正見、なんて言葉では簡単に聞こえるけど
これ位難しい事はないんだよ
なぜって色んな足かせがあるから

仏典にはこうあった、あの本にはこう書いてあった、俺は良い大学を出て頭が良いんだ、俺はあの行をやった、あいつはこれを知らないけど俺は知ってる

これら全部が足かせになる
固定概念、思い込み、願望、自己防衛本能、
こんなものにまみれてる人間が正しく見るのはとても難しい
だから修行があるわけだし、手法というのは正見するためにあると言っても過言じゃない

そして、大事な事だけど例えば伝統的な仏道だとか出家だとかなんてのも当然、正見するには妨げになる