X



トップページ心と宗教
1002コメント471KB

+++旧・新約聖書をディープに考察するスレ+++ 第2章 [無断転載禁止]©2ch.net

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0399老クリスチャン
垢版 |
2017/08/12(土) 10:52:56.70ID:pgIzxQ2p
特別寄稿
(2014年 8月10日 年間第19主日)「聖書の学び」 から

「イエスはすぐ彼らに話しかけられた。 “安心しなさい。 わたしだ。 恐れることはない。”」(マタ 14:27)

福音書には二つの海の奇跡が記録されていますが(もう一つは マタ 8:23-27)、それらは旧約聖書を背景としてのみ理解出来るものであって、単なる驚異物語りのようなものではありません。
弟子たちが “幽霊だと言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた” のは正しくなかったということが、あえて強調して語られているのはそのためです。

“わたしだ”(ἐγώ εἰμι)は神顕現に用いられる用語で、“わたしはある”(出 3:14)、“わたしは ・・・ である”(ヨハ 6:35, 8:12 他)などという形で使われています。
旧約聖書では、自然の主である神の威光がしばしば海の嵐、波を支配する力として(詩 107:23-30)、更には天地創造のときに海の怪物であるラハブを砕かれたという創造物語りにおける神話的象徴として(詩 89:10-11/フランシスコ会訳の注5参照)描かれています。
福音書が海の奇跡をこれらの詩編に結びつけて理解し、湖の上を歩いて来られるイエスがだれであるかをそこで知った神顕現の物語りとして、代々の教会の信者のカテケージスのために語り伝えたメッセージを、現代の信者である私たちは読み取らなければなりません。

ペトロのように “主よ、助けてください”(マタ 14:30)と叫ぶのではなくて、現代のキリスト者と教会が自らの社会的・政治的能力と権利を駆使して世界に対する責任を果たすという考えの方が、今日における大勢であるように見受けられます。
しかし、それは無謀にも水の上を歩こうとしたペトロの二の舞であるように、私には思えるのです。
湖の上を歩いて来られる主イエスへの、「本当に、あなたは神の子です」(マタ 14:33)という信仰宣言は、現代にはもはや通用しないただの昔話になってしまったのでしょうか。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
0400老クリスチャン
垢版 |
2017/08/12(土) 11:16:59.51ID:pgIzxQ2p
>>398
典型的な Fundamentalism の聖書観ですね。

私の神学的背景は、これとはかなり異なっています。
(私は聖書神学専攻の神学修士で、日本旧約学会の会員です。)
最近、ときどき書き込ませていただいていますが、
聖書に対する立場には 「いろいろある」 ことを知っていただくの、
益になると思います。

関心のある方は、下記の中にある 「聖書と信仰、こぼれ話」 を
お読みいただければ嬉しいです。
http://www.kuwaei2000.com/2ch.html
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況