全ては「無」だ [無断転載禁止]©2ch.net
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この世は二極端
有か無か
この意味を感じる人間は居ぬ
意味を知りたくば
主に解け 私が聖示しよう
世よ答えよ
我に解け しかしだ。人には楽しさというものもある。
それは否定では無い。
考え、楽しさを考えよ。それは、感じている事と同じである。 考えて損はあるか、誰か答えられるならば
答えるがいい。参考になろうな。 有か無か。
それは相互転換したものである。その両者は同一のものである。
そこに絶対差別はない。
即非の論理、即否の論理である。 仏 教でいうならば、人は過ちを必ず犯すものだ。
だからこそ、正しくあれ。という事だ。
過ちを認め、それでこそ正しさを考える。
過ちはある。それを認める。
だからこそ正しさを選ぶ権利があるのではないか。考える必要があるのだ。
何をも悔やむ事は無い。のだ。
考える意志。自由である。
仏教は優しいのかもしれぬな。 >>339
有は無である。無は有という形である。
それが何を語るか、この世は幻かもしれぬ、という事かもな。
だからこそ考える。楽しさ、を知る。
有と無。それは基盤の考えである。 340.
正しさ、か。
そんなものは人間が勝手に決めたものである。
そこに拘束されない、のが宗教である。
なんでか。
それは宗教は人間を超えるからである。
そこに自由があることになる。 >>342
宗教は人間を超えない。
それは、人間が作ったからである。
正しさは、人間が作ってない。
理屈、理という性質は人間が作ったのか。
それならば、原子とはなんだ。
原子の以下はあるのか。
あったとて最小はある。
その下はなんだ。それ以下はなんなのだ。
世界を人間が作ったのか。宇宙を人間が作ったのか。
それはすごい事だ。人間とは大した生き物だな。
立派である。 >>1
「この世は二極端 有か無か」だそうで
すが、仏教の経典の「般若心経」の考え
方からしますと、
有でも無でもない何か
有でもあり無でもある何か
このような、何がなんだか分からない
ものもあるということになります。
哲学には、ギリシャ流とインド流の2つ
の流れがあります。
私は若い時に左翼をやり(元日本共産党
員)、宗教に目覚めてからはキリスト教
のカトリックを約20年やって卒業しま
した。今は日本の伝統仏教をやってい
ます。
私の場合は、最初はギリシャ流でした
が、今はインド流です。
ギリシャ流には、どうしても限界があ
ります。出発点や土台づくりはギリシ
ャ流の方が効率が良いと思いますが、
卒業する時が必ず来ると思います。
ギリシャを卒業してインドへ行きまし
ょう。世の中を実際に具体的に変える
ためにも、インドが必要です。 >>345
私は全てを語ったはずだが。
最小の下とは無であるだろう。
その無は有であり、無である。
それは分からないものの事を語っている。
しかし、それだけでは何も変えられない。
変えるのはそれを受け入れる、有を無として、
無を有として受け入れる覚悟だ。
それが信念というもの。考えるという事だ。
それが、無であり、自己。
ギリシャは物質的。インドは魂的。
両を必要として、順序ごとにここまで語ったはずだが。
基は有であり、無である。思考だ。
学んだとて、既成の物を受けるだけでは
無を語ろうと、有である。
ここまで語って神を理解せぬところはないはずだ。 申し訳ない。解釈を怠った。
それはつまり、立派な事だ。
無であり有である。
ギリシャ、インド。
それは西洋、東洋のルーツをも語っているという言える事ですな。 >>338
ないな。なんの損もない。
損得勘定ではないのだが、考える。
考えることことこそが人間にある完成なる自由意志だ。
考えるからこそ人は前向きに進むことができる。
神は共にある。と、言う理を説いているのもその為だ。
誤解を頭の中に埋め込むな。神はただあるだけだ。
考えろ、既成の概念に埋没するな。 >>336
びっくりした。何か間違ったコメントをしたのかと思ったw >>342
それは違う。
宗教こそが人を縛るのだ。
宗教は人が創り出したがんじがらめの縛り。
イエスも仏陀も弟子に宗教にするな。と、言っている。
宗教は、そういった弟子たちの創り出した蒙昧。 >>342
貴方の言う通り、人間が勝手に決めた正しさの集大成が宗教だ。
それぞれのコロニーの長と上位の信者が甘い汁を吸うためのね。
言い分が破綻してますよ? 人には迷いもある。
破綻はするものだ。
理は気づく事で発揮される。
考える機会をやる事も良い事だ。
と、思った。 ところで、言うことがまともになってきたな。
ちらほら、否定派は存在するようだが。
まあ、語ることで何が得られるかを私達はまだ
分からない。 >>355
解らないから語るのだと思います。
理解しようとするから。 二次元は三次元を知らない
三次元は四次元を知らない
三次元は四次元を考える。
考える世界こそ四次元。
無の世界。
無こそがこの世の真理かもしれん。
無が正しさの世界があり、この世界は
間違いかもしれない。
この世は有で、無である。
考える世界は無である。
この世は有である。
有は無。無は有。 宇宙とは有と無の境目。
空気は無いが、有は存在する。
しかし、どこまで続いているか分からない。
あるのは分かるが、どこまで続いているか分からない。
宇宙は四次元と三次元をつなげている。
神の世界は具体的にあり、宇宙を境につながっている。
それが三次元の先、四次元だ。
四次元が正解であり、五次元は、四次元では当たり前の世界が五次元では当たり前では無い。
なぜなら、四次元にとって五次元が真理、正しさだからである。
六次元、七次元。神の先はあるかもしれぬ。
考える事だ。 まこと君
今度からは、悟りの入り口の話じゃなくて
悟りの入り口ための入り口からはじめな >>358
想像、推理は有次元。
思考がは無限。
無限と有次元は明らかに違う。
全ては無と明言されているが、それは、
ビックバン倫理に基づく零点論、
要するになにもないところがからの多相分岐が根底に根強くあるように受けとれるのだが。
果てそれが真なのか。 >>361
果てこそが真。
つまり、四次元であるという、発想だ。
発想はそもそもどこからくるのか。
物質でない以上、本質は四次元である事が分かる。
四次元は具体的に存在している。
宇宙を境に。それは推理では無い。
宇宙に果ては無い。果てはある。
この世の理であれば果てはある。
また、果てが無いのであれば、四次元と繋がるという発想もありだ。
果てとは分からぬ物。つまひ四次元である。 極ではない。
それは只の妄言でしかない
他の次元も もし完全なる無というものがあるとしたら、
それはどのようなものなのであろうか ? この世は、無と有の二つから成り立っていると言うのであるならば・・・・
スレ主の論理はすでに破たんしているではないか ? 無というものに関して人間が考えることは、
いったい何の利益があるのだろうか ? 有か無・・・・それはどうして二極端と言えるだろうか。
(苦笑) 一般的には、有る・無いの相対的な無。
仏教だと、なにか不変な存在に思えてしまう「私」というものは錯覚にすぎないとして、無我。
私は不変ではなく、たえず変化し続けているということで、無常も同じ。
大乗の禅では、有無の相対的な無ではなくて、絶対無になる。
禅の無は、無生心・無住心のこと。
無とは何か? と考えるより、
「何を、『無』と名付けて呼んでいるか?」と考えたほうが早いかも 無常・無我という存在が存在するから無ではない。
無という言葉でも、あなたが述べるものと、私が主張するものは、
全く意味がちがうということです。
わたしが言いたかったのは、このスレは初っ端で論理が破たんしているということです。
これいじょうむなしい議論はしたくないので、おち。 無ほど美しいものはないし帰りたい場所は無しかない
穢れた世を消し去ってほしい 何をしても何も残らない苦痛の世 とりあえずアドレスを貼るのみで、当スレからは立ち去りますが、
もし興味ある方は読まれて下さい。
『救済的真理の伝達・証明』
《神・転生の存在の科学的証明》
http://message21.web.fc2.com/index.htm 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄
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無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄 全ては無だ。
当然のことである。
そこから、どうするか。問題提起である。 余談だが、先日、爆笑問題の田中がやってる番組でバックに不動明王の像を置いてるのを見かけた。バカかと思う。
不動明王(シヴァー)は実は一番中心になって東大震災を起こした張本人といわれている。
こいつによってそうゆう因縁でもないのに不正に障害者にされたものもいる。また古代から不正にひどい陰謀を
たくまれてきた者もいる。赤不動、青不動、黄色、白、黒とあって、家のは赤だからあるいは白だから大丈夫と
言ってるのもいるが、全部同じで百面相でごまかしただけ。ひがみの因縁がきれてない。共産党の悪化したみたい
にみんなで引きずり落としあいになってしまう、また何らかの形でからかわれるようにばっかもなる。
そんなものを拝んじゃダメだ。オーム教と同じ。さっさと何処へでも納札してすててこい!アホッ!! では、オレのように、毎日を精一杯生きるのは
無駄かと? 無は有に所属してる。👰
有は自立できるけど無は自立できない✨ 努力も無駄 神程無駄なものもない この世はみな全て無駄 痛みも苦しみも無駄
考えても無駄 無駄ばかり 産まれるのも産むのも無駄 何をしても無駄
気持ち良くなれば幸せ 苦しむくらいなら死ねばいい 知ってる が浮かんだ
わたしの記憶、判断だ❗と浮かんだ
そういう出てくる、現れる イカサマ?に
完璧に騙されて
でね
見破るって事も出てくる
悟りも
出てくる
でも誰が悟るの?
わたしはわたし
悟りとも偽りとも関係あり、そして完全に関係ない
真理を語れば功徳あり も出てくる
真理に触れれば功徳あり も出てくる >>430
真理=当たり前の事実 って事なら。まぁ。
子供でも言える事を得意げに語ってるだけだがね。 2000年の少し前頃に発刊され、アメリカで異例のベストセラーになり、日本を始め、
いまや30数カ国以上に翻訳されて読まれているニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神との対話』シリーズ。
もし本当に「神の存在と恩寵」を確信したいなら、まず正しい「神の理解」が必要です。
単なる読書本ではなく、人生の観方と体験が変わるスピリチュアル本ではありますが、
思索的な哲学書として読んでも面白いと思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome >>434
「こう言うのがカッコイイ」と思ってるだけで、当人も何言ってるのか、
理解してないから。
まぁ中二病だな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています