俺らの言う寛容は「お互いの価値観を対等に認め合おうぜ!」であって
あいつらの言う寛容は「無知で下劣な異教徒どもにも俺らに隷属して生きる権利を与えてやろう、神は寛容なり」だからな
そもそもの出発点が俺らは「同じ人間同士」なのに対して
あいつらは「俺らが上、異教徒は下」だから寛容の意味も違う