十十十 カトリック246 十十十©2ch.net
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ある日水瀬いのりちゃんのストーカーすずはらみさきち ◆5oR0dKBDzYに
手紙が届きますた・・・
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/ 殺 す / / /
/ / / / 老クリはカトリック信徒にマウンティングしようとしてる。マウンティング
されないように気をつけてw どう見てもクリスチャンには見えないがなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww まあ、宗教2chも、まことのじいさんしかいないんだけどね(笑) バルバロ訳聖書がアマゾンで入荷待ちにw
フランシスコ会訳のペーパーバックは在庫5冊で変わらず。
やはり心の時代に変わってきてるのだろうねw >>159
「マウンティング」がいい言葉ですね。プロテスタントの信者の一部が
コンプレックスからでしょうか、カトリック信徒にマウンティングをしようとします。
いかに自分は聖書を読んでいるか。いろいろな知識を知っているか。
他者に「自分は至らない」という神以外からのくだらないプレッシャーを
与えないように気配りをするのが「カトリックの心」ですよ。つまり「正しい信仰」。
これはすろさんの言われるような、エキュメニュカルどうのこうの古い、新しい
という問題ではありません。
私は、マウンティングされて、己の自慢に利用されるのは遠慮します。
カトリック信徒同士はお互いに信頼している、と前にも書きましたけどね。
洗礼を受けたら、もう神とその人との関係で歩んでいるわけです。
小学生の信徒も。高校生の信徒もね。近寄っていって
自分の自慢と虚栄心のために、茶々を入れる必要はありません。信仰の優劣を
神ではなく自分が神となって判断するというのは実におこがましいことです。
フランシスコ会訳のマタイによる福音書18ー15〜20は
「兄弟的勧告」と題がついていますね。 化学の学び方。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1325367/439553/108165910
アリストテレスが守りたかった愛の世界。
トマス・クーンは、1962年の論文で科学の集大成を行った。
【ことなる恋愛論と出逢ったときに女は言葉に出来ない感情に晒される】
とし、サイエンスを恋愛論の傘下に収めたのだ。
熱力学の観点からの考えだった。
シェイパーは、サイエンスにはもっとしっかりとした答えがあるはずだ、と彼を批判した。
クーンは孤立したままバークレーに向かった。
ファイヤーベンドとポパーが、サイエンスの歴史をひもとくと愛の探求だった、と言ってクーンの研究の支持者を集めて回った。
恋愛論(パラダイム)を語り合うのが女の愛を得る方法となった。
【優しくすると恋のパズルは解ける】
これが最も真理に近かった。
1983年にクーンは、ローレンス・S・ロックフェラーという名前を賜った。
「科学者」という男らしいイメージを、「女心は分からない」という結論に導いた業績があったのだ。
クーンは、大して物理学の訓練は受けていなかったが、「パズルを解く」ということの意味を考えたのだ。
チェスやジグソーパズル、クロスワードパズルは、その人の才能ではなく、「どれだけ慣れ親しんだか」で決まることを知り、その人の世界の広さは恋愛論を知ることだと悟った。
しかし、このサイエンスの定義は「クーンの敗北」と呼ばれている。
多くの研究者を排除するものだったからだ。
しかし、女の局部や、おちんちん、そして「女性観」を駆使する非常に楽しいものだった。
【どっちの研究の方がやる気か出るのかな?】
「結婚の緊張」とは、この女だけが俺の子孫を残すのか、というものだった。
B'z「恋じゃなくなる日」 高音質: http://youtu.be/h4aF35BYjRU
誰もがサイエンスを学ぶ「武器」を持っていたため、クーンは自分に向けられた敗北宣言を「危機」と受け止めた。
医学部のサイエンスへの編入がなされたのも「体」が大事だったからだ。
クーンの敗北は、多くの学説を排除したからであったが、一方で、多くの先人の知恵を医学の世界に流れ込ませた。
クーンの敗北とは「数字」を愛するものたちが拡散させたものだった。 ハロウィーン パーティやりたい
ハロウィーンやりたい
ハロウィーン
ハロウィーン >>146
聖書を読むだけで成長(?)することができればよいのですが。
修道者の方々の生活を考えると、日々の祈りや行いへの反省も
大切なことだと思います。 >修道者の方々の生活
陰口噂話の類
酒宴
疑心暗鬼
精神疾患
そういえばiphoneはiphoneが制作しているとドヤ顔でいってるやつがいたわ
台湾製だというと当然ブチ切れられた
ポチとバカは真実なんてどうでもいいんだってことを再確認したし、
ナチやカルトがなぜ生まれ、思想が滅ばないのかも深く味わえたよ >>172
2:30 前に起床ですか。立派ですね。トラピスト修道院の修道士の方々でも
起床は 3:00 以降のようですよ。 >>174
で、11時からツレと飯に行くねん
わかるか?つ 人生詰んだおっさん >>174
徹夜は体に悪いから体に気をつけてください。
手塚治さんも貫徹はしないと仰っておられました(早死にされましたが)。 教会内で御言葉の暗唱テストがあって最優秀に輝いても
この人が神から一番善しとされるとは限らない、ということを
「正しい信仰」が教えてくれます。
イエズス様が「見上げた信仰である」と褒めてくださる
かもしれません。しかし、御言葉をほとんど知らない幼子を連れてきて
「このようにならなければいけない」と言われそうな気もします。
また「御言葉をどんなに多く知っていても行わない者は・・」とも
言われそうです。
プロテスタントの一派では、聖書をやたら詳しく研究しているだけの
人が重用されたり、持ちあげられていたりしないでしょうか。 ファリサイ派=融通の利かない真面目系クズ
バレない犯罪者=神。 詰めが甘いとたとえそれが真実であっても無価値なものとされる。
無価値なものでもきちんと契約の手順を踏んでいれば真実になる。
このとらんすさぶすたんてぃえーしょん形式を理解していればええねん。
わかっているもの通し暗黙の了解よ。ウマークイクー(・∀・)イイ!!
では〜 神父さん、こんなにエロ画像が多いと大変だね。
女や児童ポルノに走ってもおかしくない。
名言で、「あなたの人生に女がはいってくる。素晴らしいことだ。出ていってくれたらもっとすばらしのに。」というのがありますね。
一般に年頃の女性が男に近づいてくるのは、結婚願望か、性的快感を満たしたいのか、お金が欲しいのか、他にもいろいろあるけど、みんな自分の欲求が満たされたいだけでしょ。
世間体とか、本能があるから仕方ないかもしれないけど、結局自分の欲だよ。
きれいなお姉さんも例外じゃない。
きれいなお姉さんだって、自分の欲で動いて
いる人がほとんどだし、だまされてついて
行かないように、男はみんな注意しないとね。 >>178
プロテスタントの教会内のことはよく知らないけど、プロテスタントの中学にはカトリックの子も結構いる。
逆もあり。
カトリックの中学のことはよく知らないけど プロテスタントの中学には、聖書について教える教科があったりして、えらく厳しかったりする。
私の行っていた中学では5教科よりも追試者が多かった。
あまり難しくて印象深かったので数十年経った今でも試験内容を覚えている。 >>182
プロテスタントの学校に通っていた
カトリック信徒ですが
通っていた学校は進学校でリベラル派のプロテスタントの教会が経営している学校だったため
聖書の授業はあったけれど
試験はなかったです。宗教色の薄い学校でした
ラサールや栄光学園、暁星学園のような勉強、勉強の毎日で大学入試のための勉強の方が
厳しかったです 立たされるは、追試を受けさせられるは、散々でした。
6年間通して一番怖かったのは聖書の先生。 サロメですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アタシのブログ読んでねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/ 人の迷惑無視して、上から目線で写真をとっているあの女
ネットリテラシーが不十分だから撮られたくないからという人にキレる。
しかし女はエライセンせーなので誰も何も言わない
結局拒否した側が干された
力のないおっさん信徒が女とおなじことをした
そののち教会でおっさんの姿をみていない
これがカトリックの真実の物語。 人の迷惑無視して、上から目線で写真をとっているあの女
ネットリテラシーが不十分だから撮られたくないからという人にキレる。
しかし女はエライセンせーなので誰も何も言わない
結局拒否した側が干された
力のないおっさん信徒が女とおなじことをした
そののち教会でおっさんの姿をみていない(誰も何も言わない見て見ぬふり無関心)=神父が筆頭
これがカトリックの真実の物語。 2004年(主日C年) 10月31日 年間第31主日
知 11:22〜12:2 IIテサ 1:11〜2:2 ルカ 19:1〜10
「今日、救いがこの家を訪れた。 この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのである。」(ルカ vv.9-10)
