■キリスト教のやめ方■ [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
どうして龍の情報が少なくて陳腐なのか。
龍みたいな雲を見た、というケースは雲を見ただけだから当然省くが、
夢にせよ、龍を実際に体験した人がほとんどいないからだろう。
そうすると坐禅をして非想非非想処から魔境に入り、
龍神体験をしたようなケースは極めて珍しい出来事なんだろう。
それについては何回も書いているので省略するが、
けっこう貴重な体験をしたと今さら思う。
そういえば夢で、子供の時に龍の背中に乗ったけど落ちてしまった、
と言ってる人がいた。この人も相当貴重な体験をしたね。
その人はその後、龍への強い関心を持って生きてきた、と語っていた。 日本は古くから、政治と宗教を分離してきた世俗社会だ。
そのため、国民の間に「信仰の自由」が深く根付いており、他人から
信仰を強制されることに苛立ちや抵抗を感じる。
なぜ日本でキリスト教が普及しないのか。
イスラム教に対してはキリスト教以上に強い拒否感を抱く。
その原因は日本人の宗教観にある。
日本人は政治に支配されるのは仕方ないが、
心は自分のものであり、心まで支配されたくないと思っている。
日本の為政者も古くから、それを「よし」としてきた。 日本人には、政教分離、信仰の自由が根付いている。
だから宗教に寛容なのだ。
キリスト教だけでなく、イスラム教までいったんは受け入れる。
しかし、キリスト教が他の宗教に非寛容であり、
イスラム教が改宗できない宗教であって、改宗者を死刑にすると知って、
それらの宗教に否定的になってしまう。
それでも暴力的にならないところが日本人の成熟度を示している。
放置しても流行らないだろうし、
いづれ消えてなくなると思っているから。 日本人の源流は天皇制度にある。
天皇は祭司であって神ではない。空気のような存在なのである。
ここに日本人の秘密がある。
たとえば神道と仏教。
明治の神仏分離令で変わったが、それまでは神社と寺院が同じ場所で、
それぞれの個性を保ちつつ、同じ場所に共存することができた。
これが日本人の原風景であり、宗教観なのである。
俗っぽく言えば、和の精神と言ってもよい。 頂点に立つ者が空気のような存在だから、
そこにいろいろな宗教や主義主張の居場所ができてくる。
天皇制度によって宗教と政治を区別している。
これが日本人のユニークなところ。
そういう日本人であるがゆえに、
宗教を否定する共産主義には嫌悪感を抱くし、
宗教を優先させようとするキリスト教・イスラム教にも抵抗感を抱く。
これが歴史で培われた日本人のバランス感覚である。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています