悟りを考える [無断転載禁止]©2ch.net
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身体的過ぎるのは、精神性が不足している。
精神的過ぎるのは、身体性が不足している。
身体的過ぎず、精神的過ぎず、その中庸(中道)が望ましい。
快楽主義、苦行主義の両方をブッダが否定し、中道を説いたのは、おそらくそのためであろう。(快楽主義が身体的過ぎ、苦行主義が精神的過ぎるのであろう。)
ただしこの中道(中庸)、中間の意味では全くない。
0対100〜100対0まで、修正主義的に臨機応変に応対するもので、50対50にこだわることとは違うのである。 綱引きの綱は、右に寄りたがりも左に寄りたがりもしなければ、真ん中に留まりたがりもしない。これこそ、中道だろう。 自尊心が足りていると、自分の生きたいように生きられる。
自尊心が足りていないと、自分の生きたいように生きられない。 あなたのために他の人がどうしてくれるかではなく、あなたのためにあなたがどうするかを考えてください。 まともであるのがまともであるとわからないのはおかしい。
おかしいのがおかしいとわからないのはおかしい。 一喜しては生を愛し死を憎み、
一憂しては死を愛し生を憎む。 悟った人って、普通のやつのことを言うんじゃねえかね?
特別なことをするわけでもなければしようとすらせず、普通に生きて普通に死ぬやつのことを言うんじゃね? 覚者とそうでない人に境界はない、また覚者は自分が悟っているという自覚はあまりない。
他人とは比べないからわからないし、他人の認識がどうかなど思わない。他人はないから 真の悪魔祓いは、自分自身に対して悪魔祓いできるもの。いくら他人に悪魔祓いできても、自分にはできぬなら悪魔祓いとはとても言えない。 >>1
悟りとは、世の万事を全知全能の神の完璧なる御業と自覚して、信頼と安心と感謝と報恩心ずくめで生きる事。 人以外を人と同列に考えるよりも、人を人以外と同列に考える。 十一面観音の一番後ろ、暴悪大笑面をご存知ですかな? 〜であってはならない、〜でなければならない、は、それぞれ、〜でなくてよい、〜であってよい、に、変える。
〜しなければならない、〜してはならない、は、それぞれ、〜してよい、〜しなくてよい、に、変える。 〜でなければならない。
→〜であってよい。
〜ではならない。
→〜でなくてよい。
〜しなければならない。
→〜してよい。
〜してはならない。
→〜しなくてよい。 〜させなければならない。
→〜させてよい。
〜させてはいけない。
→〜させなくてよい。 必要善をしないなら、必要悪をする資格はない。
不要善をしないなら、不要悪をする資格はない。 大自然から生まれ、大自然とともに生き、死んで大自然に還るのだ。 不当な批判はいくらされてもいい。そちらがバカだもの。
正当な批判は少しもされたくない。こちらがバカだもの。 賞を求むるならば、罰を拒むなかれ。
罰を拒むならば、賞を求むるなかれ。 他者の損得を考えぬなら、自分の損得を考えるなかれ。 他者の損得を考えぬなら、自分の損得も考えるなかれ。 不要なことをすることをやめる。
必要なことをしないことをやめる。 天に逆らうならば、天罰を覚悟するもの。天罰を受ける覚悟もなしに天に逆らうなど、笑止。 修行完成者(=覚者)
好きにして
好きにさせるが
無為自然
この境地を以って、悟り(=修行完成)とする。 悟りとは…?…自分の心状(=心のありさま・心の状態)を知ることなんだと理解するに到った。
自分の心状を知る、だけでいいのか、自分の心状を受け入れる、となおいいのか、については、ただいま研究中です。 547. ポッタン師かよ。自分の心状を知る・受け入れると、自分がその心状から解脱するのでは? >>546, >>548 は置いといてぇ〜。
自分の心を忘れることにあるのかなぁ。 天とは、大自然。天に逆らうとは、自然現象に反すること。 世界全体主義から見れば、地球全体主義は宇宙の塵。
地球全体主義から見れば、日本一国主義はままごと遊び。 唯物論を否定しなければ信仰を保てない人は、真の宗教者ではない。 548.心状から解脱する、か。
その方法論が問題である。
心理学でないものが必要である。
宗教学、か・。 564.心理学?の認知療法を極めると、
解脱どころか、悩まなくなる。
悩みを作り出す自分の考え方自体・自分自体が
かわってしまうからね。
解脱だけだと、死ぬまで迷いの煩悩と悟りの解脱を
繰り返さにゃならんだろ? >>565
自己批判はプラスにもマイナスにも転ぶ。
いや、むしろマイナス要素が強い。
自己認知のゆがみに通じてしまう。
自分の考え方の癖を見る・知る・変える、ということらしいけど、
自分の考え方の癖が変わればいいのか、自分の考え方そのものが変わればいいのか…→全ては自分の考え方次第で解決する…、のか、
そのあたりは研究中です。 >>567
自分の考え方の癖を変える。
自分の考え方次第で解決する。
どちらも併用すると、なおいいかも。 >>568
自分の考え方の癖を変える。
自分の考え方を変える。
に、訂正します。 >>569
二行目の、自分の考え方次第で解決する。の訂正です。 全ては考え方ひとつ。 いい知恵だと思います。
考え方の癖を変える必要はないかも。 >>571
それ、自己の考え方の癖だけど、全ては考え方一つ、で全て解決。万事がね。 566.その結果ではなくて、その方法の問題である。
無媒介的に答えが出る、ことはない。 >>575
自分の考え方のメリット・デメリットを洗いざらい求めると、自分の考え方自体が変わっていき、より生きやすくなるってことだったかな。 >>576
いがいと自分の考え方にはメリットが少なくデメリットが多い、と気付いて、自分の考え方に変革が起きるらしいよ。 576.それは心理学の範囲内で考える、ということである、か。
宗教とか科学とかをつかわない、ということになる、か。
その方法の問題である。
科学とか宗教とかが、使える状態で、そこに存在している、ことが条件となる。 >>578
科学は人間について語らないし、宗教は見解としてぶっ飛んでるしなぁ…。あまり役立たない。 >>578
かっこつける訳でも何でもないんだけど、心理学って『心の科学』だよね。あ、『』かっこつけちゃったか。 >>577
○いがいと自分の考え方にはメリットが小さくデメリットが大きい、… >>577
◎いがいと自分の考え方はメリットが小さくデメリットが大きい、と気付けて、自分の考え方に変革が起きるらしいよ。 自分の考え方のメリット・デメリットを知るってことやな 自分の考え方のメリット・デメリットを知るってことだな 必要悪をしないという不要善
必要善をしないという不要悪 必要善をしないという不要悪
必要悪をしないという不要善
不要善をしないという必要悪
不要悪をしないという必要善 580.心の科学、であれば、心がなにを必要としている、かを知る、ことである。
その内容の問題である。
簡単には、悟り、を必要としている、かの問題である。
必要としない、バカが多い。 >>587
心が必要としているものが必ず得られるとも限らないし、それが悟りなのかどうかも含めて、どうぞご自由に。ってことじゃないかな。 例えば私には自意識過剰な所があるんだけれども、そう知るだけでも自分が幾分楽になるというのはあるのかな。自分を知るってやつだね。
自分の考え方の癖(のメリット・デメリット)を知ることで、自分の考え方の癖が変わるっていうのもあるのかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています