悟りを考える [無断転載禁止]©2ch.net
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まず私はこれまでの人生から人生が苦であると言うことは悟りました。
しかし悟りにいたる煩悩をどうすればいいのかが分かりませんでした
私はメンヘルで公務員を辞し、職がどうにもならない40男です
職探しで苦しい日々が続きました。
あると記事文の時間を持ち寝転がって瞑想しました
そして職探しなんかどうでもいい
生きる煩悩が職探しをしたがってるのだから煩悩を滅し
職探しをやめれば、気が楽になる。
職探しなんかやめようと思ったのです
すると私は涅槃ではありませんが静かな気持ちになりました。
人生が苦であると言うことから煩悩を消し去る第一歩
煩悩がなんであるかに私は気付いたのです。
それからこのまま死んでしまおうかと考えましたが自殺には苦痛が途も尚ます
自殺したがる気持ちも煩悩であり
悟りとは煩悩から離れ自在新を生きる気持ちであると考えたのです。
また神について考えました
楽園を与えてくれる神がいれば信じますがそうでない神は苦痛が続く人生を永遠
の命とする邪教であると考えました。
ここから私の悟りを開いていこうと思います。 ここで議論が深まればよいので
心配です
出もレスがつけばいいなとかでなくレスがつくのは煩悩が求めてるからどうでもいいや
と思うことが大事だと思います
このどうでもいいやと思うことが私の煩悩からの第一歩でした。 また神について考えてみました神も信じてもよいと考えます
ただ条件があります
楽園を与えてくれる神
そこで楽園だけの人生を与えてくれる神だけが信じるに値する神だと思います
ヨブ記みたいなのはちょっと信じられません 5.
神との取引ではない。
自分との取引であることになる。 >>6ちょっとよく分かりません
神ほど私は力はないし自分で世界を作ることは出来ません 私にとってキーワードはどうでも宵でした
就職どうでもよい
それで人生が失敗してもどうでもよい
そう瞑想したとき
こころがすっと煩悩から消えたのです
もちろん危険な一面もあります
在家である以上、職務は果たさねばなりません
それによるストレスは存在するでしょう
ですからできる限り自分の時間を持って瞑想し
就職どうでもいいと考えることが悟りの一歩です。 7.
そんなことはない。
自分で世界を作るのだが。その自覚の論理である。 >>9
ここで私が考えているのはキリスト教の神のことです。 もし貴方の考えている宗教が悟りとイコールでなければ、
それは宗教からは遠くかけ離れた何か(カルト?)である。 >>1
最後の転生になる原因が悟り
または、リフレーミング的気づき
一般的には後者を軽々しく悟りと呼ぶ
前者は釈迦が仏陀になった原因を指す
後者は何でもあり
前者は明確な基準があり、悟ってない人には何も言えない スレ主どの。
人生は苦に満ちている。仕事を求めても断られ続き。しんどい。
だから悟って楽になりたいということでしょう。
でも悟ることはそう簡単なことでは無いし、仕事探しと同じくらいしんどい。
しかも悟っても、実際のところは楽にはならない。
それよりも自分のプライドを捨てることをお勧めする。
或いは捨てないまでも縮小するのがいい。
苦の半分は自我が招いているから。
断言しよう
まことの悟り話は、2、3年後、大きく変わっている
今でも言っていることがバラバラだか、
要は初心者だからだ 人生は苦。
でも、煩悩は断てない。
これもやはり苦です。
悟れないことも苦です。
どうすりゃいいんじゃ? >>22
比較するから苦だと思うの。
お天道様は平等に照らしてますよ。
悟れないことを気に病む暇もないですし
悟りを理解出来きないですし。 くしゃみしたら、飛んでいっちゃいそうwww
悟りも悟れないも、共に迷いってことですね〜 どんなに考えたって悟りはわからない
考えることは悟りを否定している
考えるなんて馬鹿の骨頂だ
考えることは時間つぶしにしかならない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています