仏教では執着は心の毒であるとする。

その執着とは何なのか?
執着とは、
心がいつそのことを考えている。
同じことばかりを考えている。
心の中の考えが留まる事をいう。

アンチはずっと同じことを書いている。
アンチはいつもそればかりを考えている。

一方、信者は人を救うことを考えている。
利自即利他
自分を救済し、それが他を救済する。
それを考えている。

この人生の送り方の差が幸不幸を決める。

汚い事例にばかり関心をもちそれが執着となるアンチは、
人生を、不倫、愛人、マリファナ、の人生となる。

心が人生。
心こそが人生。
何を思ったか?
行動だけではない。

心こそ人生。
人生で多く思ったことがその人の人生を決める。

アンチはずっと
不倫、マリファナで心がいっぱいだ。
人の汚いところにスポットを当てる嫌な癖。

誰もアンチの様にはなりたくない。

その人生を選んだのはアンチ自身。
自分の人生は自分しか責任が取れない。
自分の人生の選択は自分のせい。
そういう生き方を選んだのは自分。
不倫、愛人、マリファナの妄想で一生を過ごすのは、
アンチの責任。
心は自由