■■■2ch版・世界救世教のスレ part17■■■ [無断転載禁止]©2ch.net
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この宗教の教祖である岡田茂吉氏はイルミナティやフリーメイソンについてどのような見解をしてるか。分かる人はいらっしゃいますか?
いましたら教えて頂けると、幸いです。 >>453
日月神示は宗教ではないですよ。
岡本天明さんの見解はしりませんが、神示には次の様な記述があります
「イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。」
「悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか」
「理屈に邪魔されて有る物も無くして食へなくなるのは悪の仕組ぢゃ」
「悪の仕組通り、悪平等、悪公平の選挙でえらび出すのざから、出るものは悪にきまっているでないか、悪もよいなれど、悪も神の用(ハタラ)きであるなれど、悪が表に出ること相成らん。」
でも立替の為にはイシヤ(フリーメーソン)と手を握ることも必要だとも書いてあります。
http://vps20-d.kuku.lu/files/20170629-2101_594992c1883d0f122f974faee5ca25ff.jpg >>454
ここにレスするなよ!
日月神示をお持ちの方は、便所紙にお使い下さい >>453
http://www.rattail.org/
ここでログインパスワードを入手してマッソンで検索すれば出てきますよ 専従者は言うまでもなく、救世教の信者を増やし布教し、
結果として多くの人たちを救いに導くのが仕事だろう。
しかし、現実には教団を維持するための資金を集めるために活動し、
信者の幸福とか、より多くの人たちを会員にして世の中を浄化して行こうとか
いう信念からは外れている。
教団の資金を集めるためなら信者を犠牲にしても構わない
というのが本当の信念だろう。 仕組まれた専従者の村八作戦
あるイベントがあった。その日に私が出席できないと伝えておいたんだが、
事情が変わり、出席するために足を運んでいた。
信者10数名が出席するこの場所で私の信頼を失わせるための
工作をするための段取りがつけてあったのだ。
しかし、私が意に反して出席したということがあり、
とまどったようだ。しかし、計画通りにその段取りは進められた。
しかし、会員たちのいる前で公表した内容が専従の思惑と違い、
事実ではなかったのだ。
この場所で私がいなければ会員たちは私に不信を感じて
避けるようになったかもしれない。
ようするに都合の悪い信者を村八にするための攻略を企図していたわけだ。
後々、その疑惑を晴らすために情報公開したので疑惑をもたれずに済んだ。
専従者に取り憑いている蛇霊がそうさせたのだろうか。 私が、感謝祭という月初めに行われるイベントに参加し始めたころ。
堂々と、今月の献金のノルマは100万であり、あといくらたりないから
よろしくお願いします。などとやっていた。
しかし、現在では全くそういったことは言わなくなっている。
専従者というものは非常に警戒感が強く、どういう人間が入ってきたのかについて
神経を尖らせる。そして、その人間を監視し、観察している。
いかにも明主様信仰保持してきたてという態度をしている。
基本的に専従者というものは、神棚も仏壇も祀っていない。
したがって必然的に蛇霊の住処となってしまっている。
それに気づくこともできず、どう対処していいのかもわからないというのが
実態だろう。 要するに私という存在が参画するようになってからガラリと態度を変えてきている。
蛇の天敵がきたようなもので委縮しているようだ。
最初のころ、機会ありいろいろな話をしていたが、
その後に、献金脅しができると思っていたようだが、
それが通用するような存在ではないことに気づいたようだ。 神仏を祀っている人間に対して、
蛇霊憑きが委縮退散するというようなことになっている。
意外と思われると思うが、これが事実。
善の側であるはずの専従者が蛇にコントロールされている。
これは教団の歴史そのものだろう。 最初のころはいかにも信仰者然としていたのに
今ではその信仰の弱さと浅さが暴露してしまい、
蛇霊も完全に引っ込ませている状態で
話術も効かず、手前みその宗教理論も効かず、
持論も、使える欺瞞知を総動員してもどうにもならず、
精神が弛緩し、無気力化している専従者。 こういう状態で私が、誰かを導き会員にしていく
働きができるというかというとそれは無理である。
今、人を連れてくれば、専従者の献金タカりのカモにされてしまう。
他人を救いたいのにそれができない。
これって大きな御神業妨害でしょう。
新しく会員になる人たちに対して
専従者のポロリと発した一言が忘れられない。
「タダで幸せになろうなんてとんでもないことだ」 タダで幸せにしてあげましょうよ。
それが信仰の道であり、布教の根本だ。
会員が増えれは献金も増える。それが自然でしょう。
専従者というものは同じ信仰者という以前に
目の色の違う人たちだろう。
これを正気に戻すことをしていかないと滅びる。
以外にも信仰の害敵が内部にいた。
このリアルな実情に気づいて欲しい。 明主様御垂示 「唯物論者は相当な罪」 (昭和23年4月28日)
信者の質問
「唯物論者なんかはいかがでしょう。」
明主様御垂示
「そうとうな罪です。いまに見てらっしゃい判りますから。あれはサタン・・・赤い龍が支配して
いるんです。」
信者の質問
「この前も宗教家と唯物論者がラジオで対談しておりました。」
明主様御垂示
「ええ私は聞きそこなったですが、私は以前から共産党の赤龍と戦っているんで、いまも戦争
中です。今年中にこっちが勝つでしょう。二十年前にも共産党の者が私の命を取ろうとして
匕首(あいくち)を持ってやってきて、それを畳につき刺して脅迫しました。そいつは赤龍です
から顔から首まで真っ赤だった。その要求は金銭上のことではないんですが、それを承知
してしまうと私の仕事ができなくなるようなものでした。私の仕事の邪魔をしに来たんです。」
明主様御垂示 「間違った思想を広めるのは殺人より罪が重い」 (昭和24年1月8日)
「間違った教育をしたり、間違った思想を広めることは罪が重い。文学者なんかでも間違った
思想を広めるのは人間を一人二人殺すのよりももっと罪が重いのです。」 明主様御垂示 「悪口を言われると罪が消える」 (昭和23年11月8日)
「人から悪口を言われるのは、霊的にはこっちの罪をその人がとってくれるのです。だからむ
しろありがたいのです。その代わり悪口を言うほうは罪を着るのです。」
明主様御垂示 「悪口を言われると罪が消える」 (昭和23年11月28日)
信者の質問
「個人的または団体的悪宣伝に対し、私どもは宗教人としてよい宣伝をもってこれに報ゆる
べきでしょうか。」
明主様御垂示
「間違いに対して説明するのはかまわないが、うっちゃっておいたほうがいいです。それに災
いされて萎縮するようではまだ駄目ですよ。悪口を言われるのは結構なんです。 悪口は浄化
で、それでこっちの罪が消えるんです。」 明主様御垂示 「憑霊の霊査法」 (昭和23年7月28日)
信者の質問
「憑霊を知るための霊査法をすることは・・・」
明主様御垂示
「自然にしていれば必要の場合は神様が知らせてくださる。最初から判ったほうがいい場合
もありまた悪い場合もある。・・・それから狐などが浮いてきて騙そうとしたら騙されたほうが
いい。そのほうが狐は自分から暴露する。かえって狐をあがめてやるくらいにしたほうがいい
です。」 明主様御垂示 「狐霊に対する心構え」 (昭和23年)
「狐の霊など、こっちで騙されるものかと警戒してはいけない。騙されなければいけない。その
方が早く暴露する。霊的病気には祝詞に限る。三回ずつとする。霊的関係といえば、何でも
その関係がある事になる。人間なら死霊、生霊、精霊などあり、物質は単なる霊である。」 明主様御垂示 「長くてくどい霊懸りは狐霊」 (昭和24年8月23日)
「ここで神懸りについて注意しときますがね。神懸りなんてものには決して高級な霊は出て
こられない、神様なんかほとんど絶対に出られないんです。神懸りっていうのはそういうもん
ですよ。中には正統なものもあるにはありますが、永く、くどくやるのはきっと狐やなんかです
からね。本当の神様だったら簡単なもんですよ。そりゃあ、実に簡単なものなんです。本当の
神懸りってのは私が一年に一遍か二度なりますがね、・・・ちょっと、どうにも判らないことを
お伺いするんですが・・・決して永いもんじゃないんですよ。神懸りっていうのはそういうもの
なんです。ふつうの人はこれが判らないんでたぶらかされてしまうんです。立派な人がこれで
やられますからね。この間も、古い教導師でそうとうやられた人があったので、私がガンと
一遍言ってやったら、それで目が覚めて改心しましたがね。しかし、浄霊するとたまに出て
