究極の悟り・・・それは神人合一 [無断転載禁止]©2ch.net
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創世記
26 神言給けるは我儕に象りて我儕の像の如くに我儕人を造り之に海の魚と天空の鳥と家畜と全地と地に匍ふ所の諸の昆蟲を治めんと
27 神其像の如くに人を創造たまへり即ち神の像の如くに之を創造之を男と女に創造たまへり
28 神彼等を祝し神彼等に言たまひけるは生よ繁殖よ地に滿盈よ之を服從せよ又海の魚と天空の鳥と地に動く所の諸の生物を治めよ
詩篇
8:4 世人はいかなるものなればこれを聖念にとめたまふや 人の子はいかなるものなればこれを顧みたまふや
8:5 只すこしく人を神よりも卑つくりて榮と尊貴とをかうぶらせ
8:6 またこれに手のわざを治めしめ萬物をその足下におきたまへり 統合失調症と言われて、泣きべそ掻いているようだけど、
現にまことは、統合失調症じゃないか! 人は実はそのままで完全なのです。
完全であることに気づかないから迷妄が幻影が生ずるのです。
では完全であるという意味での「人」とは何か。
それは「神の像」です。神の似姿。
自分がそれであることに気づくことが究極の悟りだと思います。
この真理は奥義のなかの奥義であるため
神はこの真理を覆い隠すために
組織宗教を通してあらゆる手段を講じてきたのです。
この真理をあえて伝えようとしたイエスは殺されました
父が完全であるように完全であれとイエスは言われました。
人の中に隠れている神性が開眼すれば完全なのです。
神性は完全です。人性が神性に溶けこむしか完全になる道はないのです。 神は男でもあり女でもあるのか
神を両性神とするのは、神を冒涜することにならないか。
真実の神は男でも女でもない。
はい、創世記1:26−27を論破w 人は善悪の知識の実を食べたがゆえに、生物の頂点に君臨している。
しかし今や、人は自らの手で自らを破滅させようとしている。
いまだに命の木の実を知らないからだ。
はい、詩編8:4−6を論破w 神 → 形のない命 → 命 → 男でも女でもない
人 → 形のある命 → 霊魂 → 男でも女でもない
神の愛はアガペー → 自分を超えることのできる愛
人の愛はエロス → 自分を超えられない愛 >>3
内なる神の光を愛し、内なる光と合一し、内なる悪を滅ぼすクエーカーのほうがいいんじゃね? 聖霊体験をすればわかる。
神は永遠の命であり、神は圧倒的に偉大な存在であることが。
人は神ではなく、神の息吹に過ぎない。
神を知れば、自分が神であるなどと口が裂けても言えない。
人は神ではない。人は人でしかない。 人は善悪の知識を得ることで人になった。
しかし、聖書を盲目的に信じることは、
善悪の知識を捨て、再び動物に戻ることに等しい。
それは救いではなく、霊性の退化でしかない。
人がやるべきことは、聖書の盲信をやめ、善悪の知識を活用し、
その力で命の木に到ることだ。 聖書は、エデンの園の命の木で始まり、
黙示録の命の木で終わる。
聖書は、最も大事なものを、読者の目の前に露骨に示している。
しかし不思議なことに、読者はそれにまったく気づかない。
いつまでも神とは何かと議論している。
言葉だけではわからないことが、わかっていないからだ。 なぜ楽園の中心に、善悪の木と命の木が備えられたのか。
その二種類の木が必要だからに他ならない。
しかし命の木に到るのは容易ではない。
精神的な死を体験し、
今までの善悪をひっくり返さなければならないからだ。
言葉ではなく、体験する必要がある。 今までの善悪をひっくり返すとは具体的にどういう事ですか?
良心とかは >>17
どこまで話していいのか、いつも迷ってますよ。
こうだと話すのは簡単ですが、それでは驚きも感動もなく、
聖霊体験が流産してしまう恐れがあるのです。
自分で謎を解き、えーなんだ、そういうことだったのかと
びっくりすることが大事なのです。 人は最初神の像に作られたの。神が実体で、人はその像です。
人の中には神が最初から存在するのです。
私それを知っていたのですが、創世記の最初に書かれていることを
見逃していました。
聖書の最後の章、黙示録には、人が
獣の像になってしまうことが書かれています。
すごい堕落ぶりですよね。 >>20
神をかたどって造られたのは霊魂ではないでしょうか。
霊魂には男も女もなく、何の不都合も生じません。
男も女も霊魂のレベルでは同じです。
それどころか、これで性同一性障害まで説明できます。 どうして神ではなく獣を拝むのでしょうか。
聖書を盲信し、動物と同じレベルに退化したからではないでしょうか。
善悪の知識を捨ててしまったからではないでしょうか。
善悪の知識とは理性のことですね。 眠たい。今日は疲れているのです。
久しぶりに東京に出たらぐったり。
ねまーす てかー質問攻めにするって失礼だとは思いませんか。
紳士さの面ではやはりヨハネスさんが一番かな。 残念ですが、疲れているんじゃ仕方ないですね。
おやすみー まだ起きてたんですか。早く寝ろくださいです。
休んだ後の冴えた答えを待ってます。 創世記の冒頭の『神』はエロヒムですよ
「われわれ」ってなってる。
エロヒムは男女複数形なのですよ。
男性2人、女性1人の複数形なのです。
創造担当官エロヒムにも女が一人いたってこと。
ねまーす 聖書を論じるには最低ギリシャ語とヘブライ語の基礎知識が必要ですよ。
ねまーす コテをnemasにすればw
日本語の聖書も読みこなせないのに外国語?
ふんだwww ギブスさんは先入観丸出しにして何でも解釈する変人よねー
ねまーつ だって翻訳されたものですよ。日本語のは
仏典だってボンゴの意味知らずに解釈するバカいないでしょ
あっひとりいた。gipusとかいったかな?
ねまーつ >>32
龍は神の天使だって教えたろがw
セラフィムだよ、どうしてすぐに忘れるの。
勘弁してください。 都心のオフィス街は疲れますねー
信仰のお友達と久々に会えていい話出来ましたが
すごく疲れてしまった。電車の行き帰りが疲れる。
やっぱし私はお家の中にいるのが一番あってるかも
そろそろねまーす 35
だーかーらー
神に従順なセラフィムは神のお使い。天使です。
不従順になったセラフィムはサタンになったの。
前に教えたでしょ。なぜすぐに忘れるの?
ねるねー 神人合一か。
神は人間ではない。
人間は神ではない。
その両者を合一できるのか。 イマゴ・デイがキーなの
神の像、神の形、神の写し、神の似姿 私、大学生の時にヘブライ語とギリシャ語、ラテン語をとったの。
かじっただけで終わってしまい、身についていないけど
今はインターネットですべてのコンコルダンスや原典を参照できるので
聖書でわからない部分はいつも原典を参照しています。
blueletterで検索すれば出てきます。 >>11>人は善悪の知識を得ることで人になった。
善悪の知識の木の実をかじる前から人でした。 ゆみががっかりすると思う。
今のギブスさんの投稿を読んだら。
ゆみは最初のギブスさんの投稿を読んで
すごく感心していたのに。 東京は人が多過ぎて気疲れするね。
それに今は暑いし。家にいるのが一番だよ。
でも、まだ起きてたんだね。
わたしはその間に一仕事やった。いい加減にしてくださいw
おやすみなさいw 体を壊しても自己責任ですから。 わたしの発言は、わたしの体験に根ざしてます。
宗教書とはまったく無縁の唯物論者が、ある日突然、聖霊体験をし、
それから半年後に霊魂体験、その半年後に龍神体験をしたのです。
聖書も仏教書も語学もまったく無関係ですよ。
わたしに言わせれば、みなさんは何をやってるのかと。 ですから体験そのものは評価してますって。
でも結果がね〜(ry
おやすみなさい でも、坐禅をやめるのに時間がかかった。
坐禅をやると気持ちが休まるし、気持ちが落ち着くからね。
それで後、一年ぐらい坐禅から離れられなかった。
そのころ無職で時間もあったしね。
坐禅から卒業することについてはいろいろ考えたよ。
死ぬかもしれないような、究極の体験をしたんだからもういいのでは
ないかとか、これ以上は時間のムダではないかとか。
坐禅は、なんだかんだ2〜3年ぐらいやったかもしれない。 すごーい
でも、途中でやめてしまうのはもったいないです。
人は生きている限り成長するもの 成長より、今は体験の整理をかね読書中心ですね。
ミルナさんはこれからです。いろいろな体験をしてください。
蔭ながら応援してますから。 創世記 (マソラ本文
3:22
主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
>「われわれのひとりのようになり」
ここの部分。変だと思いませんか。「われわれ」は唯一神の使う敬意複数形だから本当は単数なの
とどこでも説明されるけれど、この部分はそれでは説明できませんよね。
もし敬意複数だったら「われわれのようになり」といわなければなりません。
「われわれのひとり」というのですから、もろ複数形ですね。
やっぱり、本当は天使なのです。
そう考えれば、イエス様が「復活の子は天使のようになる」「天使に等しくなる」と
おっしゃっている意味も判然とするわね。
また、詩篇で「人は天使よりもちょっとだけ低く作られた」と書かれているのもうなづける。
やっぱ人の創造担当官は複数の天使elohimです。間違いありません。
ほかの箇所では神々とも訳されていますから、もはや言い逃れできないね。
人は天使になるのが運命。そうなるように神は進化のレールを作ってくれたのよ。 >>49
宣伝文句につられてつい見てしまったwww 今日はギブスの兄さんを独り占めできて満足w
ではおやすみなさい 神は身体を持たなので言葉を話しません。
創世記は神官が書いたので、神の部分を神官に置き換えたらどうですか。
どこが本当でどこが作り話なのかが見えそうです。
人は死後、天使のようになる、というのはその通りでしょうね。
夢の中の自分がそんな感じで登場します。
シルバーバーチも認めています。 おはー
>神をかたどって造られたのは霊魂ではないでしょうか。
人です。人と書かれているものを霊魂とすることはできません。
霊、魂、人はすべて別のもので、別の語で、別の意味があります。 >>55
なんか書こうかなー と思ったけど・・・
なんか邪魔しちゃ悪い空気だからなー
まあ頑張ってくさい。 肉体以外にも幾つかの体が重なって
人の全体を作っているの。
わたしの知ってる限りでは
肉体そっくりのもっと霊妙な、精緻な、繊細な白い体があります。
霊体というのかエーテル体というのか知りませんけど、ダブルが存在します。
今のような肉体が生じたのはずっと後、知識の木の実の事件以後ですから
それ以前の人体はもっと精妙なものだったのではないかなと思います。 > 人がやるべきことは、聖書の盲信をやめ、善悪の知識を活用し、
>その力で命の木に到ることだ。
もう滅茶苦茶www 命の木に至る方法はキリストの教えと黙示録に書かれています。
命の木にたどり着きたければ
聖書にに逆らう、あるいは否定するというアプローチは
すごく愚かなことです。 マタイ
7:13 狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。
7:14 生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。 >>11
「神はこの小さな惑星にその栄光を制限されなかった。
他の惑星にはわれわれのように罪を犯さず、堕落しなかった人類がいる」
聖パードレ・ピオ
「それぞれにエデンの園があり、そのどれにおいてもアダムとイブが
知識の木の実を食べずにいる、 地球のような世界が限りなくある。」
ジョルダーノ・ブルーノ
(地動説を説いて火刑に処せられた聖修道士) 善悪の知識は理性ではありません。きっぱり。
人は神の形に創造されたゆえに、創造の時から、
自由意志も理知もありました。
動物と人を区別しましょう。
まず動物が創造されて、それから人が創造されました。 善悪の知識の実をかじったあとのアダムとイブは
逆に理性を失う行動を取りました。
すべてを知る神から逃げ隠れしたり、
苦しい言い訳をしたり、責任転嫁したり、
嘘ついたり。読めばわかるじゃない?
