聖書は誤り無き神の御言葉 [無断転載禁止]©2ch.net
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国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなりとか付け加えられたり削られたりしてるよ?
黙示録には御言葉に付け加えるものは聖書に書いてある災いがそのものに加えられる。御言葉から除くものは命の書からその名が除かれるって書いてあるにも限らずね。
時のクリスチャンが横暴を極めていた時期もあるらしいじゃないか?
プロテスタントがカトリックを虐殺したっていうこともあったんじゃなかったっけ?
聖書を信じるんじゃなくて実際に今も生きておられるまことの神を信じろよ。
平和を愛しておられる本当の神様をよ。
聖書なんて所詮人が書いた書物に過ぎないとも言えるよね?
いくらでも時の権力者とか悪い自分勝手なクリスチャンに書き換えられた可能性もあるよね?
聖書を鵜呑みにして狂信的になったクリスチャンの横暴は諸悪の根元のひとつだと思うよ? 旧約聖書はユダヤ人の都合のいいように書かれているという人がいるけど
あれだけの失敗談が書かれているのはどう見ても都合がいいとは思えない
あとは律法かな。民族を治める為に必要なものもあるけど、
『これって必要?』っていう面倒くさいものがたくさんあって
神の命令でないのなら何を理由にこんなものをつくったのかという疑問が残る >聖書を鵜呑みにして狂信的になったクリスチャンの横暴は諸悪の根元のひとつ
聖書を鵜呑みではなくてただ単に解釈を間違っているだけでしょう。
横暴をする時点で聖書を理解していないし、クリスチャンを名乗ってほしくない 俺は例えるなら聖書は包丁みたいなものだと思ってる。
本来料理を作るためのものなのだが、人を刺して殺すことも出来るよね?
たとえばこの包丁は絶対だ!って言ってる人がいたら危なっかしくて近づきたくない。
それが俺の本音だよ。例えだけどそんな感覚。
刃物を取り扱うときは慎重に安全第一でしてほしい。
聖書を読むときは鵜呑みにせず慎重に読んでほしい。もちろん間違った解釈もしてほしくない。
自分勝手な解釈をしてはならないって書いてあるとおりだね。 >>5
仰る通り。
イスラエルの民が異教の民と戦争したからといって
それを現代の我々に適用するのは明らかに自分勝手な解釈だね >>6そうかな?イスラエルの民じゃなくても比較的現代でプロテスタントがカトリックを虐殺したとかあるじゃん?
そもそも君の言い方も相手を言い負かそうっていう論法だよ?
議論をしたいのであって論争をしたいんじゃないんだよ。
俺も聖書の言葉に助けられたりしたけどさ。
だからといって怠け者はちょうつがいのように寝返りをうつだの
まるで寝返りをうつのが悪いような書き方してるけど医学的に寝返りをうつのは
必要なことであってとか思うし。
要するに聖書を絶対視しすぎるのは俺は危ないと思うって言ってるんだよ。 プロテスタントが殺しただけじゃなくてカトリックも殺してるみたいだね。
同じクリスチャンなのに戦争が起きるなんて馬鹿げてると思うよ。
同じ神を信じてるはずなのに だから結局イエス様が言われてるように
「真実はあなたがたを自由にする」だと思う。
俺は聖書が100%間違ってるって言いたいんじゃないんだ。
聖書の中には大切なことも書かれてると思う。
けど女は教会で喋っちゃいけないだの
ほんとに守ってるクリスチャンの人とかいるの?
守ってたとしてもそれこそ文字に仕えるのではなく
霊に仕えることが大事だって聖書に書いてあるじゃん。
それっていうのはすなわち
人間の書いた文字に従うのではなくて
今も生きておられる本当の神様に従うって事だと思うよ。
聖書があって神様が生まれたんじゃなくて
神様があって聖書が生まれたんだから 桜桜
弥生の空は
見渡す限り
霞か雲か
匂いぞいずる
いざやいざや
見にゆかん >イスラエルの民じゃなくても比較的現代でプロテスタントがカトリックを虐殺したとかあるじゃん?
聖書に記されているイスラエルの民を例として
それを神の意思と勘違いして現代においても戦争するのは間違い、
っていう意味でもちろん過去にクリスチャンが人を殺したことも間違っている
と思うよ >そもそも君の言い方も相手を言い負かそうっていう論法だよ?