きますから出てくればとり合わぬわけにはゆかないんで、やはりそこに審判としての心得も
いるわけです。とにかく、くどいのは駄目ですよ。人間でもくどいのは駄目ですよ。よくペラペラ
しゃべりまくるのがありますがね、あんなのは狐ですよ。だから議論しても向こうがペラペラ
やりだしたらもういけない。もう、狐の相手になるようなもんですからね、相手になっちゃいけ
ません。「いずれまた」って言って、敬遠すればいいんです。偉い神様ほど簡単なんです。
霊界で一番高級な霊はただ想念だけでお互いに通じて意志交換をするんです。それから
一段下がると少し言葉を使うんですね。それから次は人間が人間ふつうの言葉を使うんで
す。そして動物霊になるとペラペラやるんです。だから、くどくて長くやるのほど動物霊ですね。
これは心得といていいことです。これを知ってりゃ間違いはありませんよ。」 明主様御垂示 「浄霊中における霊との問答の作法」 (昭和24年7月発行)
信者の質問
「霊と問答できなければ御浄霊は充分でないものでしょうか御伺い申上げます。」
明主様御垂示
「霊と問答という問題は念頭に置かずに御浄霊する方がよい。御浄霊最中に霊が浮き出た
ら丁寧に問答してその霊を慰めるのがよい。そうしたら早く治るものである。ただその問答に
は次の項目は守らねばならぬ。1 誰の霊であるか2 何の理由で憑いたのか3 何を望む
か 霊査法もあるが、これは知らぬほうがよい。これを主にすると霊媒者に他の色々な霊が
憑いて来て当人を気狂いにしてしまうことが多いから。」 明主様御垂示 「白髪の原因」 (昭和24年7月25日)
信者の質問
「四十二歳の女(教導師)、最近急に前頭部毛髪が白くなりました。薬毒のためでしょうか。
また、何か霊的関係がありますか。昔から額の上の白髪は不幸があると言われ、不運だ
そうですが、どうでありましょうか。御伺いします。」
明主様御垂示
「薬毒が頭へ行くと白髪になる。(私など歯の薬毒である)年(?)もいくらかあろう。特に女は
美に関係する。」 明主様御垂示 「疥癬の原理」 (昭和24年7月27日)
信者の質問
「疥癬は必ず出るものでしょうか。」
明主様御垂示
「必ず出る。ただ薬を服まぬ人は少ない。心を包んでるのは人間の霊であり、その霊体の曇り
が浄まると肉体の曇り(膿と毒)が押し出される。それが疥癬となる。」 一般的に疥癬とは
目に見えないほどの微小な ダニ が寄生することにより
発症するとされていると思いますが
どうなんでしょうかね ? 明主様御垂示 「大食して痩せる、倦怠」 (昭和24年7月29日)
信者の質問
「二十一歳の男子、食事は普通以上にとりますが非常に痩せていて太れません。身体は常
に倦怠を感ずる程度ですが、いかなる訳でございましょうか。」
明主様御垂示
「熱が始終あると痩せる。熱は消耗する。(頸周り、肩に熱があると痩せる)」 箱美顔本の
今月の和菓子に添えられてる「黒文字」は、
MOA美術館で売られてるの?
野々村仁清の藤壺のような絵柄だね このまえ、売店でビールを買った夢を
見たのう
が、夢で、そのビールを飲めんかった
のじゃ その日、コンビニで、スーパードライ
を飲んだのじゃ 箱美顔本の
山百合ちゃん♪( 'ω' و(و"ルンルン
山百合ちゃん♪( 'ω' و(و♪( 'ω' و(و"ルンルン 専従者及び信者の精神異常
これは私自身の体験上、精神の向上の過程を考えてみた場合、
学生の頃、明主様信仰ということに関して自分自身が献金を主体に
して生きていきたいと考えていた。
誠、他人を幸福にする、献金による浄罪、忍耐、霊の浄化と運勢の向上、
幸福な未来、将来。こういう妄想で固まっていた。
これは当時天国の礎という一巻物の教典がありその内容に従っていた結果で
ある。この教典は教祖が論文の編纂は聖書にならい専従者にやらせると言われて
いるため、専従者に都合のいいように編纂され洗脳的に造られている。
専従者用として未発表の論文の資料はあったようだ。ただ本質的な救世教の教理に
かんするものが公になりはじめたのは80年代の後半であり、内部からではなく
ある分派により発刊されている。救世教団では派閥による抗争が行われているような
時代。
この時代からずっと教団では教理に関する論文を隠蔽し続けてきた。そしてそれから、
20年弱経過してネット上にほぼすべての論文が貼られているような
状態になってはじめて、教理に関する内容を含む新しい教典が発刊された。
それが5年程前である。 この間、ずっとまじめに活動してきた信者は専従者の犬的に飼いならされて来ている。
要するに犬小屋住まいが長く、まともに人間として生きてこれていない。
ワンッ、とかクンッッとかしか言えない状態だろう。あとキャンッッとか。
尻尾の振り方はプロかもしれない。
そんな非人間的精神状態は今でも続いている。教典の内容に関してなにも考えない
癖が付いている。言葉を喋り人間的に理論的に、論理的に語り説明したりすることが
丸でできなっている。そういう思考力も壊死しているようだ。
彼らが習ってきたのはお手とかお座りとか伏せとかであって、
教祖について真剣に考えたりする習慣は無い。
これは専従者にも言えることである。
わかりやすく言うと、救世教内では華道や茶道が
好まれる。ただそれはマネ事であり、その本格的な理論に
ついては全く考えず教えられることも無い。
浄霊や御教えに関しても同じで信仰のマネ事であり、いつまでたっても
正されない、正そうとしない。 それが極度に偏固した特殊な精神疾患を形成しているようだ。
LEDの時代に蝋燭の灯火で生活しているようなものだ。
精神が暗くはっきりせず、覇気が無い。
政治家との繋がりでもロータリークラブに頭が上がらないような人物を
推薦し持ち上げている。要するに悪の側に加担し利用されているということにも
気付いていない。
またその固陋な精神の刑務所から健康的な楽園に繋がる道が
あったとしてもそれを信じないまでになっている。
話のネタが切れたときのセリフはお決まりで
献金のことしか出てこない。
専従者にしても献金できない信者は完全に無視する体制が
できているようである。 明主様御教え 「私の名称に就て」 (昭和26年9月12日発行)
「今度本郷弓二氏が、私が信者に対して、時々言う弟子の言葉について、色々心理的に
書かれたが、これも面白いと思ったので少し書いてみるが、私は現在は光明如来の働きを
主にしておるので、釈迦如来、阿弥陀如来と同等の地位として、釈迦如来がよくいわれた
十大弟子の意味と思えばいいのである、また浄霊を専門にしてる人と、普通信者と紛れ易い
ので、そう言った方が判り易いからでもある。氏のいうごとく、以前私は大先生と呼ばれた事
があったが、その時は観世音菩薩という菩薩行であったからそれでよかったが、如来となって
から明主の名にしたのである、また自観とは自分は観音の働きをしてるという意味であり、
その他和歌の名の明麿もこういう訳で付けたのである、それは皇太子殿下の御誕生が、
昭和八年十二月二十三日で、十二月二十三日は私も同じ月日に生まれたので、忘れもしな
い、生まれて始めて、右の昭和八年十二月二十三日に、信者の勧めで誕生祝をしたのであ
る、そんな訳で殿下の御名が明仁と発表されたのを記念したいため、その時明麿と名付けた
のである、またユーモア・・・的のものには、明烏阿呆の名を用いているがこれも由緒がある、
それは明治の初め頃、大阪に朝寝坊喜楽という冠付宗匠があって、この人は当時相当認め
られた宗匠で、その二代目が大本教の出口王仁三郎師で、朝寝坊閑楽の名で、さ かんに
信者間に冠句を奨励されたので私もその弟子となり、好きなため大いに努力し、その甲斐
あって三代目朝寝坊暉月という名を貰ったのである、それから笑の泉でも知らるる通り、
選者となって一時は、私の弟子数十人に対し大いに冠句を奨励したものである、ところがそ
の頃、私は非常に朝寝坊だったので、早起きになりたいと思い、そこで改名したのが今の
明烏阿呆である、すると不思議にも、それから早起きになって、今日も続いているのである
が、言霊の妙用も馬鹿に出来ないのである。そうして神様は私の霊的地位や、仕事の関係
などから、相応した名前を御付けになるので、今後といえども名前が変るかも知れないし、
変らないかも知れないと思うが、考えてみると明主の言霊は、メシヤと五十歩、百歩だから、
あるいはメシヤの名前になるかも知れないとも想っている。」 「神霊研究会の浅野和三郎氏のところで、霊媒亀井三郎氏により試験を行った事がある。
まず手や足は動けぬ様に椅子へ絡げ付けて置いて、霊の活動状態の試験を行って見た。
まず机上に夜光薬を塗った玩具を置き、電気を消して蓄音機を掛けて音楽を始める。暫く
すると音楽により無念無想の状態に早くなるのである。レコード一枚位でポツポツ霊の活動
が始まるのであって、玩具はツーッと角度のあるままも空中をよく飛行するのが夜光液の光
でよく見える。ラッパがツーツーと空中を飛びながらパッパッパーと鳴る、鳴りつつ走る。
走っているかと思うと、パッとラッパや玩具を途中から落す。そのラッパや玩具を投げるにも
