>>154,小生、これまでの行の過程において霊魂と言うべき存在を
 見て知っているし、語りかけられたこともしばしばである。
 是を否定するのは、無理である。
 祖霊供養の方式はいかに良心的提供で行うかが課題なのである。
 ドライに云うと需要と供給となろう。
 それは嫌だな、不要だ、と感じる人は無縁で構わない話題である。
 最近は骨上げの骨壺を用意せず、そのまま放置し後始末を任せる方々も
 居らっしゃると聞き及ぶ、是も時代でしょうかね。