日本語で「善と悪」と訳されていますが
good and bad ではありません。
good and evilです。善と邪悪ね。
善は問題なし。邪悪に目が開かれてしまったことが問題なの。
ヘブライ語の慣用句「邪悪な目」(ayin ha-ra)は「利己主義」という意味です。
アダムとイブは利己主義に目覚めてしまったのよ。
ヤコブ 4:17 善を知って行なわなければ罪になる。
彼らは未熟な状態で消化できない知識を与えられてしまったために知
識を正しく活かせず、理性を曇らせる結果になってしまったのです。 釈迦やイエスの物語を読む時にはこの真名を基準に話しが
進んで行く部分があることに注意が必要です。
もちろん釈迦の十大弟子も皆出家した行者であり真名を持つもの達であるため
天界のストーリーに登場出来るのです。
ヨハネも真名です。 生きながらにして真名を持つ。
これが宗教における基礎のお話しになって来ます。 これを言うとかなりビックリされる方もいると思いますが
マリアの真名としてイエス物語は展開されているのです。 人は新生や元服すると真名っちゅうものを授かるんよ。
それが仏さんとの絆の証や。 宗教で扱っている「し」とは復活を前提に行われるものであり、
肉体の死の話しをしているのではないのです。
(これ宗教における基本中の基本) ■まずは原罪について正しく知ることです。
原罪は理解するものではあっても否定や拒否をするものではないと私は考えています。
エデンは確かにありエデンがあるのになぜ人間は最初からエデンにいることが出来ないのか(原罪)。
それは自覚の問題だからです。
1度目に生まれた時点では人は己の所在地が分からないのです。 この事を原罪と呼び、2度生まれる必要があると聖書は説くのです。
二度生まれることで聖書で説明される原罪は克服されます。
二度生まれるのは個々人における実践であり、過去に十字架にかかった1人の人物により
全人類の原罪が帳消しになるようなことはありません。自覚の問題だからです。
多くの人が特に日本人は原罪論と贖罪論を受け入れられずキリスト教離れが 加速しています。
それは正しい認識をキリスト教会自体が伝えきれていないからです。
二度生まれるのは個々人における実践であり、 その二度目が贖罪(十字架)なのです。
原罪とは自分にしか解決出来ない公案とも言えるでしょう。
キリスト様が解決してくれましたではその問いから逃げているのと同じなのです。
悟りとは自覚を伴うものである からである。 お釈迦さんが、宇宙まで意識があったって話はあるけどな
普通の人間の境地は、そこまで達せない
つまりは、お釈迦さんクラスになると、宇宙まで
意識して修行が出来るってことだよ 確かに、まことの戯言と話が違うよな!宇宙は、辿り着くものなんだな! 眼に見えるものは、眼に見えないものの影だなあと、思ったことはあるな ある夜、ニコデモは意を決して、キリストのもとにたずねていきました。
その彼にキリストが、「新しく生まれなさい」と言われると、彼は返事の意外さに
びっくりしました。しかしその日こそ、彼の生涯において最もさいわいな日となったのです。
「新たに生まれること」――これこそ、私たちがこの世において経験し得る、最も幸福な出来事です。
ここで、聖書の言葉に注意してください。
キリストはニコデモに対し、「だれでも新しく生まれなければ」と言うだけでなく、
「上から生まれなければ」(ヨハ3:7 新改訳注参照) 、
また「霊から生まれなければ」 (ヨハ3:5)という表現も使われています。
「・・・しなければ」という言葉を、3つ使われているのです。
キリストはまた別のときに、こうも言われました。
「あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」 (ルカ13:3)
「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう」 (マタ18:3)
「あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、
決して天国に入ることはできない」 (マタ5:20)
これらの言葉はみな、同じことを言っているのです。 >>72
「上から生まれなければ」(ヨハ3:7 新改訳注参照) 、
「霊から生まれなければ」 (ヨハ3:5)
のことです。 自分の十字架を負うとは「上から生まれる、霊から生まれる」と言うことである。
※宗教で扱っている「し」とは復活を前提に行われるものであり、
肉体の死の話しをしているのではないのです。
(これ宗教における基本中の基本) 義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。 >>53
>そう考えれば、イエス様が「復活の子は天使のようになる」
>「天使に等しくなる」と おっしゃっている意味も判然とするわね。
>また、詩篇で「人は天使よりもちょっとだけ低く作られた」と
>書かれているのもうなづける。
聖書には、人は天使である、とは書かれていません。
天使のようになる、マタイ22:30、マルコ12:25
天使に等しい者であり、ルカ20:36
詩編はむしろ、人と天使の違いを指摘しています。
人と天使は違うというのが、聖書の認識のようですね。 個人的には、天使は霊界生き通しの存在だと考えています。
地上で生活する人間は、残念ですが天使にはなれないと思います。
では実際に天使がいるのかと言えば、いると思います。
たとえば、サタンとも呼ばれる龍神様がそれです。 >>53
さて問題は、創1:26「我々にかたどり」の「我々」と、
創3:22「人は我々の一人のように」の「我々の一人」にあります。
唯一神なのか、多神教なのかという聖書上の大問題です。
しかし、ユダヤ教は唯一神を信奉する宗教ですから、
神は複数であってはならず、聖書の誤りであると言わざるを得ません。
でもそうすると聖書無誤謬説が崩壊します。
ユダヤ教が崩壊すれば、キリスト教も崩壊することになります。
だからこの個所は、この部分を編集した祭司階級がカン違いしたか、
バビロニア由来の、多神教的な思想で歪んでしまったのではないかと推測
するのが妥当ではないでしょうか。いずれにしろ間違いです。
聖書の冒頭から間違っているなんてwww 洪水神話ってシュメール神話にあるだろ
複数形なのはその影響だよ >>66-67
善悪の知識は理性ではなく利己主義を意味し、
その点で人と動物とは違う・・・?
人のように自己を反省するかどうかは疑問ですが、
動物であってもそれなりの知性も利己主義も発揮すると思います。
しかし、人のように自己を反省するかどうかは疑問です。
反省が伴った知性が理性ですね。
人には理性があるから、善悪の知識を超えることが可能なのです。
理性を失った信仰、盲信は、人を動物に退化させます。 >>87
そうですね。バビロン捕囚によって多神教に影響された祭司階級に
よって書かれたために、多神教的になっていると理解した方が
よさそうですね。神が複数になっているから、
ここは天使を意味していると解釈するのはたぶん行き過ぎでしょう。 結局、ギブスさんはふざけているだけなのですね。
あなたには幻滅しました。つまらない男だと思います。
さようなら Aさんを見て素晴らしい人だと思った。
付き合っているうちにAさんの実態を知って、幻滅してしまった。
このような場合、責められるべきはAさんではなく、
Aさんに対して幻想を抱いていた自分ではないでしょうか。
「わたしはちゃんとAさんを見ていたのだろうか?」と自分を省みることがな
すまん長文めんどくさくなってきた。 法蓮のいちかは他より高い金とって依頼した結果はほとんどださない。しかもだいぶ前から病気で結果を出してもいないのに出したと言うきちがい妄想にやられ
勝手に言ってるだけ。要するに、タクシーで新宿にいってくれというやつを勝手に渋谷にいき正当化してごまかしてくるようなモン。
こんな所へ行ってはいけない。お金を病気の患者に恵んでるというよりはドブにすてるようなもん。苦情、弁償取る以外行くべきではない。
会社ぐるみでやってるサギはただのひとりよがりのキチガイなので、少なくとも完全ににそれらが直り用を成せるまでは関わらない方が無難。 まことの価値観って、高校1年か中学生だよ
だから、その辺から引きこもってると推測してるんだが
そう考えると
「生まれながらに不幸」
という意味合いも見えてきたなww まこともマヌケだな!てめえのトラウマを話して素性がバレていたら世話ないわな! もう少し、まことも警戒心を持って話してもらいたいよなww
惨めすぎるww (人生相談)
毎日つまらなくて退屈です。退屈で飽き飽きして、早く死にたいです。
なにか打ち込んでみれば?と言う人もいますが、ツラくて大変なことは嫌です。
大変だったり、汚れたり、汗臭いことなんか楽しいわけがありません。
不労所得を得るか、金持ちに金をもらって楽をしたいです。
頑張ってみたところで、どっちみちいずれは死ぬし、
こんなつまらない馬鹿ばかりの世の中どうでもいいです。
こんな毎日が続いて、このままお婆ちゃんになってしまうなんて嫌です。
ああ早く死にたいです。
(回答)
大変すね。 >>99
答えになってなーいw
今日から人生相談スレにするから
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