.36 ID:Bh3CmabC
>批判派のレスは無駄だな。
批判が無駄で、信者に効果がないのなら、
1.5来補さんは何をしにここに来ているのだ?
あなたがここに来る必要はまったくない。
でも、離れられないのでしょう?
なぜなら、1.5来補さんや>>277の宝生さんみたいな人をまともに正面から
相手してくれる人などここの批判側以外にいないからです。
年末のボーナスセールスで安くなるから、1.5来補さんも
ケチらないで、大きなモニターのついたパソコンを買ったらどうか。
あなたは視野が狭い上に、小さなモニターで見ているから、文章全体が
見えず、今のあなたみたいに簡単なことも理解できなくなる。
アゴン宗にお金も出さず、年金を一人で自由に使えるのだから、
生活に困っているわけでもないのに、どうしてそんなにケチなのだ?
・・・あ、そうか、貪の煩悩が強烈だからだ。 http://blog-imgs-61-origin.fc2.com/k/a/w/kawasesentai/201309092335316dd.jpg
宗教なんてさ〜
所詮は神仏を利用者して億万稼ぐ
道具だろ、
世界の歴史見たって
過去、宗教が世界を救ったってことあるか?
宗教団体なんて金の臭いがぷんぷんするだけ
自分はホトケだなんて言って
愛人作って勲章集めて喜んでる教祖なんか
この地球に必要ないだろ〜 \/ ヽヽ レ | ──, ‐┼‐ / ‐┼‐ /
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https://t.pimg.jp/005/678/061/1/5678061.jpg
桐山さんて
中国にも
イスラエルにも
アゴ宗教の行なり法なり教えなり
布教しないで
金しかバラまかないんだから
金バラまくのは金持ちなら誰でもできるの、
宗教の教祖は金バラまく必要ないの、
宗教の教祖なら自分の教団の教えなり法なりを説いて信者にしないと意味ないでしょ!
外国行ったってイベント護摩焚いて金バラまいて帰国するだけならそんなの宗教活動とはいえないの、
そんなのただのオナニー
宗教家なら自分の教えなり法なりを布教しなけでばいけません
その点桐山さんは
なんにもしてないで金だけバラまいてるから宗教家として0点! 我見を根本として貪瞋癡の三毒を起こす、このルーツは阿含経にあります。我見は無明の一種なのです。煩悩は阿から生ずるのか?岩波仏教辞典の煩悩の説明に、「煩悩は我見から生ずる」と書いてある。我見を無くす修行などしたことのない深山にはこれが分からないのです。 岩波仏教辞典の煩悩の項→「煩悩は、自己中心の考え、それにもとづく事物への執着から生ずる」→つまり、煩悩は我見から生ずる、と説明しているのです。このルーツは阿含経にあります。わたしはその経も知っているが、深山くんみたいな者には分かるわけもない。 阿含仏教に足りないものは、現世利益を積極的に与えないことでもある。大乗仏教には知恵を得る修行法が足りない。現世利益を与えながら成仏に導くという密教は、阿含仏教と大乗仏教を統合したものだという桐山師のいうことが理解出来るかな? 現世利益を与えない仏教などは見向きもされない。御利益欲しさにさんざん取引信仰をしてたと自己紹介した深山くんが、現世利益などなしと思ったら仏教を止めたことでも分かるね。しかし、阿含仏教でも在家には現世利益を説いているのである。 >>287 我見を根本として貪瞋癡の三毒を起こす、このルーツは阿含経にあります。
我見は無明の一種なのです。煩悩は阿から生ずるのか?岩波仏教辞典の煩悩の説明に、「煩悩は我見から生ずる」と書いてある。
何を言ってるんだろうネエこの人は?
