〉石ころひとつを眺めることだけで悟りに到達、

文脈についてですが、
ここでなぜ『石ころ』にもっていったかというと、クレームさんのスレにおいて、アドヴァイタの話題が持ち込まれることで、神智学と不二一元とが並列に対立する効果を及ぼしてしまいます。
これは私の意図することではありません。
神智学を選ぶこととアドヴァイタを好むことも、石ころを通じて秘密に至ることもたいした違いはない、と強調することで誤解を解消しようとしました。