十十十 カトリック246 十十十©2ch.net
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ある日水瀬いのりちゃんのストーカーすずはらみさきち ◆5oR0dKBDzYに 手紙が届きますた・・・ _____ / ヽ____// / / / / / / / / /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | | | /  ̄ ̄ ̄ ̄ /_____ / /ヽ__// / 殺 す / / / / / / / >>516-517 自然とすぅーっとカトリックに導かれたという感じですね。 川の流れに身を任せていたら辿り着いておられた。 神の御はからいを感じました。 私はあっけないものですよ。乳児洗礼でした。 「僕は生まれて何日目に洗礼を受けた?」母「生まれてすぐさ」 「生まれてすぐって言ってもわからない。何日目?」母「7日目よ」。 >>518 続き 実にあっけないものだったけれども、こんなに大きく人生に影響を与える とは思いもよりませんでした。大学時代から社会人3年目くらいまで カトリックへの反抗期があって、その後は数十年、カトリックが好きになる ばかりです。ああ、ほんとカトリックでよかった。 >>519 私も、今では「カトリックでよかった」と思っています。 サラリと書いてしまいましたが、洗礼に至るまでには、いろいろなことがありました。 「無教会主義」に惹かれ、建物のないそれこそが「信仰の究極の形」だと思い、 カトリックで洗礼を受けるのはやめよう、と思ったこともありました。 しかし、いろいろと調べていくうちに、「無教会主義」の場合は、秘跡にあずかることができない、 ということを知ってから、「私には、カトリックしかない」と思うようになり…無事に受洗することができました。 受洗するまでの間に、幾度か、その機会を逃してきたので、「洗礼を受けることなく、一生を終えるのかもしれない」と、 私は絶望的な思いを抱えていました。 だからこそ、受洗できた時は、嬉しさもひとしおでした。 洗礼を受けた次の年(=2014年)には、「ふさわしく聖霊を受けることができるように」と、堅信の秘跡を受けました。 堅信の秘跡を受けた後は、自分でいろいろと調べて、いろいろなことを知りました。 だからでしょうか、日本の教会の今後のことを思うと、とても心配でなりません。 先日、ブロック単位で、特別聖年の閉幕ミサが行われたそうですが…参加した外国人は、 日本人に合わせてそうしていたのかはわかり兼ねますが、ひざまずいていた人は一人もおらず、 全員、立っていたそうです。 また、日本のカトリック司教団は、典礼でのひざまずきをなくそうと画策していたり、 司祭や信徒に、「聖別されていない手で御聖体に触れると、『汚聖の罪』になる」ということを一切伝えずに、 それが当然のことであるかのように、御聖体を侍者やシスターの手で配らせたり、 信徒の手の上に乗せたりしていますが… 神様の御旨とは正反対のことをしていて、本当に日本の教会は大丈夫だろうか、と危惧する気持ちが募ります。 海外では、手での聖体拝領を信徒に勧めていた司祭が、死後、一部の信徒の前に現れて、 自身が勧めていたことが原因で、現在は煉獄にいて、これからも長い間、煉獄にいなければならないこと、 「ひざまずいて、舌で御聖体を受けるように」と勧めていること、他の司教や司祭たちが自分と同じ過ちを犯さないこと、 などを伝えている、という報告がありますが、日本ではそのようなことは一切、司祭や信徒の耳には入ってきません。 今の日本のカトリック司教団に付いて行ったら、私たちは「神の道」ではなく「悪魔の道」に入っていきそうな気がします。 教会の高齢者も、「司教様の言うことが絶対」だと思って、自分の頭で考える、ということをしない人が多いので、 日本の教会は今後も、霊性を高めていくことが困難になるのではないか、と思わずにはいられません。 どうしたら、日本の教会を「神の御心に適う教会」に創り変えることができるのでしょうね…? >>467 信仰なんかないよ 付属の中学を子供がじゅけんするから顔効きコネコネのためにもぐりこみました。 そんなかたちでも神の御計画ならそれも信仰ですね イエス様の御復活について信じるか? 信じます。 しかしながら入門講座はこんなやつばっかり。 わかりやすい仕組み。 それはそれで学校法人にカネが入るから神なる修道会としてはカモネギでんな そのなかでカネや肩書持ってる親には古参信徒がスリスリ。 そんなことを嗅ぎつける能力だけは高い。 なぜかお互い波長が合って腐った既得権益の出来上がり。 非常にわかりやすい。 一方、貧乏なのに見栄を張って必死に頑張ってる親御はボロ雑巾のように打ち捨てられる。 これまた非常にわかりやすい。 洗礼を受ける前から教会ヒエラルキは定められている。 まれに貧乏門外漢でも何らかのかたちでセンスのある人は大事にされる。 これまた非常にわかりやすい世の無常。 しかしながら、なすべきことは簡単だ。己を知り回心すること。 へりくだりとコネコネモミモミを知っているかたなら大抵はうまくいく。 これもまた晩秋の落葉のごとく世の摂理である。 しかしながら聞く耳を持ちアクションできるひとは意外と少ない。 世の中、こういう馬鹿がいてくれないと回らないのも事実である ああ無常。 自然とカトリックが生活の中に息づいているかたが多いのですね。 成り行きでっていうの導かれているというのか結構大事ですよね。 私は宗教というのが嫌いなので無宗派なのですが、 それでも私は神様っていうのを信じていますよ。 私の信じている神様って男とか女とかいう姿の無いかた。 つまり空気のようなかたが神様だと思っています。 私は神様は処罰や戦いや暴力は振るわない絶対的な正のかただと信じています。 だからコーランや聖書に書いてある処罰を行う神様は受け入れがたいのです私は。 みなさんの思いをお聞かせくださってありがとうございます。 神様の事悪く書きましたが私は皆さんの信仰を汚したくはないことをご理解ください。 結婚式がしあわせの絶頂。 これまた人間をはかなく吹き抜ける風のごとし 霊性w 西洋の価値観に基づく心地よさですね。 そんなもの美術館で体験できますね。 同じ信心業。 東南アジアや中南米主催のものには霊性を感じないでしょう。 つまるところこれが人間のすべてです。 合理的にそして都合のいいように解釈している自分自身を顧みないなら、 世俗にまみれた絶対悪なるもののほうがむしろ価値がありマスネ 所詮、人間のやることに絶対の価値観など存在しませんよ。 あるのは自分好みの文明の優劣だけです。はい >また、日本のカトリック司教団は、典礼でのひざまずきをなくそうと画策していたり、 >司祭や信徒に、「聖別されていない手で御聖体に触れると、『汚聖の罪』になる」ということを一切伝えずに、 >それが当然のことであるかのように、御聖体を侍者やシスターの手で配らせたり、 >信徒の手の上に乗せたりしていますが… >神様の御旨とは正反対のことをしていて、本当に日本の教会は大丈夫だろうか、と危惧する気持ちが募ります。 こんなことをいっているにんげんは神を認識できないでしょう。 使徒座の権威継承をめぐる統治の原則を理解できていない。 この時点で神などいないのは明らかにされますし、 それでも神を信じているんのなら自分自身で新興宗教を開き権威を確立すればすべて解決するのになぜしないのか? ヘタレ。wで、おわります >>521 信仰熱心からの発言であることは、よく分かりますが、 もし、日本の司教団が使徒座 (典礼秘跡省) の認証を得ずに、反旗を翻しているかのように考えていらっしゃるなら、 それは、全くの誤解です。 下記の 「教令」 を、先ずお読みください。 www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/20141130.pdf さらに、下記の二つの文書を、ていねいに学習なさることをお勧めします。 www.cbcj.catholic.jp/jpn/library/book/sosoku2.pdf www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/20150615sosoku.pdf 761)どっかの宗教のバカな最高指導者が北朝鮮から無経験のテコンドーの名誉段位貰って歓喜してるってよww こんなバカなやつにはお似合いだけど 最低なバカ指導者だな どこの宗教だよ? 762) >>761 フランシスコ教皇様じゃないか!w 個人的には柔道もしくは空手であって欲しかったけどね。 763:神も仏も名無しさん :2016/11/16(水) 09:13:45.53 ID:FCGCPIRb >>761 テコンドーも「道」 最終目的は、喧嘩に強くなることじゃなくて 心を無畏の境地にすること。 教皇様はその「心」の点において テコンドーの名誉9段に該当するってわけだ。 オマイら、心の修養が大切なんだよ。 しかし、北朝鮮ってところがちょっと疑問だなwwwww 765:神も仏も名無しさん :2016/11/16(水) 18:34:30.25 ID:4kUxsM3p >>763 世界中の何処の格闘技、武道に於て「心」が優れているから という理由で最高段位を授与されるものは一切ない 口先だけ、机上論、これらを嫌うからだ。 格闘技や武道を理解出来ない知ったかぶりはかえって恥かくよww 766) >>763 車の免許だって学科だけ優秀なら実技やんなくても 免許取れるなんてありえないよねww さらに問題なのは、北朝鮮が政治的な意味で相手を懐柔しようとしているのが明らかということ。 どこの宗教か知らない(笑)けど、そんなことも見抜けず最高指導者が務まるなんて末期だなと思うww 767) >>763 更にもっと問題なのは、 どこの宗教か知らないが(笑)、この宗教の最高指導者が世界情勢に疎すぎるということ。 いま北朝鮮が国際社会でどれだけ問題を起こしているかわかっているなら、 名誉段位授与の際に北朝鮮に苦言を呈することをすべきところなのに、この宗教の最高指導者はそれを一切していない。 片田舎の司祭ならいざ知らず、最高指導者が信者とお祈りばかりやっていればいいというはずがない。 こんな心ない無能な人物に最高指導者なんて向いてないんだから辞めるべき。 老クリスチャンのファリサイ派的なコメントがこの世的なものとしてあるものの 「聖性」を大切にする、>>521 さんを神の御目は善しとされるかもしれません。 一概に「反旗」だとして、そんな心をもってもいけないというものではありますまい。 私も「御聖体は口で」「ひざまずくのも当然だろ」派です。 旧約聖書を読んでご覧なさい。 イスラエルの民が、神にどれだけ畏敬の念をもっていたのかを。 ちなみに「種なしパン」にこだわるのはどうしてなのか? 当時の人々は、「発酵」と「腐敗」の区別がついておらず、神にはできるだけ 「完全なもの」を捧げないといけないとピリピリとした緊張感をもっていたんだ。 それで「種なしパン」でなければならなかった。 >>528 >つまり空気のようなかたが神様だと思っています。 >私は神様は処罰や戦いや暴力は振るわない絶対的な正のかただと信じています。 >だからコーランや聖書に書いてある処罰を行う神様は受け入れがたいのです私は。 あなたは神観が小さすぎます。 「戦いや暴力は絶対に悪いもの」と捉えるのは、あなたという人間のモノサシで 測った「正義」や「絶対的な正」です。 例えば、原爆で一瞬に亡くなった方々に、生前以上、今生きている人間以上の幸せを も与えることができるのが神です。 神は、あなた以上に、亡くなった方々を愛しておられるんだ。 あなたが「悲しい」「それは理不尽だろ」「それは悪だ」というのは あなたが作り出した、スケールの小さい、こんな神であって欲しい という「幼稚な神像」でしかないのです。神の御計らいはもっと大きいぞ。 自分の子供が殺された。悲しいさ。 自分が子供を愛している愛よりも、神の愛は大きいのだから。 >>528 さんは、自分の愛の方が、神に勝るという思い上がるがあるということ。 思考停止から解放されたら、カトリックの洗礼を受ける準備に入られる ことをお勧めします。 そう思えと言われてもなあwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>537 最後には神に従わないものはすべて地獄の炎の中に入れてしまうような、 神の御心のどこが大きいのでしょうか? 目印つけないと判別できない神とか老衰だよなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww DV被害者って本当に被害者なのですか? 元加害者ではありませんか? わからないので教えてください。 >>542 集団で強盗とか殺人とか繰り返してた連中(キリスト教徒)が、犯罪取締で弾圧されたら 迫害だ、と言って被害者ぶるようなもんだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>543 そういう人たちを取り締まる方法はありますか? >>544 少なくとも仲間にならないことだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>545 仲間にならないと暴力を振るわれる場合は? >>546 違法行為には法で対処だ。法治国家だからな。放置はいかんよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>547 本人はDV被害者って言ってるのに、その人は周りの人に言葉の暴力を振るい続けるのですが。録音しないといけませんか? >>548 優しく受け入れてやったらどうなんだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>549 私だけでなく、他の人たちも無理になったので。 DV被害があるからって、他の人に精神的苦痛を浴びせるなんて。 >>550 そいつの武器はキリスト教か?wwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>551 はい。でもキリスト教を武器にするのはキリスト教ではないと思います。 >>552 武器にするためにキリスト教徒になるのが正しいキリスト教の使い方だぞwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>553 言葉のDV加害者が肉体的DV被害者になることは自然なことですか? キリスト教の神にしろイスラム教の神にしろ元々どちらも同じ神だが、 人間を支配しようという魂胆が見え見えなのでどちらも嫌いなのですよ私は。 DVがすでに不自然な行為だからなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>540 > >>537 > 最後には神に従わないものはすべて地獄の炎の中に入れてしまうような、 > 神の御心のどこが大きいのでしょうか? 拍手( ̄ー ̄)//””( ̄▽ ̄)ノ_彡☆( ̄ー ̄)//”” 生まれながらキリスト教徒という場合は別にして、 教会で洗礼を受けたいという人の気持ちが理解できません。 >>540 >>537 >最後には神に従わないものはすべて地獄の炎の中に入れてしまうような、 >神の御心のどこが大きいのでしょうか? いいえ。この投稿をされた御方は、大変な「思い違い」をしていらっしゃいます。 このスレの利用者の中にも、「神は自分に従わない者を地獄の炎の中に入れてしまう」と思っている人が いらっしゃることでしょう。 ですが、それは違うのです、そうではないのです。 私は小さい頃、周りの大人から、「悪いことをすると、神様に地獄に落とされる」と言われて育ちました。 ですから、幼い頃は、「神様は、そのようなものなのだ」と、悪い人間を地獄に落とす人なのだと思っていましたし、 自分が悪いことをしたなら、神様の判断で地獄に落とされても文句は言えないだろうな、とも思っていました。 ですが、大きくなって、自分の力でいろいろと調べられるようになった時に、初めてわかったのです。 「神様は、人間を地獄に落とす御方ではない」と。 つまり、私が知ったのは、「神様が人間を地獄に落とすのではなく、『人間の霊魂』が自らの罪深さを知り、その罪深さゆえに、 『自らの選択』によって、人間の霊魂はそこ(=地獄)に行くのだ」ということでした。 神様は、人間が亡くなる前、つまり、それは「生前」を意味しますが、 「死後、この人の霊魂が地獄を選ばないように」と思い、現世の中で、いろいろと尽力してくださいます。 人間がそれに気づかないのは、至極当然です。 「目には見えない形」で、神様は常に、私たちに手を差し伸べてくださっているのですから。 「初めから、目に見える形で助けてくれたら良いじゃないか。」という御方は…、 なんと「御自身に甘い御方」なのでしょう! 神様は、私たちが「自分の力」で、霊魂を白く輝くほどに磨いて、天国に入ってくれることをお望みです。 天国には、本当に「聖(きよ)い霊魂」しか入れませんので、天国に自力で入れるようになるくらい、現世で霊魂を 磨く必要が、私たちにはあるのです。 仮に、「目に見える形」で神様に助けられたとしたら。 それ以降、私たちの霊魂は、神様の助けに依存するばかりで、自分に厳しくすることすら知らず、 「自力で乗り越える」ということができない、魂を磨く術を知らない…、 そんな生ぬるい霊魂の持ち主になるのではありませんか? また、「神様がいるなら、なぜ、現世でこんな苦しみに遭わなければいけないのか?」という疑問を持つ人も、 中にはいらっしゃいますよね。 それは、その苦しみが、貴方の霊魂を磨くためには、ぜひとも「必要な苦しみ」だからです。 その苦しみがなければ、貴方の霊魂を「白く磨くことはできない」からです。 その苦しみが、たとえ、ちょっとした苦しみであっても、少し足りないだけで、貴方の霊魂は、まっすぐ天国には入れません。 神様はそのことをよく御存知なので、あえて私たちを苦しみの中に置かれますが…。 その苦しみを乗り越えるための「脱出口」を備えてくださるのも、実は神様なのです。 「神様は、私たちに乗り越えられないような試練を与えない」と言われていますが、私たちが試練にあっているその時、 神様の中ではすでに、「私たちが試練を乗り越えた後の未来」ができあがっています。 つまり、神様は、私たちが試練を乗り越えるであろうことを事前に御存知であり、 私たちに対して、この世の言葉では表現しきれないくらいの「信頼」を寄せてくださっているのです。 だからこそ…神様はあえて、私たちに試練をお与えになるのです。 神様の、私たちに対して寄せている、「揺るぎのない信頼」のもとに。 ですから、「神様が、地獄の炎の中に入れる」というのは、まったく違いますし、誤解です。 「天国や煉獄へ入れないほど、自分の霊魂は汚れてしまっている」と悟った霊魂が、 自ら地獄に行くことを選択した結果、地獄の炎の中へと入って行くのです。 生きている間は、このようなことを耳にしても、ピンとこないでしょうし、まるで「夢物語」のように聞こえるでしょう。 ですが…お亡くなりになった後で、きっと、貴方は理解なさるでしょう。 このことが「真実」で。 「神様が生前、貴方をどうにかして助けようとしていた」ということを。 「地獄の炎に入れるどころか、天国へ導こうとしていた」ということを…。 そして、この投稿を読んでいる今も、神様は、貴方の近くにそっと寄り添い、神様が差し伸べたその手を、 「いつ、貴方は握り返してくれるのだろうか?今、握り返してはくれないものだろうか?」と、 「きっと、この手を握り返してくれる」という期待とともに、「慈愛のまなざし」で、貴方のことを見つめていらっしゃいます。 神様に対する誤解を解くことも、キリスト者である私たちの使命の一つなので…。 長くなりましたが、どうか皆様、御容赦ください。 囲いの中にいる者たち(=キリスト者)の王様は、 囲いの外にいる者たち(=無神論者などの神と出会っていない人々)にとっても王様なのですから。 (このように、神様は、神と出会っていない人々にとっても、御自身が「天の御父」であることをキリスト者に示し、 家族を愛するように、彼らを慈しみ、愛することを、私たちに教えておられます。) 『この投稿を目にする皆様の上に、神様の慈しみと御加護が、豊かに、限りなく、在りますように…。 また、悪魔および悪しき霊たちに霊魂を捕らわれることがないよう、神様が彼らの霊魂を御護りくださいますように…。』 煉獄、地獄などという迷信により無知な人の不安と恐怖を利用し支配する 反キリスト教会カトリックは偽キリスト教会である。 滅びよ。 聖なる普遍の「真理の存在」を知っていながら、それを自分たちすなわち 「カトリック教会」にすり替えて唱える神への反逆者である。 自らを神とするカトリックは偽キリスト教会。滅びよ。 もてたいけどもてないやつが頑張るwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 痛々しいけど誰も何もいわない」wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>561 神=金持ち。 神様=sカネ持ってる先祖 キリスト=ボロ雑巾+買収屋 キリストの復活を信じるか>講で喰ってる教役者は救われる。 これでも理解できない貧乏人はアホ。というかカモ、」ありがとう 金持ちラッキーさんは喰いつくして神になれ。 アホは死んでもアホだww カトリックの拳の使い手の方が現れたか。 この糞スレに咲いたユリの花のような投稿。 お前らよく読んでおけよ。(ガチンコ竹原さんで) 金持ちをレトリックで認識できないやつも同じアホ。 むしり取られるカモ。 いてくれてありがとう 君たちのおかげでおいらも喰えてるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 殺し文句=〇〇さんわかってるわぁー プゲラッチョ。こいつアホやって教役者はおもってんだけどねwwwwwwwww >>573 子供のチソコに手を出す神父がいるぐらいだから、おまいのような 神父がいてもおかしくはないが、神父だろうが神父でなかろうがど うでもいい。要は、おまいがイカレタヤツだということだ。 それでも承認欲求と性欲カネ見栄肩書のためならなんでもしてくれる。 まさしく神はなんでもおできになる。これぞまさしく聖変化なのであった あ。もちろん地震雷火事おやじは怖いよ。あと津波隕石心筋梗塞、不意に空から降ってくる鳥の糞なんかも怖いねw ってネタのネタを教えてやってもカモは貢いでくれるんだよなー 〇〇さん、賢いなぁ さすがやねー。 年度の食い物には困らない。 何か問題でも? ここは神の国であって、神は決して人の世では姿を見せない。 そんなこと世俗で言うわけないだろwwwww >>575 イカレタヤツに存在価値をもたらすのがかとりっくなんだわ。 いっとくが、教役者や権力者既得権益層は一切手を下さない。 作り上げるのも〇ロスのもぜーんぶ欲にまみれたアホたちよ。 こちらから要求することなど一切ない。 見抜いて煽るだけの簡単なお仕事。 あとは典礼マニアなり信心マニアなりが歴史を作ってくれるwwww >教役者や権力者既得権益層 このへんもなるべく修辞として識別してね 旧教新教問わず、聖書マニアの如く書いてある文字の内容として理解したいのならどうぞご自由に これはこれで、いいお財布さんなんです どいつもこいつもアホはすべて食い尽くし飲み干す。捨てるところは…うざくなったら無視wwwwwwwww でわ >>575 まあ ローマ法王がイエスはルシファー の子だというぐらいだからね >>580 いやsernにシヴァ像飾るぐらいだから 既得権益 宗教やりまくりだろ そもそもそうでないなら 統一教会や創価が議員になりまくる ことはない 2001年(主日C年) 11月25日 王であるキリスト サム下 5:1〜3 コロ 1:12〜20 ルカ 23:35〜43 サウルが死んだ後(サム下 1:1) 、ダビテはヘブロンに上って、恐らくそこの古来の聖所マムレ (創 13:18, 23:16-20, 25:7-10, 50:12-13) において油注がれて、「ユダの家の王」 となりました(サム下 2:2-4)。 「ダビデがユダの家の王としてヘブロンにとどまった期間は七年六か月であった」(サム下 2:11) と記されています。 その後イスラエルの長老たち全員がダビデのもとに来て油を注ぎ、彼をイスラエルとユダの全土の王とします(サム下 5:5)。 そこでダビデはイスラエルのどの部族にも属していなかったエブス人の町エルサレムを陥れて、これを王国の首都としました(サム下 5:6-10)。 そして神の箱をエルサレムに迎えることによって、これを12部族の結束の宗教的中心にしようとします(サム下 6章)。 それ以来エルサレムは、イスラエル民族の最も神聖な場所となったのでした。 このような複雑な歴史の流れを、神の救いの御業の進展の過程として見ると、この世界の歴史の背後にある “神の救いの歴史 (救済史)” が浮かび上がって来ます。 神の子イエス・キリストの受肉と、その受難と復活を経て、王であるキリストの来臨に至る “神の救いの歴史” の中に、地上の教会は置かれているのだということを、代々の教会は毎年この典礼暦の最後の主日に、思い起こすべく聞かされて歩んで来ました。 主イエス・キリストは終末の日の王であるばかりではなくて、現在は地上の共同体である教会の頭です。 「御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。 こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。」(コロ v.18) ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 老クリよ。 長文コピペややめてくれ。 普通の投稿の一番したにアドレスを貼るなり、他のスレッドでやってくれ。 シラ書42・8 思慮なき者や愚か者や、 若者といさかいをしている衰えた老人などをこらしめることを恥じるな。 >>559-561 さんのように、御言葉をできるだけ使わずにカトリックの心 =正しい信仰を語ればいいではないか。これは私が御言葉を嫌うからではないよ。 この但し書きを入れないと老クリは私を勘違いする。 >>558 聖トマス・アクィナス 「あるものがみずから望んで、太陽の光を受けることを拒むなら、その責任は太陽になるのではない。」 >>559 >神様は、私たちが「自分の力」で、霊魂を白く輝くほどに磨いて、天国に入ってくれることをお望みです。 >天国には、本当に「聖(きよ)い霊魂」しか入れませんので、天国に自力で入れるようになるくらい、現世で霊魂を 磨く必要が、私たちにはあるのです。 「わたしたちも皆、・ ・ ・ 以前は ・ ・ ・ 生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」(エフェ 2:3) 「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。 このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。 行いによるのではありません。 それは、だれも誇ることがないためです。」(エフェ 2:8-9) 「では、人の誇りはどこにあるのか。 それは取り除かれました。」(ロマ 3:27) >>587 >御言葉をできるだけ使わずに ・・・・・ (イエスは言われた。) 「神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るとき、その者を恥じる。」(マコ 8:38) あなた方キリスト教の信者のかたたちで神に救いを求めている方達には、 なんら罪は無いのです。 ただキリスト教を利用して人々を支配しようとしているものは罪深い万死に値する。 しかし神様はだれも処罰なさらないからそういう輩がはびこるばかり。 神を盾に従うことを強要してほしくはありません。 >>590 恥じているからではない。 正直に言うと、カトリック信徒を増やしたいから。 初心者や求道者に 老クリのようなのがカトリック信徒と思って欲しくないから。 あなたはプロテスタントだよ。 カトリックに興味をもった人はできるだけまっすぐ 老クリを通さずに教会に行って欲しい。 信仰はプロテスタントの信者に多い、あなたが表現している ような「聖書道」ではないからね。 この掲示板で、神様が好きだからと、ハレル〜ヤ!アーメン!と 毎回叫ぶようなキリスト者がいたらどうだ? 気持ちが悪い。自分はあのようにはなりたくないと思う。 その叫ぶ者の純粋な信仰を大切にしてあげるよりも、それは未信者には 気持ち悪いと思うからやめろ、と注意して、キリスト者を増やす方がいい。 同じようなこと。 垂加神道〜スタンフォードのJPOPの出会い。 http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1325367/439553/106339095 心に性別はない。体がより生物学的でサイエンスに満ちているのが女だ。 美しさがなければ生きることを呪うだろうね。 しかし、美しさを探求したら妊娠の危険があるだろう。 働けと言われたら背中の筋肉もつくし、手はお料理などの家事労働に用いられ、膣は快楽のため、子宮は子供を生産するために用いられる。 肌の色によって階級が分かれる。 子供の肌の色によって第一次世界大戦で生きるか死ぬかが決まっていた。 女が嘘をつくかどうかも肌の色次第だった。 女は力が弱いので医学の実験台にしやすいと考える生き物は人間だけだった。 女とは生まれるものではなくなるものだ。数々の神話や、たとえ話から教わるのだ。 オスでも卵を暖められるという事実から、メンスなどを除けば心と体に違いはないことがわかる。 男の子は木登りをしたり乱暴なことをし始めるが、女の子は「見られる」ことから体が異なってくる。 女にとって体とは「恥と恐怖の原因」なのだ。 生理の血を見ることからセックスの準備を始め、結婚や母であることも、生理の血を見たときの「不快感」から始まっている。 妊娠するというのは受け身のものであり、排卵が止まるという反則を行っていると考えている。 「妊婦です」というだけでも世界が広がるものだ。 妊婦さんが「あなたはなにも知らないの」という表情を男に向けるのもこの不快感を前向きに変えようという営みであるし、軍人の子供が産めるぞと言えば誰も逆らえない。 赤子を抱いた母というのは「最悪の苦しみ」を抜け出したあとの喜びだった。 セックスの経験においても母体にとっても危険な行為が出産だったからだ。 「お母さん」と呼ばれるだけで女としての意味が変わってくる。 唇を閉じているだけでも女でいられるようになる。 伝説の美白家 鈴木その子さんが見せる様々な表情: http://youtu.be/O8C7HIDrO_w 煉獄、地獄などという迷信により無知な人の不安と恐怖を利用し支配する 反キリスト教会カトリックは偽キリスト教会である。 滅びよ。 聖なる普遍の「真理の存在」を知っていながら、それを自分たちすなわち 「カトリック教会」にすり替えて唱える神への反逆者である。 自らを神とするカトリックは偽キリスト教会。滅びよ。 カトリックは本物だぜぇぃ。(すぎちゃんで。と書かなくてもわかったと思うけど一応) >>582 またオウムみたいに繰り返す この場合の Lucifer は >>582 再送 またオウムみたいに繰り返す この場合の Lucifer は "The planet Venus when it rises in the morning" 明けの明星(金星) ttps://en.oxforddictionaries.com/definition/lucifer Origin(起源) Old English, from Latin, light-bringing, morning star, from lux, luc- light + -fer bearing. Lucifer is by association with the ‘son of the morning’ (Isa. 14:12), believed by Christian interpreters to be a reference to Satan. 後半のおよその意味:Lucifer は、「曙の子」(イザヤ書 14:12)との関連で、 キリスト教の解釈者達によって、サタンに対する参照文と思われている。 「曙の子」は新共同訳聖書の訳。NABRE では "son of the dawn" 「言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。 あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」(マタ 12:36-37) 「更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。 この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。」(ヘブ 4:13) 2007年(主日C年) 11月25日 王であるキリスト サム下 5:1〜3 コロ 1:12〜20 ルカ 23:35〜43 「十字架にかけられていた犯罪人の ・・・・・ もう一人の方が ・・・・・ “イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください” と言った。」(ルカ vv.39-42) イエスの処刑の場を通りかかった人々は、代わる代わるののしり、あざ笑って、“お前がメシア、ユダヤ人の王なら、十字架から降りて自分を救うがよい” と言いました。 一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしりました(マタ 27:32-44、マコ 15:25-32)。 ルカ福音書が書かれた頃、すでに多くの人々がキリストの福音を信じるようになり、神の国の希望に生きる教会を形成していました。 初期の受難物語りに描かれている民衆や兵士や犯罪人たちのイエスに対する侮辱の言葉に、他ならぬ自分自身の罪の姿を見出し、その罪のために神の子イエスが十字架の死によって、永遠の贖いを成し遂げてくださったと信じるようになっていました。 ルカ福音書の受難物語りには、そのような初代教会の信仰が反映されているのです。 まだ自分の罪を知らず、キリストの福音を受け入れていない当時の人々に向けられた 「お前は神をも恐れないのか」(ルカ v.40) という呼びかけが、現代のキリスト者である私たちに今朝再び語られています。 “王であるキリストの祭日” と呼ばれる典礼暦の最後の主日は、私たちが “キリストの出現とその御国とを思う”(IIテモ 4:1) べき日でありますが、我が国のカトリック教会でこの日にそのような説教が語られることは、これまであったのでしょうか。 しかし、この主日の “ことばの典礼” における朗読配分は、長い歴史を超えて今日に至るまで、この主題を明確に伝え続けて来ました。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>601-602 脅してもダメですよ。 