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「悟り」というものを「何か恍惚状態のようなもの」ではなく、「世界の正確な認識」だとした場合。

《より広い神の見地から見れば、誰もが神と一体であり、完璧で必然的な経験をしているだけであり、実は悪人や失敗者は1人もいない。
実は皆、神による最高の必然シナリオ的成功体験のみをしている。

全知全能で完全愛情を持つ神が人間に失敗や悪を起こさせるわけがない。
起きた事は全て何らかの神の意志、成功体験のみ。
自由意志というのも神の想定内での自由に過ぎない。》

という上記の事が自覚できるのが「悟り」だと個人的には思います。

でも悪や失敗があると思うことで、人は努力したり、成長しようとして栄光的な体験が出来るから、勧善抑悪や「世界は不完全」という教えや考え方も有効ではあると思います。