>>121の続き
たしかに、文言が古い部分があります。
イエズス様がファリサイ派を叱りつけるところを、新共同訳では「不幸だ」と
なっていますが、バルバロ訳は「呪われよ」のような部分ですね。
しかし、このバルバロ訳は、カトリックの心が流れているのです。
すろさんの言われるように、新共同訳、フランシスコ会訳、も優れていましょう。
しかし、バルバロ訳をもう少し推させてください。
バルバロ訳にはバルバロ神父様の聖書の理解をご自分と同じレベルかそれ以上にまで
読者を引き上げてあげようという愛がありますね。
 それは目次にも現れています。旧約、新約聖書を、それぞれ
歴史書、教訓書、預言書、と副題を付けてくれています。読者としては、聖書
はこんなに整然と並んでいるのか!と頭の中がきちっと整理されます。
そのような細かい気配りを随所に感じることができます。
 カトリックの心が溢れているのです。