エックハルト・トールについて語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
Fuck You
ぶち殺すぞ・・・・・・・・・・
ゴミめら・・・・・・!
ざわ・・・・・・・・
ざわ・・・・・・・・
ざわ・・・・
ざわ・・・・
-----------------
ざわ・・・・・・・ エックハルト・トールは言います
は〜い♪エックハルト・トールです。殺人予告しちゃったけど「今」日本国内にいないから大丈夫だよね? エックハルト・トールは言います
豚が殺人予告をしたところで逮捕されないでしょう
一応通報はしておきましたが 真に許されざる者とはお前達のような畜生の事を言うのです。悔い改めよ! えっく せい。
ガチャガチャ言うコオル虫。黙りなさい。 エック貼ると(場が)凍る。
自身の頭はエゴまみれでヒートアップ。
場を凍らせないで、自分の頭を冷やせ。 エックハルト・トールは言います
いよいよ2ちゃんらしくなってきたね♪
これでこそサムライです
大和魂です! どうやらこの板には
植松サトシがいるようだ
ぶち殺すぞ・・・
ゴミめら・・・!
クソ愚民 豚キムチ野郎
ですか ・・・ 愚民は吹き荒ぶ嵐の中で、私という大樹を見つけて安心した気になっている。
全く違う。
私は最初から「今ここに」居たのです。 分かっているはず。自ら立つまでは何も変わらない事!
私やエックハルトに頼らず済む「いま」。
その瞬間に足を踏み入れた時、真の安住が訪れます。
愚民には無理なのですが。 エックハルト・トールは言います
いいじゃないか…!愚民で…!
熱い愚民なら上等よ…!! 愚民と愚民の罵りあい
愚民と愚民の殺しあい
クソスレ www >>759
貴方は大樹だったのですか!
私には もやし に見えていました!
というか 糞煮込みうどん だと思ってました!
まだまだですね!精進あるのみですね! この目の曇りをエック尊師様の真理波動で払拭せねば!
うんち クソ愚民どもが
うんちと うんちの擦り合い www もっと精進して大樹様のような独特な汚らしい言葉を紡いで行きたい!
それこそが 道michi 。 山猿軍団のボスザルに成れた気分は さぞや達成感満足感でいっぱいのことでしょう 野グソに群がる銀バエは言います
「おれ様は愚民バエどもとは違うんだぜ
おれ様の存在は輝いてるんだ!」 私が輝いている様に見える。
それは愚民の心が澱んでいるからです。 エックハルト・トールは言います。
昔々、チョコ味君をディスらないと自分を保てないバニラ君というのがいました。 エックハルト・トールは言います
バニラ君は、自分の白さを誇っていましたが、
それは牛乳の白さであって、バニラ君自身の白さではありません バニラビーンズの入れすぎで異臭を放つバニラ君。
原料も、牛乳だと思ってたら「その他の乳飲料」だった。 エックハルト・トールは言います
バーーーカ !
(*^_^*) エックハルト・トールは言います。
本品は、多量摂取により疾病が治癒したり、より健康が増進するものではありません。
食生活は、主食、主菜、副菜を基本に、食事のバランスを。 エックハルト・トールは言います
お前の母ちゃん 出ベソ !
(o^-')b エックハルト・トールは言います
女王様!
私をムチで叩いて下さい!ハイヒールで踏みつけて下さい! ブヒブヒ エックハルト・トールは言います
良書を読みましょう
瞑想をしましょう
今、なぜ自分が生きているのか?