人に当らない様に投げる。その内にテーブルが上にあがったりする。霊媒が椅子に縛られな
がら、着ている衣服の下に着ているシャツが、衣服はそのままシャツのみが脱がれて投げ出
されてある。実に奇態な事である。しかも霊媒たる本人は無我夢中になり居り、一寸直ぐには
醒めない程に眠りこけている有様である。この霊媒の醒めたのは十五分か二十分位かかっ
た。この霊媒に憑った霊は印度のバラモンの僧の霊が出て来て行ったのであって、この後で
沢山の酒を飲まさんと明日は出来なくなるので、今夜、夜明位まで酒を飲ませねばならん、
と言っていたのであるが、この霊がやるのであるから、明るくては出て来ないのである。」 本教の目標である地上天国建設というその地上天国とはいかなるものであろうか、言うまで
もなく真善美が完全に行われる世界である、もちろん本教の生命である健康法も無肥料栽培
もその具体化であり、また浄霊法は肉体はもとより精神的改造でもあるが、それとは別に人
心を美によって向上さす事も緊要である、美については差当って今着手の運びになっている
本教の新しい企画である、それについてまず日本の現状をかいてみよう。美とは大別して耳
と眼と舌の領分であるが、耳の方は今日ほど音楽の盛んな時代はまずあるまい、その原因と
してはもちろんラジオを第一とし蓄音機、録音盤等の発達もあずかって力ある、ところが眼の
方に至ってはただ演劇映画等によるだけでまことに心細い状態である、もっと簡単に身
近に時間の制限がなく美の感覚に触れるものが欲しいのである、なる程演劇や映画は眼を楽
しませるものとしては上々のものであるが、時間と経済と交通等の制約がある以上全面的
に受入れる事は出来ない、ところが吾らがここに提唱するところのものは美の普遍化に好適
である花卉の栽培とその配分である、一般住宅その他の部屋に花を飾る事である、現在と
いえども中流以上の家庭には大抵飾られているが、それだけでは物足りない、吾らの狙い
はいかなる階級、いかなる場所といえども花あり、誰の眼にも触れるようにする事である。
事務室の隅に書斎の机に一輪の花がいかに一種清新の潤いを覚えしむるかはここ ここにいるかたに質問させて頂きます。
明主様は霊界にアクセスしたようですが、その手段を知っている方はいらっしゃいますか?
龍神とか狐霊とか多くの逸話を聞きます。それについて詳しく調べるよりも魂を浄める活動の方が重要なのは分かりますが、個人的に知りたくて仕方がありません。
何か知っていれば、無学な私に教えて頂蹴ると嬉しいです。 明主様が霊界にアクセスしたのではなく、観音(浅草寺の本尊)様が縁あって明主様をお使いに
なり救世の大業を進められた。
教祖が自分の考えの正否について観音様にお伺いして決めていた。
主神様(ミロクオオミカミ)は仏教やキリスト教も大きな意味で運転されてきた。
死後の世界、極楽、天国も実在し、その御光を浄霊という形で受れられる。
最奥天国の波長、リズム、人体、精神の正常聖浄化をこの世にいながら
体験できる。それが浄霊。 なるほど、観音様に教えて頂いたのでしたか。ありがとうございます。とてもスッキリしました。今の低いであろう私が高位なる存在と関係を持とうとしてもやはり無駄なのですね。
御魂磨きに専念しようと思います。誠にありがとうございました。
に言う
必要はない、理想からいえば留置場、行刑場等にまでも一枝の花を飾りたいのである、そう
すれば彼ら犯罪者の心理にいかに好影響を与えるであろうかである、このように人間のいる
ところ必ず花ありというような社会になれば現在の地獄的様相を相当緩和する力となろう。
ところがそうするには今日のごとき花の高価ではどうにもならない、どうしても非常なる低価
で手に入れるようにしなければならない、それには食糧生産に影響を与えない限り大いに
花卉類の増産を図るべきである、これについて今一つの重要事を書いてみよう。日本は
花卉類の種類の多い事は世界一とされている、また栽培法においても世界の最高水準
に達しているという事で、彼のオランダ特産のチューリップなどが今次の戦争前越後地方
に栽培され相当の輸出額に上っていた事や、白百合が神奈川県下に生産され英米に輸出
し、年々増加しつつあった事等は人の知るところである、吾らの調査によれば米人などは
日本の花卉に憧れ米国にない名花珍種を要望してやまないそうであるから、今後は大々
的増産によって外貨獲得の一助たらしめるべきである、ところがこの事は案外今日まで閑却
されていたが今後は大いに奨励する必要がある、しかも輸出高に制限の憂えがない貿易品
であるによってみても大いに嘱望の価値があろう。以上の意味において本教団社会部にお
いても今回熱海梅園から数丁隔たった地点に一万坪の土地を開発し日本におけるあらゆる
種類の花卉を蒐集し、模範的花苑を目ざし、大々的栽培に取掛るべく目下勤労奉仕隊員数
十名が努力中である。 余談ですがフリーメーソン(イルミナティー)は絶対お参りしたりついてっちゃ駄目です。
やつらはひがみの不動(シヴァ)のかたわれでそれも悪さがまったく逆に出たものです。
ひどい差別社会ばかりになります。 阿含経は解読して残したほうがいいかもしれないが、阿含宗では現世の人生をめちゃく
ちゃにされてしまうのでダメだ。 明主様御講話 「ジャズは音楽ではない」 (昭和28年9月27日)
「昨日もラジオの街頭録音で、学生がジャズをやるのは良いか悪いか
という問題が出ましたが、ジャズというものは、少しも良いところはな
いのです。第一あれは音楽ではありません。私はジャズというのは
アメリカの八木節だというのです。ですから音楽ではありません。た
だ踊るときの一つの調子をつけるための、リズムというだけのもの
です。それが日本の若い人たちの間に非常にはやっているという
のは、アメリカ崇拝の結果です。なんでもアメリカのものなら良いと
いう流行的な、ごく単純な心理です。」 明主様御垂示
「芸術品も私は好きですが、昔のほうが新しいですよ。最近のには
本当の新しみがない。音楽にもこういう点があるのでしょう。こんな
ことは実に不思議ですね。ジャズは私には判らないですね。やっぱ
り踊るためでしょうな。音楽そのものを味わうことはできない。」
信者の発言
「あれは酒と女の音楽です。」
明主様御垂示
「そうでしょう。アメリカ人には、なかなか人道的ないい点と野蛮人
的趣味と両方がありますね。彼らは最初イギリスから渡って土人と
結婚したためなんでしょう。土人的趣味がジャズとなって現われて
いるんですね。アメリカ人の野性に富んだちょうど西部劇のような
深みのないもの・・・」
信者の発言
「ジャズの調子はニグロ的です。日本の馬鹿囃子は、馬鹿ではなく
いいものです。リズムはとてもすぐれてます。」
明主様御垂示
「日本のジャズですね。日本人がいまに日本を発見するでしょう。
青い鳥みたいですね。日本にはいいものがありますよ。絵でも本当
の絵は日本画です。油絵は絵ではなく、ただなするだけです。日本
のは単純であってしかも深い、油絵も印象派が出てからまた妙ち
きりんになりましたね。いままでは日本人のすぐれた点を封建的な
力が押さえていたんです。」 明主様御垂示 「芸術家が不幸になる原因」 (昭和23年12月28日)
信者の質問
「すぐれた芸術家の中には不遇な人が多いこと、また人格的にどうか
と思われる人があること、これはなにゆえでございましょうか。」
明主様御垂示
「これは一時的にはありますが永い間にはないでしょう。もしあればそ
の芸術がすぐれてないかまたは悪い癖があるためです。すぐれてい
れば必ず世に出るべきものです。私のだって価値のないものならい
くら宣伝しても一時的のものです。が、本当に価値があるから発展す
るのです。以前玉川の上野毛へ移ったときも「こんな辺鄙な所では・・・」
と言って心配した人もあったが、私は「本当のものならどこへ出たって
よい」と言ったことがありました。・・・芸術が世に認められてても運が
悪いという意味ですか。そういうのは西洋に多いですね。芸術家には
不道徳の人が多いがこんなのは神様のほうから言えば本当の芸術家
と違って悪魔的です。人を愛することや人の迷惑を考えることが少な
い。ただ自分の芸術のみ尊重して社会生活に寄与することが少ない。
それが不幸の原因です。西洋の音楽家や文学者にはこれが多いで
すね。ヨハン・シュトラウスなんかは初め銀行家だったが、あまり音楽
に夢中になってクビになったが、やがてその音楽が皇帝に認められ
たんですが、それは皇帝もシュトラウスと同じような境遇だったから
です。ベートーヴェンなんかはひどいですね、耳は聞こえず恋愛は
失敗するし、シューベルトだってそうでしたね。ベートーヴェンのリズム
は悲痛から生まれたので、聞いてても快感はなく暗い感じになります。
ただ、こっちも暗い気分なら共感はあるでしょうがね。・・・彼の「運命」
なんかはいいんですが、悲痛が出てますね。」 シュタイナースクールの教材に
「サンキャッチャー」というのがあるけど
センターでも飾ってみたら?