>議論をしたいのであって論争をしたいんじゃないんだよ。
自分はただ>>5の意見に賛成しただけなんだけど
議論も論争も変わらないと思うけどね。
君も同じじゃないかな、相手を言い負かそうっていう言い方 >聖書を絶対視しすぎるのは俺は危ないと思う
それはそれであなたの意見として尊重します
私は弱い人間なので、聖書が絶対でない、神の言葉でない、のなら
一体何を信じればいいのか。
聖書を部分的に信じるということはできない
私は100%神の言葉と信じています。
問題はどう解釈して適用するのか、と思ってるので
しかし矛盾するようですが私は教会にはもう何年も行ってないです 宗教は奴隷術で
聖書も時代の闇為政者に書き直されまくってる
奴隷化して拷問されようが身内を虐殺されても思し召しだ試練だ有難いと思えとか
思わないと事故や病や災害でさらに殺すぞという脅迫を回りくどくかいてるだけ >>12あ、ごめん。そういう意味か。
てっきり僕が自分勝手な解釈してるって言われてると思ってしまいました。
すみません。誤解でした。 訳しかたによって微妙に意味が変わってきたりもするし、
聖書を読むときもある種のメディアリテラシーみたいなものが必要だと思う。
聖書を読むときも本当に正しい信仰がそれを支えると思う。
聖書を神様の書物だという信仰を否定する意味で俺は言ってるんじゃなくて、
もちろん聖書を神様の書物だという信仰をもって読むのは尊重されるべきだと思う。
だけどスレタイみたいに言われると大丈夫かな?って思ってしまうっていう 僕も最近教会に行ってないよ。
でもイエスの弟子の言葉に、怠らず礼拝に参加しなさいって書いてある。
でもだからといって俺には俺の信仰があるから教会に行くことだけじゃなくて自分の家でお祈りすることも立派な礼拝だと思うから。
聖書が間違ってるって言ってるんじゃなくて、君と一致してるところは聖書を読むときは自分勝手な解釈をせずに慎重にっていう事だと思う。 お家に簡易の祭壇を拵えて、
お祈りを続ける生活は素敵ですよね。 >>15
どういたしまして、こちらこそ申し訳ありません
聖書の解釈と同じく、ネットでの書き込みは真意が伝わらないことが多く
文字だけのコミュニケーションは難しいね。
私も誤解を与え、すみませんでした >俺には俺の信仰があるから教会に行くことだけじゃなくて
自分の家でお祈りすることも立派な礼拝だと思うから
イエスは取税人や娼婦、罪人と食事を共にされました
ぶどう酒を飲みながらね
教会に行って礼拝して奉仕できればより良いのかもしれないけど
主は外面や行いには捉われず心を見てくださいます 感じの良いスレの流れ(歩み寄り〜修復)に感動しました
聖書の大好きな知り合いが何人かいましたが
「旧約聖書の物語に見られる理不尽さ・性懲りの無さは
『にもかかわらず』と捉える読み方が大切」
と教えてくれた恩師の言葉が最も心に残ってます
自分は非信者ですが、信仰を通して人間陶冶する姿は
素晴らしいし羨ましくもあります >>22
非信者でも聖書を読んでる人は結構いますね
最低限の知識や教養として読んでおきたいという方も
宗教が世界を動かしていると言っても過言ではないと思うのですが
日本人は無関心なんですよね・・
是非、今後も「信仰」に興味を持って頂ければ 不謹慎かもしれないけど俺の場合感覚的に旧約聖書の方が話が入ってきやすい気がする。
理性的というかやっぱり偉大な預言者たちが書いた書物だからか、話の落ちが理解できるというか納得できるというか。
新約聖書はときに感情的な書き方な気がする。
ヒステリックというか、やっぱり新約聖書は無学な弟子たちが書いた書物だからかな?
あくまでも俺の率直な意見だけどね。
聖書を読むときは旧約も新約も両方読んだ方が理解が深まると思う。
新約には旧約からの引用がたくさんあるから。
旧約の神は滅ぼす恐ろしい神だと思われがちだけど実はそうでもなくて
旧約にも悪人が悪の道から離れ正しい道を歩むことを主は喜ぶのであって、
ただ悪人が悪ゆえに滅びるのを主は喜ばないって書いてある。
これは旧約新約共通のテーマだと思う。
正しい人が救われて悪人が滅びるで終わってたら、当たり前の事じゃん?
で終わっちゃうけど悪人もちゃんと改心して悪さをやめて良いこと正しい事をするなら救われるっていうのが聖書が教えてくれる素敵なテーマだと思う。 >>24
旧約聖書のほうが、っていうのは何となく私も思うところはあります。
神の言葉、っていう感じがします。
旧約の神 = 恐ろしい神
この辺りは日本語の訳し方のニュアンスで変わってくるかしれませんね〜
もっと優しい雰囲気の言葉づかいに訳してもらえれば(笑)
私が新約聖書で『神の言葉』を感じる箇所はヨハネの福音書の冒頭部分です。
ここは新共同訳よりも新改訳がいいと思います。
何回読んでも鳥肌が立ちます、ちょっと大袈裟ですか(^^;) 今日、教会に指導を求める人たちはたいてい、聖職にある者が政治綱領を示してくれることを求めているのである。
だが、これは愚かなことである。聖職者というのは、教会全体の中にある特種の人びと、つまり、
永遠に生きる者としてのわれわれに深いかかわりをもつ事柄について、われわれの面倒を見るために、
特に訓練され特に選ばれた人たちなのである。その彼らに政治綱領などを求めるのは、
そのための専門的訓練を受けていない、全く別の仕事を彼らにやらせようということなのだ。
そういう仕事は、実は、われわれ信徒がやるべきものなのである。
C・S・ルイス 『キリスト教の真髄』 >>25大げさだとは思わないよ。
人それぞれ感性があるんだから。 今日、教会に指導を求める人たちはたいてい、聖職にある者が政治綱領を示してくれることを求めているのである。
だが、これは愚かなことである。聖職者というのは、教会全体の中にある特種の人びと、つまり、
永遠に生きる者としてのわれわれに深いかかわりをもつ事柄について、われわれの面倒を見るために、
特に訓練され特に選ばれた人たちなのである。その彼らに政治綱領などを求めるのは、
そのための専門的訓練を受けていない、全く別の仕事を彼らにやらせようということなのだ。
そういう仕事は、実は、われわれ信徒がやるべきものなのである。
C・S・ルイス 『キリスト教の真髄』 聖書のすごいところは著者が何人もいるのに共通性や統一性があるところかな
一部矛盾しているところもあるけれど 神は愛である
愛は妬まない
なのに旧約には「私は妬む神である」って書いてある。
これはもしかしたら翻訳の仕方による矛盾か
それともガソリンは油だけど油はガソリンだけとは限らないって法則から生じることなのか
まあなんにせよ、矛盾してると思うことが書いてあっても投げ出さないことが
大切なんだなとか思う。 主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみ月は血に変わるだろう
そのとき、恵みの主イエスキリストの名を呼び求める者はみな
救われるであろう >>32自分にレスするけど愛は妬まないであって神は妬まないとはヨハネさんは言ってないってことだと思う。
本来俺たちに望まれる愛の姿をあの箇所でヨハネさんは述べたのであって
神は強く恐るべき方でときにねたまれることもあるって考えるのが自然かな
でも神様は愛であって、すなわち慈しみ深い方であるとも言えるっていう話だね
ただたんに恐ろしいねたむ神様ではなくて苦しんでる人や貧しい人
はたまた人間だけじゃなくて動物たち自然も全て愛しておられる方
っていうことだね
神様がねたむことがあったとしてもそれには必ず理由があって
その人のためにねたむというか
そもそもねたむっていう表現が合ってるかどうかもわからないけど
神様がねたむとしてもそれも愛から来る御心から来るねたみってことなんだな
なんかわかったかも >>8
日本人も神道の名の下に戦争して虐殺したし、仏教徒もイスラム教徒もヒンズー教徒だってそう
宗教してても戦争に参加する時点でみんなクズだよ
本当に宗教するなら自分が殺されてでも殺生してはいけない
そう考えると、いつの時代でもどこの国でも絶対に戦争に参加しなかった宗教があればそれは評価できる
そんな宗教があれば…の話だけど
因みに神が「妬む」と表現されているのは、全き専心を求めておられるという意味
創造者としてのご自分の権威を認めず偽りの神に仕える人々に対して憤りを感じられるという意味で用いられているヘブライ語の原語を訳した形だよ 新興宗教系プロテスタント教会では、聖書の交読は
ないのが多いのですか?
(引用)
新興宗教の歌「『教会福音讃美歌』という新しい讃美歌集について疑問に思ったこと」
http://kanai.hatenablog.jp/entry/2012/10/11/162825
交読文が無いのはなぜか?
これを使う教会では聖書を使って交読をしているのか? それには不都合は無いのか? あるいは礼拝の中で詩篇等の交読をしなくなっているのか? >>35レスありがとうございます。
>>25今俺が聖書読んでて感動したのは
「私が喜ぶのは憐れみであっていけにえではない」ってとこ
なんか心が照らされた気分だよ さらには、自分の惨めったらしい現状を中川泰秀というのである
つまり、第三者は、
まこと=中川泰秀
と言うのである
そういえば、古来より、まことと中川泰秀のホストは、時々一致していた
このとき、
まこと=中川泰秀
ということを確信した 『カラー新聖書ガイドブック』
金が無いのに買ってしまった
アマゾンなど在庫がなかったんだけど
偶々行った本屋にあったので
でも買ってよかった。見ていて楽しい 宗教は奴隷術だ
歪んだ支配欲が暴走した糞が裏にいる
人間は箱庭ゲーのNPCのような感覚で殺傷されてる >>42
そんなこと言ってるおまえが歪んだ何かの奴隷になってる 批判のために、わざわざここ来る人に
神の恵みは理解できんよ。ほっとけ 「愛は妬まない」←この意味って「愛(を持つ者)は妬まない」もしくは
「愛(を知る者)は妬まない」このうち、どっちなの? 愛は妬まない =イエスは(敵を)妬まない
神の子イエスはあらゆる人間から妬まれた。
自分が裏切られても相手を裏切ってはならない、の精神は
ユダがイエスを裏切る場面でイエスが実践している。
裏切りを予言していたイエスだが、
時の流れに抗うことなく死を受け入れた。
火あぶりにされたジャンヌダルクも同じ。
自分が死のうが 神は裏切り者に
天罰を下すはずだと御言葉を信じていた。
愛は憎むべき、敵にこそ向けられなければならない。
愛は妬まないの解釈の仕方は、人それぞれだが
愛を知り愛を持つ者は、敵から受ける妬みをも優しく包み込むことが出来る存在である
という教えではないか。 生きた血は食べるなって書いてあるけど
菜食主義になりなさいとは書いてないんだよな
食に関することで戒めって特に無いよね
〜〜は食べてよいって書いてあるけど キリストの血は葡萄酒
キリストの肉はパン
聖書では、神が創造した動物の肉を食べるのは
よしと言ってるね。
キリストがあえて自分自身を食い物に
たとえたのは、キリスト信者がキリストを食うことで
、めぐみに預かることが出来るからだ
と諭しているから
らしいよ。 奄美開闢の女神・アマミキョを騙り続けた毒婦、野崎梨乃がまた、暴走し始めました。
主より直々に「最終通告」が為されたにも関わらず、この有様です。
心ある会員の皆様に於かれましては、どうか、鹿児島南支部への電凸をお願いします。
悪魔・野崎梨乃を封印しましょう。
いざ、鹿児島南支部へ電凸を!!
おい、みんなぁぁぁぁ
鹿児島南支部へ電凸じゃぁぁぁぁぁ
〒891-0114
鹿児島県鹿児島市小松原2丁目1-12 サカキビル
Tel: 099-263-6671 Fax: 099-263-6672
野崎・携帯:090‐3070‐5437
http://map.happy-science.jp/?m=search&t=branch&k=406 以下の質問を問いたい
1.アダムとイヴだけが先祖だとするとDNA上はみんなが親族になる
2.聖書から計算すると地球の歴史は4000年。恐竜はどうなる
3.天動説と地動説は?、どうなる
4.バベルの塔と宇宙飛行との関係
以上 >>51
地球の歴史は現在6千年では?
メシアの千年王国と合わせて7千年で全てが成就するという考え方だったと思います >>52
ニュートンの計算では4000年
それはエホバの計算でしょう
各宗教は各宗教として、自分の信じているところを守っていけばいい。
事実と違っても訓示として。
食の問題でも、植物は生きているのに殺して食べていいのか、という問題もあります。
ベジタリアンの弱点です。しかし、それを信じていればいいのです。
仏教でも殺生は禁じています。でも殺された動物は食べられてしまいます。
たとえ、間違っているとしても。 この質問はどうなりました。
以下の質問をクリスチャンに問いたい(バージョンアップ)
1.アダムとイヴだけが先祖だとするとDNA上はみんなが親族になる(近親相姦)
2.聖書から計算すると地球の歴史は4000年。実際には46億年らいし。地球の歴史、恐竜の研究者にはクリスチャンもいる)
3.天動説と地動説は?、どうなる(ローマ法王が謝罪しただけで、聖書に書いてある?)
