>>306

一応、悟りは自分の中にある
たとえば、自分がない、という話だが、道元は
自分に成りきる、と、言っている
じゃあ、自分はあるじゃないか、ということになる
が、その自分に成りきる、という意味も、自分を意識しない
という意味もあれば、無我夢中で、自分というものが
なくなるという見解もある
人によって見解が違くが、これは形で、境地の中では、自分がない、というのも自分があるというのも同じ意味なんだよ 
まあ、まことが、自分がない、と言うのなら、それをトコトン追求しなければならない
安易に結論なんか出してたら、悟りは開けないね

ちょっと、話が逸れたが、修行というものは、自分の心の中を旅するもの
が、自分を知り尽くしたら、今度は、外に心を向けなければいけない
だから、自己評価を気にするという悟りがまったくないわけではない
欲がないのと強欲が同じ境地に立つこともあるんだから
その境地を悟りという