【宇宙】 まんだらけ 【全史】 [無断転載禁止]©2ch.net
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宇宙全史非公開情報
http://www.mandarake.co.jp/publish/space/note.html
1.非公開情報の取得は現在定員に達しましたのでクローズいたします
2.早い時期に再開を望んでいますが、現状まったくの未定になっています
3.なお「宇宙全史」関連の書籍をお読みになってすでにまんだらけの株を取得されてしまった方は、
そのままお持ちいただくか売却されるかお任せします。ご迷惑をおかけしますが、御理解下さい 人間と真実の行き方
『人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、
つねに守護霊、守護神(しゅごじん)によって守られているものである。
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世(かこせ)から現在にいたる誤てる想念が、
その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、
消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、
どんな困難のなかにあっても、自分を赦(ゆる)し人を赦し、自分を愛し人を愛す、
愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、
守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、
個人も人類も真の救いを体得出来るものである。』 〜 世界平和の祈り 〜
世界人類が平和でありますように
日本(にっぽん)が平和でありますように
私達(わたくしたち)の天命が完(まっと)うされますように
守護霊(しゅごれい)様、守護神(しゅごじん)様、五井先生
ありがとうございます 〜 やわらかいお祈り 〜
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私に悟りの光が現れますように
生きとし生けるものがみな幸せでありますように 「やわらかいお祈り」は以下の4行です。
「私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私に悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが皆幸せでありますように」
これはエゴが「自分」と向き合う所から自然と始められるお祈りでして、
非常に実用的であると同時に「世界平和の祈り」へと至るメソッドになっております。
改めてご確認下さい。
2013/6/6 No.1801 五井先生は別にあなたに(あなたを含めてどなたにも)
「世界平和の祈り」を唱えてねとはお願いされていません
・・・まずそのことをご承知ください。
ずっと前にここで書きましたが、例えば東北の地震の時のように、
倒壊した家屋の下敷きになりながら身動きが出来ず、次第に津波が襲ってきて、
首から顔に海水が上がって来た時、
あなたは、あなたがおっしゃっているお祈りを祈れるのでしょうか?
やはりこれもずっと以前に書いておいたので面倒だったのでその時書かなかったのですが・・
「柔らかいお祈り」というのは、今回あらためて私自身に降ろされた祈りでした。
それは、
@私は一生他人(世界)のカルマを引き受ける構造になっている
Aそのため自分の幸福を願えないような構造になっている
B従って覚醒などは望むべくもない
その因果な私のシステムを変更すべくおろされたのが「柔らかいお祈り」でした。
しかしこの祈りは、皆様方にも適応できるので、お知らせしてもいいという許可が下り、
その時は書いておいたのですが、そこまで深くBBSをさかのぼって読むような熱心な方はおられないようでした。
(つづく) あなたがどのように祈られようとそれはあなたの勝手ですが、
その傲慢さはエゴそのものだということに気づかねばなりません
(気が付かなくてもいのですが・・もし早く楽になりたいのならということですが)。
毒矢が刺さって、仏陀が早く抜くがよいとおっしゃって下さってるのに、
「いやこの毒の素性がわからぬうちは抜くに抜けない」
「誰がこの矢を射たのか判別するまでは絶対に抜かないぞ」といっているようなものでもあり、
救世の蜘蛛の糸が、この地上にたらされているのに、
「いや私は私の考えでいく」「それよりもっと太いロープの方がいい」と色々理屈をこねまわすのです。
しかしそこには「命を懸けた選択」というものがありません。
つまり死ぬか生きるかという時に、あなたはその祈りを選択できるかということです。
そこにはエゴの増長しかなく、覚悟のない屁理屈のような祈りを唱えているだけです。
「世界平和の祈り」は、五井先生への、仏陀への、地球への、
あるいは私たちを精緻に導いてくださる大いなる存在への素直な愛がなければ、
それはただの言葉の羅列にしか過ぎないのです。
素直な愛があるときに、どうして「私はこちらの方がよい」「この方が利きそう」などといえるでしょうか?
例えエゴにまみれていても、とんでもない天邪鬼であっても、救いようのない極悪人であったとしても、
五井先生に連なる世界平和の祈りを唱えることが出来る方は、その身そのままで救われているのです。
2013/8/20 No.1815 老子講義
五井昌久 著
序文より
真の自由を得たいならば、どうしても、老子の説きつゞけている無為の道に徹しきらねばなりません。
人が無為の生き方に徹しきった時、真に自由無礙、自由自在心として、天地を貫く生き方ができるのです。
私は現代の知識をうとんずるものではありませんが、人類世界を今日のように存在せしめている、
宇宙の根本の相(すがた)、生命の根源の力の方に思いをむけず、
只単に枝葉として現れている現象の姿のみを把える、学問知識にはあきたらないものなのです。
頭脳知識で、いちいち考え考え生きなければ、この人生が生きられぬと思いこんでいる現代の知性人たちにとって、
最も必要なのは、この老子の生き方なのです。
現代人はあまりにも枝葉末節的なことに把われ過ぎて、一番大事なことを忘れているのです。
その一番大事なものごとを、老子は光輝く言葉で、説き来り説き云っているのであります。
私はそうした老子の言葉を、どのような立場の人でも判り易いようにと、私流に噛みくだいて解釈しているのです。・・・ 根源的なものへの質問は難しくなります。
例えば今の科学でもおざなりになっている「時間」や「空間」
それに「次元」についてなどの基礎概念などは、
その麓から解明していかないと単なる空論となってしまいます。
例えば私がこの宇宙における「次元」は「フラクタル次元」をもって
「次元」とするといいましても、その「フラクタル次元」が何であるのか、
私たちにとってどう意味を持つのかが分からないと「理解」ということが出来ません。
時間も空間も同じです。
現代科学は量子力学をもってしましても、とりあえず「空間」というものがあり
「時間」があるという前提で構築されていますが、
その「時間」や「空間」が何であっていかに構成されているのか全く解明しないまま…
その砂上の上に量子力学という楼閣が築かれているのです。
ですからここでは根源的なもの、普遍的なものへの質問には厳密さが要求されています
(つづく) 「自由意志とは何か」
この命題には、
「自由」
「意志」
この二つの重要なファクターが絡んでいます。
そもそも「自由」とは何かというところから解明していかねばならないのですが、その「自由」にしても、
●何をもって自由とするのか
●何から自由になるのか
まずここを明らかにしておかなければならないようです。
そして「意志」ですが、これがまた難しく
宇宙全史では「意志」とは何かという命題をこれまで扱ってきていないはずです。
「意志」に近い言葉で「意図」というのがありますがそれでは
「意志」
「意図」
「意識」
これらの言葉を説明できる方がいるでしょうか
「自由意志」とは以上の命題を克服して初めて云々出来るもので、
そこに至るには宇宙全史であっても長い道程を要求されています
(今まさにその途上だといっても差し支えないでしょう)。
(つづく) 「エゴに囚われている私達に
自由な選択は存在しているのか?
自分の意思は存在しているのか?」
●この質問も同じです
何をもって「自由」とするのか
「自分」とは何を指すのか
まずそこを解明しなければならないのです
「パラレルワールドの横方向の世界移動が理解出来ないんですよね」
●これまでの説明では確かに難しいかも知れません。
しかし「宇宙全史」第二巻では明確に解明されているはずです
2016/10/15 No.3163 「将来、ゴータマ・ブッダではない仏陀が出られるとのことことですから」
●それは五井先生のことでもあり、非公開情報にあるAさんたちのことでもあります。
「私の原始仏教的方法は、小乗の方法ですからもちろん止めます。
大乗的な「世界平和の祈り」にまい進したいと思います」
●仏陀の本当の教えは小乗にあります。
小乗はいわば「プロの修行法」というところのもので、一般衆生には向いていないものですが、
この修行法なくして「完全覚醒」はあり得ません。
しかしその段階(小乗)に至るまでにはどうしても大乗の教えが必要なのです。
そして本当の「慈悲」は、実は小乗から始まっていくのです。
(つづく) 「宇宙全史の2016/10/4 No.3117の○○様の質問文の上から35行目〜36行目に、
「その内容は、見えない原因となる無大宇宙の大元から、見える対極にある有宇宙」と記されていました」
●なるほどそこから来ていましたか。
○○さんが最近「分かって来た」としている彼女の先生の伝えるイメージは一般の方には通用しないのです。
かつて肥田春充さんが覚醒して様々なイメージを書き残したことがありましたが、ちょうどあれと同じようなものなのです。
意味はなくはないのですが、世の中には伝わらないものでもあるのです。
本来はそのイメージをこの世に反映出来る「散文」で、
或いは「具象」で皆さんに伝えねばならないのですが、エネルギーがないとそれが出来ません。
「自分は分かっているのに」
「どうしても伝わらない」
「なぜみんな分からないのか」
そうして絶望していくのです。
それが分かる段階に至るまでが大乗の教えで、
そこからが(それが理解出来るようになったら)小乗の修行に入っていきます。
(つづく) 「この文をヒントに「無宇宙」と「有宇宙」の単語を作らせていただきました」
●了解しました
ドン・ファンの教えはすべて小乗です
五井先生のは大乗です
そして仏陀のそれは共に含みますが、最終的には小乗の道に至ります
しかしそこにいくには真の大乗が必須なのです
2016/10/16 No.3169 少し整理しておきましょう
「「意図」は思考の産物ではないということから、少なくとも二元性の範疇に属するものではないことが推察されます」
●確かにその通りなのですが「意図」は地上ではあなたのいうように、
辞書的な意味では「思考」の「おもわく」「もくろみ」としても使用されています。
しかしここではもう少し上の段階における「意図」を使用しています
「「意図」は思考の産物ではないということから、少なくとも二元性の範疇に属するものではないことが推察されます」
●そうでもないのです。「意図」は意識から出て来るもので、その時点で既に二元性を持っています。
ギリギリ二元性を発現していないのが「意識」です
(つづく) 「以上から「意志」とは「実存」から発現するものであるということのようです」
●まず「実存」とは「真我」と「生きる世界」の境界線上にある境涯です
(これはちょっと難しいので「○○全史」第二巻をお待ちください)。
「実存」から「意識」がほとばしり、「意識」から「意志」が生まれています
「「意識は至高なるものの身体だ。至高なるものは意識しないが、それが意識を発現させるのだ。」
(13「至高なるものの、マインド、身体」より)」
●確かに意識は至高なるものの身体ですが、その前に至高なるもの(真我)から
意識というエネルギーが出て来るのです。そしてそこ(意識)から意志が発現しています
(つづく) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています