<神の怪しさ> @ 神は、善悪の知識の木を園の中央に生じさせた。 A 神はなぜ、人に食べられたくない木を園に生じさせたのか。 B それも園の中央の目立つ場所である。 C 神はさらに、その実を食べるなと、人の注意をわざわざ促している。 D 最大の怪しさは、人以外にこの実を食べる者がいないことにある。 0105gips2015/12/14(月) 15:16:27.35ID:42t/UfCF <蛇の怪しさ> @ 蛇は、「人と共に」エデンの園から地上に追放されてしまう。 A その時、園の番人であるケルビムが突如として出現する。 B 最初は神・蛇・人の三なのに、最後は神・蛇・人・ケルビムの四になる。 C ということは、蛇が一人二役を演じており、蛇=ケルビムなのか? D この蛇が黙示録のドラゴンになる。 E 蛇は霊的存在であり、死とは無縁の存在である。 F この蛇は最初から、生き物の中で最も賢いものとして造られている。 G 蛇の賢さは、善悪の知識の木とは関係ない。 H 最大の怪しさは、霊的存在にしろ、こんな生き物がいるのかどうか。 0106gips2015/12/14(月) 18:02:31.76ID:42t/UfCF <人・・・はたしてアダムとエバに原罪はあるのか>
@ 二人は蛇に誘惑され、善悪の知識の木からその実を食べてしまう。 A その実を食べることに罪はない。なぜなら善悪を知らないのだから。 B ということは、「二人に原罪はない」ことになる。 C その実を食べた後、二人は楽園から地上へと追放される。 D 地上に追放された理由は、命の木からその実を食べないようにするため。 E 楽園追放は、「善悪の知識の木」の実を食べたからではない。 F 「命の木」からその実を食べないようにするためである。 G つまり神の都合で追放されたのである。 H 結論・・・人間には、パウロが言うような「原罪」なるものはない。 0107gips2015/12/14(月) 18:35:17.04ID:42t/UfCF <善悪の知識の木とは何か>
@ 創3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで・・・ A 善悪の知識が感覚的なものであることを暗示している。 B それは食欲と性欲に関係している。 C 欲望の本質は自分中心なものである。 D つまり善悪と言っても、自分中心な善悪ということなのである。 E こういった善悪は、子供の成長には欠かせないだろう。 F しかし力をつけ、処世術を身につけた大人は、周囲にとって危険である。 G アダムはエバを愛し、二人にはカインとアベルが生まれる。 H 思春期を経て家族を持てば、自分中心・利己主義だけでは用が済まない。 0108gips2015/12/14(月) 19:43:25.56ID:42t/UfCF <命の木とは何か>
@ 子供のうちは愛されるのが仕事かもしれない。 A 大人になれば、男は女を愛し、女は子供を愛さなければならない。 B この分岐点が思春期だ。 C この時期、愛される立場から、愛する立場への転換に戸惑ってしまう。 D なぜなら、愛の究極は相手のために死ぬことだから。 E 人はどうしても自分の死を受け入れられない。 F だから、生か死かと迷い、精神の分裂が始まり、徐々に深化していく。 G が、「命の木」の果実は、この分裂を一挙に解決してしまう。 H 人は、命の果実を食べて神を知り、瞬時に自分の死を受け入れる。 I これが聖霊体験である。それは異言や預言ではない。 0109gips2015/12/14(月) 22:36:42.34ID:42t/UfCF <ケルビムとは何か>
@ 人は、子供から思春期・成人(仕事・結婚・子育て)へと成長する。 A 自分中心・利己的な愛は、人生の前半部分を主導する。 B 相手中心・利他的な愛は、人生の後半になってから姿を見せ始める。 C AとBは正反対だから同時には存在しない。 D 相手中心・利他的な愛の究極は、神(命)の愛である。 E 人は 〜 神(命)と物質(死)の合体したもの 〜 不純な愛 F ケルビムは番人として、人間の不純な愛を切り捨てる。→ 純化する。 G 人は、自分の物質性を洗い流せば、神と出会うことも可能である。 H 神は、人間の成長に合わせ、二種類の木を楽園に用意したのである。 I ただし、命の実を食べるには、ケルビムに勝つ必要がある。 J ケルビムとは神の傑作レビヤタン