https://youtu.be/UJ7RPwMRdQs そりゃかわいい動画だな。
外の人からみるとそんなの飾るようなイメージなんだろうけどさ。
内部だと、
岡田茂吉だけを祀り、他を否定して恥じない人たちだからね。
祝福されたり恵まれたりするわけないんだよ。
霊的にはまずい。この間、専従の行先を追ってみると
よく行かない方がいいような森林の洞穴のようなところに入っていった。
まぁ、悪い霊がいるって言われているようなところ。
そこに入っていった。・・・中には以前、専従だった人たちやそれに準じて
教団の行事にかかわっていた人もいた。ただの信者だった人たちは別の
場所で布教所の母屋があり、活動してるみたい。
元、総長や幹部だった人たちは信者からの献金で贅沢な生活をしたため、それがマイナスに
振れたようでかなり酷いところにいるようだ。刑場、刑務所のようなところから
出られなくなっている。
どちらにしろ、洞穴に閉じ込められて「なんで俺たちは明主様を信仰してこんなところにい
なければならないのか」という顛末になっている。
私の場合、こうはなりたくない。教祖の間違いは間違いとして主神様を
基軸として生きている。もちろん仏様ゃ神様も祀っている。
救世信者だらといって特別じゃない。大事なこと、神聖な存在を軽視し、無視して
生きたものたちは必然的にそういう場所に赴くことになる。 明主様御教え 「我と執着」より (昭和23年9月5日発行)
「霊界における修行の最大目標は執着をとる事で、執着の除れるに従い地位が向上する事
になっている。それについてこういう事がある。霊界においては夫婦同棲する事は、普通は
ほとんどないのである。それは夫と妻との霊的地位がちがっているからで、夫婦同棲は天国
か極楽人とならなければ許されない。しかしながら、ある程度修行の出来た者は許されるが、
それも一時の間である。その場合、その界の監督神に願って許されるのであるが、許されて
夫婦相逢うや、懐かしさのあまり相擁するような事は決して許されない。いささかの邪念を起
こすや、身体が硬直し、自由にならなくなる。そのくらい執着がいけないのである。故に霊界
の修行によって執着心が除去されるに従って地位は向上し、向上されるに従って夫婦の
邂逅も容易になるので、現界と如何に違うかが想像されるであろう。そうしてさきに述べたご
とく、執着の権化は蛇霊となるのであるから恐るべきである。人霊が蛇霊となる際は、足部
から漸次上方へ向かって、相当の年月を経て蛇霊化するもので、私は以前首が人間で身体
が蛇という患者を取り扱った事があるが、これは半蛇霊となったものである。 教団の問題は
金銭に対する執着、
食べ物・雑食に対する執着、
教祖の教えのみに頼る執着、
と執着だらけ
極楽人になれる専従がいるかどうか疑問 明主様御垂示 「高級霊は霊界に長くいる」
信者の質問
「高級霊より低級霊の方が転生の率が多いでしょうか。八百万の神は肉体を持って現世に
出られる事があるでしょうか。」
明主様御垂示
「低級霊の方が多い。高級霊は少ない。霊界に長くいる。ズーッと高級霊になると生れ替る
執着はない。生れ替って来ても、何千年に一遍位生れるようになる。低級霊は執着が強い。
執着がとれると高級霊になる。浄化不足のまま生れるから欠陥が種種ある。高級霊は殆ん
ど生れない。肉体の姿で霊界にいる。極く中心の太霊無極は未だ生れぬ。表現は生れた。
八百万神は全部人間には生れている。」 明主様御垂示 「お盆の意味」 (昭和24年3月1日発行)
信者の質問
「お盆の意味についてお伺いいたします。」
明主様御垂示
「釈尊の大慈悲から盂蘭盆会というものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の
家へ還らしてくださるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くと言うが、とにかく地獄の祖霊
も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。元来
祖霊は常に全部仏壇にいるわけでなく、平常は選ばれた留守番の霊がいるだけで子孫が
拝むときだけ仏壇に集まるのである。その際仏壇にはある程度救われた霊だけしか来られ
ない。つまり八衢以上のものが来られるので、地獄にいる霊はお盆のとき以外は来られない
のである。お盆には種々の儀式を行なって霊を迎えるのであるが、「おがら」を焚くのはここ
からお入りくださいという目印である。これはいままで夜の世界だったため霊界も暗いので
灯りを見せないと霊がまごつくからである。ここで注意したいことがある。それは仏事はどん
な古い先祖でもするほどよい。また長男だけが祖霊を祭り、次男以下は祭らないのがあるが
これはよくない。霊界人となってもやはり現界と同様親子兄弟の情は同じことで、自分の子供
のどの家へでも行けるようにありたいわけだ。従って、次男も三男も全部祭るべきである。
位牌が多くて始末に困るときは面識ある祖霊はそれぞれに位牌を作り、面識のない祖霊は
先祖代々にまとめてよいのである。」 明主様御垂示 「お彼岸、お盆の霊的意味」 (昭和24年3月8日)
信者の質問
「お彼岸、お盆の霊的意味についてお伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「彼岸のときは太陽が冬至と夏至の真ん中をまわるときで、ちょうどいいときなんですね。で、
このちょうどいいということが天国、極楽になるのです。つまり理想世界のことですね。彼方の
岸というのは「理想郷」の意味でしょうね。で、そのときお墓参りをするということで、別にはっ
きりした意味はないのですが、まあちょうどいいときに先祖を祀るというわけでこれは理屈
なしにいいことですね。お盆のほうは、地獄にいる霊が始終苦しんでいてかわいそうだから
一年に一度帰らせるのです。彼岸もお盆も釈迦が作ったのでしょう。」
信者の質問
「地獄の霊だけでしょうか。」
明主様御垂示
「地獄以外の霊はいつでも帰れるから、お盆は主として地獄の霊を慰めてやるんです。このと
きだけは思いきってたくさんごちそうを食べられるのであって、迎火をたくのも霊が来る目印
のためです。」
信者の質問
「彼岸以外に新たに仏壇を買い求めると、新しい仏ができるからいけないと申しますがいか
がでしょうか。」
明主様御垂示
「こんなことはありませんよ。それから寺や墓を立派にすることもいけないと言いますがそれ
もありません。最近、私はある寺の再興のため寄進しました。もうじきにできあがるはずです
が、別に私はあの世の仕度をしてるわけではないんです。」 明主様御垂示 「お盆に諸霊の供養をすることについて」 (昭和28年8月1日)
信者の質問
「お盆には亡くなった知己、親戚という者が仏壇に来られるのでしょうか。」
明主様の御垂示
「来られます。」
信者の質問
「それはどういう意味でございましょうか。」
明主様の御垂示
「あれはお釈迦さんが仏界を作ったときに、そういうようにしたのだから、どんな地獄に苦しん
でいる者でも、1年に1度ずつは娑婆に出してやるというわけで、許されてあるのです。
信者の質問
「そういう事は別に、姻戚で無縁になっている霊がたくさんあり、また私どもの場合、教会の
信者で亡くなった者がある場合に、自分の家の仏壇で供養してあげたいという場合には、
入って来るものでございましょうか。」
明主様の御垂示
「しかし、作らなくてもよいでしょう。あなた方のごく関係した者だけでよいのです。何となれば、
その人の遺族が祀るのが本当なのです。それでそういった無縁になってしまっているのは、
一々救うとしたら大変です。昔からとなると何億、何十億とあります。それを祀るとしても、
みんなは来れないかもしれません。だから、良いとか悪いとかというよりも、そういう必要は
ありません。」 明主様御垂示 「布教地の氏神様への礼拝作法」 (昭和27年8月1日)
信者の質問
「出張所の責任者が御浄霊のときに、霞のような物がまとまって人間の形になったものが目
に写り「ワシはこの土地の二千年前からの先祖だ。これは結構なことではあるが、黙ってして
はならない。 一応断ってもらいたい」と言うので早速お参りに行きましたところ、患者がたい
へんくるようになりました。そういう場合のお参りの方法はいかがいたしましたら・・・」
明主様御垂示
「方法も何もない。いきなり行って、最初に、今日からこの土地を拓こうと思いますから、どう
か御守護御願いします、とお願いとお断りと両方するのです。それは非常に結構なのです。
私はそれをやりたいのだが、そうするといやに神道臭くなるので言わなかったのです。しかし
時たま言うことはありました。」
信者の質問
「土地の守護神でございますか」
明主様御垂示
「土地の氏神さんです。それは本当です。最初は丸くなってくるのです。そうして人間の形に
なるときに丸いのがほごれてそうなるのです。」
信者の質問
「光でしょうか」 明主様御垂示
「光とも違うのです。それは神様の格にあります。高い神様だと光がそうとうあります。 普通
は白い煙です。霞のようなのです。産土さんくらいになると薄光がある。神という名が付くと
薄光がある。良い神様になるとだんだん光が強くなってくる。産土の神というとその土地だけ
の光しかない。それから国魂の神様というと、そうとう広い範囲になる。天照大神、素盞鳴尊
とかそういう神様になると、日本とか朝鮮とか、それだけの大きさの光になる。で、世界全部
の光というと私に憑いているメシヤの神様です。これは世界全部になる。それで世界メシヤ教
と言うのです。ですから世界という名がついているのは、メシヤ教と紅卍字会です。紅卍字会
は至聖先天老祖という世界的の名前がついている神様ですからそうとうなものです。 至聖先
天老祖というのは国常立尊です。ですから、私に憑いている神様というのは一番光が強いの
です。お光様なんてのは、これは私がつけたのではないが・・・静岡新聞がつけたのです。」
信者の質問
「あれは、お光様と言っておりますが、様の字を取っては言いません」
明主様御垂示
「ちゃんと敬語を使っている。やっぱりみんな神様がやっているのですから・・・。」 明主様御垂示 「青大将になった先祖」 (昭和26年10月8日)
信者の質問
「氏神様にお参りに行ったら大きな、青大将が真ん中におりました。青大将だからなにか
意味があると思い、そのまま、祝詞を奏げましたが、その後霊憑りがあり、お知らせで、邪神
に追われて社に入ったので、苦しいから祀ってくれ・・・お供えして祀ってくれと言うことであり、
氏神様と青龍様を祀っておりますが、青龍様というのは、なんでございましょうか」
明主様御垂示
「先祖です。氏神です。青大将はほとんど先祖ですからね。先祖が龍神に落ちるんだからね。
だから、先祖としての扱いをしなければならない。ですから、青大将は生米が良いですからね。
これが一番好きだ。生米と水と塩を供げてやると良い。自分は別にお祀りしてくれと言うんで
しょう。だから大先祖だ。一番いばっている。」 ※
その土地の先祖が青大将に生まれ変わり、
神社の杜に生息してい。これを青龍様と言っている。
これはさすがに、信者でも怖いですね。とても信じられない。
蛇など祀りたくもないです。蛇神=邪神ですからね。
これは悪行を行った先祖が、爬虫類に生まれ変わったということだろう。
私は神棚に産土様(近所の神社)の御札を祀ることで十分だと思います。
以前、専従者に蛇霊が憑いていると言ったがリアルで怖い。それに生まれ変わるので
しょう。
ぶっちゃけ考えたくもないですね。 確かに、明主様を利用して私物化し、資金調達の道具としてきたのだから、
それは蛇にもなるでしょう。
わたしは関わりたくない。
ただ、明主様を三角形の中心に置き、神社の神様、仏様、イエス様を
三位一体で礼拝しますよ。
そこに蛇など近づけない。近寄りません。 要するに、神棚、仏壇をちゃんと祀らないで明主様を祀ることは危険だということですね。
蛇の管轄下に引っ張り込まれる。
専従者がおかしなことを行ったり、やったりすれば直接神様仏様に訴えます。
それにより蛇は萎縮し近寄れません。
信者の方々は正しい祀り方をするべきですね。 死後、天国や極楽に住する人たちはこの世で、他人に対して、また自分の環境全てに関して
感謝をし、人に対する愛情や思いやり、助け、困苦から逃れさせるなどの行為、身口意を
大事にします。
また、その無償の愛情や慈悲心、行為というものが何よりも価値があり、賞賛に値し、
最大の評価を受けるということを知っているのです。
救世信者の場合、善行や他者への思いやりは自分を磨くためであり、純粋なものとは
言えないでしょう。ただそういう気持ちにならないよりはるかにマシということになる。
結局、教団の活動をするのも献金するのも人のためを思うのも、自分自身が幸福になる
ためにやっている。
笑顔もやさしい言葉もすべてそうです。結論から言うと信者、専従者含めて、
愛情や慈悲心というものは本当の意味では無いでしょう。
時と共に彼らの霊体がどんよりとした曇りの霊体であり、天国に赴く状態には
無いということがわかってきます。
特に専従者の魂は暗黒のオーラを放っている。死後どうなるかは言うまでもないでしょう。 専従者が死後、明主様の居られる天国に行かれると思っているのは単なる妄想です。
あの世の地獄界というものも広大です。これを無くしていかなくてはならない。霊界の地獄を
救わなくてはいけない。そうなんですよ。地獄界には観音様も居られる明主様も居られるのです。
やはりそこで働くのです。
死後安楽な天国などには往かれない往けないようになっている。
皆が天国・極楽に往くと、地獄で働く人が少なくなる。
こういうことでしよう。 天国や極楽など、並大抵では往かれません。
そういう人は霊体が輝いている。
信者・専従者でそういう方は視たことがない。 明主様御垂示 「先祖の宗旨が不明の場合には真言
宗で良い」 (昭和26年11月1日)
信者の質問
「二代三代とキリスト教で、メシヤ教に入り先祖をどう
して祀ったら良いかと言うのでございますが、昔は仏教
であったに違いないのですが、宗旨が分からないので
ございます」
明主様御垂示
「宗旨が分からなかったら、真言宗にしたら良いでしょ
う。と言うのはね、弘法さんは極楽だからね他の、親鸞
だとか日蓮はなんだからね。」
信者の質問
「改名を真言で作ってもらってもよろしいのでしょうか」
明主様御垂示
「そうですね。なにしろ、そうしなければ居所がないです
からね。西洋はそうなってますが、東洋はそうではない
からね。そういうようにしなければならない。」 明主様御垂示 「元の宗旨はよく調べるべき」 (昭和26年11月1日)
信者の質問
「一度変っており、元の宗教が分からないというときにはいかがいたしましたらよろ
しいでしょうか」
明主様御垂示
「そんなことはないがね。いつごろですか。」
信者の発言
「親の代からということでございます。当人たちはなにも関心持っておりません。名前
もわかりません」
明主様御垂示
「親戚は。」
信者の質問
「やはり、良く調べてやるのでございましょうか」
明主様御垂示
「そうです。真宗なら真宗の霊界があるし、日蓮宗なら日蓮宗の霊界がある。食い
違うとおもしろくない。」 明主様御垂示 「不動明王は霊界の警視総監の役目」 (昭和23年8月8日)
信者の質問
「不動明王のお働きはなんでしょうか。」
明主様御垂示
「霊界の警視総監の役目ですね、縄と剣を持ってますから。しかし不動でも力が足り
ず邪神に負けてしまうと、自分の天職使命を完了することができず、金やらなにやら
の御利益を与えるようになるのです。これはニセ不動で狐狸の類です。成田の不動
も同じです。」 お不動さんにまで、罵詈雑言ですかね。
これは真言宗の祈祷本尊ですよ。
それに対してこういう発言は呪われるのではないでしょうか。
信者としても承認できないです。不動明王は御仏を守る働きであり、
憤怒の形相も正義感の現れだ。仏様に信服し守護されている。
岡田茂吉師の発言には呪われるような内容が沢山ある。宗祖さんたちに
対する悪口罵詈にはじまり神道の本尊である神宮様への誹謗。
これを信じれば地獄にいくのかもしれない。
どちらにしろ。霊界にいけば信者は連帯責任を取らされるだろう。
私は明主様信仰者であると同時に主神信仰者だ。
主神様の意図は神道・仏教・基督教に現れている。
これらを総合した主神様の意図と食い違う内容は、明主様の発言といえども
認めるわけにはいかない。
多くの間違いがある。一番分かりやすいのは、地球は自転しておらず公転もしていない
という理論。天動説です。これを教祖は神から知らされた。絶対に間違いない
という発言をしている。 明主様御垂示 「陰陽善悪の由来」 (昭和23年12月1日発行)
信者の質問
「人類にはいかなるわけで悪があり苦がありましょうか。お伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「これは人類を造った神様でなくては、造られた人間では判り得べくもない。私も造
られた人間であって造った方ではないからその真意は判らぬが、ただおよそその
想像はできるわけで、無論なにかの必要があってそういうふうに造られたのと思う。
元来、主神は全宇宙そのものがその御所有物であって善も悪もないが、「神典」に
あるごとくその主神から分かれて霊系の祖が高皇産霊神、体系の神が神皇産霊神
となられた。これは陰陽神であり、陽陰はすでに善悪である。そして悪に属する神を
邪神、善に属する神を正神という。この善悪が常に摩擦し争闘しつつ人類は生成
化育し、今日のごとく輝かしい文化の発達をみたのである。この点が人間としての
考え方の難しい所で「悪人を造っておいて裁くなら初めから造られなければいいで
はないか。審判などといって人間を悪いことをするように造っておきながら、罪を罰
することは無慈悲不合理だ」という人もあるが、私としても造られた側に立っている
ので神意を知り得べくもないが、なんのために悪を造られたかの想像はつく。それ
はたしかに悪によって善が活動し文化が進歩を遂げたという事実である。しかしな
がら人間として悪い事をすると悪い結果が必ず来る。すなわち因果応報で、これは 間違いのない事実であり、真理である。どんなにしても善でなくては栄えない。人を
苦しめれば自分が苦しむ、人を幸福にすれば自分が幸福になる、そうすると善い事
をしたほうが得だという結論になるから人間は善事を目標としなければならぬ。次に
苦しみもなにかの必要があって造られたもので、現実の苦はいかにして抜除し得る
かである。それは神から苦悩の元たる曇りを除いていただくほかはなく、神仏の光
によって除いてもらうのである。観音教団の浄霊はそのためにできたもので、この
浄霊により神の光が放射され曇りは解消し、苦悩はさっぱりと除かれるのである。
そしてこの曇りは信仰と徳との程度により、大きくも小さくも除れるのである。邪念や
言葉の罪などは、朝夕神仏を礼拝することによって大方は浄められるが、それのみ
では本当でない。やはり人を幸福にすることが肝要で、信仰は拝むのみで本当に
救われぬ。まず多くの人に喜びを与えなくてはならぬ。」 古代信仰 太主教とは・・・?
名前: 神も仏も名無しさん
E-mail:
内容:
http://hutonusikyou.ie-yasu.com/
営業かけてみただけさw 宗教でお金・現金の話が出てきたら要注意。まがいものインチキである。
この点救世教も見習わないといけない。布教の手かせ足かせとなっているのは
興味を示した人たちに、経費だけの話をするならまだしも
即、献金を持ちかけるという愚行をおこなっている。
教祖は自然順応者であり、信仰により生活に余裕やゆとりが出ている人は
感謝として献金した方がいいとしているのに、天国の礎で形成された専従者による
木彫りの明主様はいかがわしい面貌と格好・風体に彫られている。
これにだまされてはいけない。
本当の明主様は現生献金で救われるなどとは考えておられなかった。 明主様御教え 「ある客との対談」 (昭和25年6月3日発行)
客「聞くところによれば、貴教はだいぶ穏やかならぬ予言をなさっ
たとのことだが、事実であるか、それを伺いたい」
私「ヘー、それはどういう予言ですか」
客「何月何日以後は疫病がはやり、貴教の信者のみ助かるとか、
また何月何日以後には恐ろしい天災地変が起って死者大多数とか
おっしゃったそうですが、これは本当でしょうか」
私(呵々大笑)・・・
「本教では予言は絶対禁じてある。なぜなれば予言をして当たれば
よいが、外れた場合、信用は零となるからである。また脅かされ、
助かりたいために入信するのは自己愛的信仰で本当のものではな
い。これについて大本教のお筆先にこういう名文があった。 「怖さ故
の改心はホンマものでないぞよ」と。以上のようなわけで、本教には
絶対予言はないから、今後そういうことを聞いたら、なにかの間違い
か、悪意のデマとされたいのである。本教の主義主張やいっさいは、
本教刊行物に載せてあるから、その記事に対しては、いっさい責任
を負うのは勿論だが、うわさばなしなどに対してはいっさい責任はな
いから、そのつもりでいてもらいたい」
客「よく判りました」 明主様御垂示 「太陽が公転している」 (昭和24年8月23日)
信者の質問
「春夏秋冬は地球の呼吸によるとのお言葉ですが、いままでの
学問では地球が自転しながら太陽の周りを回転しているからだと
説明しておりますが、この点いかがでしょうか。」
明主様御垂示
「これは学問の説明が間違ってるんですよ。地球が公転してるん
じゃなくて、太陽のほうが公転してるんです。なぜかって言えば宇宙
の中心が地球ですからね。あらゆる天体の中で地球は一番高級な
ものなんで、本当を言うと太陽や月は地球以下なんです。で、位の
高いものがまわるわけはないんですからね、位の高いものは動いて
はいけないんですよ。だから私は、主人たるものは動いちゃいけない
って言うんです。戦時中に東条がよく陣頭指揮だとか言って町をま
わり、ゴミ箱のフタをあけたりして、しょっちゅう動きまわっていました
がね、あんなことじゃいかんって、私はよく言ったんですよ。 位の高
い人ほどじっとしてるのが本当なんです。それで地球は主人なんで
すから、他のあらゆる日月星辰が地球の周りをまわって動くのが本
当なんですよ。」 明主様御垂示 「太陽が公転している」 (昭和24年8月1日発行)
信者の質問
「春夏秋冬は地球の呼吸運動であるとの御教えでございますが、
これまでの学問では、地球は自転しながら太陽の周りを公転してい
るためだと言われておりますが、いかなるものでございましょうか。」
明主様御垂示
「地球の熱は地熱のほうが多く、地球はまわらないで太陽がまわる
のです。位の高いのが地球であって、位は太陽、月のほうが下です。
雪が積もって、溶けるのは、上からでなく下から溶けるのは、地熱の
ほうが多いからです。もし太陽のほうが多ければ上から溶けて、高山
の雪は溶けなければならないわけです。春夏秋冬の季節は地熱の
ためです。」 明主様御垂示 「不動説が本当」 (昭和23年11月8日)
信者の質問
「「信仰雑話」中に「夏暑いのは地球が息を吐くためである」と拝見
いたしますが、(一)赤道の南北で夏冬が反対になること、(二)赤道
地帯が常に暑いこと、についてお伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「反対になるのは上下になるからで、地球の息、すなわち地霊は縦
に上下するから、従ってそれから遠い南北の極は寒いのです。」
信者の質問
「ふつうは南北の極を結んで地軸と申しますが・・・?」
明主様御垂示
「それは考え方の違いですが、南北の極は両横と考え、また霊気は
赤道の面を上下していると考えたらよい。・・・地霊が出るときは晴で
吸うときは雨です。これを気象上は高気圧、低気圧といっているので
す。・・・日が長いとか短いとかいうがこれは太陽が地球の中心、
赤道の面に沿ってまわる時日が長く、端になると短くなるのです。・・・
いまは学者は地動説を唱えてますが、これは嘘で不動説が本当で
す。天動説はキリスト教から出ているのですが、初めてガリレオが地
動説を唱えたとき異端として獄に投ぜられ拷問にかけられようとした
が、もう七十いくつの年なのでそれは免れたということです。このころ
は封建的だったのですね。」
信者の質問
「不動説ということは、大先生様のみご存じのことでしょうか?」
明主様御垂示
「ええ、まあ一人だけでしょうね。」 明主様御垂示 「地球が動くと破壊される」
信者の質問
「太陽、月、地球の運行について御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「私は今の天文学の地動説とは反対である。不動説はキリスト教か
ら出ている。大地は動かないとされていたがコペルニクスがこれを
破った。それをガリレオがまた強く唱えて迫害を受けた。またパスツ
ールは黴菌説を初めて唱えた。それまでは自然発生とされていた
が、パスツールは伝染するといった。地球は不動説で、絶対に動か
ぬ。黴菌は自然発生説である。あらゆる物は地球の周りを運行して
いる。日月星辰は地球を生育し、生かすためにある。地球は宇宙の
中心で、生物は地球だけに生存している。中心は動く訳はない。中
心が動いたら地球は破壊される。今の学説はある時期へ行くと破ら
れる。」 明主様御垂示 「月は氷塊」 (昭和24年3月13日)
信者の質問
「月は固体でしょうか、液体でしょうか。固体とすれば氷結している
のでしょうか。」
明主様御垂示
「そうです。月は氷塊ですよ。そして月からも精気を・・・非常に強い
水素を出します。これがなかったら人間なんか溶けてしまいます。」 明主様御講義 「善悪の真諦と光明世界の建設」より (昭和10年8月25日発行)
「霊界は想念の世界であるから、相応の理により想念通りになるのである。この会場でもい
ろいろの霊が来ています。それは自分達の祖先や友達の霊が来ているのであります。何と
かして聞きたいものだという想念によりその人の生霊が来て居ります。その霊が聞いている
からその人も幾らかは何かの時に解ることがあるのは霊が聞いているからである。この様に
この会場には何千人いるか解らぬ程いるのであります。」
明主様御垂示 「霊界人の参拝とその資格」 (昭和24年3月2日)
信者の質問
「御浄霊で霊界に逝かれた方の霊はこの御席へ来られるものでしょうか。」
明主様御垂示
「来れる。沢山来てる。勿論ある程度浄まった霊でないと来れぬ。」 明主様御垂示 「霊は勝手に参拝できない」 (昭和26年12月1日)
信者の質問
「霊が、明主様に御面会いただくためにおぶさって行ったと言うのでございますが、これは・・・」
明主様御垂示
「本当ですよ。年中ある。やっぱり、誰かに憑かなければ来れないものなんです。妙なもの
で、勝手には来れない。人間は勝手に来れるが、霊界は規則がありますからね。憑くべき
理由がなければ・・・勝手に・・・思い通りにやるということはできない。」
信者の質問
「そういうときは、浄化をいただくようなことになるのでございましょうか」
明主様御垂示
「そんなことはありません。」
信者の質問
「私もありましたが、若い女の人ですが、何ですか気持ちが悪くなってまいりました」
明主様御垂示
「そんな年寄りじゃないでしょう。そんなら、悪い気持ちじゃないですよ。そういうのは、おぶさ
っていれば、良いですよ。」
明主様御垂示 「霊が現界人に憑依して参拝していた事例」 (昭和26年12月1日)
信者の質問
「霊が憑かり、明主様に御面会いただきたいと言い、御面会いただきに来るときは肩が重く、
帰るときは軽くなり、また御面会いただいておりますとき、眠くなると肩をつつきます」
明主様御垂示
「やっぱり、それはぜひ私のところに来たいんですよ。だから乗っかって来たんですよ。そこ
で、自分は目的を達したから、それで離れた。はっきりしているんですよ。」 明主様御垂示 「八衢以下の霊は人間の耳を通さねば現界の話を聞けない」 (昭和24年4月23日発行)
信者の質問
「先月二十五日、私宅に光明如来様をお祀りいたしましたが、そのころから観音様のお話を
いたしますと体が非常に重苦しくなります。以前、私は稲荷やハッカイ様を信仰していたこと
があります。いかなるわけでしょうか。」
明主様御垂示
「これは稲荷さんの霊か、ハッカイさんの霊か、それとも祖先でこれを信仰していた人が気に
入らなくてそうするのか、どっちかですね。これはなにもしなくていい。なにもしなくて、光明如来
様にお詣りして祝詞や御讃歌を上げているうちに、だんだん先方が判ってきますからね。先
方が救われて気持ちよくなるから、こっちも気持ちよくなって重苦しくなんてなくなりますよ。
またね、霊が聞く場合もあるんです。その人に憑って祝詞や結構なお話を聞く場合もあるか
ら、あながちその人の信仰を止めようとする・・・とばかりは言えませんね。高級な霊になると、
霊そのままで聞けますが、たいてい八衢以下の霊は人間に憑り、人間の耳を通さねば聞け
ないんです。だから、ここでもね、ここに来ている人よりずっと多くの霊が聞いてるんですよ。
この話を聞きたいと思うとね、いくらも聞きたがってる霊のいる中から代表者が憑って聞いて、
それを聞けなかった霊に「こんな話をした」と言って話すんですよ。すると、そういうのを聞いて
ありがたがり、改心して自分の子孫や縁故のある者に働きかけるんですよ。だから発展する
んです。だから例えばいまここに百人いるとしたら、五百人も一千人もの霊が聞いていること
になるわけです。」 明主様御垂示 「地獄の違法脱出霊は幽霊となり出現する」
信者の質問
「二十五歳になる長男、滝へはまって自殺しました。原因は青年団長の職にあって、回答の
出来ない事が出来て滝へ投身自殺しました。その後、本年九月に乳牛が麦を喰い過ぎて死
にました。同時に主人が病気になり、六日目に死にました。その後その家に幽霊が出ます。
その幽霊は嫁さんの妹で、肺病で死にました。この不幸なる事はいかなる原因で御座いま
しょうか。」
明主様御垂示
「罪穢がウンと溜っている。その浄化作用である。そういう場合、信仰がなかったりなどすると、
その浄化に負けるので、悪い事ばかりある。信仰に入れば、段々こういう事がなくなる。嫁さ
んの妹の幽霊というのは、霊界で迷っている。こういうのは死に絶える事がある。地獄の霊な
どは、盆以外に出るのは大抵逃げ出すので、許可を受けない。そうして幽霊などになる。
霊媒に憑からして聞いてみると判る。霊の希望を聞いて始末するといい。霊を自分に憑らして
聞いてみるのもいいが、それには修錬を要する。」 明主様御垂示 「進化論について」 (昭和23年10月17日)
信者の質問
「ダーウィンの進化論は正しいものでしょうか。」
明主様御垂示
「ダーウィンは間違っている。人間の先祖はアミーバで、それからトカゲ―象―猿―人間とな
っているが、これは彼の想像したものに過ぎぬ。猿や類人猿の進化したものではない。
初めから人間は造られたものである。ただ人間を造る場合、最初に虫などあらゆる生物を造
られ、最後に人間を造られた。それ故に、それぞれの生物の特色が入っている。それで飛行
機は鳥、戦争は猛獣の噛合い、歌うのは鳥の真似である。」
明主様御垂示 「人間は土から創られた」 (昭和23年6月28日)
信者の質問
「人間は神様によって初めに地球上の一地域に作り出され逐次各地に分散したものでしょう
か、それとも地球上に広範囲に造り出されたものでしょうか。」
明主様の御垂示
「最初は一組の男女ができ、それからしだいに殖えたのです。だから最初は血族結婚だった。
「イモセ」という古い言葉は妹を妻にしたことであり「吾妹子(わぎもこ)」とはこれを言うたもの
です。しかし人間を作られたとき人種はいろいろとお作りになった。また初めは土から作られ
たのでしょう。黒色人種は黒土から作られ、それから赤土、白土というふうにね・・・人間は死
ぬと土に還るのはその証拠です。勿論人間だけではなく、物質はすべて土からできたんです。
人間がどういうふうに作られたかはちょっと・・・」 明主様御垂示 「人類の歴史」 (昭和26年10月1日)
信者の質問
「御神書「文明の創造」の「宗教篇」中に伊弉諾尊様の子供に五柱の神様があり、長男が伊
都能売大神、長女が天照大神云々とございました。そして二千六百年前の事だと御教示い
ただきましたが、人類が地球上に生息するようになったのは幾万年も昔のことと思います。
伊能都売大神様の父神伊弉諾尊は人類発生の祖ではございませんでしょうか。年代の点で
解らないところがございますが、御垂示お願い申し上げます。」
明主様御垂示
「これはとんでもない間違いです。人類発生というのは、まず・・・そうですね・・・百万年位前で
すね。百万年以上ですね。私は神様から、以前に神懸りで、五十万年前から知らされた。その
時にはそうとう人間だったんですからね。少なくとも人間の形をしていたんですね。伊弉諾、伊
弉冊というのは、ごくわずか前ですよ。それを歴史に書いてありますからね。大体、天照大神
だって、ごくわずか・・・二、三千年前ですからね。ですから、神代史やなにかにいろいろある
のは、みんな近代です。そう思っていれば良いです。神道の方でいきますと、天御中主尊が
最初で、高皇産霊に神皇産霊とある。豊国主尊、伊弉諾、伊弉冊となったんですが、日本で
は約三千年くらい前ですね。ごく近代ですね。そう思えば、なんでもなく分かるんですよ。
それまでの歴史というのは、どうせ想像もつかないほど長くかかっている。ようやく人間らしく
なったのが、大体エジプトですね。あの時代ですね・・・人類の文化の最初というのはね。
だから、大体五、六千年前からですね。その前は、文字はなく、半獣生活ですね。私が神懸り
で教えられたのは、五十万年前から七千年前までですね。それでパッと終わっちゃったが、
七千年後が、大体歴史で推定できるものですね。五十万年前を、いずれ私が書きますが、
それは、ほとんど獣と人間の間くらいのものでしょうね。みんな穴居ですからね。地に穴を掘
っていて・・・始終獣に襲われるので、獣との闘いですね。そういう生活をしていた。今の神様
のことはお伺い事項と違います。病気のことだけですね。私もうっかり答弁しちゃったが・・・こ
れは特別面会の時聞くべきものですね。」 明主様御垂示 「人類の歴史」 (昭和26年10月1日)
信者の質問
「以前に伊弉諾尊は人類の祖とお聞きしましたが・・・」
明主様御垂示
「そんなことはありません。人類の祖というのは、ずっと先です。伊弉諾尊はずっと進化してか
らです。しかし神道によっては、そう言いますがね。ああいうことも、私は必要だけ書いてある。
人類学者とか考古学者のようにそう古いことを言ったところでしょうがないですからね。だいた
い必要なだけで、それだけしか書かない。それより、現実の問題ですね。どういう苦しみをして
いるかで、これが肝腎です。あんまり古代史なんか説かないようにする。結局、一種の道楽
になってしまう。」
明主様御垂示 「人間の身長」 (昭和23年10月)
「人間の一番大きい時は一丈八尺もあった。艮の金神様は一丈八尺あった。それから人間が
段々小さくなった。人間が大きかったから獣と戦った。今ない動物も沢山いた。大とかげ、恐
龍などもこの種のものである。その頃は獣との戦いが仕事だった。そのために人間の智慧が
進んだ。人間は穴を掘っていつも火を焚いていた。吉見の百穴などそれである。あの辺に猛
獣が沢山いたのである。松島の瑞巌寺のそれなどよく出来ている。吉見より穴居が進歩して
おり、吉見より後に出来たものである。敵は原始時代から続いている。一番恐かったのは蟒
(うわばみ)で、その時弓を発明したが、それでよほど被害が少かった。目を狙って矢をうった。
それで蛇の目というのである。それがすんで、人間同志が戦ったのである。」 明主様御垂示 「人間の身長」 (昭和24年1月29日)
信者の質問
「神代の神々は現代の人間と同じ様な肉体を御持ちになっておられたもので御座居ましょう
か。また神々の外に人間が住んでいたもので御座居ましょうか。」
明主様御垂示
「人間の姿と同じであった。ただ今の人より大きい。一番大きい時は一丈八尺あった。よほど
小さくなって一丈から八、九尺位である。しかし、再び大きくなる。今よりはズーッと大きくなる。
一番の原因は薬を飲んだためである。私の子供は年頃になるとズーッと大きくなる。人間の
中に神代、上中下があり、例えば日本人でも、上は土着の日本人だし、中間帯は渡来した
人間で、多くは朝鮮人、中国人である。下は土人で川上梟(たける)、長髄彦(ながすねひこ)
とか、熊襲(くまそ)等である。これは北方から来た。コーカサス、蒙古あたりのもので、要する
に匪賊で、この残りがアイヌである。肉体のすべては神と人間と少しも違わぬ。」 明主様御垂示 「死んだほうが本人や親にとって幸福な場合」 (昭和27年10月1日)
「(木龍の憑依により子供が小児麻痺になった事例)
しかし、こういうことを知っておかなければならない。仮にそれがどうしても治らないというと、
そこの家の人が、親なら親が信仰によって非常に徳を積むと死んでしまうのです。それは、
生きているということが苦痛だから、生まれ変らしていただくということです。ですからお蔭を
いただくと死にます。これはたいへんなお蔭です。そうすると本人も普通の人間に生まれ変っ
て、一家も苦痛から解放されるから幸福になるわけです。ですからそういうお蔭をいただくと
死ぬことになる。その点は神様は気が利いてます。そうかと言って、殺人罪になりますから
殺すわけにはいきません。しかし生きていると親だって一生困りますが、霊界に行けば一番
よいです。それは神様がやってくれます。これはちょっと難しいです。」 明主様御垂示 「死んだほうが本人や親にとって幸福な場合」 (昭和29年3月1日)
「それからまたこういうことがあります。どうして助からない子供は、一生を不幸に終わり、
子供が生きていると親も不幸だ、という場合には、神様は早く死なせます。そうすると親は
悩みがとれるから非常に楽になります。それはたいへんな御神徳になるのです。この子供は
治るかさもなければ命がなくなるか、どっちかにしてもらわなければ、親がたまらないわけで
す。そういう場合に、医者が手術したり、いろんなことをしたために、どうしても助からないと、
決まった子供は、早く霊界にやって下さるのです。そうすると、親が、決まりがつきますからー
そういう御神徳もあります。ですから、治るか駄目か、どっちかという片づき方が早くなるわけ
です。」 -----------------------------------------------------------------------------
明主様の時代にも写真はありました。
手のひらからオーラが見えた。
教祖の身辺に観音様が見えた。
などの記事はいくつもあると思いますが、
その神仏霊写真が実在していません。
合成した有名な東氏のものはあります。明主様ほどの方なら
お写真を撮ったときに不思議な神霊写真が撮れてもおかしくありません。
おそらく観音様はとても小さいと思います。地獄界をお救い下さる。観音様は
地獄でも下界ほどお姿は小さくなりミニチュア化しているそうです。ですから写真にも
うつらないほどに小さいと思います。
われわれ信者が明主様を日頃から身近に感じないのは、
身近にこられても小さすぎてわからないのだと思います。
それこそ拡大鏡をつかってやっとみえるかみえないかという大きさで
あるのだと思います。 浅草寺の本尊の聖観音様は全長5.5センチほどのサイズということです。
この観音様は地獄の最下層におられるということです。
私が思うに御教えにもありましたが、霊界でのサイズだと
この大きさで極めて巨大なサイズになると思われます。
おそらく現界では数十から数百メートルという全長でしょう。
文京区の護国寺にある如意輪観音様も小さいサイズですが、救丞される
階層は上階であるため聖観音様よりも大きいということでしょうか。
要するに明主様も霊界においては地獄界における観音様と同じ働きをされていて
救いの綱として働かれていると思われます。 今神仏を拝まない人たちが増えています。
そして外来の悪い裏社会の連中にくみし、加担している組織も個人もある。
こういう人たちは西洋の霊界に入る。地獄界ですね。
ここには悪魔たちが沢山いるのです。そして罪の多い人たちは悪魔に
転生するのですよ。悪魔・・・。悪魔というものは感情の起伏もなにもないです。
幸福も不幸も無い。西洋の貴族たちはその中心にいて悪魔の階層の上階にいる。
悪人はこういう存在の下っ端になるのですよ。永久に地獄からは抜け出れない。
生まれ変わることも無いですね。
この霊界の悪魔が現界で活動するときは悪人を使い、
善の仮面を被らせて活動させているのです。 http://www7b.biglobe.ne.jp/~jinzo-ningen/tendousetu.html
地動説でも天動説でもどちらも正しい。どこを観測点に置くかだけの違い。 岡田茂吉師の理論は地球は自転も公転もして
いないとしている。
コペルニクスやガリレオが間違っているとも
発言されている。
いろんな誤謬がある。思い違いもある。ただの予測もある。
しかし、その中でも神仏からの啓示があり、救世
主として働かれた。
地上天国を造るという偉大な意志。これを受け
継げばいいのであって間違いが恥であるので
はない。時代時代に神仏は必要な人材を使わ
れる。科学が進歩しても、それが鮮明になるだけ
であって、人類が導かれてきた力が顕現して
いくだけのことでしょう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています