全ては「無」だ [無断転載禁止]©2ch.net
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この世は二極端
有か無か
この意味を感じる人間は居ぬ
意味を知りたくば
主に解け 私が聖示しよう
世よ答えよ
我に解け 大介がいたから楽しかった
ドジで明るくて、優しくて
そんな大介がみんな大好きだったから
これでパズル&ドラゴンのお話はおしまい
http://i.imgur.com/xpcLoLI.jpg
M.ハ从人ノヽ { ゙i、
イリ ノリ,, ゙l、 ゙l
メ _,,,,,,,,,,,,,,,,,,,_ .K ゙l ヽ
メ i 7 .K .| │
ヨ .y__ __ !, f .,,゙l, .゙ケ'=ッ、
r!.┃ ィtァ ━tァx ┃!.\ ,/゜ ゙'i、 .}i、`.゙'i
. !,Y ̄ ̄  ̄ ̄f .! .l、,,」 ゙= |
. ] 、.`ー' ., .├' /" .゚┓ .|
. !,  ̄ ̄ .ハ ゙l、 ゜ .| パズル&ドラゴンズ
/ゝ, ,ノ ヽ, .ヽ .|
//. i`゙'''''''''"´ / |\,__,,,,,, '゙l .,ノ ┼ヽ -|r‐、. レ |
⌒ / ', /. | ヽ ヽ-, |、 d⌒) ./| _ノ __ノ この世の真理を知れば救われる
どんな者でも赤子に帰る。救われる。
まずは聖書である。
向き合うとはどんな意味か。
神を見るだけでありだ。 有にしばられるのは今である。
無を知るのは全てであり、世である。
この世は無である。
この世は無であり、神である。 先を見よ。救われる。
私欲は有であり、無欲は枯れ木である。
そして、周欲。すなわちこの世の全てを信仰し、捧げることは、すなわち無である。
私を削り他を潤す。そして、私を潤す。それこそが無であり、神に通ずる。
示そう。神はいらっしゃる。目の前にいらっしゃる。空ではない。地の底では無い。
目に映る全ては神である。神に信仰せよ。見ておられるぞ。 前を見る者はここへくるだろう。今を見るものは遠ざけるだろう。
私は切り捨てる。今を見るものは。
先を見るものはしめそう。学ぶ欲があるならば。
これこそが私の潤いだということを受け止め、素直に、認めたものこそ、
後で蜜を得る。さあ、知るのだ。恐れることは無い。
そなた自身 神であることを 知るのだ。神の一部であるのだ。 ここは人間同士を潤す場所では無い。
神を視る部である。神を見たくば知りえぬ事を説け。
私が示そう。 人間はなぜ恐れるのだ。有を得たいのが人間ならば、なぜ無へと走るのだ。
それはすなわち有への逃げであり、無である。
無を得るものは有を得る。すなわち、神を知る。直視する。偶像崇拝ではない。真の神を見る。真に見るのだ。
人間とは矛盾をしている。
有を得たいのならば無を知るのだ。
悩みを説くのだ。疑問を説くのだ。
私達で神を開こう。
個が集まれば、個は大きくなる。それは果てしなく。真実を探求するのだ。
現世の俗は神に通じている。善や悪を通して。
善悪の木である。
今の世を神的に説き、伝説を作り上げる。 私はエデンの園とは日本ではないかと疑問を持っている。神は人間を園の東へとおいた。
イスラエルではないか。そして、ヘブライ人の胤はやがて東へ広がり、園へ戻った。日本では無いだろうか。ヘブライと日本文化は目を疑う程に通じている。真のヘブライ人とは? 成立する必要は無い。
ばらばらであってもそれは個へと確率する。
