人は「私はどこから来て、どこへ行くのか?」と思う
思考し、感情が動き、さらに別の自分があることが観察されている

それはコギト・エルゴ・スムからもうかがえる

われ思う、ゆえにわれあり、
私はいろいろ疑問に持っているが、それをよそから観察している自分がいると知っていた

これはほとんど誰でも気が付く
よっぽどのアホガールじゃないかぎり「自分とは何者か」と思ったことがあるはず。
自分とは何か、と思っていればいずれは
「自分をそとから観察している自分」のようなものが自分の中にあると気が付くものだ。

その理由はその辺の学問にはなく
なぜか宗教でしか言わない