>>921
> 祀られてる本人の主張とは真逆の行為をしておいて
> 皆様が歓びと誇りを感じられるようにせよ
> とか神経を疑う愚行と指摘されても仕方がなかろう。

「遺骨」は「物品」である。「物品」が何かの役に立つのであれば、
役立つように物品を使えばいい。「物品」が役に立たないなら、捨てて
しまえばいい。「祀る」というのは、「遺骨」という「物品」の使い方
の一つに過ぎない。

信次先生の遺骨をどう扱うかは、「千年構想」のごく一部に過ぎない。
佳子先生は「千年構想」の全体ヴィジョンを誰よりもよくご存知のはずで、
全体ヴィジョンを実現するうえで「役立つ」と判断されたから、信次先生の
遺骨を使われた(祀られた)のだ。

キミは、佳子先生のことが信用できないのかね?
佳子先生に向かって異論を述べたければ、「千年構想」の全体ヴィジョン
を示してみよ。その全体ヴィジョンの中で、信次先生の遺骨をどう
扱うべきかか、佳子先生に向かって教えを述べてみよ。