そもそも仏教は無神論だよね? [無断転載禁止]©2ch.net
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ここの板では当たり前のことだと思うけど、それを主張する専用のスレないぽいので。
反ヒンドゥー、反カーストがその起源であり輪廻は縁起や因果、業であると説く。
脱洗脳も一つの目的。
心理学と自己啓発、コミュニケーション術を他の宗教者に対し方便を混じえて説いてきた。
自然崇拝に近いものはある。 原始仏典には神(deva,天)たちについての記述が無数にあるよ? >>2
原始仏教に近づくほど、周囲の環境はヒンドゥー教に洗脳された人民に溢れている。
対話によって説いていく中で、方便が用いられた。
相手に合わせて説く方便は神の捉え方から入ったということ。 >>1>>3
ヒンドゥー教ヒンドゥー教って、それもしかして「バラモン教」のことですか?
仏陀在世時にヒンドゥー教は成立していませんよ。
仏陀の説話をも創作し、仏教的要素も取り入れつつ、アンチ仏教の新宗教として、バラモン教が再編成されて成立したのがヒンドゥー教。
仏教は多神教である、ただし神々は崇敬しつつも至高の存在とまでは考えていない、ということは言えると思います。
唯一神を絶対視している連中は仏教を有神論と呼ぶことに一種の心理的抵抗があるのは想像に難くありません。
しかし現にあれだけ○○天、□□明王、などを祀っているのに「無神論」と称するのは、客観的に言っていかにも無理でしょう。 >>4
そうそう正確にはバラモン教か。
釈迦ブッダは神仏を祀ってないよ。 >>5
仏教では、仏陀と神々の地位がそんじょそこらの宗教とは逆転しています。
「梵天勧請」のくだりやサンユッタ・ニカーヤの記述を見ると、神が人である仏陀に最敬礼しています。
仏陀が神々を祀るのではなく、神々が仏陀を崇めたてまつる。
バラモン教で礼拝されていた神々は、仏教では護法神となって仏法を守護したてまつる。
これが仏教における神のあり方です。
もちろん、釈尊ならざる一般の仏教徒は護法の神々を自分たちより崇高な存在として崇めますが。 >>6
それは神を崇める人達が仏陀を解釈した結果伝えられた教えです。
それで何を伝えたいのか?というところを読み解けば、
神がいるかいないかは問題にしていないこたがわかります。 自己の、戒めに他の 概念を組み込ませないというスタンス
は、無神論というイメージになる。生きる修行に他の
委ねるという、意味あいがぬるま湯と化しては意味がない。 >>8
言葉が難しいですね。
具体的に噛み砕いて仰っていただけると助かります。 >>10
169 :神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 18:58:16 ID:WTtDD64l
―ちょっと仏教を勉強してみた―
仏教は約2500年前にインドにて発生。釈迦が死亡(仏滅)して後、出家者集団は個人個人が聞いた
釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。やがて弟子たちは釈迦の教えを哲学的に
まとめる方向へと傾いていった。そのうえ教団を形成するものは出家修行者たちだったので、
世の中からかけ離れた抽象的な教理を作り上げていった。それに伴って多様な説が生まれる
ことになり、死後百年頃?数百年の間に多くの学派に分裂した。(部派仏教)
釈迦の教えは本来、分かり易く単純なものだったが複雑で難解な哲学へと変化していった。
世俗から離れ閉鎖的な世界で安住している仏教教団に対して一般民衆から批判が起こった。(大乗仏教運動)
しかし大乗仏教は一般民衆が起こした運動であるため、経典にあたるものがない。
そこで彼らは経典を自分たちで作るようになった。大乗の理念に賛同した伝統仏教徒もいたらしく、
彼らを中心に経典の創作が行われていったとみられる。
経典作りはある程度伝統に基づいていたが、ほとんどが自分たちの主張を盛り込んだ
創作だった。しかも彼らの主張は必ずしも一致しておらず、グループごとに主張するところを
経典にまとめていき様々な教えの経典が作り出されていった。大乗仏教の形成過程では
ヒンズー教の影響(輪廻転生、ヒンズーの神々)も大きく他にもあらゆる宗教を
取り込んでいき、釈迦の教えから大きくかけ離れたものになっていった。
(釈迦は死後の世界に言及していない。仏教・釈迦は本来「無神論・無霊魂論」)
従って大乗仏教の経典は価値の有無はともかく釈尊の説いたものではなく、
後世に作られたものだとされた。(大乗非仏説)
大乗仏教はシルクロードを通り中国に伝えられるとまず経典の翻訳がなされる。
翻訳が終わると元本は捨てられ、やがて翻訳者の思想が入り込んだ漢訳のみが世に出回った。
そのため翻訳した人物の思想が後の仏教に大きな影響を与えることになる。
そして日本に伝わったのはこの大乗仏教のほう。 無神論というか、生じて滅しないものはない。
「神」が生じて滅しないものであるというならば、それは無い。
生じて滅するような「神」なら仮設としてはありえる。 >>12
諸行無常の前に空の方が上位なので、仏教という主張として矛盾してると感じませんか。 >>11
こういう所謂「仏教史」というのは、学者の見解。
こうした連中とその追従が言う「本当の釈迦の教え」は、機械論的唯物論をベースにしているので、「宗教」ではない。
これは、ちょうどバカカルトやスピリチュアルなどの言う「本当の仏教」と対をなす戯論に過ぎない。
(^。^)てか、世の中「これが本当!」とか言い張る連中ってのは、だいたいアレ。(笑)
黙ってても世間に認められるくらいの本家本元なら、そんな必死にアピールする必要ないからね。(笑) 宗教じゃないとダメだという根拠も示していただきたいですね。 仏典にはいくらでも神や神のような存在が登場するお釈迦様の話がのってるよ。 >>17
仏典の言わんとすることを鵜呑みにするか、学んで行き着く先に神が存在しないことに気付くか、
それはあなた次第ですが、何のために方便品が伝えられたと思いますか? >>18
スマホだからなのか何なのか、読めません。 >>16
「○○して頂きたいですね。」
(^。^)お断りですね。(笑) >>20
仏教への影響
浄土真宗の開祖・親鸞が熱心に学んだと言われる『世尊布施論』(西本願寺所蔵)は、キリストの山上の垂訓じゃ。
また、彼が信じておった阿弥陀仏の教義は、キリスト教に起因していると言われておる。
弘法大師・空海も中国で景教(ネストリウス派キリスト教)から少なからぬ影響を受けておるようじゃ。
日本に伝えられた仏教は、大乗仏教と呼ばれるものじゃが、もともと仏教では、釈迦は単に数百年前に現われた尊師にすぎんかった。
ところが、突然、釈迦は永遠の昔からの救い主となってしまったのじゃ。
インドの高名な宗教学者アーマンド・シャー博士は、「キリストの使徒トマスの福音に対抗して、釈迦を聖人から救い主に昇格させたのが大乗仏教である。」と言っておる。
当時、キリストの十二弟子の一人トマスが来て伝道したことにより、インドでもキリストを信じる者が多く起こされていった。
このことに危機感を抱いた仏教徒が、トマスの語る「永遠の救い主、キリスト」に対抗して、釈迦を「永遠の救い主」に昇格させたというのじゃ。
つまり、釈迦を神格化する考え方は、キリスト教の真似に過ぎんということじゃ。
また同じように、初期の仏教には死後のさばきも祝福もなく、たださとりとあきらめがあったのじゃが、これでは希望がないのでキリスト教の来世観が取り入れられたということじゃ。
確かに仏教は日本人の生活に深く結び付いておるじゃろう。しかし、日本人が大乗仏教の中に求めていたものは、実はイエス・キリストの中にこそあったんじゃな。
じゃから、日本人は聖書やキリストの話に対して、「うちは仏教だから」とぶっきょう(仏頂)面せんでも大丈夫っということじゃ。
http://reocities.com/heartland/lane/7662/nihon/bukkyo.htm >>21
なるほど、一番の戯言をありがとうございました。 >>22
日本に伝わる仏教の教えのうち、「信じるものは救われる」という宗教的思想を考えると、
あながち的はずれではない様に思いました。
とはいえ「信じるものは救われる」という思想は心の生活保護の様なもの。
使い方次第、最後の拠り所として機能するのは悪くないがそこが全てではないし悪用され易い。
歴史も宗教観もそれ自体に意味は無く、エッセンスを読み取ることが大切。
またエッセンスだけを知っていても役に立たない。 ↑信じる者が救われるのではなく「騙されている内が華」だ ちなみに、阿弥陀仏や法華経を唱えるのも、仏の道を学ぶことも、
アプローチが違うだけで空に帰す思想から逸脱している訳ではないですよね。
キリスト教は詳しくないですが、脱ユダヤ教を説いたのに伝達のうちに
権力者によって一神教とされたという説があってもおかしくないかも知れません。
宗教の中には、洗脳によって救おうという思想のものと、方便によって救おうというもの、
また脱洗脳によって救おうというものがあります。
どれが正解かは分かりませんが、どれも危うさを持ち合わせています。
慈悲とは不完全なものです。 仏教に置いて神は創始者でしかない。
2ちゃんの神はひろゆき。ひろゆきが仏教徒なら、神は仏陀の配下。 猿からちょっと進化しただけの人間が悟れるなんてありえませんよ。 仏教という修行には終わりが無い。
しかし人間は何事も目指す境地を求めるもの。
悟りとはその便宜を図る為に設定されたもの。 >11や>22を知ってて信じるのと
知らないで信じるのではずいぶん違う
仏教て罪深いな・・・ 真理はこれです。
“この世の支配者=悪魔”
4:6 悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。」
“神の国・御国=神の支配”
12:31 「ただ、神の国を求めなさい。」
6:33 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」
6:10 「御国が来ますように。御心が天で行なわれるように地でも行なわれますように。」
26:18「彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、御国を受け継がせるため」
2:15 「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、御父への愛はその人の内にありません。」
3:5 「だから、地上的なもの、すなわち、淫らな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。」
3:6 「これらのことの故に、神の怒りが下るのです。」
2:5「よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされた」
6:20 「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものである。」
6:21 「今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」
6:24 「されど災いなるかな、富む者よ、すでに慰めを受けてしまっているからである。
6:25 「災いなるかな、今満腹している者よ、飢えるようになるからである。
災いなるかな、今笑っている者よ、悲しみ泣くようになるからである。」 神を崇める対象ではなくて
眷属にしたのが仏教だったのでは?
天界にも教えを説いたというし そもそも涅槃;解脱というのがバラモンの概念
それに到達したのがブッダという、バラモンを踏襲したのが仏教 宗教なんてもんはバカで弱いヤツが信じるフィクションだよ
なんでそんな下らねえことで世界中喧嘩してんだよって
宗教なんかどれも同じなんだから何でもいいんだよ >>39
成る程。誠に似非の知識階層に多い意見ですね。
貴方がそう主張したいのであれば
「イースターの朝のできごと」フランク・モリソン
「神は死んだのか」ライス・ブルークス
「それでも神は実在するのか」「キリストの復活は事実か」リー・ストロベル
差し詰めこれらの書物を完璧に論破し粉砕する必要があります。 「実を結ぶ命」ゴットホルド・ベック
二十歳そこそこの少女が、自分の死をかくも冷静に受け入れることができ、
喜びつつ召されていったというこの事実は現代の奇蹟だと思います。 なぜそこで宗教屋関連の書物を読めとか言い出すのか
これがわからない >>39
でもこれ大多数の日本人の感覚なんじゃないの 不動明王(オーム教のシヴァやイルミナティも同じ)はおまいりすべきじゃありません。何万年と裏でだましやってきた悪事がばれて上の神仏界で毒殺抹消対象にな
っています。ちゃんと過去生から精進,徳を積んできた人が不正に障害者にされたり変な因縁をつけられたりしています。一見その場が助けられたように見えても
もともとそうなる運命じゃなかった人があらかじめ不正に罪を背負わされ、苦境にたたされるようにされ、表からはそれを少しぬいてもらって、大難を小難にして
もらった
と錯覚させれてるだけです。アフリカの難民みたくみんな引きずり落としあって永久にダメになっていかされます。「バックトゥザフューチャー2」のビフがもっと悪化し
たような奴です。釈迦、空海、キリストなどもこれに便乗していたので今後おまいりしてはいけません。大日如来、アカシックレコードもこれらに騙されやすいか
ら我々からも定期的に見てなきゃいけません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています