関芳郎と茶坊主どもが、次のような愚かしい記事(>>1)をGLAホームページに
掲載した理由は何だろうか?
> とりわけ、祖師高橋信次先生、そして、あまたの求道者たちと共に
> 奉納できることは、魂の道を歩む一人ひとりにとっての歓びであり、
> このうえない誇りにほかなりません。

これは、例えば、「信次先生の遺骨を祀れるようになったことに、
GLA会員の皆様が歓びと誇りを感じられるようにせよ」のように佳子先生が
指示されたからではないかと思う。

この御指示に対して、関芳郎と茶坊主どもは、「信次先生の遺骨とともに
納骨できることを強調すれば、歓びと誇りを感じられるようになる」
という仮説を立てて、それを実行したのだろうか?

否、そうではあるまい。
関芳郎と茶坊主どもがいくら馬鹿であるとは言え、かかる行為によって、
だれ一人として歓びも誇りも感じることができないばかりか、GLAを貶める
結果を生むという程度の事は、容易に理解できるであろう。