徴税人の頭というのは、ある一定の地域の関税の徴収をローマ総督から請け負って、多くの下請け人を使ってその責任を果たす裕福なユダヤ人のことであります。
一般のユダヤ人からは、彼らはローマに協力する者、異教徒との接触によって汚れた者と見なされ、その裕福さとは対照的に、罪人の仲間として軽蔑されていました。
"救い" とは、来るべき神の国の民の中に加えられることであって、それがイエスの福音であると聖書は語ります。
福音書によれば、イエスの説教は到来する神の国への備えを人々に迫るものでありました。
自分の群れを探し出し、これを養い、到来する神の国に憩わせる牧者として(エゼ 34:15-16)、イエスは福音を語られました。
「ザアカイは立ち上がって、主に言った。 "主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。 また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。"」(ルカ v.8)
彼の悔い改めは与えられた救いの結果であって、決して救いの条件ではなかったことに注目しましょう。
そしてこれは通常の善行とは違っていました。
たとえば最近の我が国で、多くの家庭がかつてのバブル期に較べて収入が20〜30%減ったということで立ち行かなくなり、自己破産や自殺に至っていることを考えてみましょう。
企業の業績が前年比マイナス10%となれば、新しい事業展開なしには倒産も必至です。
現代のキリスト信者が聖書に、この世における倫理の基準を期待するのに対して、イエスの福音は到来する神の国への備えを人々に迫るものであったと、使徒たちは伝えたのでした。
私たちは使徒たちの伝承を、聖書を通して聞かされているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 老クリスチャンは任天堂の業績が33%減収だから倒産すると言っています。馬鹿ですね。 他スレで、また老クリスチャンが「マウンティング」をしています。
今度のターゲットは、最近カトリック教会に通い始めているマリーさんでした。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1476612786/347
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1476612786/354
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1476612786/399
他者同士の会話に割り込んで
>「反省していただけて、うれしいです。 」
老クリスチャンのマウンティングの第一声です。
マリーさんとは違って、老クリスチャンは初めから牧師や司祭には理想形を抱いて
見ていなかったようです。
そして、レミゼラブルなどの文学作品を老クリスチャンは読んでいるという自慢が
何気に隠れていたりします。 本人には自覚がないようですね。 (シラ書1・30)
自ら高ぶるな。さもないと倒れて
身に不名誉が降りかかるだろう。
主はお前の秘密を暴き、
集会の中で、お前を辱められる。
これは、お前がそこに入ったとき、
主への畏れを抱かず、
心が偽りに満ちていたからである。 聖書のここを引用した方がいい、と心が動かされましてな。
シラ書というのはプロテスタントの聖典には入っていませんね。
カトリック信徒の方で旧約のパワー不足を感じられている方は
目次から暗記するといいですよ。
聖書66
https://www.youtube.com/watch?v=x6N0TH_mkp8
カトリックの聖典の数 旧約46 新約27 合わせて73
プロテスタントの聖典の数 旧約39 新約27 合わせて66 >>194
×聖典 ○正典
(ウィキより)
第二正典(だいにせいてん)とは、旧約聖書の中でカトリック・正教会は正典とするが、
プロテスタントでは正典とせず外典や偽典として扱われている書物のこと。
聖公会は正典と同格の文書として受け容れるが、教義の源泉とすることは禁じている。
ローマ・カトリックは、1546年のトリエント公会議にて正典の範囲を決定し、
旧新約66巻に加え、『トビアの書』『ユディト記』『マカバイの書上』『マカバイの書下』
『知恵の書』『シラ書』『バルク書』『エレミヤの手紙』の7つを正典として加えた[1]。 >>193
お高いところからの自己紹介おつ。
まずは一緒に飲む友達をつくろう >>197
カトリック信徒は御言葉を印籠にしての投稿をあまりしないよね。
ちょっとプロテスタントのマネをして見せたら「お高く」見えたわけだ?