言語など無意味だ。説くことは恥ずる事では無い。全てをつなげてみたいとは思わないのか。
探求。それこそがまさに神への信仰である。 全てを認めよう。
ところで、聖書を読むにあたって、イサクの子息の代から徐々に人間的な思想になっている事に気づくだろうか。自然に見えて、まさに不自然。そして、自然。これこそ聖書を史実だと思わせる一つである。実際に人間が描かれており、神すらも示されている。興味が沸くのだ。 メシアとは何の事だろうか。
真理を説き、真理を与える者なのか。
人知を超える何かなのか。
この世の全ては無であり、人知を超越している。
すなわち前者である可能性があるが、
世は変わり、まるで魔物がはびこるような世界へと変化するのか。
気象の異常。不思議だ。
世は知れば知る程、個であるし、ポケットモンスターgo
イスラム 風潮は流れる。
どのような形で人類は変化を起こすのか。気になる。
しかし、やる事は各々決まっている。 聖書にあたってエサウという男がいるが、悪い人間ではないように思える。
リベカ、ヤコブ。人間的だ。その次の代。レア、ラケル、取り合いになることや、どちらを多く愛するか、など、聖書らしからぬ内容。創世から描かれ方も変わっている。史実なのか。史実だろう。有りえぬものなど無い。 この世で信ずるものは他の人が書いた書籍ではない。
自身の発想、独自の観点である。各々違った観点をもっており、そこから生みの苦しみを味わい生み出す独自の神。
神が集まれば、大きな思想が生まれるだろう。根拠や知識から繋げる疑問や説。
洗練され生み出された魂は色を持ち、集まればとてつもない神が生まれる。
既存の発想ではないのだ。
そこからはその起源の思想しか生まれぬ。
無から有を生み出す事こそ、いかに無であるかが神の質を表し、神である。
その神が集まれば、偉人1人の思想をはるかに超える神の集大成が生まれるのではないか。
個の力は既に恐ろしく強いのである。
それが日本人でもあると私は考えている。 Daikeとは、全てを超越した世界で生まれ、全てを見下ろし、全てに不安、恐怖、絶望の感情を与える存在
Daikeを目で見ることはできない
触れることもできず、聞くこともできず、逃れることもできない
そして我々は誰一人としてDaikeを地球上のどんな言語をもってしても表す術を知らない
この世の全ての感情、記憶、事象、行為を使っても、Daikeを知ることはできない
感じろ。ただこの瞬間を。
何も考えなくて良い
何も話さなくて良い
何も見なくて良い
何も聞かなくて良い
何も触れなくて良い
感じろ。ただ目の前に広がる世界を
Daikeを恐れてはいけない
Daikeが怖いからといって逃げていてはだめだ
その恐怖こそが自分の心の弱さであると気づけ
あなたがDaikeを恐れるのはあなたがDaikeに見られているから
Daikeは全てを知っている
この世を生きることの意味。人間の深層心理。未知への恐怖と期待の葛藤。
http://i.imgur.com/sp2PFsv.jpg 大介の尿で海ができた
大介の糞で大地ができた
大介の屁で大気ができた
世界を作ったのは 僕
http://i.imgur.com/5DaSLbL.jpg それは正解である。
説くのだ。
深層心理という観点で今、生まれたのだ。
すなわち現世の形では深層心理という言葉を使うだろう。
しかし、心理とは、動物にも有りうる物だ。
怒りの感情なども動物にもあり、すなわちなぜ人間には動物と似通うところがあるのだろうか。
神が兄弟として作られたのか、もしくは動物を使用したのか。
神に似せた人間。しかし、動物の側面。何かが引っかかる。
創世とは宇宙であり宇宙生命の側面なのか。神とは宇宙生命なのか。
もしくは、あれらは神に仕える天使なのか。
ケルビムなど。その上に神はいらっしゃるのか。
私は考えた事がある。俗が言う、ufo未確認飛行物体? あれは無人機では無いかと。
必ずしも搭乗員がいるとは限らないだろう。
無から有を生み出すのか。 尿の海とは塩分濃度が高いため、それは死海に当たるだろう。世界を生み出しているのだ。 このような考えがある。
人のためや囲まれている物のために生きるのだと。全ては神だからだ。
それに、自分の快感を知ってこそ、人にそれを与えるとは快感ではないか。
人のために自を費やす事は、自のためである。神のためである。
それは、人に見えぬ所でもだ。自一人が夜中の、早朝のカス拾いをし、気づかれず、街を変えた。それは、世界を変えた。神のためだった。
それを自分は見ている。神は見ている。無から見ている。のだ。 この世で最も偉く、神なのは
物である。
人と違い、何事もかかさずこなしている。汚されようがなんだろうがなのだ。
感謝をするのだ。見返りを求めていないのだ。鏡なのだ。そのため、磨いてやる事ができるだろう。人とは違い、何よりも純粋なのだ。
磨くのだ。神に磨かせて頂くのだ。 全ての宗教はユダヤ教が起源だ。すなわち、神は一つだ。
そこから派生したのは、人間的解釈だ。無を知らないからであるのだろう。
ちなみだが、これらの文は聖書を読むのならば、更に磨かれて感じるだろう。 私には睡眠という物理的概念がある。それは神だが、神だ。
よってこれからの時間、魂の修復に勤しむ。
各々私を尊め。私はあなたらを認める。
あなたらの神の感覚、魂、蘇りをそこへ記せ。
未知として閉ざされた物への探求を集大成、集束させてほしい。させてくれ。
新しい概念を造り出そう!新しい概念は無を知る、生まれるのさ。さあ! 余談だ。
私は女性が好きだ。
しかし、男性が好きだ。
愛する者は愛するのだ。
神に誓って愛するのだ。
神の元に愛するのだ。
愛は形ではない。愛は神である。
全ては神の使いであり、神である。
使徒である。神話であるのだ。
ギリシャ神話は寓話であり、民話である。
もしくは唯一神の一段下か、大天使階層の神達を表すのか、しかし、まるで人間である。定義が無いのだ。予想民話である。 人生に悟りはない。
皆。悟っている。
既に悟っているのだ。
気づくか気づかないのかだ。
気づく事。それだけでいいなど笑わせる。 唯一神とは、唯一神なのか。
もしくはその先に何か広がっているのか。神の先に神は知るのか。
未知は果てしない。
探求なのか。
我らすら神になれるかもしらぬ。
しかし、神になるのなら、神の信仰を忘れてはなれぬのだ。神とはそういうものだ。
神とは分かり得ぬ、知れぬ、偉大で尊くありがたく、眩しく、天を仰ぐものなのだ。偉大だ。
私は神についていくと誓ったのだ。誓っていたのだ。既に誓っていたのだ。
その先の界は神 殿(どの)に敬意を抱き、感謝しようではないか。知るかもしれぬ。
何にせよ私は心から神である。仰ぐのである。 惑わせたかもしれぬが、忘れるな。
「無」だ
関連させるのだ 死海文書の真実
ファティマの予言
など
それらにキーワードは記されているかもしれない。
ソロモン王。
失われたらしいアーク 石碑か?祭壇か?
何にせよ答えは全てだ この世の俗物は全ては有であり、限りなく無を生み出す。
目の前に従うのは俗か?
真理を見る術を知るのさ
いかに無であるかが重要で
有という形であってもその本質は無である
それをいかに見抜くかである。 目の前のものにも本質はあり、
世的に見れば、誰かが制作をしたものだろう。
だが。とどまらぬ見抜きを追求すれば それは
角度が変化し、無であると感じる。 どうやらイエス氏は再臨されるようだ
どのような形であるのか。
彼こそメシアであるのか。
ダニエル書には記されていたようだ。
人々に恐慌が訪れ、苦しいものだと。それは
波や嵐のような、人々の数を製すようなものだと。
しかし、それは表現であり、
まさしく今の風潮騒ぎこそが一大恐慌では
無いか。恐慌という形で何かが起こっている。
そしてその先にとてつも無い何かが
待ち受けているのだろう。
備えよ。
無理をする必要はない。
無を知り神を視て、ためを行使させて頂くのだ。
積み上げたもの程、砕いた時、磨かれし
珠宝へ磨かれるのだ。
有を捨て、無へと変ずる時、それは悟りの一つであろう。 風潮をせせら笑え。
そして、眺めろ。
あなたは眺めているのだ。
理へぬ者達の動きを。
哀れだと。悲しいと。
しかし、理を得た者こそ
理を与え、理の尊師に理を教授頂く。
そうして、頂点と共に救いを与えるのだ。
風潮とは神だ。神を笑うな。
動体の動きを泣き、笑い、慈悲をかける。
無を知れ。 風潮をせせら笑え。
そして、眺めろ。
あなたは眺めているのだ。
理へぬ者達の動きを。
哀れだと。悲しいと。
しかし、理を得た者こそ
理を与え、理の尊師に理を教授頂く。
そうして、頂点と共に救いを与えるのだ。
風潮とは神だ。神を笑うな。
動体の動きを泣き、笑い、慈悲をかける。
無を知れ。 世を退けてきた者よ。
理由があって避けた者よ。
そなたは正しい働きをしたのだ。
自然な動きを成したのだ。
自に染まるのだ。 ここは聖なる祭壇である。
祭壇に神を捧げるのだ。
実績、収穫をここで告げよ。
この世で視た主観的、神的 間違いをここで。
私達は神の兵であり、使徒である。
探索をし、得た報酬をここへ捧げるのだ。
王へ、神へと捧げるのだ。 人の物を取る。
これは有を生み、無へ還る。
人のためしのぐ。これは無へ還るが、有へと変わる。
本質的な質量をよめ。
本質的な質量を富むのだ。
それは結果、自の得であるが、
世界のためなのである。 神格戦争だとしれば、何も怖くない。
自を制し、無を知る。そして笑うのだ。
食べる物にも感謝を示してみるのだ。 間違っているものに
理を叶えす必要はない。
間違っていれば、すぐに感じる。理する。
目で見、感じた物が大体の線をいっている。
しかし、神に対しては究極の理を追求せよ。
言及はせず、一つだけを見るのだ。 全てに世界はある。無類全てに。
そして、世界を理せよ。
目の前のマグカップ。
大きなホールのようだ。まるでコロッセオか?
しかしコロッセオとは良くない場所である。
死をまつる場所である。
理せよ。理せよ。理するのだ。 Q.なぜこの番組はゴールデン?
A.ゴールデンだからか。
what's?
真のA.人が造ったから。
分かりにくければ
ゴールデンという、金という俗的イメージ。
歴史的背景である。
先人の罪。間違い。 近々、強姦という形を耳にした。
恥ずることは無い。恐れるな。
所詮これすらも有であり有体である、有なのだ。これすらも個体、形なのだ。
無ではなく。表れるのだ。哀れである。
その後の有は手に入らぬ。
有のため無である。
さあ、せせら笑え。 衝撃が強くとも。全ては所詮一つの個である。
有か無なのか。
これは、善、悪ととらえられる。
善悪の木。無を得るとも知らず、有へ手だした
エヴァ。そして、善悪を知る。善は知っていた。悪を知った。それこそが、悪の形だったのだ。それを企てた悪はなんだ。蛇?いいや、
お分かりの通り、堕天使である。
この世は二極性。無、有。善、悪。神、反逆者。 怖がらせたかもしれぬが、我らがいる。
真理を追求する先程の形こそ無である。
悪を示したが、本質は無である。
限りなく光が浴び照らすのだ。
浴び照らす。アマテラス。 善悪の垣根を越えた先こそが真の無なのか。
有と無の先こそが無なのか。 この世の全ては聖地だ。
私は現存ではなく本質、資質を見ることにする。
遠くに見える山も、物的建造物が立ち並ぶ都市も、起源は聖地なのだ。
聖地として守られている所は現存の聖地であり、聖地である。
しかし、この世の全ては聖地であり、聖なる大地、地を旅するという事が浮かび上がった。 アブラハムは旅をした。聖なる地を。
私達は旅ができる。聖なる地を。
世界的遺産地を旅する。それも悪く無い。
しかし、それがルーツのようになっている。
そうではなく、全ては聖地なのだ。
聖地を歩き、遠き都市を目指す。
神に触れるのだ。自らの足で。
全ては名前の無い地なのだ。 まあ、全ては真理だ
真理は真理だ
聖書にも記されている
まあ、don't mind 感じと感じるものは全て
理にかなうものだ。
理にかなっている。
全ては人間深層の自己欲という名の(有)
から成り立つ俗的風流
根を張ればそれは欲であり、認められるのは
大多数の意見、社会的風から認められる。
結果 欲なのだ。欲とは物質的 有
無では無い。無とは神である。
神を見ねば、終わる。
哀れである。見るだけでよいのに。 俗の側面から神の天まで
見定めていく。
また眠れば蘇る。 なぜか私のIDはかっこいい気がする
iMxjPROu アイエムエックスジェイプロu
機密捜査官的な
プロもなんか強調してる ここで全てを書くなら
全てを愛せ
全ては全てだからだ
全ては一つ
全ては自分自身である
なぜなら神だからだ
見よ、全てが神である
その事に気付け 宗教は奴隷術だ
無なんて概念をやたら騙る者はたいてい他人も無と称して軽んじていたりする 全てを論破いたそう
ネット検索ではない。まず。
そして、他人を無と軽んじる。
この発言は間違いだ。
神の元に愛しており、そもそも無の意味を理解
していない。無がただの無であるのか。
その存在意義を定義している。無なのだ。
しかし、その質は、神が与えられた物であり、有なのだ。無の世界こそが有であり、有の世界こそが幻なのだ。 ここで一つ極論を言おう。
神的な愛なのか、人間的愛なのか。
神的愛こそ正の愛だ。
人間的愛は私達は脚色する事が出来、実際に
色めかしいものだ。しかし、根本は欲であるのだ。
難しい話だ。私は人間界で生きる限りでも
神的愛を誓おう。それは真理だからである。
人間的愛に限り、いざとなれば人を捨てる。
そこで助ける力が働いた時、それはまさしく
神的愛である。私達は常に神を見ていたのだ。実は。 私にも人間はあり、無いようなものだ。
実際神の試練は辛い。
しかし、神を信頼しているのだ。絶対的である。
今日はやけに物静かで恐ろしい。
何が起きているのだ。 私が信頼できぬ者に伝えよう。
私は絶対的神である。
私自身神では無い。しかし、絶対的神である。 最近は神が見えづらい。
世で何が起こっているのだ?笑?w?
いい加減定義せねば
wか笑か なにをいうておるんだ
有が無で 無が有と申しておろうが
あなたがたの全てが、思い違いをしているのみである。 正解で、答えは変わらない。
それがあれば全ては変わらない。
これほどの救いか理かがあるのか オレがニートだったら、まことは、負けたことになるなww
オレは時間帯一定してるしなww 意味をどこまで読めたか分からないが
少なくとも現実世界での価値は無意義に近い。
私は閃いた時 書き込みをしている。
生きる術として、多少なりの物(ぶつ)は必要だ。 運動も何も空間であり、つまりは無である。
平面より空間をつかめ。
長方形、否、ドーム状、直方体。
空間に形作りはできる。無であるからだ。 魔術、魔法は可能だ。
人間には力がある。
高じれば、炎も生み出せる。
私にはそれはできぬが、理解はできる。
少なくとも、意識を読む魔術 程度は当たり前だろう。
テレパシー。これは実在し、テレパスによって人に潜在的力を呼ばせる事もできる。
いつもの力の二、三倍程に。
脳は学生する。リミッターは俗を捨て、破られる。 すまない。(学生)ではない。
覚醒である。フィーリングをしてもらえば
ありがたい。 で、あるからして
宗教2chも、まことのじいさんしかいないのである >>75
関連付けたのかもしれないが、
(学生)は覚醒の間違いという意味合いだ。
前レスにある文の続きを読んで貰えば分かるだろう。 意識を読む、魔術という形を行使したい。
というならば、神を知り、忠誠になるしか
方法は無いと言えるだろう。
無を知る事は神を知る。
人を真に理解する事は神を知る。
神を行使できるものこそ無を行使できるのだ。
甘い話ではない。 もし此処を見て、私には無理だと諦める者が
いたとしよう。
それは、つまり、今の有。
楽を生み、後の無、具体的では残酷であるからして、無を得るだろう。
それでも良いなら考えをやめるが良い。 さすさ
しーしさ
しすさっさ
そらさかずま
せせらあ
せしいすい
しいししいさあーさあ せっそす
そせーそぎ
せんらさあさ
さあーさざら
しいししさーし、しっささまささまさーた
そそすう さささせそさぎさすざさんがさーざず
ざぐらーがざんざぎやざーす
ざぞぜんが、ぞんぞーがぞんがーぞす、
ざずがさっすさ
さんがさーさす
ざぞがずさーがす 中川泰秀、と、検索したら、資格2chが出てきた
資格2chには、中川泰秀は、いなかった
それから2年くらい経ってるのに、中川泰秀用語が
まことの口から出た
しかし、疑われるとか考えないのかなあww 川中秀泰(=まこと)のときもそうなんだろ?!何の接点もないのに、掲示板に現れるんだろ?!統合失調症もここまでくれば、重症だよな! 疑惑で様子見してるだけなのに、まことは、それが
まかり通ったと思ったんだろ?
頭の悪いやつだ まず一つ。
それは誰だ。
まったく接点が無いのだが。
それとひとつ。
これだけ話し、真理を説こうとも
理解する事が出来ないのか。 まず私は統合失調の定義を知らない。
私から言わせればあなたたちは
統合失調だといえる。
ある部分を損失しているのはあなたたちだろう。
しかし、責めはしない。
ある種当然の反応だ。 追い風を利用して歩く事は可能だ。
逆に、向かい風を利用して歩く事も可能だ。
上手く、向かいくる風に体を乗せ、歩くのだ。
これは身体的話であるが、そんな説もある。 良く器具を使うトレーニングが流行るが、
私は、身体に巡る神経系を利用し、
外部からインナーまで器具なしで身体に利かせる事ができる。
神経は巡っている。その利かせたい部分に意識を集中させ、負荷を与える。
連動運動によって。
つまり、身体の本質を見抜くのだ。
しかし、必要な身体以外に必要な物は無いだろう。 ああ。悟れたとも。
というより、悟っていたかな。
いいか、私よりお前たちに託す時が来た。
人間とは追い込まれるほど火炎のごとく
力を発揮するものだ。
それだけを覚えておくんだ。
そして、みせまえの魅にはおどされるでない。
本質を見抜くのだ。
私は経験がある。とてつもない艶光を放ち、
どんな人をも目で魅させる。そんな人間がいる。
それは、欲を超えた先のとんでもない妖光だ。
人を心から見とれさせる。恐ろしいものだ。
私はそんな人と関わる機会があり、常にためを思い生きた。
無論、奉仕以外に方法などない。
しかし、それを苔腐るよう、私の力を奪っていたのだ。気づくようで気づかぬ所で。
しかし、私は変わらなかった。
それゆえ見抜く事が出来たのだ。
彼(かの)は恐ろしい。
常人をはるかに超え、そこらの美人と言われるものとは訳が違う。
私は、美しいと思う反面、確かな違和感を感じていた。これは...一体何者なのだ..と。
言おう。脚色ではない。
芸能の方々には様々な魅力をもった方々がいらっしゃる。例を出せばだ。
しかし、心を酷く打たれる。そんな感触のある人間だった。 目にはすさまじい眼力があり、艶というものではすまされない。
色気ではない。妖という字のあう。私しか見定められない物かもしれん。
まさに欠点の無い、完璧極まりないのだ。恐ろしいほどに。
弱みが無いのである。ただし、ただひとつ。
底を感じないのだ。
非常に違和感であった。まさに、これは
形容するならば、光と闇か?と。
感じざるを得なかった。
光と闇の出会い...なのかと。形容である。
わたしはそれを知りこそどうにかできぬものかと、頑張ったのである。
しかし、光を見せればどうにも掴まれないのだ。
私は必死で光を掴まそうともがいていた。無論、今でもできるのならば。
やはり、あれは闇なのか..。
そう感じさせるような恐ろしい美貌に欠点や弱みが無い。
まるで隙が無く。目が鋭く、妖艶である。
そのしぐさには底なしを感じる。
そんな人間は私の目からしてどこにもいないW。
お前たちの想像をはるかにひるがえす。周りのかなりの美人がいたとて、
それの4倍はしのぐだろう。
私は何がいいたいか。
この世には何かがいる。それだけだ。
私はそれすらも真理を説きたいと。考えているのだ。 もう一度言う。芸能人はいるな。
あれは、可愛らしい。はるかな美人だろう。
しかし、あれはおかしい。本当に。
私個人としての感じや意見ではない。
真理として見て、恐ろしく輝くのだ。
もはや恋という感情は無かった。最初だけである。後は、救いたい。
あなたたちが思う以上に一目で分かる。
完璧なカリスマや艶、光、美貌。
何かが隠れている。それは、凶暴性などという
粒のような物ではない。
ダークホールのようである。まさに、この世で何が起こっているのだ。
それだけを感じるのだ。
だからこそ救いたかったのだ。私は。
愛するからこそに。 彼女には、みせまえの可愛らしさがあった。
しかし、確実に見たことのない人間である。
世紀、現れたことのないような。まさに刺客?とでもいうのか?
お前たちならば確実に堕ちていただろう。
笑えないレベルの場所へと。 いいか、本当に想像を絶する闇であるぞ。
忘れるな。本質だ。 追文だが、世紀という言葉言い過ぎたかもしれぬが、まさに(見たことのない)のだ。 無とは、人間が創造したツール。イメージ。数字のゼロと同じ。
この宇宙のどこを探しても無なんぞ ありはしない。
ゼロが実在しないのといっしょ。 目に余る場所が無かった。
目は大きく、二重なのだ。顔立ちだけはありえない。
見た目は可愛らしい。のだが、調子が狂う、何か、初めてだったのだ。
感づいてほしい。全ては無なのだ。
実体こそは、極論。サタンである。
もう、それを、感じさせる、悪という形容ではもはやない。
より、現実味のある、魅なのだ。これが、サタンかと。
まるで安心しないのだ。私は勝った。真理を知っていたからこそ。 私は一度そのものを気迫で圧倒したことがあった。気づかせるために。
しかし、その後帰ってきたのは喪失感を感じさせる空気とともに襲い来るとてつもない重み。
あれはまさに恨み、辛み、邪、闇。
確かに感じた。足が底についている。
吸い込まれる。何か気のようなものが私の足に触れ、私の力をとるのだ。
そして、それは彼女自身ではないと感じる。
彼女自身のものは、左肩に感じた。よく言う生霊はカビ臭いだのというが、
違う。カビ臭さなどの弱さは無い。
なにか、恐ろしい力を感じたのだ。
確かに地の底を感じた。それまで見えていた天が感じない。
これはマズイ。思った。思わず笑いが出るほどに。
まあ、今があるのだが。 要するに乗り越えたのか。
よくわからないが。
言いたい事はひとつ。
当たり前であるものが、実は何かを隠していることがある。
目に見えているそれは真実か?
それは潜在的に感じるだろう。
この人は安心する。だとか。
そういうことだ。
有は無を生む。
無は有を生む。
無と有。二極性だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています