0315杭打ち不動三角支店長と女の腰狗の愉快犯夕職人は仏罰必罰
2016/08/30(火) 23:16:21.24ID:Z/eKgzSG師は、スブーティ長老に、こう尋ねた。
「スブーティよ、あなたは、どう思うか。
如来が、ディーンパンカラ仏の元において、 法において、得たものが、何かあるだろうか。」
スブーティ長老は、師に、こう答えた。
「世尊よ、そういうことは、ありません。
如来が、ディーンパンカラ仏の元において 法において、得たものは、何一つありません。」
師は、スブーティ長老に、こう尋ねた。
「スブーティよ、心においては、どうか。
菩薩は、仏土に、至るのか、至らないのか。」
スブーティ長老は、師に、こう答えた。
「世尊よ、菩薩は、仏土に至りません。
仏土とは、至る、至らないを、越えた処。
仏土に至ると言えば、至らないことになる。」
師は、スブーティ長老に、こう言った。
「スブーティよ、まさに、その通りだ。
まさに、こうして、囚われてはならない。
形に囚われて、心を、揺らしてはならない。
声、香、味、触、法についても、同様である。」
師は、スブーティ長老に、こう尋ねた。
「スブーティよ、あなたは、どう思うか。
須弥山の如く、大きな体の者がいたとして、 彼の体は、大きいだろうか、小さいだろうか。」
スブーティ長老は、師に、こう答えた。
「世尊よ、それは、それは、大きい。
というのも、如来は、このように説く。
『体は、実体がない、それゆえに、空だ』」
○ 得るもの、あるいは得たものがあれば、同時にそれは失われるもの、であり失うものである。
真理さとりは、得るもの、失うもの、ではない。
大小と言うのも、大小があるように見えたとしても大小はなく、一色(いっしき)である、
山の高低があるように見えても、山には高低がなく、一色(いっしき)である、。
色は すなわち これ 空。