>>886 >自分の限界を認識した上に、神の助けの必要性を認めて、この助けを願い求め、・ ・ ・

論旨を整理してみると、「人間は個人として、また、人類全体として、平和とか幸せとかを求めて、そのために一生懸命に努力している。
・ ・ ・ しかし、人間が自分の力だけではそれを実現することができない。
(だから) ・ ・ ・ 全能者である神の助けを必要としているということなのです。」

<批評> これでは、人間が歴史の 「主人公」 であって、神は人間の計画の実現を援助する 「従属者」 ということになってしまいます。
聖書は、そんなことは言っていません。 救いは神の主体的な御業なのです。

「自由な選びによる神の計画が人の行いによらず、お召しになる方によって進められるため ・ ・ ・ 」
「では、・ ・ ・ 神に不義があるのか。 決してそうではない。」
「これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。」(ロマ 9:12-16)

「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいた ・ ・ ・ 生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
しかし、憐れみ豊かな神は、・ ・ ・ 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、− − あなたがたの救われたのは恵みによるのです。」(エフェ 2:1-5)