釈迦牟尼の思想では、我見とは自我(固定我)の存在を認める邪見のことでしょ。
キミキミ、邪見だよ邪見、つまり外道の考えね。
四諦説で言えば渇愛から、十二支縁起説なら無知(無明)を根源とするんですねえ。
しかしまあ、堂々とウソをこいてしまう厚かましさは並大抵の恥を乗り越え、
人生これ言ったモン勝ちという生き方で大笑いされて来ても気づかんかったんだネエ。 (投稿)「呪縛」からの解放1 −呪縛−
http://tanemura1956.blogspot.jp/2015/09/blog-post_5.html
(紹介)
匿名さんが、信仰の裏側に潜む恐怖の問題を取り上げてくれました。
K会の会員が、活動に縛られる理由や、洗脳の呪縛が解けにくい理由が理解できる内容となっています。
(投稿)
1.希望と絶望のメッセージ
K会での伝道目的は、「地球ユートピア」という世界平和実現を目指しての救世活動であった。
「この法を日本中に、そして世界中に広げれば、必ず地球ユートピアが実現できる。明るい希望の未来が約束される。」
という、極めて明確な「明るい希望に満ちたビジョン」が描かれていた。
ただその一方で、「もし、この法が広がらなければ、この国の、そしてこの星の未来はない」というように、「暗い絶望のビジョン」も同時にイメージさせていた。
大伝道期の時も、「伝道活動が成功すれば天国、失敗すれば地獄」という感じであった。
当時活動していた信者は、「命がけで伝道して、期日内に目標を達成し、この世の中を救いたい。」という理念の裏に、
「この伝道が成功しなければ、地球は大きな危機を迎えてしまう。滅んでしまう可能性もある。何とかそれだけは避けたい。」という思いがあった。
「救いたい」という思いの裏に「救われたい」という思いが常に存在していた。
2.期待と恐怖による呪縛
OR氏は、
「どんなにつらくとも、仏の袈裟衣を決して離してはいけない。
袈裟衣を離すということは、仏を疑い、自ら信仰を捨てることをいう。
この袈裟衣を離したら最後、その行く先は永遠の闇の世界である。
袈裟衣を離さない限り、あなたたちは永遠の命を約束されるのだ。」
というような話を講演会で話していたことを思い出す。
これがK会のいう「信仰心」の本質でもあると思う。
この言葉を知らない信者はいないであろう。
これこそK会信者にとっての「希望」でもあり「自戒」でもあるからだ。
この言葉には「OR氏とつながっていれば自分は救われて天国に行ける。」という「期待」と、
「OR氏から離れると地獄に落ちる」という「恐怖」を含んでいる。
このことにより、信者は何が何でもOR氏やK会にしがみつこうとする。
そして「人々を救いたい」という表向きの思いを持ちつつ、心の裏では「救われたい」という思いで満たされる。
しかし、自らの内を見つめることをせず、また「救われたい」という思いを持っていることなど認めることもしたくないから、
「信仰心」という言葉でごまかして、恐怖心と戦いながら活動を続けている。
これがK会信者の「信仰心」の実体ではないのだろうか。
このOR氏の言葉は、大いに疑うべき必要がある。
信者達もしくは信者であった私たちが無批判で受け入れてきたこの言葉は、本当に真実であるのだろうか。
まず、OR氏自身が救世主ではない。
信者がこの袈裟衣を離そうとしないなら、この「偽仏」と一緒に行く先は、まさしく「地獄」でしかない。
また、たとえ一億歩譲って、OR氏が本当に仏であったとしても、本当の仏はこのような言葉を吐くだろうか。
この世界は神仏が創られた世界でもあるから、たとえ仏の袈裟衣を離してしまったとしても、必ず救いの道は残されているはずではないのか。
たとえ失敗したとしても、その失敗が次の成功に生かされるように導いてくださるのが神仏の智慧であり慈悲というものではないだろうか。
地獄のサタンであっても、神仏の目からみたら、彼はただ一時的に迷っている状態で、自らの過ちに気づくよう、神仏は温かい眼差しでもって彼を導いてくださっているに違いない。
要は、たとえ袈裟衣を離したとしても、離した者を見捨てることは、神仏は決してなさらないということだ。
この世では過ちを犯すことも数多くある。
しかし、それ故に、その過ちに気づき立ち直ることで、そこで新たな「智慧」が得られることもある。
むしろその智慧の獲得し成長することを神仏は期待しているのではないのだろうか。
ゆえにこのORの言葉は、神仏の言葉とはほど遠いものであると悟ることが必要であると思う。
遊行経には釈迦が在家信者に、持戒者には五つの利益があると説いている。財産が豊かになる、食が富む、名声が広がる、とかの現世利益そのものであるね。だが、深山くんはヒステリックに現世利益を否定する。釈迦仏教ではなしに深山経にしているわけだね。 3.呪縛
「この袈裟衣を離したら最後、その行く先は永遠の闇の世界である。
袈裟衣を離さない限り、あなたたちは永遠の命を約束されるのだ。」
という言葉は、信者をまさしくK会の「信者」として縛り付ける「鎖」の役目を果たしている。
まさしく「呪詛」でもあることに気づかなければならないと思う。
「希望」のうらに隠された「恐怖」
これがK会の「信仰」の本質でもあり、「信仰心」の名の下に信者を縛る「鎖」でもある。
後にOR氏は、「恐怖」の預言や中国脅威論など、「恐怖心」を膨大させる手段を取るようになるが、
この「恐怖」の原点も、仏の袈裟衣を離したときの「恐怖」にあるのではないかと思う。
K会の間違いに気づき、退会したあとでも、この「恐怖感」がトラウマになって苦しんでいるという信者の方もいると聞いているし、私もその一人である。
一度味わった心理的ダメージを癒すのは時間がかかるだろう。
しかしながら、OR氏やK会の「鎖」がまだ心に絡みついていることを悟り、それを丁寧に外していくことが大切なのではないかと思う。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2015/09/blog-post_6.html
へ続く
\/ ヽヽ レ | ──, ‐┼‐ / ‐┼‐ /
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深山くんが知らないだけで、パーリ小部経典には、病気の妻の代わりに夫が釈迦を参詣したら妻の病気が治って、釈迦の力を賛嘆したという経もある。密教みたいな護摩を焚いて病気を無くす話しは阿含経にはないが、稀にだが現世利益を与える話も阿含経にもあるのですな。 >>287 我見を根本として貪瞋癡の三毒を起こす、このルーツは阿含経にあります。
我見は無明の一種なのです。煩悩は阿から生ずるのか?岩波仏教辞典の煩悩の説明に、「煩悩は我見から生ずる」と書いてある。
こりゃたしかに批判側が言われたごった煮はゴッタ煮でも、頭がゴッタ煮のようだ。
僕かあ、ちゃんと>>196で、そりゃ「漢光類聚で平安時代後期の僧忠尋の著作
でしょうが」と、あなたのゴッタ煮アタマの沸騰ぶりを言うてあげてんのにネエ。
岩波辞典で我見の143ページに、その文言あとに「漢光類聚」と書いてありまんがなあ。
アタマが沸騰して、フキコボレてるのを自分で気づかんのだよなあ。
平安時代の天台宗の坊さんの言うたことを阿含経だと分けわからん状態だしなあ。 >>277 :神も仏も名無しさん2016/12/01(木) 20:45:53.48 ID:gvqdTTQc
>己の不勉強を省みず、他人の論を鵜吞みして他を判ずる。
「己の不勉強を省みず」??
その言葉に一番あてはまるのは宝生さんです。
宝生さんは桐山さんが阿含経から密教に到達したと主張している。
あなたの頭ってこんな程度です。
これこそ不勉強というべきではないか。
何度も書くが、私のいたファミリーにも理解力の低い信者はいたが、
それでも、桐山さんが「阿含経→密教」なんて言う信者は
お目にかかったことがない。
桐山さんは阿含経、阿含経と年中お題目を唱えていたのだから、
嫌でも「密教→阿含経」だと理解する。
だから、「阿含経→密教」と堂々と主張する信者がいるのを見て、仰天した。 >294 :神も仏も名無しさん:2015/12/23(水) 14:21:56.21 ID:6pCSXUec
> 阿含経典の不足を補う為には密教を体得すべしと仰り桐山師は阿含宗を創設された
他の信者さんたちも見てください。
上記のように宝生さんによれば、桐山さんは、阿含経に成仏ホウがないから、
密教を体得するべきだとして立宗したというのです。
はあ?????と?がいくつも並ぶような発言です。
桐山さんの主張とはまったく逆です。
これを主張している宝生さんは批判側ではなく、現役の信者です。
それも昨今入ったのではなく、おそらくは慈恵会時代に入信したようだから、
四十年近い行歴を持っている。
こんな初歩的なアゴン宗の教義も理解できない頭の持ち主が
偉っそうに「己の不勉強を省みず」などと他人を批判している。
まあ、厚かましいというか、図々しいというか、恥知らずというか。
他の信者さんたちは、こんな奴が信者仲間だと思うと恥ずかしいでしょう。
こんな奴が、まるで信者代表みたいにここで高見からお説教を
しているのを見て、恥ずかしいでしょう。
だが、宝生さんはまったく恥ずかしくないから、何度大恥をかいても、
何事もなかったかのように、ここに堂々と出て来て、またお説教を始める。
恥知らずが必ず勝つ。
他の信者さんたちは宝生さんや>>297の1.5来補さんを反面教師にして、
恥知らずにならないように気をつけてください。
釈尊も恥じる心を大事にするように説いています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています