実践倫理宏正会の二代目会長(現名誉会長)上廣榮治、会長の立場を息子の哲治に譲って
から2年半、一挙に歳を取ったようだ。他界するのも近いんじゃないか。
講師の松岸が亡くなっても会は公表しないどころか箝口令が敷かれ会員は口にすること
さえ許されなかった。
どうしてか?二代目会長の榮治が亡くなった時を考えてのことじゃないのか。
先に講師の葬儀が盛大に行われると、榮治の葬儀が引き立たなくなる。
会員は「また葬儀か」という気持ちになって榮治の葬儀への気持ちが薄れてくる。
それだけ会長と講師の差をつけたいのだ。
宏正会はあくまでも上廣家のものだということを印象付けたいのだ。
それで榮治の葬儀は初代会長の時に倣って大々的に行われるであろう。
初代会長の時は上廣家が代々浄土真宗の信徒で哲彦も熱心な真宗信徒といことで、
浄土真宗の葬儀で行われている。墓所も明大前の築地本願寺和田堀廟所にある。
普通なら榮治の葬儀も浄土真宗の葬儀で行われ、骨も親父と同じ墓に入れられるはずだ。
しかし榮治は真宗を批判している。自分の書いた本で「暇に任せて念仏」とか言って
真宗をバカにしている。
本人としては実践を強調したかったのだろうが、このようにおおっぴらに真宗を批判して
おいて自分の葬儀を真宗でしたら会員に示しがつかないはずだ。
「会長は言ってることとすることが違うじゃないか」と批判が起きる。
(もっとも「榮治はもともとそんな人間だ」と思っている会員も多いのでは)
そうなると榮治は教えの元になっている禅宗の葬儀か、それとも無宗教のお別れ会
ということになる。
さー どのようになるのか。予想して見てくれ。
(表向きは宏正会葬として無宗教のお別れ会とし、近親のうちでは真宗で祭るというのが
妥当なところか)