なるほどね(ニガ笑)
ちなみに俺はお前以上に飲み友達は多いと思うよ? >>185
これは、サロメではなく福音派のプロテスタントの関係者による書き込みです サロメさんのブログちょくちょく読ませてもらっています。 (詩篇25・12)
私は平らなところに立ち、
集会において主を祝そう。
ビールケースをひっくり返してそこに立って
信徒に向かって
声を半オクターブあげて
鼻にかかったような声では 語らない。 アメリカ合衆国の起源。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1325367/439553/100533423
トマス・ペイン。
ロンドンやフランスで活動をしたが、ルイ16世がヴァレンヌを旅しただけで虐殺が起きたり、
ジャコバンが公園セックスなどを行ったことから、人々の支持のある君主制(共和党)の立場を固めた。
刑務所に放り込まれて危うくギロチンにかけられるところだったが、モンローに救われた。
しかし、ペインは「女の体が物事を治める」という立場にこだわったため、モンローは居心地が悪くなった。
混合政府は人を殺すという確信があったため、大統領が変わるたびにオフィスを入れ換えるのはペインが考えたのだ。
フリーセックスの実態の話をよく聞く自由民主主義思想にも共感した。
社会は人々が望むものから生み出され、国家は悪から生み出されるとした。
どのような社会も祝福されるが、国家は必要悪だった。
上院には分からないことが下院に集まった。
ジョージ三世の植民地支配への怒りが高まったときに、ペインは「アメリカ国王になる」という禁断の扉を開けた。
【国家を作るのは最初はギャンブルだ】
大陸は単なる地方ではないと主張した。
アメリカ国王になりたいと考えたペインに対して「アカデミズムに疎い」「正気を失っている」という批判がなされるのも当然だった。
フランス革命は暴力に満ちていたし、ジャコバンはフリーセックスだった。
この混乱がアメリカに影響を与えた。
俺の肉体は最強だ、と言える人がいなかったからペインとエドモンド・バーク決別していった。
ペインは肉体的強さを持っていたのだ。
【それで人気を得ることはできるのか?】
アメリカ独立の強烈な力になったバンク・オブ・アメリカの前では学問が必要だと悟った。
いざとなったらみんなが俺を頼ってくる、これが必要だったのだ。
【すべての男女にパートナーを与えるのが仕事だったのか】
ペインは悟った。
すべての男にパートナーを、そして子孫を、名誉革命は議会もないのにそれを知っていたんだ。
みんなに背広を着せてパートナーを与える方法を知っているのならばみんなが俺を頼ってくるだろうね。
フランス革命で見た男の暴力の結論だよ。 2007年(主日C年) 11月4日 年間第31主日
知 11:22〜12:2 IIテサ 1:11〜2:2 ルカ 19:1〜10
「今日、救いがこの家を訪れた。 この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのである。」(ルカ vv.9-10)
アブラハムの子とは、神から祝福の約束を受けた (創 12:1-3, 15:5-6) アブラハムの子孫、すなわちイスラエルのことであって、捕囚後の頃から通称ユダヤ人と呼ばれるようになった人々のことです。
イエスは先ず、このイスラエルへの福音宣教を優先されたと、マタイ福音書は伝えています(10:5-7)。
初代教会の宣教に対して、ユダヤ人の多くがこれを歓迎せず、福音が異邦世界に宣べ伝えられるようになって (使 10-11章, 13:45-47)、その後キリスト教的西欧にはいわゆる "反ユダヤ主義" が根を下ろすようになりました。
"キリスト殺しのユダヤ人" という偏見を放置し、ヒトラーによるホロコースト (ユダヤ人大虐殺) に至る歴史に対して、カトリック教会も決して無責ではなかったことへの反省が、
第二バチカン公会議での "キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言" となったのでした。
多くの人々は、神の約束と契約が本来イスラエルのものであったこと、異邦人である私たちは後からそれに共に与る者となったという事実を知りません(ロマ 9:4-5、エフェ 2:11-13, 3:6)。
キリストがその福音によって知らせてくださった 「秘められた計画」(エフェ 1:9, 3:2-7) を、教会は久しく聖書から聞かずに歩んで来ました。
上記の宣言が第二バチカン公会議で採択されたとき、なお "その討議の際に生じた緊張と意見の対立を残していた" と言われている事情* の一端が、ここにあるように思われます。
* G.アルベリーゴ/第二バチカン公会議 その今日的意味 p.206
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
(シラの書3・28)
高慢な人の不幸を治す薬はない、
悪は、彼の中に根を張っている。
事業に失敗した死にたい、マジレスどうしたらいいか
マルチします たすけて
本当なんです!! サロメですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アタシのブログ読んでねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/ おはようございます
ヤフー知恵袋で晴佐久神父という方が批判されていました
ご存知の方はいらっしゃいますか? 純真な青少年に性犯罪仕掛けたんじゃねーかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 2010年(主日C年) 10月31日 年間第31主日
知 11:22〜12:2 IIテサ 1:11〜2:2 ルカ 19:1〜10
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。 また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(ルカ v.8)
このザアカイの意表を突くような大決断を、私たちは何らかの功績、彼が救われた理由と解釈してはなりません。
彼が正しい人間、善い行いの人になったから救われたのではありませんでした。
「では、人の誇りはどこにあるのか。 それは取り除かれました。」(ロマ 3:27)
実にイエスがザアカイに、「わたしに立ち返れ、(なぜなら) わたしはあなたを贖った(から)」(イザ 44:22) と言ってくださっている声が、朗読を聞く私たちにも伝わってくるではありませんか。
自分は罪が少ない、自分は信心と善行によって多くの罪を償っていると思っている人には、決してザアカイのような大決断は不可能です。
私たちが本来全く "失われた者" であったということが、ここでは強調されているのです(ルカ v.10, 15:1-10 参照)。
私たちが使っている新共同訳聖書には、本文の内容区分ごとに、翻訳委員会の努力によるかなり親切な小見出しが付けられています。
今朝の朗読テキスト (知恵の書) の前後にある小見出しを、私たちは感謝しましょう。
「神の力は忍耐によって示される」、「神の愛は忍耐によって示される」、「神の忍耐は回心を促す」。
"キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださる"(フィリ 1:6) 神の忍耐に、賛美 !