プロテスタントの風を吹かせる「聖書道」を、ぼろぼろ涙を流して 棄て去るまでは、ソコから出てくることはできないだろうね。 だからカトリック信徒にならない。なれない。 カトリック教会の 「主日のミサの朗読配分」 は、すべての人が豊かに福音を聞いてキリストの救いを得るために、用意されています。 ですから、主日のミサの参加者が、その朗読を何の準備もなく聞き流してしまうことのないように、事前に準備することが望まれます。 額に付ける経札(きょうふだ)の箱を巨大化して敬虔ぶり 「至らないのはいつも他人」。口先だけのへりくだりも甘言も悪臭を隠せない。 (福音について) 「けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。 その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結びつかなかったためです。」(ヘブ 4:2) (だから) 「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。」(ヘブ 3:12) 戦いを行うものは悪。 暴力を振るうものは悪。 処罰を行うものは悪。 でも悪の行いを行わない善良なるものは神様がきっと救ってくださるでしょう。 >>607 ひとつ入れるのを忘れていた。 支配を行うものは悪。 >>535 International Taekwon-Do Federation (ITF) の関係者の方々は 大変控えめなようです。ITF の NEWS の欄に教皇様への名誉段位の事が 書いてありません。 ttp://www.itftkd.org/?n=news EVENTS 欄には 2016 年 9 月 5 日から 11 日にイタリアのアンドリア (Andria) で 12th Junior and 7th Veteran ITF World Championship が 行われたと書いてあります。 ttp://www.itftkd.org/?n=events Andria の地図 ttp://www.weather-forecast.com/locations/Andria スイスに本部を置く Taekwondo Humanitarian Foundation (THF) は 2016 年 10 月 5 日に Vatican city で行われた行事 Under the theme “Sport at the Service of Humanity” the 1st Global Conference on Faith & Sport kicked off on October 5 for a three-day event に参加したそうです。 ttp://thfaid.org/2016/10/06/taekwondo-holy-ground/ >>602 カトリックの信者でないのに どうしてこの掲示板で牧師ゴッコをするんですか? サロメだからだと思うぞwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>601 「神の御言葉」を、老クリスチャンの都合の良いように、用いるな。 「神の御言葉」は、老クリスチャンに利用されるために存在するのではない。 以前、(言葉のニュアンスこそは違っているかもしれませんが)そのように注意したことがあると思いますが、 もう、お忘れですか? その、「上から目線」の投稿は、何ですか? 「愛」が全く感じられません。 耳にうるさい、どらやシンバルのようです。 キリスト者の風上にも置けません、恥を知りなさい。 「神の御言葉」を利用する老クリスチャンには、自分の目の中にある丸太が全然見えていません。 まずは、自分のことを棚上げしないで、自分の目の中の丸太を取り除きなさい。 老クリスチャンは、「神の御言葉」を利用しました。 それは、人間の都合のために、神を利用したに等しい。 それが、「神をも畏れぬ所業」であり、「地獄に行くにふさわしい所業」であることを知りなさい。 老クリスチャンは、神を侮っています。 神をこれ以上、侮ってはなりません。 「神の裁きの厳しさ」を知らないならば。 神の裁きは、人間が想像しているよりも、大変厳しいものなのですから。 「神に属する者」は、「他者を自分よりも優れた者」だと思い、接します。 上から目線で接する者は、謙虚さを知らない、「悪魔に属する者」です。 老クリスチャンは、どちらに属する者でしょうか? 「愛」なくして、「神の御言葉」を用いてはいけません。 これは、老クリスチャンが地獄に落ちないための忠告です。 回心なさいませ。 だれもがこれで老クリスチャンも聞き入れてくれるだろうという厳しい 注意がなされしーんとなる。 ところが突然カトリック関連スレッドの全てに長文コピペが貼り付けられる。 「効いてないよ」「この人はわかってない」 あんなに優しい○○さんまでもが黙り込んでしまった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる