>>578
つきみさん、こんばんは。

>概念である愛が神であるなら、そこに人格を認めるのは、対する人です。

たとえばね、日本人は自然に神を観る。
ある瀧に直接、神だと言ってしまうわけですよね。
瀧という具体物に「神」と言ってしまうのも、瀧を人格化(神格化)
したということです。

人がしたのですが、
私よりも先にあった瀧と同じで、愛を感じるというのは私が愛をつくりだした
のではなく、先に愛があったからです。

それは、瀧であっても愛であっても先にあって、その実存に対して
人格化させたとは、「神」という名前をつけたということなのです。

愛と言うのは概念であるというよりも、まだ「名前」をつけることが
できない何かにたして、仮に呼称している謎のIのような存在であり
けれど実存として多くの者が捉えている。
それに名前を付けて「神」。愛を人格化とはそういうことでしょう。


>旧約の神と新約の神に非連続を感じる人もいる。

そうなんですか。

>それは、同時性を考慮していない。
>つまり、人の認識の深さによって、神の認識も変わる。
>しごく当たり前の事です。

ここで言われている同時性とは何かしら。
それは、また意見を待つとして、
人の認識の深さによって神の認識の深さも変わる、
そうですよね、何事もね。