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 横須賀美術館〜マホロバから。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1325367/439553/109506928
マルキュースは、フランクフルトスクールのメンバーだったが、
第三帝国の統治下でアメリカに逃れた。
多くの仲間が終戦後、ドイツに戻ったが、彼はアメリカにとどまった。
1960年代に「新左翼のグル」と目されたが、その後はポストモダニズム(面白いことをやろうとする連中)や、ロールズのフリーセックス理論、そして、アドルノの「資本主義社会はテレビだけ見てればいい」という思想に圧倒されていった。
彼の少年時代は常に体育館にあった。
その後、「資本主義と帝国主義のダイナミズム」の研究を始めた。
マルクス主義の「女の共有」にも影響された。
お父さんが出版社を経営しており、彼にアパートを買い与えた。
「存在と時間」ん読んでは若さを無駄にしていた。
ナチスのもとでは教授になれねえよ。
そう思いながらコロンビア大学に出入りしていた。
戦後、マルクス主義の美学などの論文を書き、資本主義社会における「女の抑圧」について探求した。
芸術家が理想を描くときは現実とのギャップに悩んでいることを知った。
このギャップこそが社会を変えるんだろうと考えた。
フリーセックスを求めるグループの支配なんて出来ないよ。
そこで彼は「急進的な女性主義」に走った。
女性芸術が革命を起こすと信じていた。
ブルジョア社会だから一夫一婦制なんだろう。
女ん美しく描きたかったんだ。
「親父の言うことなんか聞いてられるか」
労働者階級の芸術が革命をもたらすんだ。
傑作というのは平凡だよ、それでも力を持っているんだ。
1960年代に女がフリーセックスを求め始めた。
知的な女はみんな革命を望んでいた。
労働者階級、二児の母、アメリカ中西部の生まれ、そういう女が彼を支持した。
みんな心に何かを抱え込んでいたからだ。
「若さを無駄にする」これがマルクス主義の温床だった。
20世紀に入って「マルクス主義革命は起きないのではないか?」と言われ始めた。
ソビエトは全体主義に過ぎなかった。
マルクス主義の連中は「考え方を間違ったのかなあ」と思い始めた。
自然革命論は失敗だった、行動主義だと第二インターナショナルも考え始めていた。日々上達するなんてバカげていた。
高度な産業化が進んだ国ほど若さを無駄にする連中が多かった。
女の共有と若さを無駄にすること、これが新左翼の特徴だ。
自分と世界がかけ離れることが大事だった。
物象化論(女のフェティシズム)ってなんだろうな?
マルキュースはとうとうこの答えにたどり着いた。
サインは上昇思考だったが、コサインは続いていく日常を見ていた。
コサインには、人種や女性差別が道溢れていた。
資本主義のもとで隠れた傷を負っていた者たちがいたのだ。 それほど糖質でも無いんじゃないか?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>213
マリーさん、神様とあなたの間に「薄汚いもの」を挟み込まないようにしてくださいね。 ここにも聞き分けの悪い
二心の在日プロテスタント牧師が現れていたか。
もう、出たな化け物と考える人も多かろう。 下品下生がお留守ですってかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww フィギュアスケートのエレメント(曲線)とキス。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1325367/439553/104122763
「エレメント」
曲線のふたつのサイドがイコールであること。
スピンやスパイラルのエレメント(氷の上を描いたライン)が完璧で、そのあと速度をつけてジャンプして見せた。
半径は、彼女のキスの数。
エレメントを「幾何学模様の致命的要素」としているのはアメリカであり、
直線のラインでは止まってしまうのがスケートだ。
このことを正確に理解しているのは長久保裕だろうと思われる。
札幌オリンピックがアメリカとどのように関わったのかの研究が必要だ。
男のモデルの理想は、「インターネットにない言葉を話す」「言葉と理論と私の関係を語ってくれる」
そうして、エレメントを女は語る。
A(キス)はエレメントでなりたっており、男のモデルはK(奪三振)の数を争う。
キスは空虚ではない。
男はキスの数が多ければ多いほどセックスと同じだと考えた。
しかし、女たちの噂だけが広がっていくのを知らなかった。
男も追い詰められたのだ。
凡人がたった一度キスすることの大切さを知った。
キスが心に与える影響を知らないのかしら。そのために男はシチュエーションを考えるのよ。
キスの数だけ言葉が豊富。
まるでセックスのよう。 社会民主主義思想大全【書きかけ】
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1325367/439553/109523127
女は文化においても社会においても「セックスされる存在」としてではなく、女として物事を語りたがったし、知りたかった。
しかし、「セックス裁判以外に興味がない」ものだったのだ。
これが、社会民主主義思想の出発点だ。
1970年代にフェミニズム第二の波が生まれ、政治がセックス裁判になった。
力が女にどのように加えられるかが争点だったのだ。
「私の今までの行いを体制が否定するのならば放り投げてやるわ?」
1981年のローラインコードにおいて「童貞坊やの発言は重要か」が語られた。
いくら家父長制のもとで長男を名乗っていても、セックスを知らなければ何も解決できないことが分かったからだ。
マルクス主義思想にかぶれたあとに急激に大人びてくるのが男だった。
その後に女たちは、彼の性差別や男性中心主義を認めたのだ。
偏差値BOYは落ち着いているからいいわね、という意見もあった。
偏差値BOY(うしろゆびさされ組)弾き語り: http://youtu.be/5IhwQ8iEqj4
しかし、何が知識の発信源なのか?を知らなかった。
「私たちは何にしたがえばいいの?」童貞男は言葉を失った。
女が男から何かを「発見」することで女は団結していたのだ。
1990年代以降、女の昔の男という「悪いサイエンス」も色々と分かるようになった。
クーン以降、一気に恋愛論の研究手法が発展した。
【経験よりも学問の方が進んでしまったのだ】
社会というのは人々がいろんなものを交換する場所だ。そこで「何で知ってるの?」ということほど大事なものはなかった。
経験はローカルなものに過ぎなくなった。
1990年代以降、恋愛論ほどパンデミックを起こすネタはなくなった。 カトリック教会に通うようになってから心が落ち着きます
プロテスタントでは祈り方とか教えないのか、
祈りの本も教会では売ってないし、礼拝以外でどのように祈るのかわかりませんでした
カトリックでは祈りの本もあり、ロザリオの祈りも神秘を黙想するとき、どのようにイメージするかの助けになる
挿し絵つきのロザリオの祈りの本を買ってきました
朝晩祈るようになって落ち着いてきました >>224
同じ気持ちです。「ヤベツの祈り」を用いているプロテスタント教会は
あるようです。 あまたの邪教ひしめくこの国でカトリック教会に辿り着く者は幸い。 イタコ芸人の民掛け軸の民は歯がみして悔しがるであろう。 >>229
邪教だなんて。そんなかっこいいのいらない
回心もしない欲ボケのクズ業者でいいよ >>230
たしかにくやしいなぁ。うまいことやるわあの西洋イタコってな もちろん
いまなら破格のストックオプション付きってことで。 神って、そこらへんの金持ちやん。
正味、つよいけどな それは認めるわ 神とは真実なのだから。いくら偽っても勝てないのです。 その神より強ければ勝てるよw
いやそうやなくて長い目で見てカトが続くかどうかのもんだいやねん。
そうかにとられてもてるやん そして真実とは道です。イエスはその象徴に過ぎない。 イエスが救ってくれるのではないのです。道が救うのです。 イエスを免罪符がわりにしたカトリックはアホとしか言いようがない 道はすくわんよ。
教区とバチカンの金庫が救うねんて。
いや、そんなんどうでもええねん
修繕費どないすんねん イエスが貴方を救うのではなく道が貴方を救うのです。 やっぱりワラント債はっこうしたほうがええって。
なんか「愛の羽ばたき債」とかナントカつけたらジジババが食いついてくるやろ なぜならイエスを神と認識出来ない者にとっては、イエスは一預言者に過ぎないからです。
>>248 耐震診断補強とかもちゃんとやっとかんと。
ミサ中に南海トラフきてけが人出たら大変やで。
保険のこともあるし… あと水洗トイレの改修もかんがえなあかん。
じいいちゃんばあちゃん達が和式のうんこ座り、相当きついらしいわ。
予算どんだけいるねんと。
んで、また教区からいらんカネとか言われるしな。
いや、いるねん。
この前も、膝の悪いばあさんが和式にケツをハメよってな。
大変やったw あと階段な。
エレベーターの設置が望ましいんやけど、構造的な問題に加えて電力の問題もあるからなぁ。
長い目でみたら太陽光がええねんけど。
設置費用これまた半端ない。 イエスは神であると信じられることによってはじめて
その者は救われている状況にあるのです。
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