4.バベルの塔と宇宙飛行との関係(言語ではなく高さについて)
5.地球は平らではなく、明らかに球体である
6.聖書がベストセラーなのは、グーテンベルグの印刷機発明当時から、大量印刷していたから
7.今度の氷河期を生き延びる方法を預言して欲しい→私には答えがでている
以上 今年の 「聖書講義」 に、<2016-3> を追加しました。
http://www.kuwaei2000.com/Study/2016/2016.html
特にプロテスタントの方々は、かなり抵抗感を持たれると思いますが、
2.カトリック教会の形成
で私が述べている問題提起について、ぜひ皆様の異論・反論を聞かせていただければ幸いです。 四八方の宗派、バラバラの霊媒師達が裏でさんざん言ってるし、ダビンチコードの裏解説書にさえもあったように
キリストは自分の言動が悪くてそうなった上に磔などなっていません。
影武者おいて昔のドリフのヒゲダンスのように「はいちゃらバ〜イ」とトンズラしています。
それに阪神の地震はキリストが起こしています。後から表面上は自分の所へ勧誘するためだったのです。
昔からこいつは他、人にひどく苦労、働かせておいて自分のやった手柄にしたりなどと、このようにズル悪行
大量不正殺人を繰り返してきています。その上常にごまかしてきました、親の七光りで。
そしてロリコンでもあり、幼児にいたずらもした説もあります。
いつぞやキリストの顔の絵を画家が修復失敗して、原始ボノボみたくなってるのが話題を呼びましたが、
あれがむしろ正しかったのですwwもっと言えばフクロウのクソような悪霊です。
ヤーウエもキリストもミカエルもマリアも神仏界では長くひどい罪業がばれてもはや抹消対象となっています。
逆にガブリエルは本当に精進しているし、転生体だったジャンヌダルクはキリストと同じく「なかった」などという
でっち上げ本が出てますが誤りで、本当にみなのために犠牲を払って火あぶりにまでなっています。
だから、教会は今後キリスト、マリアやミカエルなどでもなくそれらは排除し、
それも偽者ではなく(ジュブナイルでもない)本物のガブリエル神を祈るべきです。
さらには、ガブリエルの転生体はもっとも崇め祈るべきです。
キリストが憑依してたやつがいたが、案の定ずるばかりやり他のひどく邪魔をして全てばれて最後はエイズになっています。
そんな奴を祈っていてはいけません。 >>25
ヨハネ、いいね。
改めて四福音書の冒頭を確認してみるとやはりヨハネが最も味がある。
マタイは新約聖書の先頭を飾るのにはちょっと趣がないなあ(笑)
ヨハネ1:1〜5
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、
この方によらずにできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。 聖書の言葉じゃないけど、この祈りも好き。
平和を求める祈り
神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。 >>54俺たちも全知全能の神じゃないから、わからんことはわからんよ。
ただ神を信じてるってだけで俺たちが聖書の全てを把握してるわけではない。
ほんとに知りたいなら2chなんかで質問してないで大学の聖書学者にでも聞けばいいさ。
それでもきっと仮説程度の意見しか聞けないだろうけどね。
俺は聖書に生き方とかあり方を求めて読んでいるのであって、
この世の全てを知りたいと思って読んではいないよ。
クリスチャンが全てのことを何でも知ってるわけではないよ。 >>7自分に対してレスするけど
「怠け者はちょうつがいのように寝返りをうつ」
っていう言葉の意味は例えであって
怠け者はひとつのことを継続して続けるのを知らない。
ちょっとうまくいかなかったりするだけで他の方法に鞍替えしてしまう。
ひとつの仕事が長続きしないで、すぐにコロコロ仕事を変えてしまうとか
そういう様子をちょうつがいのように寝返りをうつっていう表現したんだな
とか思った。
聖書の表現って例えが多いから、俺はそのへん気をつけて読まないといけないな。 神は悪である
やつは人と生き物を苦しめるためにこの世界をつくって閉じ込めた
どんなに嘆き、訴え、懇願してもガン無視して数千年放置し続けているのが何よりの証拠 聖書の通り、生きている人間はいない
神の言葉はいいが、実践できなくてどうする
例
牧師、神父による男児への性的暴行 聖書に書かれているような清く正しい生活を
全ての人が1人残らず行えば世界は平和になると思うよ。
少なくとも今よりはね。 あと別に牧師が全員虐待してるわけじゃないし、
まじめな牧師さんもいるよ。
それに神様は俺たちに苦しみだけじゃなくて、
希望とか喜びも与えてくれたと思うんだけど?
結局は人間次第なのさ。
神様が動物を苦しめたり子供を虐待してるんじゃなくて
人間が自然破壊とか虐待をしてるわけ。
神様のせいにしてるのは責任転嫁もはなはだしいよ。 今年の 「聖書講義」 <2016-3> に、
4.初期カトリシズム
5.ユーカリスト(聖餐)の起源
を追加しました。
http://www.kuwaei2000.com/Study/2016/2016.html
この小論によって皆様が、教会の "生きた体験的な信仰の遺産" への理解を持ってくださることを期待します。
2ch の似非知識人たちが、聖書から機械的に読み取った記述に基づいて、"これが本来の方式だ" "これが正しい聖餐の意味だ" などと新奇な主張をしていることへの、健全な批判力を養うために ・ ・ ・ ・ ・ 神が人間を見てたり聞いてたりするのはどうでもいいからさ
無視すんなつってんの!
神が直でひとりひとりの疑問に答えれば何の問題もないだろ
なぜそれをやらないの
全能とかいっといて実は無能か? 2001年(主日C年) 7月1日 年間第13主日
王上 19:16b,19〜21 ガラ 5:1,13〜18 ルカ 9:51〜62
主イエスが御自分の受難のために、エルサレムへと向かう決意を固められたときの二つの物語りが朗読されました。
ルカ福音書はこれらの物語りを、紀元前9世紀の北イスラエルの預言者であったエリヤとエリシャの思い出と重ね合せて語っています。
エクロンの神バアル・ゼブブの助けを求めようとしたアハズヤ王の使者の一群の前に姿を現したエリヤは、天からの火によって彼らを焼き滅ぼしたと伝えられています(王下 1章)。
エルサレムへ向かうイエスを歓迎しようとしなかったサマリアの人々も、天からの火によって焼き滅ぼされるべきだったのでしょうか。
「イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った。」(ルカ vv.55-56)
神の裁きの日は将来に待つべきであって、今は主イエスは神の国のための受難に向かってまっしぐらに進んで行かねばなりませんでした。
そして弟子たちに求められていたのは、ひたすらその主に従って行くことでありました。
最後にルカ福音書は、預言者エリシャの召命の物語りを明らかに思い起こさせる第三の譬え話を語っています。
ここでの主イエスの言葉は、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」 であります。
エリヤの後継者エリシャが預言者としての召しを受けたとき、エリシャは自分の家に帰って父母に別れの挨拶をしました。
また同郷の人々のために別れの饗宴を催しました。 この記憶はルカ福音書の主張と対立するのでしょうか。
私たちはそう考えるべきではないと思います。 むしろルカ福音書は表面上の行動のあれこれにではなくて、主に従う者の心構えや姿勢の純粋さについて訴えているのです。
主イエス・キリストに従って行くという信仰生活は、決して表面的な行動の形式の問題ではなくて、それよりもエリシャの示した預言者としての召しへの徹底した献身にこそ、学ばなければならないものなのです。
ルカ福音書は今朝の二つの物語りをそのように読み、そのように理解することを私たちに求めているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>67おまえは自分の問題も自分で解決できない赤子か?
神様が起こした問題があるとすれば神様はその問題を直ちに解決されるだろう。
だけど今世の中で起きてる問題はほとんどが人間の問題だ。
神様は親のように俺たち人間が起こした問題を人間がどう解決するか
見守ってるんだよ。
それにもし人間が1人残らず正しい祈りを正しい神にすれば全ての問題は解決するだろうよ。 2010年(主日C年) 6月27日 年間第13主日
王上 19:16b,19-21 ガラ 5:1,13-18 ルカ 9:51〜62
「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。」(ルカ v.62)
この聖書の言葉から、これまでどれほど多くの人々が感動を受け、私生活や事業のための指針を得て来たことでしょうか。
その人にとって、目標や目的が明確であり、それに向かって進む励ましを得たことを感謝しているのであれば、それは素晴らしいことです。
しかし、キリスト者として聖書に耳を傾けることは、そこから神のことば (福音 ! ) を聞くためであることを、私たちは決して忘れてはなりません。
実際、多くの人々が聖書から、神のことばではなくて、人生の指針や教訓のようなものを読み取って、 ・・・・・ それはしばしば見当外れなものでした ・・・・・ 、しかもそれに固執して "いっぱしの主義や主張" を唱えて来ました。
そのような中には、狂信的なキリスト教原理主義も含まれています。
"キリストに従う"、"キリストに服従する" という主張が、かけ声としては立派に聞こえても、もしその意味内容が不明確であるなら、それは "肉に従って生きる"(ロマ 8:12-13) ことでしかありません。
"自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、従いなさい"(ルカ 9:23) という呼びかけも、"単なる覚悟" だけで、自分の十字架を背負うことの意味が正しく理解されていないなら、キリストにあってはただの "損失"(フィリ 3:7-8) なのです。
"福音理解" が不明確で、"信仰の中身" が曖昧なままで、しかし党派心にかけては人一倍強いというのが俗人の常であることを、ルカ vv.53-54 からも私たちは思い知らされます(ヨハ 4:20 参照)。
エキュメニズムに関する教令 24 にある、「あらゆる軽率と無謀な熱心を避けるよう勧告する」 とは、恐らくそのような意味であろうと思われます。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 神の言葉って結局なに?
道徳?哲学?生き方マニュアル?
神じゃなきゃわからんこと? 平和な、ぼんぼん、みたいなこと言ってちゃ
今の世、生きられないよ キリスト教はパウロたちの作り話だよ。
イエスが人類の罪を贖ったという証拠は何もない。
処女マリアからイエスが産まれたとか、人間イエス、それも男が
じつは神だったなどという、バカげた宗教だ。
こんな話はだれも信じないから、ローマや領主は信じない者を殺し、
信仰を強制したという暗黒史がキリスト教にくっ付いている。
キリスト教はそうやって広まったおぞましき宗教だよ。
それは神の冒涜であり、その目的は神殺しだw 北朝鮮の核や中国の埋め立て
すべて、聖書が解決してくれます
うーん、聖書って凄いな
何刷り目の聖書かな >>1さんよ、俺は>>2だが、あんたはあんたの確信を固く持つんだよ。
今の世の中宗教の自由があるから、あんたが聖書や神、イエスの言葉を信じるのは法律で守られてる。
ただ今の世の中言論の自由、表現の自由ってやつも法律で守られてる。
あんたは俺を救ってくれた。
俺たちが聖書を読むときに必要なのは慎重に、自分勝手な解釈をせずに読もうってことだ。
あんたの信仰はゆるぎない。
ただ、これ以上このスレを読んであんたの信仰が傷つくのは良くないと思うんだ。
もう、この場を離れなさい。
救いを求めている者が救われればそれで十分だ。
救われようともせず、他人の信仰を踏みにじる者たちなど気にするな。
あなたはあなたの家に帰りなさい。 >>1あなたは私という一匹の狼を救ったのだ。
この者たちもいずれ終わりの日には救われるであろう。
あなたはあなたの道を安心して行きなさい。 『宗教とは、信者に掟を守ることを約束させるのです。真理などありません。』
中杉弘のブログより。
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ 法蓮のいOかは他より高い金とって依頼した結果はほとんどださない。しかもだいぶ前から病気で結果を出してもいないのに出したと言うきちがい妄想にやられ
勝手に言ってるだけ。こんな所へ行ってはいけない。お金を病気の患者に恵んでるというよりはドブにすてるようなもん。苦情、弁償取る以外行くべきではない。
正しい神仏様(KSA)よ、サギいOかとその身内に裏切り者にかばってもらえないようにして、
いれかえ大弁償と天罰をあたえよ! 聖書は誤りが多い。 イエス・キリストの系図では福音書の14代、14代、14代と記されているけど、正確には、14、14、13代。
写本は数多くあるのに、何故気付いて修正しなかった? 「誤り」 のように見える部分について、その起源と原因をしっかり検証できるまでは、無責任な思いつきの修正をしてはいけないという健全な良心が、多くの写本製作者に共有されていたことを、私たちは感謝しなければなりません。
現代語聖書の翻訳に使う底本 (ギリシア語やヘブライ語の校訂本) を見ればわかるように、聖書学者たちは仮説に基づいて読み替えをすることはあっても、決して写本本文を訂正したりはしません。
「聖書は誤りが多い」 などと言うのは、無知な素人の放言です。 聖書が誤っていると言うのが、無知な素人の方言かどうか聖書を良く確かめて調べて下さい
貴方の聖書に対する確信というのは、逐語霊感説であると思われます
しかし、モーゼの十戒で殺してはならないと言われているのに、殺せと命じたりするのは、信者を洗脳する為に聖典と云われるものを利用しているのであって、啓示や戒律より指導者が神になっているのです
そんなのは宗教とは言えません >>85 モーゼの十戒 ・・・・・
揚げ足をとるためではありませんが、あなた以外にも昔から教会で 「モーゼ」 と 「 (おそらく) 格好をつけて」 発音する信者がいて、それを聞くたびに私はミニクイ印象を感じないではいられませんでした。
ヘブライ語では 「モーシェー」、ギリシア語では 「モーセス」 と発音します。
「モーゼ」 というのは、英語の発音です。
英語が聖書の原語だと思いこんでいる人が、昔はいたものです。
そういう人はイエスを 「ジーザス」 と発音しますが、不思議なことにペトロを 「ピーター」 とは言わないし、ヨハネを 「ジョーン」 とは呼びません。
ちなみにイエス・キリストはギリシア語では 「イエスース・クリストス」 です。
カトリック信者の中には今でもも 「イエズス」 に郷愁を感じている人がいますが、イエズス・キリストでは中途半端であって、それなら 「イエズス・キリストス」 とでも呼ばないとおかしいのです。 モーゼという表記はバルバロ訳で読んだ覚えがあるのですが、かなり前の事なので、よく思い出せません。
詳しい人から、その訳の本は良いよと薦められました。
しかし、神父からも牧師からも、あなたは信仰がないと言われ、自分が全くイエスという人や、聖書の奇跡を信じていないと悟るに至りました。
沢山あるのですが、一つは使徒時代の伝承が継続されているのならば、今でも死者を生き返らせたり、病気を治したり、奇跡を起こすことは、出来る筈なのですが、今は聖職者も、それが出来ません。
よって、キリスト教は出鱈目だという事が分かります。 それと、ルルドのベルナデッタの奇跡も出鱈目です。 啓示を受けたという当人が、若くして病死しているのですから、巡礼しようが、ルルドの水を浴びようが、治りません。
重度の結核患者が巡礼して奇跡的に回復したという話を本で読んだのですが、結核ならば隔離されている筈なので、その話も、まるっきり嘘だと分かる。 確かに聖書は胡散臭いとか、これってほんとかな?っていうこと書いてあるよ。
俺は聖書が全て解決してくれるとは思わないよ。
神様が、本当の神様が全てを解決してくれるとは思うけどね。
それに>>1から全部読めばわかるように聖書は道具でしかなくて
結局は聖書から何を学ぶかなんだよ。
そういう意味では人間次第なんだよ。
聖書を読む人間次第なんだよ。
最初このスレでは聖書を読むときは慎重に自分勝手な解釈はせずに読もうっていう意見で一致してたんだよ。
でも結局やっぱり聖書は実際書き換えられてる可能性もあるし、
俺はそういう意味も含めて聖書を読むときは慎重に自分勝手な解釈はせずに読むべきだって思うんだよ。
聖書を胡散臭いとか危ないって思うなら読まなくていいし、読むとしたら
慎重に自分勝手な解釈はせずに読むべきだって思うよ。
スレタイだけ見たら批判したくなるだろうけど
もう実はこのスレの議題は解決してると思うんだよ。 イエスという人を私は信じてないけど、イエスの聖書を要約して述べた発言は良いと思う。
イエスは聖書を要約して、神を愛せよと隣人を自分自身のように愛せよと説いた。
聖書の部分的な分を拡大解釈して民族批判をしたり、略奪したりする思想とは、かなり視点が違う。 >>89 聖書は道具でしかなくて、結局は聖書から何を学ぶかなんだよ。
そういう意味では ・・・・・ 聖書を読む人間次第なんだよ。
プロテスタントでは 「聖書のみ」 を、カトリックでは 「聖伝と聖書」 を、"神の啓示伝達の器" であると主張しています。
第二バチカン公会議の公文書の一つ "神の啓示に関する教義憲章" はそれを、「使徒たちから伝えられたこと」 と説明しました(第二章)。
ご参考になれば ・ ・ ・ と思います。
http://www.kuwaei2000.com/2ch.html → 啓示とはなにか 聖書は基地外パウロの妄想等寄せ集め、辻褄の合わぬごちゃごちゃを、後世の狂会が都合よく編纂捏造したファンタジー本である。 確かに
聖書無くしては
現キリスト教の暴走が始まるでしょう。 ジョンレノンは殺された
聖書を全否定するつもりはないけど
やっぱりこういう事実もあるから疑心暗鬼にもなるよね
もちろん聖書には殺すな
って書いてあるからちゃんとそれこそ聖書を読んでて平和的なクリスチャンの人を否定するつもりはないよ
けど歴史を見ていけば分かるようにやっぱり実際クリスチャンは人をたくさん殺してるから
それにヨハネの黙示録みたいなハルマゲドンなんて起きてほしくないし
俺は平和を望んでるから
だから聖書を全肯定する気にもなれないよ まあ聖書には聖書の言葉は廃れないって書いてあるから聖書は間違いないって言う気持ちも分かるよ、
聖書の言葉は廃れないって言われたのはイエス様だから
聖書は誤りなき神の御言葉っていうのは要するにイエス様に対する信仰なんだな。
なるほどな。 >>93逆に聖書が無ければクリスチャンも生まれないけどね。
それにもしかしたら既にクリスチャンは暴走してるかもしれないよ?
エホバの証人なんてもうこれは明らかだけど聖書を自分達の都合の良いように
書き換えたりしてるからね。
クリスチャンじゃない人からしたらエホバの証人もクリスチャンも一緒なんだよ。
みんなはだから批判したくなるのかもしれないね。 もちろんちゃんと原文に基づいた聖書を研究してる人もいると思うよ。
でも、そもそもその原文がちゃんとしてるかどうかも分からないし
現により古い原文が見つかればそっちの方に修正されていったりするし
聖書もある種、地質学とか歴史みたいに常識が覆されたりすることもあると思う。
まあでも、聖書の核となる部分は覆らないと思うけどね
隣人を愛しなさいとか敵を愛しなさいとかあなたの神を愛しなさい
っていう聖書の大切な部分は変わらないと思う。
クリスチャンだからとか聖書がっていって毛嫌いする人もいると思うけど
クリスチャンの中には平和で本当に優しいクリスチャンの人もいるんだよ truth in true heaven,
if you are willing,
please set us free foreternity amen. 「聖書 = 神の言葉」 という表現は、たいていの場合、かなり漠然としたあやふやな意味で使われているようです。
そしてここ 2ch でも、聖書の中のあれこれの言葉を、まるで六法全書から条文を引き出すような意味で 「神の言葉」 と呼んでいる人が多いようです。
「神のことば」、「キリストの福音」、「十字架の福音」、「キリストにおける神の啓示」 等々といういろいろな概念を、ほとんどうやむやにしたままで、
やや教条的な主張として 「聖書 = 神の言葉」 と言っても、あまり意味がないと思います。
ご参考に ・・・・・
http://www.kuwaei2000.com/Essay.html → ★キリストの福音★
http://www.kuwaei2000.com/2ch.html → 啓示とはなにか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています