>>10
169 :神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 18:58:16 ID:WTtDD64l
―ちょっと仏教を勉強してみた―
仏教は約2500年前にインドにて発生。釈迦が死亡(仏滅)して後、出家者集団は個人個人が聞いた
釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。やがて弟子たちは釈迦の教えを哲学的に
まとめる方向へと傾いていった。そのうえ教団を形成するものは出家修行者たちだったので、
世の中からかけ離れた抽象的な教理を作り上げていった。それに伴って多様な説が生まれる
ことになり、死後百年頃?数百年の間に多くの学派に分裂した。(部派仏教)

釈迦の教えは本来、分かり易く単純なものだったが複雑で難解な哲学へと変化していった。
世俗から離れ閉鎖的な世界で安住している仏教教団に対して一般民衆から批判が起こった。(大乗仏教運動)

しかし大乗仏教は一般民衆が起こした運動であるため、経典にあたるものがない。
そこで彼らは経典を自分たちで作るようになった。大乗の理念に賛同した伝統仏教徒もいたらしく、
彼らを中心に経典の創作が行われていったとみられる。
経典作りはある程度伝統に基づいていたが、ほとんどが自分たちの主張を盛り込んだ
創作だった。しかも彼らの主張は必ずしも一致しておらず、グループごとに主張するところを
経典にまとめていき様々な教えの経典が作り出されていった。大乗仏教の形成過程では
ヒンズー教の影響(輪廻転生、ヒンズーの神々)も大きく他にもあらゆる宗教を
取り込んでいき、釈迦の教えから大きくかけ離れたものになっていった。
(釈迦は死後の世界に言及していない。仏教・釈迦は本来「無神論・無霊魂論」)

従って大乗仏教の経典は価値の有無はともかく釈尊の説いたものではなく、
後世に作られたものだとされた。(大乗非仏説)
大乗仏教はシルクロードを通り中国に伝えられるとまず経典の翻訳がなされる。
翻訳が終わると元本は捨てられ、やがて翻訳者の思想が入り込んだ漢訳のみが世に出回った。
そのため翻訳した人物の思想が後の仏教に大きな影響を与えることになる。
そして日本に伝わったのはこの大乗仏教のほう。