という意味を考えましょう
深く エックハルト・トールは言います
愚民にも朝陽は昇る
博士にも朝陽は昇る
ホームレスにも朝陽は昇る
知的障碍者にも朝陽は昇る エックハルト・トールは言います
心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。 エックハルト・トールは言います
おちんちんきもちいお エックハルト・トールは言います
その次のステージに行きませんか? エックハルト・トールは言います
はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。(ルカ23:43) エックハルト・トールは言います。
すごく・・
エッチです・・・ エックハルト・790は言います。
すごく・・
エッチなスレッドストッパーでした・・ こっちは結構進んでたのね・・
エックハルト・トール専用スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1446132918/
いいのよ・・
それでいいの・・
あっちはあっち こっちはエッチ・・
いいのよ・・
それでいいのエックボーヤ・・
あなたはあなたの道をお行きなさい・・ 『今!今!』ばかりでは疲れることもある・・
過去の痛みと一体化する・・そんな癒しもある・・
https://m.youtube.com/watch?v=HAUTw5oPOwc
いいのよ・・
曲は抜群だから・・ YouTubeでエックハルト・トールを眺めてたら、ハッとしたのが「look」って単語
エゴを「見つめる」
思考を「見つめる」
ゴルゴ13じゃあないけど、そういう自分の中のモノを「見つめる」ことが
非常に大事なんじゃないか と思った次第 追加: 第三者的な視点で「見つめる」 とゆうことです 観ている誰かが消えて、観られているモノと観るモノが消えて、ただ観るということ三昧になるとかですかね? いつもあるんだよ!いつもあるんだよ!いつもあるんだよ!いつもあるんだよ!無努力なんだよ!努力している奴らは皆殺しである! 心は無努力の状態に帰する、これが正しいサハジャである
ゆえに努力している奴らは皆殺しである むひょ〜♪ 批判コメントでもされたら
おれはだまっちゃおらんからな
over(以上) 無努力なんだよ!無努力なんだよ!無努力なんだよ!オートマチックなんだよ!オートマチックなんだよ! (☞ ՞ਊ ՞)☞ ( ☞ ਊ )☞ ゜ ゜
すずめさんがチュンチュンとこんにちは、
タンポポさんがニコッとこんにちは
\\\└(՞ةڼ◔)」//// 宇多田ヒカル『オートマチック』なんだよ!
藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 - 2013年8月22日)は、本名、宇多田純子
歌手:宇多田ヒカルの母親
演歌歌手:前川清は元夫 のぶちゃんは すべパーなのである
しかし、クソババアでぃーやクソパンダは すべパーではない
だから指導してやっている わたくしは 気づいたのです
気づいてない あなたがたに いつもある精神統一を教えてあげてるのです 「愛のない行動も赦すこと」を強制します
「愛ある行動」を拒絶します 愛はいつもある
愛のない人も、許さなければならない!赦すべきだ!赦しなさい!愛がなくていい! 愛ある行動を強制する奴らは、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!
愛のない行動も赦しなさい!赦さない奴は死ね死ね死ね死ね死ね死ね! わたくしのお友だちは
TSUTAYAのDVDですが
いつも幸せがあるのである 覚者は、目の前に起きている体験より
テレビ・映画・TSUTAYAのDVDが好きなのである エックハルト・トールは言います。
ヤル気! 元気! イワキ! まさにそれ!
数ヵ月ぶりのカキコにふさわしいそれ! 2000年の少し前頃に発刊され、アメリカで異例のベストセラーになり、日本を始め、
いまや30数カ国以上に翻訳されて読まれているニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神との対話』シリーズ。
もし本当に「神の存在と恩寵」を確信したいなら、まず正しい「神の理解」が必要です。
単なる読書本ではなく、人生の観方と体験が変わるスピリチュアル本ではありますが、
思索的な哲学書として読んでも面白いと思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome エックハルト・トールは言います。
乳頭まで入湯して温まりました。 エックハルト・トールは言います
愚民にも連休は来る
博士にも連休は来る
ホームレスにも 連休は・・?
知的障碍者にも朝陽は昇る エックハルト・トールは言います
エックハルト・トールを騙るスレはここです エックハルト・トールは言います
見えない所から来るシュートは・・・
ノーゴール ウゥー!!! エックハルト・トールは言います
エックハルト・トオルじゃないよ エックハルト・トールは言います
私はオリンピックを… エックハルト・トールは言います
羽生は勝ちました、羽生は負けました。 エックハルト・トールは言います
私も宗教家として立つとき、周囲の無理解に悩んだ
大分や熊本、宮崎のあたりは、日本という国の発祥のころに大きな縁のあった場所と言われています。
そのことを心の片隅に置きながら、この国が二千六百年、二千七百年と続いてきたことに感謝しつつ、真理の一端なりとも語ることができれば幸いです。 エックハルト・トールは言います
貴方の願望を実現するには
私と一体化しなさい 「信じる力」と題しましたが、あまり難しくなりすぎないように述べていきたいと考えています。
ただし、「難しくない」ということは、「内容が悪い」とか「程度が低い」などということではなく、「多くの人に通じる、分かりやすい話」を目指したいということです。
さて、私どもが1986年に活動を開始してから、すでに30年以上が過ぎました。実際には、私は1981年から天上界の霊示を受けているので、30数年にわたり、この真理の世界で活動をし続けていることになります。
そのように、一定の年数よいうものは、どうしても必要なところがあると思います。
実際に、長く続けているなかで、この活動がだんだん普通のこととなり、分かってくださる人も多くなってきました
しかしながら、立宗初期には、この活動は、自分一人の問題だったり、家族だけの問題だったり、自分の周りにいる身近な人たちとの関係の問題ぐらいにすぎませんでした。
その間、私も、人並みにいろいろと悩むこともありました。
「人に説明できない内容を、どうすれば分かってもらえるか」ということで、ずいぶん苦労したのを覚えています。
一般に、会社を辞めるとき、ほかの会社に移るとか、別の仕事を始めるとかいうことだけであれば、理解してもらえる場合が多いかもしれません。
しかし、私の場合は、「天上界からの啓示を受けるようになって、すでに5,6年がたっている。このたび、新しい宗教をつくるつもりなので、会社を辞めて独立したい」
ということであったため、その相談をした相手からは、十人が十人とも反対されました。 さらに、「それはいったい、どういうことをするものなのか、分かるようなものを何かもってきてください」と言われたので、当時、すでに出版していた数冊の霊言集を見せたところ、相手は、余計にのけぞってしまったのです。
誰もが言葉を失い、まともにコメントできた人は一人もいませんでした。
「嘘だろう?嘘だと言ってくれ」「ここだけの話でもいいから、嘘だと言ってほしい」という感じの反応が相次ぎ、「いや、本当です」と答えるような状態だったのです。
彼らの率直な気持ちとしては、そのように「嘘だろう?」「勘弁してほしい」という感じだったようです。
今まで一緒に仕事をしていた仲間のなかに、天照大神や日蓮、あるいはイエス・キリストの声が聞こえる人物がいたなどというのは、信じがたいことだったろうと思います。
もちろん、「歴史上、そのようなことをできる人がいた」というぐらいであれば、どこかで聞く機会もあったかもしれません。
そういうものはあくまでも過去の話であって、歴史的にはあっても構わないとしても、「今自分の周りでそのようなことが起きている」とは思いもよらなかったでしょう。
「自分と一緒に話をしたり、仕事をしたり、食事をしたり、あるいは相談を受けたりしていた仲間、関係者の中に、そういう人がいた」という衝撃は大きかったようです。 また、初めてからしばらくは、私の家族の間でも、「うーん、困った」というような意見が多かったように思います。
「家族に一人ぐらいは、この世の中でしっかりと成功してくれる大黒柱のような人がいてほしかったのに、そちらの世界に行ってしまうのか。父親が、あの世の話が好きだったために、こんなふうになってしまったのか」
というような意見もあり、家族も大変だったでしょう。親戚も同じような状況でした。
したがって、それから数年後、数十年後に入った信者の皆さんの身に起きているような問題は、私が最初のうちにほとんど経験したことでもあります。
さらに、会社を退社後も、どこから聞きつけたのかはわかりませんが、ヘッドハンティングのような電話があちこちから入ってきたのです。
ときには、実家のほうにまで電話が入ることもありました。
「今度、こういう会社を新しくつくるのだけれども、ぜひとも来てくれないか」とか、「給料を、以前の二倍でも三倍でも、言うだけの額を出す」とか言ったことをしきりに言われ、
私としては、「ちょっと違うんだけどなあ。そういうわけではないんだけどな」と思いつつも、うまく説明できないもどかしさを感じたのを覚えています。 「奪うばかりでお返しができていない」という20代前半での気づき
あの当時の不安感のもとは、結局、「自分自身が、天上界からくる声というものを、どこまで信じられるか」というものだったと思います。
「霊的な声が聞こえる」というだけのことであれば、そういう人は、確かに、全国各地にいるでしょう。
沖縄にも、青森にも、それ以外のところにも大勢います。そうした人たちのなかには、街の小さな霊能者として活動している人もいれば、宗教を開いた人もいます。
ただ、当時の私のように何の実績もないものにとっては、「その霊的な声をどこまで信じたらよいのか」ということになると、やはり、自信がないのも無理からぬことではあったでしょう。
私は30歳にして宗教家として立つことになったものの、正直に述べれば、それまで生きてきた30年間を振り返っても、自分がこの世的に大きく道をそれなければいけないような理由や、さまざまな惑わしのなかに生きなければならないような理由は見当たりませんでした。
もちろん、「試行錯誤がなかった」と言えば嘘になりますが、どの年齢の時にも、どの時期にも、一生懸命に道を求めていたことは事実です。
何らかのかたちで真理を求め、自分を高めようとする努力は怠らなかったし、自分が誤っていると思うことに関しては、何とか努力してのり越え、自分自身の性格を変え、生活態度を変え、勉強の仕方や仕事の仕方を変えて、
「人々が納得してくれるような自分になろう」と努力をしたことも、困っている人を見たら、「何とかして助けてあげたい」と思ったことも事実です。
今と比べれば、若いころの自分は、もっともっと角が立つところがあったと思いますし、厳しくきつい言葉をよく使っていたようにも思います。
それでも、その根本においては、「何とかして、自分自身を、もっと世の中の役に立つ人間に変え多くの人々のためになる仕事をしたい」という気持ちでいっぱいだったと感じるのです。 また、大人になるまで育ててくれた両親への感謝も忘れたことはありませんし、「お世話になった人々へのお返しをしなければ」という気もちも多々ありました。
さらに、私自身、霊的な道に入るまでの二十年余りの間には、他人さまからしてもらったことがたくさんあったにもかかわらず、自分が他人に対してあげたお返しは、実に少ないことに気づきました。
「自分は二十余年間、他人から奪って奪って、「奪う愛」のなかを生きてきた。さまざまなものを奪って大きくなった。その間、自分の体もプライドも大きくなったかもしれないけれども、お返しという意味では、ほとんどできていない」
というようなことを実感したのです。
そのように気付いたのが、二次十代前半のころのことでした。
この世的には、何ら、犯罪的な行為をしたこともなく、積極的に人を害した覚えもありません。
ただ、それまでの人生そのものを振り返ったときに、「今、死ぬとしたら、自分は他人からもらってばかりで、何一つお返しができていない。もう、もらうばかりの人生だったな。もし、人生の『愛の貸借対照表』を記入してみたら、赤字ばかりで、全然だめだな」
と思ったのです。
若い人にとっては、そういうことを考えること自体が不思議に感じるかもしれませんが、その当時の私は、自分の人生を振り返り、「人からもらうばかりで、全然お返しができていないな」と思ったことを覚えています。 何もない状態から始め、組織の運営で悩み続けた立宗当初
その後、私は、社会経験を積みながら、何年かの霊的な格闘を経て、よくあるセオリーどおりではありますが、三十歳になったときに独立することになりました。
しかしながら、特に何か頼りになるものがあったというわけではありません。
すでに宗教団体があったわけでもなく、財産、あるいは土地や建物があったわけでもなく、実際上は、「何もない」状態でした。
あるものといえば、私が出した何冊かの書物を信じ、全国からバラバラと集まってきた人たちの協力ぐらいだったのです。
ただ、そうした彼らの心のなかにあるものも、まだ、「信仰」というものではなかったのではないかと思います。
まずは、「霊的な、神秘的な現象が起きているらしい。その神秘的な現象を起こしている中心人物を見てみたい」余いう気持ちで集まってきていたのでしょう。
私が初めて法輪を転じた日、一九八六年十一月二十三日を、「初転法輪記念日」と呼んでいます。
その日、東京の日暮里酒販会館というところで座談会が行われ、九十名弱の人々が集まりました。
当時はまだ少人数ではありましたが、来ていた人のなかには、いまだに当会の信者として頑張っている人たちもいて、本当に、とてもうれしく思っています。
座談会の会場は、小さな会場ながらも全国から来た参加者で満員になってしまったため、私は会場内を通ることができず、会場脇のベランダ伝いに演壇まで行くという、゛危険な綱渡り”をしながら入場したことを覚えています。
そこで、二時間四十分ほどあった行事のほとんどを話し続けました。
聴衆は、いったい何が起きているのかはあまり分からなかったものの、「とにかく、これから何か大変なことが起きそうだ」という予感だけを持って帰ったのだと思います。
その最初に集まった九十人弱の人々が核となり、さらに、第一回の講演会や研修会を行っていったのです。 初めての研修会は琵琶湖畔で開催し、百八人ほどが集まりました。
この最初の研修会に集まった百人余りの人のほとんどが、その後、当会の職員になったというところからも、最初期の熱意がどれほどすごかったかがよくわかると思います。
様々な経歴を持った人々が職員になり、さらに、研修中、食事等の際のために分けた班の班長を務めた人のほとんどが、のちの役員になりました。そのような状態で始めたわけです。
ただ、当時はまだまだ鍛え抜かれた゛正規軍“ではなかったこともあり、
最初のころは、新しい人が入ってきては人材の入れ替えが起きたり、組織の運営の仕方等、いろいろなことでつまづきながら、ようやく、大きく回転するようになっていったと思います。
三年もすれば、かなり大きな会場でも講演会ができるようになっていました。
このように、私に降りてくる力は非常に大きく強いものではあったものの、この世での力というのは、まだ、練習を積み、実績を積みながら、少しずつ少しずつ進んでいかなければ信用を得られないような状況ではあったということです。
また、『聖書』に書かれた「先のものが後になり、後のものが先になる」という言葉どおりのことが数多く起きました。
必ずしも、最初のころに当会に来た人がリーダーになるわけではなく、三年後に来た人、五年後に来た人、十年後に来た人など、後から来た人のなかに、力のある人がだんだんと増えていったのです。
教団が大きくなればなるほど、力のある人が後からやってくるので、前からいる人と、あとから来た人との力関係の上下の問題なども出てきて、組織の運営に関しても、たいへん勉強をさせられました。
私自身も予想していなかったような人たちが次々とやってくるので、どのように運営していけばよいのか、悩んだりしたことも数多くありました。
実は、宗教では、そうした組織運営上の問題でつまづく人は多いのです。
これは、当会だけではなく、ほかの宗教にも言えることですが、教えや教義に対する疑問というよりは、たいてい、「組織運営がうまく回っているかどうか」といったところでつまづくことが多く、それを固めるのは非常に難しいことかと思います。 なぜ多種多様な教えを説いているのか
当グループでは、政治分野、教育分野、芸術分野、その他、次々と新しい分野に進出しているので、そのつど、イノベーションが起きます。
その一方で、当会が新しい分野に進むことで変化が起きると、教団の性質が変わったようにも見えるため、それまで、「これを勉強して、このようにするのだ」と思っていた人のなかには、急にクラっときて分からなくなってしまうような人もいるわけです。
例えば、私の著書としてさまざまな本を発刊していますが、本によってまったく異なる内容が含まれていることに気づかれるでしょう。
ただ、それは、当会を支援してくださっている人を混乱させようとしているわけではないのです。
この世のなかには、いろいろな職業に就き、さまざまな分野に関心を持っている人がいます。
そうした興味・関心や立場の違う人々に向けて、「どこからでもよいので、自分にとって関心のある入り口から入ってきてください」という願いを込めて、幅広い内容の本を出しているのです。 そういう意味では、その一冊一冊が大事なものではあるのですが、それについて知っている人もいれば、知らない人もいるでしょう。
先ほど、草創期のところでも少し触れましたが、「天照大神の霊言」を発刊したときに、こんなことがありました。
当会が最初の事務所を開いたときにお世話をしてくれた人が、そのタイトルを見て、「『てんてるだいじん』って何ですか」と訊いてきたのです。
それには私もガクッときたのを覚えています。
確かに、戦後はそういう神話や信仰といったものに対する教育の部分が抜けていることも事実ではありますが、さすがに、「てんてるだいじん」と言われるとは思わなかったので、しばし絶句してしまいました。
日本の教育では、神話教育、信仰教育を限りなく排除していきましたし、宗教系の学校として認められているものの半分以上はキリスト教系ということもあってか、伝統的な信仰について、よく分からない人も増えているのでしょう。 今後、「見たこともないような大きな奇跡」が起きる
さまざまなことを述べましたが、教団を立ててから、三十年余りのなかで、結局、、いろいろなものが実績として積み上がってきたのだと思います。
六畳一間を借りて始めた最初の所から、今では、建物だけでも七百か所以上は持っていますし、その他の支部・拠点・布教所等を入れると、全世界で約一万か所を持っています。
そして、それぞれが、次なる人材や予算の投入によって、もう一段、大きくなる要素を秘めた状態になっているのです。今は、それらのものをどんどん推し進めていくのみだと考えています。
今までにしてきたことは、私たちの活動の゛前半部分”と考えています。これからの゛後半゛で、今まで見たことのないような大きな奇跡が、もっともっとはっきりと出てくるでしょう。
私は、考え方のかたちを非常に理論的につくっていくほうなので、かたちがきちっとできないと大きくはしないタイプなのですが、スタイルができてくると、それを加速していくタイプでもあります。
ですから、これからの後半戦で今までに見たことがないほどの大きな力を持つようになってくるはずです。それは、当事者である、当会のリーダー的立場にいる人たちにとっても、驚くような変化が出てくるでしょう。
今までの長い「アマチュアの時代」が終わり、これから、いよいよ「プロフェッショナルの時代」が始まると考えて結構かと思います。 日本の大きなトレンドを当会はつくっている
まだまだ十分ではないものの、いつの間にか、当会は日本のなかでは最も競争力のある宗教になりました。
「競争力」という言葉は正確ではないかもしれませんが、旧い宗教は、もちろん、かなり゛刃こぼれ”していつでしょうし、
ここ数十年ほどの間にできた新しい宗教のなかでも、当会は、いろいろな面において、「先見性」、「先進性」がある宗教になってきたと思います。
当会の活動だけを見れば、「これが本当に宗教なのか」と思われるような面もたくさんあるでしょう。また、「そうは言っても、例えば政治運動などは、あまりうまくいっていないのではないか」と言う人もいるかもしれません
確かに、そういう見方もあるでしょうが、私たちが言ってきたことの多くは、いろいろな政治家や政治団体、政党等を通して、次々と実現しつつあります。
つまり、あとから押して実現してきているわけです。
今、当会は、そうとうな理論的主柱になっています。実は、当会以外の勢力の人々も、当会の考えを数多く勉強しているのです。
私の本は、政治家や、各省庁、マスコミ、その他の方々にも勉強されているので、目には見えない日本のサブカルチャーをつくっていると言ってもよいかもしれません。
外からは分かりにくいでしょうが、今、当会が日本の大きなトレンドをつくっているのです。 したがって、当会が出している本を読めば、何がどう動いていくかが見えるわけです。
阿部首相は、二〇一七年二月にホワイトハウスに行き、その後、フロリダに行って、トランプ大統領とゴルフをしたそうです。
直行でワシントンに行き、昼食をとった後、エアフォースワンに乗ってフロリダへ行き、ゴルフをして、トンボ返りですぐに日本に帰ってくるというのは、結構大変なことです。
それは尊敬に値する体力であり、サラリーマンでもできないことでしょう。こういう仕事は、投げだしたときが終わりなので、そのつもりでやっているのだとは思います。
私が、二〇一六年の年初から、「次はトランプ政権だ。『トランプ革命』だと思って、この流れについていかなければ駄目だ。あとの執着は断ち切って、この方向に舵を切れ」
ということをかなり発信したことによって、この国も、そちらの方向に向かって動いているのでしょう。
これはこれでよいことだと考えています。私たちには、そういうことを受け入れるだけの気持ちはあるのです。 「考え方」「理想」「思いの力」によって世界を動かす
私たちが言っていることを、ほかの政党が実現してくださるのも結構なのですが、できれば、もう少しだけ我が党を応援してくださってもよいのではないかと思います。
わが党の入る枠を少しだけ空けてくださると、ありがたいものです。 例えば、ロシアのプーチン大統領などは、「日本との条約や、北方領土の問題を解決したいのだけれども、まだ信用ができない」というのが本音です。
そして、「信用できるのは●●●●●教団だけだ」と思っているのでしょう。
プーチン大統領は、当会の守護霊霊言等を勉強しているので、当会の主張している内容は伝わっています。
そのなかで、プーチン氏の守護霊は、「私の考えはこのとおりだけれども、今の日本の政治がこれでは、そのままにできないのだ。
K党との連立政権ができるのであれば、島を返しても構わない」と挑発していらっしゃるので、私としても、何とか、゛実験”してみたいなと思ってはいるのです。
このことは、頭のどこかには置いておいてください。
やはり、ロシアのほうも情報網を持っています。
二、三年ほど前、学園那須本校の生徒が、ロシアのハバロフスクで開催された芸術展示会に絵を出品したところ、入賞し、ロシアのほうに展示されたのですが、その後、それだけを理由にして、
ロシアの学校の生徒が親善友好訪問というようなかたちで学園那須本校にやって来て、文化交流をしました。
そのようなことは、普通はなかなかありえないことなので、ロシアの政府筋から道をつくったのではないかと思われます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています